第十四話 複雑に交じり合う宿命はまるで大樹の枝のようで

 少年が見た夢は、炎の真っ只中だった。

 全てが炎に包まれ、朱く揺らめいている。

 建物も、木々も、人も全てが燃え、壊れてゆく。

 その中に立ち尽くす一人の少女。

 アイでも、ヘザーでもない、見覚えのある・・・・・・少女。

 少女は少年の正面に立ち、揺らめく炎に包まれている。

 少年はその少女にひどく懐かしい感情を覚えていた。

 同時に、燃え上がるような憎悪も。 

 これは夢というより、記憶なのだろうか。

 目の前に広がる光景はいやに現実的で、気持ち悪くなるほど幻想的で。

 胸が騒めく。こんな光景は見たくない。見たくないんだ。

 少年はあらん限りの力で叫んだ。


 もう嫌だ!


 少女がその時初めて声を出した。

 少年の声も、壊れ行く人々の声もかき消して、少女の声だけが、世界に響いた。


「やっと会えたね」


 にっこりと、破壊的に純粋な笑顔で。



 ※※※



 少年が最初に見たのは、炎でも星空でもなく白い天井だった。

 鈍い痛みが全身を駆け巡るが、それを我慢して起き上がり部屋を見渡せば全てが白に統一されており、目が痛くなるようだ。特徴的な丸い窓にかかったカーテンの隙間からは桃色の光が差し込んでおり、白の部屋に一色の差し色が、とても綺麗に見える。

 それだけに、外の様子を見られないことは残念だった。


「気が付いたんですか!」


 声に反応して振り返るとそこには見覚えのない……のは肌の色と服装だけのアイが立っていた。手に湯気の立つコップを持っており、状況がまるで始めて出会った時と同じで少年は少しだけ懐かしい気持ちになる。


「僕はど、れぐら……い、寝てい、たの?」


 喉が乾きすぎてうまく声にならない。

 慌てた様子でアイが駆け寄りベッド傍にあった水差しを手渡してきた。


「大体十日くらいは寝たきりでした。まずはこれを飲んで」


 一口含むと、微かに甘い香りが口内に広がり、そのまま喉へと優しく滲みていった。


「蜜入りです。慌てないで飲んでください」


 なるほど、どおりで体にも滲みるわけだと少年はゆっくりと水を飲む。

 その度に体のそこかしこが歓喜の声を上げ、熱を帯びていくようだった。


「ここは、ツェルなの?」


 水差しを飲み干すと、アイは湯気の経ったコップを渡してくる。いつ起きるともわからない自分のために毎日持ってきてくれていたのだろうかと思うと、少年は申し訳なくなる反面、嬉しく思った。


「いいえマグベルトです。ツェルに行くには船の装備も、私達の体調も万全とは言い難く、師……エルタニアの勧めでこちらに寄港しました」


 マグベルトとは以前エルタニアが言っていた神話の源流が生きる街のことだろう。

 まさかその街に寄ることになろうとは、あの時は誰しも思ってはいなかったが。

 そこで少年は思い出す。

 その時いた、もう一人の仲間のことを。


「……ヘザーは?」


 アイは悲痛な面持ちで俯く。

 それだけで、大体の事情は察することができた。


「私こそ聞きたいです。私は途中でヘザーに気絶させられてその先を知らない。エルタニアも語ろうとはしてくれない。あなただけが……あなただけがあの後の事を知っているんです」


 声が震えている。

 どんな想いでいままで過ごしてきたか、夢の中でさえ彼女を求めてしまっていた少年には痛いほどわかった。


「ヘザーは……先に行けって。必ず追いつくから、先に行けって」

「それで、ヘザーを置いてきたんですか?」

「……うん」


 沈黙が二人の間に横たわる。

 アイはスカートの裾を掴み、強く握っている。

 先に沈黙を破ったのは、アイだった。


「なんでです?」


 アイの堰が切れた。


「え?」

「なんで一人で先に来たんですか!? どうしてヘザーを置いてきたんですか!?」


 何も言えない少年。


「あなたなら、あなたなら! なんとかなったんじゃないんですか!? 一人では駄目でも二人なら! ヘザーと二人ならなんとかなったんじゃないんですか! どうして一人置いていくような真似を、どうして……どうして!?」


 それは、少年が一人集落へ駆けている時に何度も何度も飲み込んだ想いだった。

 ヘザーに先に行けと言われただけじゃない。

 正直に言えば恐怖してしまったのだ、あの男に。

 仕留められる自信があった。

 なのに、あの男は致命の一撃を何度放っても安安と避け続け、ニタニタと気味の悪い笑顔で近寄り、緩慢な死を与えようとしてきた。

 本当は逃げ出したかったのだ、あの場所から、何よりもあの男から。

 だから、ヘザーに先に行けといわれた時、ホッとしている自分がいた。

 そしてそう思う自分が一番許せなかった。

 だがそれを語ったところでもう戻れない。

 マグベルトとあの集落がどれほど離れているかわからないが、既に十日以上も経っている。

 今更なにも……出来ないのだ。

 黙って俯く少年に、アイは苛立ちを覚え叫ぶ。


「黙ってないでなんとか言ったらどうです!?」

「そのへんにしとけアイ」


 エルタニアのしゃがれた声が部屋に木霊する。

 アイが振り返ればそこにはエルタニアが大量の果実を抱え入ってきていた。

 アイは無言で頭を下げると部屋から飛び出した。無意識に少年も後を追おうとしたが、エルタニアに杖で静止させられる。

 その際いくつかの果実が床に転がった。


「あいつが今言ったのはな、自分自身になんだよ。何もできなかった自分に一番腹が立っているのさ。気にしないでやってくれ」

「うん、わかってる。僕も……同じ気持ちだから」

「そうか」


 エルタニアは短く相槌を打つと果実を少年のベッド足元に広げた。落ちた果実を拾い、服の裾で拭き少年に手渡す。少年はそれを受け取る。


「そのままかぶりつけばいい、皮まで食える。療養中にはいい食べ物だ」


 同じ果物を一つ取り、皮のまま齧り付くエルタニア。

 それに倣って少年も齧り付くと、甘酸っぱい味が口内に広がった。


「甘いけど酸っぱい」

「だがうめえだろ、マグベルト唯一の特産さ」


 アイに渡されたコップを飲もうと口に近づけると、それはヘザーが愛飲していた茶葉の香りがした。

 少年にとってもヘザーが占める心の割合は大きかったが、アイも相当なものなのだろう。すこしだけ飲み、味を楽しもうとするが、少年には良さがさっぱりわからなかった。そう言うと決まってヘザーは『おこちゃまは舌がよろしくないですわ』と言って茶化してきたことを思い出す。


「ねえエルタニア」

「ん?」

「涙って悲しくない時にも出るんだね。今さ、ヘザーを思い出していたら、沢山出てきた」


 エルタニアが見れば涙を流すには似つかわしくない、困ったような笑顔の少年がいた。その頬は涙で濡れている。

 エルタニアは何も言わず、そっぽを向く。


「そう思うなら、今は流れるだけ流しとけ」

「うん。そうする」


 少年がもう一度飲んだお茶は、少しだけ塩の味がした。


 ※※※


 マグベルトの街外れまで走ってきたアイは、一人泣いていた。


 泣き言は言わないと誓ったばかりなのに、少年を責め立ててしまった。

 自分の事を棚に上げて少年を責めるなんて、責任転嫁も甚だしい。

 少年自身が一番苦悩していると分かっていたのに、傍若無人もいいところだ。 

 少年を責めるより先に言うべき事があったはずだ。

 無事でよかったと。

 危ないことはしないでと。

 保護者たる自分がそう声を掛けるべきだったのに、ただ泣き喚いて。

 それではダメだと考えたからこそ、魔戦技を習っているのに。


 こんなことでは父にも母にも、そしてヘザーにも笑われてしまう。

 アイの目の前にちょうど大きな池があった。幸い生物もいないようだ。


 涙を拭い精神を集中し、水面の一点を見つめる。すると、風も波もない水面が静かにさざめき出した。

 やがて水は空中に伸び始め、人と同じくらいの大きな球体となる。アイはそのまま脳内に描いた形状をその球体に投影してゆく。次第に形を変え、どんどん形を成してゆく。

 それは紛れもなくアイの形だった。

 少しだけ息を緩め、その人型に近づくアイ本人。手の届く距離に近づくと、その水人形の頬を思いっきり引っぱたいた。水人形は意志でもあるかのようにひっぱたかれた頬を手で覆い、キッとアイ本人を睨むと、アイと同じようにひっぱたく。

 当然威力は段違いな上、相手は水だ。

 アイはびしょ濡れになりながら、吹き飛んだ。瞬間水人形の魔力が切れ、池へと戻る。アイは吹き飛ばされたままの状態で天を仰ぎ、桃色に染まる空を見た。

 見慣れない桃色の空を見ても、なんにも気持ちが晴れない。


「馬鹿っぽいなぁ……私」


 呟くアイに答えるものはない。

 と、アイは思ったが。


「自分で自分を殴ったこと? それとも水人形に殴られたこと?」


 と答えが帰ってきてしまった。

 独り言に声を掛けられ、驚きのあまり勢いよく振り向くと、目と鼻の先に少女がしゃがみこんでいた。


「ご、ごめんなさい! 人がいないと思って私! ごめんなさい!」

「気にしないでお姉ちゃん。私、今来たところよ」


 ニッコリと笑う少女。あどけなく如何にも純朴そうな優しい笑顔。月の明かりがそのまま宿ったかのような金の髪が、肩口で綺麗に揃えられており、風に揺れている。彼女の活発さを表しているかのようだ。

 総じて元気で可愛い女の子、という印象だ。

 

 だが、アイは若干警戒心を顕にする。

 結界に反応がなかったのは気のせい? と考えたからだ。


 エルタニアの言う通り、アイは天性の魔法使いの資質を持っており、彼の下、その非凡な才能を開花させていた。

 先ほどの水人形にしても一般的な魔術師ならば、人の形こそすれ誰それと特定できるまでの形状までたどり着けない。多少の修練を積んだだけのアイはそれを一朝一夕で成し遂げた。

 エルタニアにとって初めての弟子は、努力型だった彼の自信を喪失させるほどの才能の持ち主だった。

 

 そんなアイは修練の一環と、戦闘訓練として魔力結界を常に張る事をエルタニアに強いられていた。魔法使いは騎士や兵士とは違い、肉体的には一般人とさして変わりない。

 なので彼らの存命率というのは、白兵戦に如何に持ち込まれないかが鍵になる。

 故に、魔法使いは常に魔力結界を張り続け、自分と敵との距離感を測り続ける必要があるのだ。もちろん、生活の合間にはそんな結界は張る必要がない。

 結界内のどこに誰かがいて、どれくらいの距離なのか。

 また、その人物は自分に対して敵意を持っているか否か、そういった判断が戦場では必要となり、それは才能では埋まらない、経験に頼る部分が大きい。

 そのため戦闘とはまるで違う環境ではあるが、実生活でも常に結界を張り続けよ、という訳なのだ。

 そしてアイの目の前にいる少女である。

 にこにことその見た目からは害意を感じられない。

 遅ればせながら結界の反応を確認しても手も敵意を感じないのだが、結界とは意のある生き物が侵入すれば、必ず反応する代物なのだ。アイの結界がおかしくなっていないのであれば、この少女になにかあるとしか思えない。

 アイが訝しみながら少女を観察していると、唐突に少女は立ち上がり池に向かった。手を大きく振り幼子のように鼻歌を歌いながら池の側まで寄ると、なにを思ったのか、服のまま飛び込んだ。


「な、なにやってるんですか!?」

「えへへ! 飛び込んでみたの」

「見ればわかります、さぁ早く上がって。体調を崩してしまいますよ」


 慌てて駆け寄り、池の岸から少女に向かって手を伸ばす。

 少女は心とろけるような笑顔でアイの手を掴むと、そのまま思いっきり引っ張って水の中へ引きずり込んだ。


「な、なにを!」


 さっきまでも確かに濡れてはいたが、これで完全に全身ずぶ濡れである。

 下着まで水に滲みて、気分は最悪状態のアイ。

 それを見てさも楽しげに笑う少女。アイは逆立つ気持ちを抑え、岸に上がった。 


「人をからかうのも程々にしないと、私怒りますよ?」


 だが少女はアイの言葉を無視し、もう一度アイを池に落とした。

 これには流石のアイも腹を立て、怒声をあげようとした瞬間、


「水は形を持たないからどんな形にでもなれてすごいよね」


 と少女は言った。最初は意味が分からず、少女が戯言を並べただけだと思っていたが、ふとアイは考えた。

 

 水は形を持たない?

 

 言い換えると、どんな形にでも成りうる、という事だろうか? 

 自分の着ている衣服を見る。先程まで乾いていた衣服は下着まで濡れ、水浸しだ。だが、この衣類と言う物質はそのままで、水が浸透したに過ぎない。水が衣類繊維の隙間をぬい、侵入してきたのだ。

 これはある可能性を示唆している。

 仮に水の性質を操れるようになったとしたら。

 一掬いの水さえあれば、どんな頑丈な鎧を着込んだ兵士や騎士であっても、倒すことが出来るという、とんでもない可能性を。

 少女を見ればまだ池の中で水を蹴ったり跳んでみたりと無邪気に遊んでいる。

 先ほどの含蓄のある言葉を、アイに放ったとは到底思えない。


「あなた一体……」


 少女がアイの視線に気付き、笑う。

 スカートの裾をもち上げ広げるその姿は、その容姿から想像も出来ない程幻想的に見えた。



 ※※※



「マグベルトは滅多に来られる場所じゃない。散策がてら、ちょっと外の空気でも吸ってこい」


 部屋に閉じこもっていると、考えなくてもいい事を考えてしまうからな、とエルタニアが少年に提案した。

 エルタニアのぶきっちょな優しさに、少年は二つ返事で街へと出掛けた。

 アイを探しに……とも思うが、ヘザーの事を思い出し、気の重い少年。


(気持ちの整理がつくまでは、会わないほうがいいだろう)


 考えを切り替え、気の向くまま歩き出しマグベルト人で賑わう広場に出た。

 エルタニアと同じくマグベルト人は男女共々背が低く、どちらかといえば女性であろうマグベルト人が男性に比べ一回り大きいぐらいで、普通の人間と体つきに差異はない。

 マグベルトの特筆すべき所は人の姿形ではなく、街の煌びやかさだ。燐光を微かに放つ石を街の至るところに置いてあり、街全体、街から見える空全体を桃色に染めている。 部屋にいた時の窓から入っていた桃色の光を思い出し、これが正体だったのかと納得した。

 次に目を引くのはやはり、街の至るところに飾られた芸術品の数々だろう。灯篭や、精巧な硝子細工、絵画や、銅像など、挙げだしたらきりがない。彼らにとって芸術は街の象徴なのだろう。

 そして異邦の者にとって一番目を引くものと言えば、やはりその特異な街の形態だ。

 エルタニアの話によれば、この街、と言うよりこの街がある島は、海洋に漂っていると言う。街出身の者だけがこの島が漂う場所を知り、この街に出入りすることが出来る、らしい。

 何故そのような島が出来たのか、それを知るには島に点在する石碑を読むと紐解かれると、エルタニアは語った。ならばと、少年は石碑を探す。

 ちょうど広場の端に石碑を見つけた。

 絵画の筆しらべについて論争するマグベルト人達の傍を通り過ぎ、石碑の前に立つ。

 近寄ってみると意外にも小さく、しかしマグベルト人にとっては大きいそれは、何とも言えぬ荘厳さを醸し出していた。

 小さいマグベルト人に慣れなくて縮尺がよくわからなくなっているな、と笑いつつ、少年は石碑の文字を読み始めた。


 何が書いてあるかさっぱり読めなかった。

 当たり前だ、マグベルトの言葉で書いてあるのだから読めるはずがない。

 石碑を読めば歴史が紐解ける、と言っていたエルタニアの顔を思い出し噴き出す。


「抜けた所あるんだな、エルタニアも」

「いいえ、あなたに学がないだけです」


 予想もしなかった声に驚き振り返ると、そこにはアイが立っていた。

 溜め息と共に漏らしたその言葉に、若干の刺を感じる。


「アイ、なんでここに?」

「大丈夫なんですか、病み上がりで歩き回って」


 質問に答えない代わりに、アイが少年の体を触り訝しげに覗き込んでくる。

 心配されているのだろうと思う少年だが、それ以上に、なんでアイは全身びしょ濡れなのだろうと気になった。


「平気だよ、すこぶる調子は良いみたい」

「ならいいのですが。あまり無理はしないよう気を付けてください」

「ありがとう」


 濡れたアイの衣服をまじまじと見るが、その視線の質問には無視、という答えが返ってくる。

 仕方なく、最初にアイの言った言葉をオウム返ししてみることにする。


「僕に学がないってどういうこと?」


 ふふんと鼻を鳴らすアイ。十日間で何があったかわからないが、アイってこんな性格だったかな、と首を傾げる少年。


「あなた、歴史や戦術にはとても興味があるくせに、語学や計算になるとまるで興味を示しませんでしたよね? そこの石碑には私が教えていた言語ではっきりと歴史が刻まれています」

「えっと」


 明らかに非難の視線を送ってくるアイ。ちゃんと私の座学を聞いていれば、こんなことで困ることはなかったんだよと、視線が語っている。

 少年は戦闘で流す冷や汗とは違った、嫌にじっとりとした汗が流れるのを、背中で感じた。

 不機嫌そうなアイは、まだむっつりとした表情ではあったが、小さなため息をつくと一転、申し訳なさそうな表情になり俯く。


「どうも刺がある言い方になってしまっていけません。私は謝るつもりであなたを探していたのに」


 少年が何を? と聞く前に、頭を深々と下げるアイ。


「先程は申し訳ありませんでした。あなたの気持ちも考えず、言いたい放題言ってしまって。あなたが一番辛い想いをしたのに、私はそれを無視して……本当にごめんなさい」


 その姿勢とその言葉に、少年はずきりと心が痛む。


「謝らないでよ。アイの言った事は本当だもの、責められたって仕方ない」

「そうだとしても、一番何もしなかった、出来なかった私に、あなたを責める権利なんてない。だから、謝らせてください」


 誠心誠意、とはきっとこのことを言うのだろう。

 まだ納得できていない部分もあるはずなのに、それでも自分の非を認め謝るというのは、簡単なようで成し難い行為である。

 そして人間にとって大切な事だ。

 それが出来てしまうアイを、少年は心から尊敬し同時に畏れた。

 もし、あの時。

 自分が怖さ故に逃げ出したとアイが知ったら。

 高潔な精神を持つアイは行った何を思うだろう。

 少年はそれが怖くて何も言えずにいた。


「ヘザーはきっと、何食わぬ顔でツェルにいます。大好きなあのお茶を飲んで、私達の到着を今か今かと待っています、遅いなぁと笑いながら。だから一刻も早く、私達もツェルに向かいましょう」


 正直その可能性は絶望的と少年は思った。

 あの如何ともし難い実力差は、ヘザーがどんな策を講じようと埋まるものではない。

 奇跡でも起こらない限り……その先を考えないよう少年は思考を切った。アイの言う通りであってくれと心の底から願いたいからだ。


「きっと、そのはずだよ」

「おおい、こんなところにいたか。探したぞ」


 エルタニアが広場の出入口から声をかけてきた。

 小柄な体躯を目一杯広げ、自分を示めしている。

 アイにとっては師匠だが、その姿はやはり可愛らく思えた。

 

 だが少年はそれどころではない。

 エルタニアのすぐ後ろで微笑む、少女に目を奪われていたからだ。

 鼓動が早鐘を打つ。

 冷や汗が止まらない。

 声にならない声が体を駆け巡る。

 全身の血が沸騰したかのように身体が熱くなる。

 少年は自らの変調に思考がついていかない。

 エルタニアと少女がゆっくりと近づいてくる。

 少女が一歩を踏み出すたび、体はまるで拒絶反応でも起こしたかのように、変調の度合いを増す。

 少年にとってこれ以上ないくらいの衝撃をその少女に感じているということだ。

 少年の目の前に立つ少女。ニッコリと笑うその少女とは対照的に、少年は青い顔で少女と視線を交わらせていた。その少女とは紛れもなく、


「やっと会えたね」


 夢に出てきた少女なのだ。


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