第八話 不思議な男

 翌朝。

 海から上がった太陽の光が、カーテンの間から差し込んでくる。

 もともと漁村で暮らしていたアイは朝が早いことには抵抗はなかったが、最近の慣れない旅路で少し朝が辛くなっていた。それでも体が朝日を浴びれば目が覚めるだろうと眠気眼を擦りながら部屋を出て宿屋外へ出た。

 集落自体はまだ眠ったような静けさが漂っているが、海辺特有の湿った空気に満ち、遠くから懐かしい漁師達の声が小さく聞こえた。

 まるで村に戻ったかのようだとアイはしみじみと思う。

 太陽に輝く海とそこから吹く潮風に身をゆだね、瞳を閉じる。深く息を吸えば胸が海の匂いに満たされる。鳥の声が空高くから聞こえる。


「おじょーさんっ」

「え!? わっ!」


 突然背後から声を掛けられ、思わず声が上ずる。

 アイに声を掛けた人物は少々驚いたような風に謝った。


「ごめんごめん、驚かしたかーな?」

「い、いえ大丈夫です気にしないでください」


 振り返れば、そこには異様な程背の高く、ともすれば木と見まごう程の細身の男がヘラヘラ笑いながら立っていた。


「えっと、おはようございます。……私になにか用でしょうか」


 あまりまじまじ見るのも失礼だと思い、朝の挨拶をしつつ話を進める。

 だが逆に男性はアイをまじまじと見つめていた。

 主に、胸辺りを。


「あれーえ? 女の子だと思ったけど、君男?」

「笑えない冗談はお断りしています」


 笑えないとは言うがアイは明るく返答した。無表情で。


「いや再三ごめんねえ、あまりに胸がないので。気にしないでおーくれ」

「それだけ傍若無人な言動を許せるほど私は人が出来ていません」


 もともと気性は穏やかなアイだが、あって間もないというのに失礼千番のこの男に対し毅然とした態度で立ち向かった。

 最近できた友人の影響だと言うことは置いておこう。


「悪気はないから許してってばぁ!」


 悪気がなかったら許されるとでも思っているのだろうか? 

 とアイは考え少しだけ冷静になる。そしてはたと、自分が危うい橋を渡っているのではないかという考えに行き着いた。


 この男は果たして一体何者だろうか?


 朝とは言え海にはまだ夜の名残があるこの時間。

 しかも狙いすましたかのようなアイ一人になった瞬間に話しかけて来た。

 これを怪しまずして何を怪しむというのか? 

 せっかく吸い込んだ爽やかな朝の空気が重苦しいものに感じ始めた。

 背に冷や汗が流れる。

 アイはここに来てようやく自身の迂闊さを呪い、この場を切り抜けようかと思案し始めた。

 自分が追われている身だということを意識していなかった自分を恥じる。無事に帰れたとしても笑いながら怒る友人の顔が目に浮かぶようだ。


「では朝食の時間ですので、さようなら旅人さん」


 なんとか不自然にならないよう、この場を去らなくては。

 そう思い直様男性に背を向け宿屋に戻ろうとするアイ。


 余談な上一目瞭然だが、アイは演技が下手である。

 血筋というべきか、メルティナ一族は嘘が壊滅的に下手なのだ。

 不自然にならないようにと、行動したそれら一連の言動には自然のしの字もない。


「こんな時間に朝食? いくらなんでも早すぎじゃーない?」

「うちはそういう家系なのです」

「君さ、断るにしても、もっとうまいこと言わなきゃ。しつこい男だったら大変だよーん?」

「既にしつこくて大変な思いをしていますが?」

「そりゃそうだ、コイツは一本取られたなーあははっ!」


 話せば話す程ぼろが出るばかりで涙が出そうになるアイ。

 男性に背を向けているのは唯一の救いだ。

 こうなったら自棄だと、足早にその場を立ち去る。


「とにかく、失礼します」


 宿屋に入るアイの背中を見送った後、男はおかしさのあまり笑い出した。

 朝の澄んだ空気に笑い声は大きく響き、漁師達にまで届いた。何事かと顔を上げれば宿屋の前で一人笑う男の姿を見つける。深いため息をついたあと、迷惑な旅人が来たものだと呟いて仕事に戻る漁師達。

 ひとしきり笑った男は涙を拭きつつ、今日も昨日と変わらない日が始まる、そう予感させるような朝焼けに目を細めながら、呟いた。


「また後でね~ぇ、アイ・メルティナちゃん」


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