第七話 魔法と魔戦技
ギジンの読み通り、アイ一行はヨヌに入っていた。
ヨヌとは、大陸を縦断するグヌイ川流域を発祥の地とし、一定の居住施設を持たない国家の事である。季節により住む場所を移動し、さながら遊牧民のように暮らしている多数の部族集落をまとめてヨヌ流域国家と呼ぶのだ。アイが住んでいた村はこの一端であり、季節ごとに移動するため所在を掴まれにくい。そのためギジンはうまく隠れた、と評したのだ。
ジッカリムの追っ手はその後も絶えず襲ってきて、その度にヘザーと少年が撃退した。逸る気持ちを抑え街道からツェルを目指すが、グヌイ川を抜けるまでの街道を全て抑えられ、通り抜けるのは至難の業だ。
ヘザーは言った。多少遠回りにはなるがグヌイ川を下り海路を経て、ツェルの裏手側、つまりは脊髄山脈を超えるしかない、と。
苦肉の策であることは誰もがわかっていた。
がそれでもツェルに向かうルートの中でこれが一番ましな手段なのである。
「血を見るよりはましだよ」
ヘザーは笑う。出来れば取りたくない選択肢だったのであろう、その笑いに覇気はない。
どうして? とアイが問えば、少年が、
「今のところジッカリムの兵を撃退しているけど、これ以上追撃が強まればいつかは殺しに発展してしまう。そうなればジッカリムは本気になって兵を差し向けてくるでしょ? そうなったらヘザーと僕だけじゃ守りきれない」
と答える。なるほど、と思いながらアイは道中の撃退劇を思い出す。
……あれで人が死んでないのかと首を傾げるレベルで痛めつけていたような気がするが、気のせいだろうか。
「理由はもう一つあるけどね」
したり顔で話すヘザー。武装を解き、部屋着の彼女はとてもくつろいでいた。
同年代の娘としては些か発育の良い胸周りに、アイの視線が集中する。ゆったりとした衣類の上からでもわかる腰の細さ。そして美しいまでに鍛え抜かれた筋肉。アイの眼差しに多少羨望が混じっているのは仕方のないことだろう。
アイはそんなヘザーの艶かしい肢体を妄想しかけていたが、ぶんぶんと頭を振り、続きを促す。
「それはなんですか?」
「脊髄山脈は世界でも類を見ないほど険しい山々なんだ。三人旅でフットワークの軽い私らならまだしも、ジッカリムのフル装備で山越えなんて絶対無理だからね。多少……いや相当危険な賭けだけど今はこれ以上の策はないかな」
厳しい表情を見せたヘザーの様子からどれほど山越えが厳しいかが伝わってくる。
アイは気を引き締めた。妄想を膨らませている場合ではない。
「ここまでは何事もなく来られたけど、これから先が最難関かもよ、自然は休みなく襲ってくるから」
今彼らがいるのは大陸の南、内海近くの町ウレリア。
ヨヌであることには違いないが支配力を有するのはジッカリムである。
交易に必要な海路を整備するため、ジッカリムが町を作った故だ。
実のところ未だジッカリム領を脱出するに至らないヘザーは内心焦っている。
だがこの町に到着した頃には既に日も沈み、渡航は無理との判断で、今夜はこの集落に泊まることを余儀なくされたである。
ヘザーと出会い早十五日。
旅の間、アイと少年はヘザーから戦闘訓練を受けた。
アイも少年も身を守る術がなく、これから先、万が一にもヘザーと離れ離れになった時のために、とヘザーが稽古をつけ始めたのだ。だが、アイは非力ではないものの元々争いごとに向かない性格なのだろう、てんで剣や護身術に見込みはなく、ヘザーは英雄の娘だからといって才能があるとは限らないなと内心呆れ笑った。
そしてそれ以上にダメだったのは少年だった。
確かに剣を持つ姿は見栄えある。
が、想像以上の怪力っぷりでヘザーが剣を教えようにも、すぐに剣がだめになってしまうのだ。柄を握ればひしゃげてしまい、力を抑えて握っても、素振りをすれば柄を残して刃部分が飛んでいく。試しに全て全力でやらせてみたら跡形もなく消し飛んだ。ヘザーが練習用にと購入した三本の剣を失ったところで、少年に剣を教えることを諦めた。
怪力があれば剣がなくても其の辺のものが全て武器になりうるだろうと判断し教えたからだ。決して安くない剣にこれ以上金を掛けたくないという理由からではない。
「しかし、君の馬鹿力はなんだろうね、おねえさんちょっとびっくりしちゃったかもよ」
これは揶揄ではない。ヘザーは少年の怪力を目の当たりにしたとき、目が点になっていた。
「私も最初に見た時驚きました」
「これは……そんなにすごいことなの?」
「そりゃあもう!」
大げさに大腿を叩き、ゲラゲラと笑うヘザー。何とも豪快な様子に女性特有の色気など微塵もない。自分も大概色気はないなと自嘲しつつアイはヘザーに話を振った。
「ヘザー、あなた魔法使えますか?」
どうにもヘザーは真面目な話が苦手らしく、考えることを放棄した。
なるようになる。それが彼女の信条である。
町に着くまで焦っていた気持ちは既になく、悪戯な笑みを浮かべベッドに座る少年を見つめる。
その視線に気付き、少年は立ち上がる。
「あっはっは、アイは馬鹿だなぁ! 私騎士だよ? 魔法なんて使える訳ないじゃん! こら待て少年!」
二人が部屋内で追いかけっこを始める。少年はまんざらではない様子で逃げ回り、それをいじめっ子よろしく楽しげに追い回すヘザー。ヘザーなりの交流方法なのだろうが、宿の人間にとっては迷惑極まりない。アイは何度も注意したが結局今日まで聞き入れてもらえず、どうせならもう怒られてしまえと諦めたのだ。
その時は自分ももれなく怒られるということを失念して。
「別段騎士だから魔法を使えないとは限りませんが……この子の力が魔力由来だと、危険ですので」
「あ―そうか」
捕まった少年はヘザーにもみくちゃにされている。これも恒例行事になりつつあるが、少年は毎度不機嫌な顔をしている。まるで猫のようだ。
その少年が不機嫌な顔のまま質問をアイにぶつけた。
「魔力由来の力だと、なんで危険なの?」
「その前に魔力がなんだかわかります?」
静かに首を振る少年。
「だよねー」
枕をアイに投げつけ、ベッドに笑い転げるヘザー。
解放された少年はといえばベッドの端に座り、アイの話を真面目に聞こうとする姿勢だ。少年とヘザーでは年の差は明らかなのだが、これではどっちが子供かわからない。最初に出会った時のあの凛々しさはなんだったのか
そんな事を考えながらも、アイは説明を始めた。
「この世界に存在するものには、原初なる力が宿っています。それが俗に言う、魔力、つまり魔法を扱うための力です。ヨヌでは神より与えられた尊き力だと聞きました」
「へぇ。ツェルでは波動より齎された力だって信じられていたよ。やっぱ国ごと違うんだねぇそういうの」
ヘザーが真面目な口調で話に割って入った。アイが旅の途中少年に知識を与えていると決まって茶化しにやってきた彼女にしては珍しい事だ。
「まぁどちらにせよ、人智を超えた力がこの世に魔力を齎したということには変わりはありませんがね」
「それで、その魔法では一体何ができるの?」
「万能ではありませんが様々なことができます。その殆どは生活のための魔法です」
火を灯したり、水を精製したり、土を耕したり……。
それが魔法の精一杯である。
だが便利なものは必ず悪用する者も出てくる。狩猟のために培った刃物や弓の技術を人殺しの道具に利用した様に、魔法の規模を上げ、殺傷目的に組み上げられたものが、この世界では”
「あなたの振るう怪力の威力を鑑みるに魔戦技のそれに近い気がします。しかも別段詠唱もなく無意識に行使出来るとなると、余程高度な魔戦技なのでしょう」
「アイってば本当物知りだよねえ。知らないことないんじゃないの?」
「私も、色んなことを知りたがった口ですから。小さい頃から父になんでなんでと質問してばかりの日々でした」
懐かしむように、小さく笑うアイ。
ヘザーは近くで話を聞く少年の頭を脇に抱きかかえ、一緒になってその郷愁を感じていた。巻き込まれた少年はむっとするが、二人の特別な空気に、何も言わないでいた。
「話を戻しましょう。魔法であれば大したことはありませんが、魔戦技となると大量の魔力を消費します。これはとても危険なのです」
「どうして?」
抱きかかえられたまま聞き返す少年。その問にはヘザーが答えた。
「魔力は無限じゃなく有限なのさ」
「どういうこと?」
「つまり酷使し続ければ死ぬってこと」
事も無げに言い放つヘザーに少し驚いたものの、肯定の意味でアイも頷く。
「人は怪我をすれば血を流す。その血が流れ続ければ、いつか死ぬ。そんな仕組みです」
「魔力は目に見えるものなの?」
「見えないよ~」
「有限なら、どこまで使っていいかわからない、とても不安定な力だね」
少年は首をかしげた。波動もそうだが、この世界を構成する力にはどこか欠陥があるように思えてならない。
「そのために、魔法が使える者が最初になすべきなのは、自分の限界を知る事なのです。魔力の絶対量はどんなことをしても変わらないというのが定説ですので、自分の身の程を知るのが大切なんです」
それはそうだろうと、少年は素直に思う。
自分の命に直結する力を無闇矢鱈に行使できるわけもない。自分が如何に危うい力を振るっているかもしれない事を、少年はようやくアイの言わんとすることを理解した。
「でもさ、少年の怪力が魔力由来じゃない場合は?」
「それも含めて魔法を使えるものに見てもらいたいのです」
ああなるほどね、と納得したヘザーはニヤニヤ顔で脇に抱えた少年の頭を撫で回す。
「よかったね、物知りお姉さんに助けてもらって!」
「ヘザー、余りもみくちゃにしてはこの子が可愛そうです」
言いながらも微笑んでいるアイは少年を助ける気はない。ふざけてやっていると知っているからだ。いじられるのも嫌いではない少年は黙ってその行為を受け入れた。
「魔力の流れを読める魔法使いか魔戦士となると、腕の立つ人じゃなきゃダメだね。明日はそれで一日が潰れそうだ」
「ごめんなさいヘザー。時間がないっていうのに」
申し訳なさそうに謝るアイに、ヘザーは豪快に笑い掛ける。
「気にしない気にしない! ここまで遠回りしていたら一日やそこら関係ないし、途中で死なれても困るからね! さて寝るぞ少年」
少年に布団で覆いかぶさりベッドになだれ込むヘザー。記憶を失っているとは言え、年頃の男の子と寝るヘザーに若干呆れつつも、アイはランプの明かりを消して自分のベッドに潜り込んだ。
ヘザーの話し方はとても柔和だ。アイはヘザーの人格を表したような彼女の話し方に親しみを覚える反面、悲しい想いも抱いた。
ヘザーには日常だった事を物語る、『死』の観点。
アイにとって『死』は両親のことしか思い出せないそれを、彼女は平然と語る。
いくら同年代、同性だとは言え、そこには埋まりようのない溝をアイは感じた。
もし、記憶を失ったこの少年がそのように育ってしまったら?
父グレンは言った。人が人を作るのではない。環境が人を作るのだ、と。
ならば、この状況はどうなのだろう。教育には決して良いとは言えない環境に巻き込んでしまっていることは明白だ。
ツェルに着いたら生活環境というものを真面目に考えねば。
アイが決心した頃には、ヘザーの豪快ないびきとそのヘザーに抱き枕がわりにされ息苦しそうな少年の寝息が聞こえてきた。
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