第九話 新緑の守り人

「アイってさ、頭よさそうに見えて馬鹿でしょ」


 集落にて。

 少年の魔力について調べるために宿屋を発ったアイは、今朝の出来事ををヘザーに話した。

 するとため息一つ吐いた後、あからさまに馬鹿にした表情でそう言ってきた。


「あの、もう少し歯に衣かぶせて言ってもらえませんか? 直球過ぎて心が痛いです」


 んーと顎に指を押し当て、ヘザーは考える素振りを見せる。


「アイってさ、馬鹿だよね?」

「疑問形になっただけじゃないですか!」


 涙を流しながら訴えるアイの背中を笑いながら叩くヘザー。

 断っておくが彼女の緊張感は常時こんなものなのだ。

 朝から酒を煽っているわけではない。


「でもなんにもなくてよかったよ、全く。もう少し自覚してよ、追われているってこと」


 最後にはちゃんと釘を刺す。

 少年はヘザーの行動を振り返り、一つ考えていた。

 いつもふざけた調子ではあるが、面倒見はいいし、観察力も高い。行動力も抜群で、尚且つ、切り替えが絶妙だ。

 ヘザーの言う通り、確かに追われている事はもう少し意識はしたほうがいいのかもしれない。が、その精神的緊張を感じながらの旅ではもっと過酷であったであろう。そうさせまいと、彼女は彼女なりに気を使ってくれていたのだ、誰にも気づかれぬように。

 それはそのまま統率力にもつながる。もしかしたら、聖騎士団の部隊一つぐらいは率いているのかもしれない。 

 そう考えると、少年はどうにも引っかかるものがあった。


「おーい少年、なにやってるの、置いていくよー」


 かけられた声に少年が気づくと、いつの間にやらアイとヘザーはずいぶん先を歩いていた。慌てて二人の後を追う。


「待って、今行くから!」


 駆けながら、少年は思う。

 果たしてツェルに到着して、平穏な生活というものが送れるのだろうか?

 答えは出ないが、今はヘザーに従うしかない。

 いざとなったら僕がアイを助ければいい、いくらなんでもヘザーに負けるようなことはない。少年は密かに心に誓った。


「ところで、ヘザーは何か宛でもあるのですか? 何の迷いもなく歩いているように見えますが」

「やや、さすがの観察眼。アイは残念な子ではないね!」


 軽口を言い合う二人。

 進行方向を見るに、どうやら町の外に向かっているようだ。

 その先に広がるのは森ぐらいしかない。


「あの森に行くの?」


 お、っと少年を覗き込むヘザー。

 背が高い分、少年の顔を覗き込むためには屈まないと覗き込めないが、労もない様に、ヘザーは笑う。


「君も大概聡明だね、大したもんだ」


 ヘザーが少年の頭を乱暴に撫でる。先程まで敵に回るかもしれないと思っていた少年は、その屈託のない笑顔を直視することができなかった。


「宿屋の女将さんに聞いたんだけどさ、高名な魔法使いが、なんかの調査でここに来ているんだって。偶然にしては出来過ぎだけど、会って見る価値はあるでしょ?」


 ヘザーはやることなすこと全てにそつがない。

 誰からも好かれ、鎧さえ解けば、誰にも警戒心を持たせない物腰。人あたりもいい彼女がいたからこそ、旅は順風満帆だった。

 それが少年とアイだけだったら? 

 考えただけでもぞっとすると、少年は身震いした。


「名前とか、聞いたの?」

「聞いた聞いた! その魔法使い……木霊のエルタニアって名乗ったらしいよ、宿帳にもそうやって書いてあった。男なんだけど」


 男なんだけど。というところに悲しみのニュアンスを感じたのは気のせいだろうかとアイは首をかしげる。


「木霊のエルタニア?」

「その魔法使いの通り名じゃない? アイ聞いたことある?」

「ありません」

「ねえアイ。高名ってどういう意味?」

「何がしかの分野で高い評価を受け、広く一般の人々に名前を知られている、という意味です」

「アイはその人のこと知っているの?」

「いえ、知りません」

「……高名?」


 ジト目で見つめてくる二人にヘザーはたじろぐ。


「な、なんだよー。私は聞いた話だから私が嘘を言っているわけじゃないぞお」

「他に宛があるわけじゃありませんしとりあえず会ってみましょう」


 そう言い切って先を進むアイ。

 魔法使いに会うのは少年の魔力量を調べてもらうためであり、高名な人物に会いたいわけではないのだから。

 

 森に近づくと、一人の子供が森の外れでなにかをしている姿が目に入った。

 自分より小さいものはなんでも愛でる習慣なのか、ヘザーは可愛いと呟くと、すぐに駆け出し子供に話し掛ける。


「おはよう。こんな所でなにしているのかなー?」


 ヘザーの声に反応して振り返る子供。

 三人は絶句した。

 まずその容貌。

 背は比較的小さい少年よりも更に小さく小人のようで、だがその顔は壮年の男性に近い。とんがり帽子を被っているせいで後ろから確認できなかったが、正面に立つとわかるその白髪。狐目といえばいいのか、目は限りなく細く、開いているのかどうかわからない。

 一言で言えば、子供のような背格好の大人がそこにいた。


「なんだ? 俺っちの顔になんかついているか?」


 言って顔を触る。声も低く、耳あたりが良い


「なんでもない、です、よ? ただ子供だと思っていたから、面喰らっちゃって。ごめんね……ごめんなさい」

「なるほど、まぁ仕方ない。この木霊のエルタニア、そんな事で怒りはせん」


 今日二度目の驚愕。

 目的の人物にこれほど早く会えるとは誰も思っていなかった。

 木霊のエルタニアと名乗ったその大人子供は、驚きの表情を隠せないアイ達に首を傾げる。


「……なんだその驚き様。俺が木霊のエルタニアだと知って話しかけてきたのではないのか?」

「ええと、いや。違うんだけど……違くはないんですけど」


 ガクッと項垂れるエルタニア。手に持った異様な形の杖で身体を支えている。


「別にいいけどな、知らなくても。ただ俺って有名なはずなのになんでこう、皆同じような反応するんだろう。そんなに俺が残念なのか? それとそのめんどくさい話し方やめろ、体がむず痒くなる」


 見た目のせいだろう。とは口が裂けても言えないヘザー。

 

 曰く、森の守り人。

 曰く、精霊王。

 彼女が聞いた噂はどれも厳ついもので、目の前にいる大人子供は似合わない。言葉使いは確かに尊大だが、手足が短く動きにどこか愛嬌のある容姿では、迫力、威厳が足りないのだ。


「でもエルタニアに用事があって来たのは本当です」


 端で見ていて気の毒になるぐらい落ち込むエルタニアに、アイは慌てて取り繕った。顔を上げたエルタニアは一瞬だけ嬉しそうな顔をするがアイを見ると途端に顔を曇らせる。


「お前、まさか……」


 まじまじとアイを見つめるエルタニアに、戸惑いを覚えるアイ。

 表には出さないが、ヘザーは若干の気を張った。少年もそれを感じ、何が起きてもいいように腰を落とし、静かに身構える。

 だがエルタニアはアイからふっと視線を外すと、面白いものでも見つけたかの様に、にやっと笑って、言った。


「で、俺に用事ってなんだ?」


 エルタニアは気付いていた。ヘザーと少年の一瞬の敵意に。

 身のこなしから只者ではないと感じ取ったエルタニアは、彼らの話を聞くため毒気を抜く。肩透かしをくらったようにヘザーは笑い、緊張を解く。


「食えないおっさんだねー」

「お前らとじゃ年季が違う」


 状況が掴めないのはアイだけだった。


「なんの事ですか?」


 アイの頭を撫で、微笑むヘザー。


「なんでもないよ。で、用事ってのは簡単な事なんだけど、この少年の魔力を見て欲しいんだよね。あぁそういえば名前をまだ名乗っていなかったね。私はヘザー・ラッセン。こっちがアイ・メ……アイで、少年には名前が無い。記憶喪失なんだ」


 記憶喪失、と言う単語に反応し、頷くエルタニア。

 その後アイにちらりと視線を送る。


「ふむ、それで魔力量を調べて欲しいってか。てっきりそっちの娘の話かと思ったぞ」

「私、ですか?」

「触れないでもわかるぐらいに、お前は魔力の上限が高い。お前は優秀な魔法使いになれる素質を持っている」


「私が魔法使い?」


 自分の手を見つめるアイ。

 これまでも生活のために魔法は使ったことがあるが、魔法使いになれるなんて一度も考えたことがなかった。


「ま、素質だけじゃなれないものだけどな。さて、そっちの少年を見るのか。いいだろうついてこい」


 そう言って何の説明もなく森の中に入るエルタニア。三人は顔を見合わせ、仕方なくそれに従った。

 が。

 森に足を踏み入れた瞬間、ヘザーが予備動作なしに抜刀、後ろ手にアイを庇いながら剣を構えた。あまりの唐突な行動にアイは面食らうが、ヘザーの感情のない面持ちに血の気が引くのを感じた。

 同様に少年もヘザーとは逆位置でアイを守るように構える。森に入った瞬間敵意が四方八方から感じられるのだ。なのに、その敵意の元がわからない。少年とヘザーはその異様さに不安を感じる。


(エルタニアに謀られた!?)


 ヘザーの思考が一瞬で脳内を駆け巡るが、そうではないのだろう。エルタニア自身が少し離れた場所で驚いたようにこちらを見ているのだ。


「驚いた。まさかこれに気づくとは……ラッセンは只者ではないと思っていたが、そっちの少年もか」


 その言葉にヘザーは舌打ちした。警戒を怠った訳ではないが、これが敵の罠だとすればとんだ失態だ。

 ヘザーは無言で剣をエルタニアに向け、ジリジリと後退した。それに合わせアイも少年もゆっくり森を出ようとする。


「待て待て。説明するから逃げるな。その様子を見るだけで、重大な理由があるのはわかったから。あーその前に」


 一人ぶつくさと呟くと、エルタニアは杖先で空中に印を結ぶ。その後詠唱を始めると、先ほど結んだ印が光の線となって浮かび上がり、次第に大きくなっていく。


結界解除リリース


 エルタニアの声に反応して印がはじけ飛ぶ。何が起きても反応できるように身構えていた三人だが、起こってしまえば反応も何もない。だが――


「敵意が、消えた?」


 先程まで刺さるような敵意が全て消え去っていた、まるで最初から何もなかったかのように。

 瞬間崩れ落ちるヘザー。先程まで大勢の軍勢にでも囲まれているかのような緊張感を感じていたので、疲労が一気に押し寄せたのだろう。魔法、魔戦技と言っていい規模の力だ。強大だとはわかっていたがここまで圧倒的なのかと、認識の甘さを痛感した。

 気が抜けたヘザーを心配しながら、アイはエルタニアに聞いた。


「今のは、なんだったんですか?」


 話しかけられたエルタニアは少年を見ている。ヘザーとは違い、少年は周りの木々を見つめている。無数に並ぶ木立。それらをひとつひとつ確かめるように、触ったり叩いたりして。その行為が何を意味しているのか。その場にいる人間で理解できるのはエルタニアだけだ。


「結界を張ってあったんだよ、この森には。俺以外の生き物が侵入したら攻撃的意志をむけるような、といえばわかるか? 今はもう解いたわけだが悪く思わんでくれ」


 なるほど、とは言いにくい理由を並べられ素直に頷けないアイ。エルタニアの興味といえば完全に少年に向いており、アイはヘザーの介抱に専念することにした。 

 エルタニアが少年に近づく。ヘザーは注意深くその様子を見守った。


「少年、どうした。そんなに気になるか、その木が」

「この木というか」


 地面に盛り上がっている根を、苔むした幹を、日差しに照る葉を、少年は順に確かめるように触れる。


「この森が、気になる」


 ヘザーもアイも少年の行動と、言った言葉の意味がわからない。エルタニアだけが頷き、感心したように少年の肩を叩く。


「この結界が君のような少年に見破られるとはな。ご名答、森の全ての木が結界の役割を果たしている。君らが感じた無数の敵意はこの木々一本一本が向けた敵意なのさ」

「木々一本一本が?」

「嘘でしょ?」


 ヘザーは驚愕する。この幾千幾万生えているかわからない木々全てが、結界の役割を果たすなどとは。想像の範囲を超えている。


「ここらの森は動物の食害がひどくてな。動物用に張った結界なのだ、だから動物がわかる程度の敵意しか向けられないのだが……まさか人間が反応しようとはな。二人共、正直驚いたぞ」


 エルタニアが柏手を打った。いつまで気落ちしているわけにもいかないので、ヘザーはため息一つ吐いて立ち上がる。結界を掛け、解くことが可能ならば、それの対処法もあるはずだ、と。

 ヘザーは抜刀した剣を鞘に収め、エルタニアに笑いかけた。


「木霊のエルタニア、ね。なるほど納得したわ。木の力を操る者ってことか」


 ふふんと鼻を鳴らすエルタニア。

 アイはその実力を垣間見て、エルタニアに対して感じていた考えを改める。


「ま、それだけではないが。では話を聞かせてもらおうか、その少女について」


 エルタニアの言葉に誰も二の句を継げない。

 ヘザーは笑顔を歪ませ、少年も固く拳を握り、アイは身を強ばらせた。

 三人の変化は一目瞭然だが、エルタニアは首を振る。


「そりゃそうだろう、咄嗟に守った相手がその少女、アイだったら、誰でもそっちに秘密があるのだろうと考える」

「話そうと思っていたけど、まさかこんな形でばれるなんてね」


 ヘザーが収めたばかりの剣の柄に手をかけ、油断なくエルタニアと対峙する。


「どうするヘザー」


 偶然にも少年とヘザーはエルタニアを挟むような形にたっている。

 しかも二人でかかればどちらかは仕留められる距離だ。

 だが魔法使いの不気味さ、エルタニアの見せた技の異質さに二人をそれ以上の間合いに踏み込めない。


「無駄だと思うが……言うぞ?」


 対峙し、身構える三人。


「俺は敵じゃない」

「なんだ、そういうことは早く言ってよ」

「え」


 三人の空気が一気に弛緩する。

 むしろエルタニアのほうが驚きの声を上げてしまうくらいだ。


「そうだね、大事なことは早く言うべきだよ」


 拳を解き、何事もなかったかのようにエルタニアの横を素通りする少年。エルタニアは二の句が告げない。


「驚かせないでください、エルタニア」


 アイまでもがそう言い放ち、いよいよをもって三人の正気を疑うエルタニアはしかし、どうにもおかしくなりついに笑い出すしかなかった。


「お前ら……変わっているなぁ!」


 エルタニアは心底面白いものでも見たかのように、笑った。

 その声は森の奥深くまで木霊した。


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