第二十九話 弛まぬ努力の果てに

「わかった!」

「任せる!」


 アイの気合の篭った声に少年も少女も応じる。

 アイは自らを水の膜で纏い、その上で水たまりから人型を作り出し自身に似せて作る。細部の造形は荒くとも戦闘状態で十分すぎる出来だ。

 それをものの数秒で作り上げるアイに、トトは愚かギシンも舌を巻く。


(早い。その上同時に二つの魔法を繰るとは……エルタニアと師弟関係と聞いたが、潜在能力は、師以上なのだよ)


「ラッセン、魔術使いから先に落とせ!」


 途端、顔色を変えて叫び散らすギジン。

 ヘザーは一直線に少年からアイへと目標を変え接近する。


「アイ、気をつけて!」

「馬鹿め、魔法使いの体術でヘザーの攻撃を躱せるはずが――」


 ない、と笑う予定だったギジンは、その口をあんぐりと開け、目が点になった。

 ヘザーは攻撃している。

 致命の一撃を何度も何度も繰り出している。

 だが当たらない、避ける、躱される。

 アイを覆う水の膜がヘザーの攻撃を悉く弾くのだ。

 異様なその光景、ギシンは信じられない面持ちで呆然と眺めていたが、それは残る三人も同じことだ。

 『流水の衣』

 アイはその”魔戦技”をそう名付けた。少年もその魔法を行使している姿を見たことがあるがどのような効果があるかは知らなかった。

 魔法使いは接近戦に弱い。

 これは世界の通説であり魔法使いと相対した時どんな人間でも当たり前のようにその慣習に従う。もちろん魔法使い達は近接戦闘における魔術を開発することに心血を注ぐが、並の魔法では簡単に破られてしまい意味がない。

 よって世界の魔法使い達は接近戦で戦える小回りの聞いた魔法を諦め、大規模且つ、効果の派手な魔戦技の開発に勤しんだ。

 アイの使う流水の衣はその時廃棄された魔戦技論の一つである。

 魔戦技の粋を攻撃ではなく、防御に特化させる絶技。

 彼女は考えた。

 集団戦闘になれば、自分より知識のあるエルタニアが効果範囲の大きい魔法を使うだろう。対個人ともなれば少年少女に勝る者はほとんどいないだろう。

 では自分には何ができるか。

 足でまといにならず彼らの援護に回ること。

 足でまといにならない絶対条件は、攻撃を喰らわない事である。

 彼女はそれを独学で開発し、ほぼ完成に近い形にまで昇華し修得したのだ。

 非凡な才能と飽くなき探究心のなせる技。

 トトは心うちで、グレン・メルティナに言った。

 グレン。お前の子供はやはり、英雄であるよ、と。

 ヘザーは顔色一つ変えず、攻撃を繰り返す。

 慣れれば単純明快な愚直な剣捌き。

 アイは思う。

 本来のヘザーの剣技がこんなもののはずはない、と。


「何をやっておる! 殺せ! 首を刎ねろ!」


 ギシンの怒りの声に少しだけ表情を歪め、攻撃を首周辺のみに切り替えるヘザー。 

 今が好機とばかりにアイは練りに練った水人形をヘザーにぶつけ拘束した。

 するとみるみるうちにヘザーの動きは遅くなり、赤子が手を降る程度の動きに変わってゆく。

 ギシンは今日何度目になるかわからない大口を開ける。どうしてそんなことになるのか、ギシンの湧き上がる疑問と同じ想いであるトトが、代わりに質問をぶつけた。


「これは、いったいどういうことだ?」

「この水人形は性質を変え、粘着しやすくしました。水の量も圧縮し見た目以上に質量があります。彼女は今、ねばつく深海にいるのと同じです」


 魔力の消費は激しいですけど。

 そういうアイは肩で息をしていた。

 水人形もそうだが、流水の衣も相当な魔力量だろう。

 魔法を、魔戦技を使うべくして産まれた魔に愛されし者。

 トトの脳裏にそんな言葉が浮かぶ。


「まだ気を抜かないで!」


 少女の声に反応し振り返れば、今にも水の拘束を解かんと身じろぎしているへザーの姿。

 アイは少年と少女を呼ぶ。


「思ったとおり一時的な拘束しかできません。ここからが本番です」

「どういうこと?」


 少年の疑問に少女が答える。


「魔法が効きにくい……もしくは無効化しているってことでしょう?」

「はい。その通りです。さっきは偶然証明できましたが、私の流水の衣は消されなかったので。彼女自身にふりかかかる魔法を無効化に近い形にしてしまうのでしょう」


 まさか、それを実践で試したというのか。

 少年は信じられないといった形相でアイを見る。

 そレに気づいたアイは小さくわらい、首を振る。


「ほぼ八割確信はあったので試したんですよ。以前に戦ったトーン。覚えていますか? 彼は魔戦士ではないかと師匠は語りました。あの時戦えなかった分よく観察して考察した結果、そう結論付けたようです。そして実際彼との戦い、自分ならなんとかなるかもしれない、と言ったヘザーの考え。それを鑑みてある仮説を立てたのです」


 ヘザーに魔法は効かないのでは、と。


「でもどうして自分に降りかかる魔法だけ無効化できるなんて思えたの?」

「トーンは虚空より剣を取り出していたでしょう? あの剣自体が魔力の塊なんですよ。だけど、ヘザーはそれを打ち消すことはできなかった。何故なら」

「自身に降りかかったわけではない、から?」


 頷き笑うアイ。

 トトは驚愕した。その考えが正しいとしても、良くて五割、悪くて三割の確率でしかない。特に無効化にする条件が曖昧すぎる。

 そんな曖昧すぎる師の仮説に自らの首をかけたというのか、この少女は。

 信頼なんて生ぬるいものじゃない。ある意味狂っているとさえ思える。


「これで彼女の標的は私のみになったでしょう。そこで二人にお願いがあります」


 ヘザーが水人形の拘束を解くのも時間の問題。

 その僅かに残された時間で、最後の作戦を告げる。


「これから洗脳を解く魔法詠唱に入ります。私が合図するまで彼女を絶対に私に近づけないでください」


 頷く二人の神。


「任せて。アイの所にはいかせない」

「私も。あんたに負けないんだから」


 ヘザーが拘束を解く。

 ゆっくりと自ら抜け出し剣を無造作に振る。魔力で固めた水が、床を一面濡らしてゆく。


「いいい、いけラッセン! もう茶番はおしまいだ!」


 ギシンはだらしなくへたり込み、命令を発する。

 想像もしなかった事態に大きく気概は削がれたものの未だ趨勢は自身にある。なにを恐る必要があろうか。

 猛然と攻め始めるヘザーと迎撃するアイ達。

 アイの狂気とも言えるその考えに、あまりにも純粋に人の教えを信じる彼女に、ギシンは冷静さを失っていた。ただ叫び散らす醜悪な欲の塊になってしまった。

 トトは少なからずギシンに同情した。人の願いで取り出され人に疑う心を植え付けるための”波動存在”ギシン。

 彼自身も全てを疑い全てを裏切る存在だった。

 だが長年生き続ける中で、彼は信頼というものを勝ち取りたかった。

 信じられるものが欲しかった。

 波動を否定しなければ、自己の矛盾に繋がる。

 だというのに、彼はその矛盾を孕んでここまでやって来た。

 何が変わると思ったのだろう、何が手に入ると思ったのだろう。

 彼が感じた信頼はいつも裏切りと言う形で壊された。

 今もそうだ。

 ヘザーを最強の切り札として、信じていたのに裏切られた。それは彼が招いたことだというのにそれに気がつかない、気が付けない。

 疑うだけでは人は前に進めない。時には狂気に近い蛮勇が道を切り開くこともあるとは思ってもみないのだ。


「もう、いいだろうギシン」

「……何がだ。何がもういいというのだ! もう少し! もう少しで儂の願いは叶う! 波動は我が手に、世界も我が手に! 神の傀儡という枠を抜け出し、無二の存在となれるのだ!」

「それで満足か?」

「それ以上何を望むというのだ! 儂が求めてやまないのは……」


 言葉が続かないギジン。

 視線を追えば、その先にアイ。

 必死に仲間を救おうともがくその泥臭い姿。

 ギシンが彼女に何を思ったかはわからない。

 だがトトには羨望の眼差しに見えた。

 

 トトは無言でギシンに手を差し伸べる。

 ギシンはその手を不思議そうに見つめた。

 醜悪に笑い、大国を影で操った老獪な黒幕の姿はそこにはない。


「私は……信じていたのだよ。お前ならここへ必ず来ると」


 その言葉に、ギジンは呆然とトトの顔を見上げる。


「行こう。旅の道連れにしては、お互い枯れてしまったがね」


 笑うトトは波動に目を向ける。

 それが何を意味するのか、長年敵対を続けたギシンだけが理解できた。

 やがて小さく笑い、差し出されたトトの手を払って立ち上がる。


「ふん。貴様との旅なんて、考えただけでも虫酸が走るわ」

「違いないのだよ」


 笑い合い、肩を叩き合い。

 こんな遠くて近い場所に信じ合える者がいたと知って。

 ギシンは本当に手に入れたかったものを手に入れて。

 トトは最古の友と分かり合えて。


 二人は波動へと還った。

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