第三十話 さようなら

 異変に気付いたのは少女だった。

 

 ヘザーの顔が一瞬苦悶の表所に歪んだのだ。

 刹那の攻防の中でちらりと辺りを見回すと、トトとギシンの姿が見当たらない。

 まさかと勘ぐってみるが、先ほどのヘザーの顔を思い出しその意味に気づく。


 あぁ、彼らは波動に還ったのだ。


 ヘザーは少女の隙を見逃さず、剣の柄で突き吹き飛ばす。

 少女は黒曜石の壁に激突し、身悶えた。

 心の苦しさと体の苦しさ両方に苛まれ、起き上がることができない。


「トト爺の、ばかぁ……」


 その弱々しい声を聞いて少年も何が起こったか察する。


「アイ! まだ?!」

「もう少し!」


 少年に武器はない。

 素手でなんとかヘザーの攻撃をいなし続ける。波動の黒剣は想像以上に厄介で、なかなか攻略の糸口がつかめない。

 焦りと少女に気を取られた少年は足を滑らす。

 一瞬の隙も許さない戦闘でこれは最悪のミス。

 先ほど広がった水に足を取られ、転んでしまったのだ。

 当然の如く追撃を繰り出すヘザー。

 転がりながら避け続けるが、瞬時に間合いを詰められとうとう壁際に追いやられる少年。

 見ればアイはまだ詠唱中、少女は起き上がる気配もない。

 絶体絶命。

 ヘザーはなんの躊躇いもなくまるで作業のように剣を振り下ろす。


(破壊の神が人に殺されるなんて、お笑い種もいいところだな)


 なんて少年は最後に考えながらそれでも、その相手がヘザーでよかったと瞳を閉じ、凶刃に身を任せた。

 

 だが。




 響いたのはアイに叫び声で。

 切られたのはアイだった。




 アイの苦痛な叫び声と肉を裂く嫌な音に、少年は目を開くとそこには両手を開いて少年を庇ったアイの姿があった。

なんで? どうして? 

 そんな小さな疑問が胸の底から湧き出るが、どれもこれも言葉にならない。

 やがてゆっくりと少年に向かって倒れるアイを少年は優しく抱きとめる。

 アイは、笑っていた。


「見てください……」


 アイの弱々しく指す先に、ヘザー。

 その顔にはどうしたことか、表情が見て取れた。

 苦悶に歪む眉、瞳には溢れる涙、嗚咽を漏らす口、小刻みに震える肩、剣を落とす手、崩れ落ちる膝。

 かつて見たことのない、だがそこにいる全員が知っているヘザーが、そこにはいた。


「ア、イ……なんで?」


 みるみる血だまりと化す黒曜石の床を滑るようにして移動し、ヘザーはアイの手を取る。

 アイは笑いながら、小さく首を振る。


「最初からこうするしか。洗脳は解けないと、思っていました」


 裂傷がひどい。

 血を吐きながら、喋るアイに少年もヘザーも掛ける言葉が見つからない。

 受け止めた肩を強く抱くしか、出来ない。

 嘘だったのだ、洗脳を解ける魔法など、ありはしなかったのだ。

 それを愚直にも信じてしまった、任せてしまった。

 なんて、なんて馬鹿な真似をしてしまったのだろうか。


「なんで、私のために、私なんかのために!」


 ヘザーは知っている。

 この傷の意味。

 アイの考え。

 アイの成した事。

 それでも、問わずにはいられない。


「私はこの子達の、お姉ちゃんだから。守ってあげないと、ね」


 少女が起き上がり、ふらふらとアイの側まで寄って空いた手を取る。

 その顔には戸惑いの感情と頬を濡らす涙。


「アイ、だめだよ。そんなの勝手だよ。嫌だよ、トトもエルエルもいないのに、アイまでいなくなっちゃうなんて、そんなの嫌だよ」

「大丈夫。今は弟もヘザーもいる……から。寂しくないでしょ」


 アイの血に濡れた笑顔が、少年の心を鷲掴む。


「ヘザー……あなたとはもっと、話したかった。私の妹弟きょうだいを、お願いね」


 アイが弱々しく力を込めヘザーの手を握り返す。

 あまりにも弱々しいその力に嗚咽が止まらず感情が言葉にならない。

 だからヘザーは全力で握り返した。


「あなた……たちと旅したこの日々を。私は決して忘れない」


 何か、何か方法はないのか。

 少年は必死になって考えた。

 今から医者を呼んでも間に合わない。

 傷は癒せたとしてもいずれ必ず血液が足りなくなる。何かないのか。

 神の力を凌駕するような、奇跡を起こす力は!




 そして部屋を見回す少年は、それを見つけた。

 最初からずっとそこにあったそれは、まさに奇跡の体現。

 青白く弱々しく、揺らめく波動。




 見つけた瞬間、少年に迷いはなかった。

 アイの身体をヘザーに預け立ち上がり走り出す少年。

 ヘザーは何がしたいのか分からず少年を呆然と見つめるが、少女はすぐにその意味を理解し、血に濡れる両手で涙をこすり少年と共に駆けた。


「君は残ってもいいんだよ?」


 首を振る少女。


「あんたばっかりいい格好させない」


 こんな時まで強がる少女に、少年は苦笑いを浮かべる。


「それに」

「なに?」

「あんた一人じゃ、世界は救えないじゃん」

「……そうだったね」


 少年と少女は波動の前に立つ。

 自然と繋いだ手。

 笑顔が溢れ笑い合う二人。

 波動が見えないヘザーにも、意識が朦朧としているアイにも少年と少女の行動の意味が分からなかった。

 

 分かりたくなかった。


 少年達は振り返る。

 エルタニアが最後に見せた煌くような笑顔を浮かべて。


「アイ、ヘザー! この世界は辛かったけど二人に会えて僕は幸せだった!」

「あんま争いばっかりしていたら、また消しに来るからねお姉ちゃん達!」


 アイはなけなしの涙を溢れさせ、二人の姿を記憶に焼き付けた。

 もう二度と、会うことのない、家族の姿を。


「戦争で傷ついた全ての人に癒しを」

「戦争で散った罪なき人々に救済を」


 日が落ち夜の帳が降りた世界にまた。




 太陽が現れた瞬間だった。

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