第二十八話 望まぬ戦い

 ここはどこだろう。なにもわからない。

 黒い天井、壁、床。

 懐かしい気がする。ここはもしかして故郷なのかな?

 そんなわけない、きっとこれは夢だ。

 きっと覚めたらまた、夢より辛い現実が始まる。

 地面が揺れる。もうすぐ夢が覚める。

 誰か走ってくる。

 おや、どこかで見た覚えがあるな、どこだったカナ。ダレだったかな。

 まぁいいや。もう疲れた。夢で疲れるなんて、ドウカシテイル。

 せめてユメの中で位休ませて欲しい。

 そういえば、私のナマエはなんだっけ?

 思い出せない。もう、ナニモ、思い出せない。




 少年はヘザーの名を呼んだ。

 腹の底から、何度も何度も。

 しかしヘザーはピクリとも反応しない。まるで自分が呼ばれていることに気づいていないようだ。戦争を裏で手引きしていたギシンを追い詰めたというのに、その本人は余裕ある笑みを浮かべヘザーに近寄る。


「ヘザーに近づくな」


 低く唸るように少年が言う。

 その怒気の量たるや、マーレンに発したものと比べ物にならない。だというのに、ギシンは平気な顔で笑い声を上げている。


「これはこれは人造の神よ、気に障りましたかな? ラッセンこっちへおいで」

「……」


 いくら少年が呼ぼうとも、いくら叫ぼうとも微動だしなかったヘザーは虚ろな目で虚空をみつめ、ギシンの指示に従う。


「何を……したんですか」


 アイの嫌悪感に満ちた表情。ギジンはそれを見て興奮の度合いを高める。


「捕まえて調教する際、体には一切傷をつけておらんよアイ・メルティナ」


 あの後ヘザーはトーンに捕まったのか。

 体にはと強調するあたり、ギジンの性格を良く表しているようでアイは一層気分が悪くなる。

 少女が動く。

 だがそれを目聡く見つけ、よした方がいいと牽制するギシン。


「儂を殺すのは容易い。だが儂が死ねば二度とこの子は元に戻らん。そして忘れた訳ではあるまい、トトも死ぬことを。二重で人質のある儂に逆らわない方がいいぞ」


 少女は握りこんだ拳を解く。

 捕まえるのは簡単だが、妙なことをしていないとも限らない。

 少女もヘザーとは顔見知りだ、まだヘザーがツェルにいる頃遊んでくれた思い出があり傷つけたくない。


「何が目的なのだよ?」


 トトが遅々として進まぬ話に苛立ち先を促す。


「お前達はおかしいと思わないのか? 儂らは神の夢が零れ落ちてできた不出来な存在。神でもなければ人でもない儂らがどうやってこの世界で暮らす! いや、そっちの二人はまがりなりにも神は神だったな。失敬失敬」


 要は造物主への反乱だよ、と話を続ける。


「それでこんな大それたことをしたと。大陸を巻き込んで戦争を起こしたとでも?」

「そうだ」


 シンプルな答えにアイは二の句が告げない。

 呆れるほど単純、だからこそ業が深い。

 

「最初は波動が無くなればいいと思った。だが数々の波動存在を見て、その思いを改めお前達の争いを見て確信した。この力は使える、とな」


 そうして練られた今回のジッカリムとツェルの戦争。

 トトの読み通り、ギシンが全て裏で糸を引いていたのだ。


「波動の奇跡を以てして未だ眠りにいる神々をたたき起こす。もしくは波動の奇跡で神々の支配からこの世界を解き放つ。そうすることにより我々波動存在は初めて自由を得られるのだ」


 戦争でアイや少年達の住む世界を守るため身を賭したエルタニア。不本意ながらも国のため、家族のために戦争に参加した者、徴兵された者。

 全てはこの男の戯言に付き合わされた結果命を散らしたということで、アイ達は未だその戯言に付き合わされている。

 冗談じゃなかった。


「首尾は上々。邪魔になるであろう生き残った実力者は全てここに集まった。あとはお前たちを倒してしまえば儂の計画を邪魔するものはいない。ここまでうまく事が進むと逆に気味が悪くなってくるね」


 ギシンは体を揺らし、不協和音のような気味悪い声で笑う。


「あんたに負ける私達じゃないよ!」


 強気発言の少女。

 交渉時、一番やっていけないのは弱い部分を見せないことだ。

 そうでなくても主導権は相手が握っている。弱気になってはいけない。

 少女の言葉に反応してアイと少年はギシンを中心に対角線を結び、距離を取る。

 肉弾戦主体の少年と、中距離主体の少女、エルタニア程とは言わないものの遠距離の本職アイ。

 布陣は万全だ。

 だがギシンは笑う。

 嘲りにも近い大声で。


「わしが戦うと、誰が言った?」


 その言葉を聞いてしまったと誰もが思った。

 ギシンを無力化することに考えを取られ、ヘザーの動きに注意していなかった。

 ヘザーはいつの間にかファルアザードの剣を拾い抜刀している。

 漆黒に閃めく黒刀。

 優しさや美麗さはなく、ただただ狂気のみを宿しているだけのようだ。


「いけラッセン。全員殺して構わん」

「……」


 ギシンが指示を告げたと同時に倒れこむように走り出し少年に肉薄する。

 あまりの速度にアイは目が追いつかない。


「アイ、もっと距離をとって! ヘザーは掛け値なしに強い!」


 その通りだ。

 近くに落ちていた槍を拾いヘザーの剣戟をいなす。

 しかし一撃一撃が異様に重い上、切り返しが早い。

 まるでヘザー自身が剣の重みを感じていないようだ。

 トトはその黒刀を見て歯噛みし、その理由を知るギシンはニチャリと笑う。


「その剣はな、もともと波動の悪魔……波動の英雄たるグレン・メルティナの所有物なのだ。あの男もつくづく救えんな、まさか自身が取り出した黒刀で持って娘を、平和を望み取り出した神を殺されることになろうとは。哀れすぎて笑いがこみ上げてくるようだ」


 ギシンがニヤニヤした表情でアイに語りかける。

 アイはそれどころではない。

 先程からヘザーに魔術を掛けているが、それをどういうわけかヘザーは一切無視し、まるでなんの効果も出ていないかのように動き回るのだ。

 少年とヘザーの距離が近すぎて少女も距離を保ちながら移動するしかなく、なかなか切り込めずにいる。


「持つ者は羽を持つより軽く剣を振り、受ける者は剛岩の如き重撃を受ける、そんな波動存在なのだよその黒刀”黒羽の魔剣”は。ファルアザードには真実を話さなかったが、まさか愛刀がにっくき敵のものだとは思っていまい。教えてやったらどんな顔をしただろうか。それだけが心残りですぞ我が王よ……おっと、もう物言わぬ骸になっておったな」


 なんとか気絶に持って行きたい少年は、隙を見て鳩尾に石づきによるかなり遠慮のない一撃を入れるがまるでびくともせず、面食らった少年はだがしかし冷静にヘザーの追撃をかわす。

 その際、切っ先が少年の頬を撫で鮮血が散った。


「なかなかの一撃に見えましたが残念ですなぁ。ラッセンの痛覚を遮断させてもらっておるよ。倒すなら殺す気で仕留めることだ破壊の神よ。あなたなら容易かろう?」


 その言葉を聞いてますます焦る少女。

 人間にとって痛覚とは外界との連絡通路であり、危険判断基準の最も重要な部分だ。遮断すればどうなるかといえば、先ほどの攻防がいい例である。

 鳩尾にあれほど派手に一撃入れられてなんの反応もない。

 これが示す答えは単純だ、致命傷でもそれを気にせず動き続け、失血死に至る。

 もしくは肉体が限界以上の力を常に出し続け、体組織の崩壊か。

 どちらも最悪に結末である。

 ギシンはそれをわかってやっているのだ。

 怒りに我を忘れそうになる少女だが、それでは意味がない。

 奥歯で怒りを噛み殺し、少年に向かって叫ぶ。


「距離をとって一回緊張を解いて!」

「距離を取れるような状況じゃない!」


 ヘザーの攻撃がいちいち重くて少年はそれどころではない。

 すでに手にとった槍はぼろぼろだ。受ける対象が人間でなくても波動の力は働くものらしい。

 そんな余計なことを考えていたせいか、判断が一瞬遅れる少年。


「危ない!」


 的確に相手の隙を見抜き、致命の一撃を繰り出すヘザー。

 なんとか寸で避けられたものの、もう刹那反応が遅ければ確実に首から上が飛んでいた。

 それを想像し冷や汗がどっと湧き出る。


「なにを躊躇っておいでだ、破壊の神よ、あなたの実力はこんなものじゃないでしょうに。見せてくださいまし、あの時みたいに。山河砕く一撃を、天地揺るがす衝撃を、環境をひっくり返す天変地異をっ! ここでも堪能させてくださいよ」


 出来ないとわかっていてわざと挑発してくるギシン。

 ニヤニヤした顔に特大の一撃をお見舞いしてやりたいが、そうも言っていられない状況で、怒りを心の奥に沈め込む。

 援護もろくに出来ない状況で、二人は少年とヘザーとの攻防を見守ることしかできなかった。

 かつて旅をしている間の、剣や戦いについて稽古をしている時の事を思い出す。あの時はとても和やかで、まさか自分達が真剣を持ったヘザーと対峙するなんて想像していなかった。

 泣き言は言っていられない。

 アイは必死になってヘザーの教えを思い起こす。

 ヘザーの稽古には座学もあった。

 運悪く離れ離れになってしまった場合に備えて、基礎的な戦闘知識を叩き込まれたのだ。敵に追われた時の逃走方法、実力の違うものと戦う場合の立ち回り方、集団における戦闘考察。

 師、エルタニアの教えと重なってヘザーの言葉が脳内によぎる。


「もし相手が強いなら逃げることを最優先に考えて戦うこと」


 ――逃げられない戦いなら?


「一対一の戦闘は必ず避ける事。あと、前衛後衛をはっきりさせて、各自、どう動けば効率よく戦えるか考えること」

「魔法。特に魔戦技は大規模なものが多いが、はっきり言って対個人戦では意味がない。考えても見ろ、仲間がいるとこに、魔法ぶっぱなしたら、みんな巻き添えだ。そんなのより小回りの聞く、拘束魔法や、罠系の魔戦技なんかが戦闘向けだな」


 では大げさな魔戦技はいらない?


「そうも言わん。ただやはり一番大事なのは、仲間内の連携だな」

「仲間が誰かを助けるために行動すれば、敵攻略への糸口も見えてくるよ」

「自分が取れる手は戦闘外でも使うようにして理解を深め、いつでも仲間の行動に合わせられるようにしろ。そして」

「仲間を信じること。強大な敵も、もちろん貧弱な敵相手でも一人で戦わないこと、これが重要だね」

「思考停止して戦うな」

「一つ一つが積み重なり、最後まで諦めなければ」

「勝利は必ず掴めるものだ」


 エルタニアのぎこちない微笑み。ヘザーの無邪気な笑み。

 アイは蘇るその笑顔を瞼に焼き付け声を上げた。


「水をここに呼んでください!」


 意味はよくわからないが少女はアイの言う通り、大気から水蒸気を集め神殿内に大量の水を発生させる。


「声を掛け合って連携を密に! 私がこれから、ヘザーを拘束します!」

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