第十二話 新たな決意
アイが目覚めた時、空は一面の星空だった。
今夜は月が登らないのだろう、星の明かりが一層大きく瞬いて見えた。
雄大な光景だ。
波の音がすぐそばで聞こえることを不思議に思い、体を起こすとそこは船の上だった。いつの間にこんな場所へ移動したというのか、アイは必死になって思い出そうとする。
鈍い痛みが腹部に走り思わずうめき声を上げた。
「お、気がついたようだな」
暗がりの船上にエルタニアがいた。
細い目をさらに細くしてアイを看てくれていたようだ。
そうして思い出す。
この痛みの原因を、ここに来る前の事を。
「そうだ、あの子は! あの男はどうなったんですか!?」
叫ぶ声たびに鈍く痛む腹。
痛みに顔を歪ませるが、今はそんなことより優先すべきことがある。
「少年なら……ほれ、隣で寝ている」
よっぽど慌てていたのだろう、見れば少年はアイのすぐ隣で寝ていた。
唯少し様子がおかしい。
顔色が悪く、呼吸もひどく荒い。
「どうしたんですか、この子」
「わからない。だが多分、力の使いすぎだな。こいつ力の源が魔力で無い事が不幸中の幸いだろう」
「良くなります?」
「多分……としか言えない。港までは少年自ら走ってきてからな。二、三日は安静にしたいところだったが、そうも言ってられぬ状況だったし」
聞けば港にもジッカリムの手が回っており、出航の際はとにかく大変だったと言われ、アイは素直に感謝した。
そしているはずのもう一人の同行者の姿が見えないことに気付き、エルタニアに問う。
「ヘザーは?」
言葉が返ってこない。
エルタニアはアイに背を向け船の縁に座っており、その顔は見えない。
「エルタニア。ヘザーはどうしたんですか?」
波の音だけが聞こえる。
暗いせいか、洋上の真ん中なのか水平線に陸地も見えない。
どれだけ気絶していたのだろうか。
どれだけあの場所から離れたというのか。
そこにまだヘザーが居るというのに。
「馬鹿な気は起こさんことだ」
静かにエルタニアが言う。
波の音にかき消される様なか細い声だったが、それでも。
アイの耳にはしっかり聞こえた。
「彼女は自ら残った。それだけの話だ」
エルタニアの小さな肩が震え、声が、震えている。
波のせいではない事は、アイにも理解できたのでそれ以上何も言えない。
会ったばかりだというのにエルタニアは、彼女との別れを惜しんでいる。
彼女の人柄に、その実力に惹かれるものがあったのだろう。
自分と、同じように。
アイは泣いた。
声を殺して泣いた。
別れ際、彼女にひどいことを言った自分が許せなくて。
一人置いてきてしまった不甲斐なさが我慢できなくて。
涙はとめどなく流れる。
が、アイは決して声を上げなかった。
彼女と約束したばかりだったのだ、泣き言は言わないと。
ヘザーがその場にいるわけでもないのに、アイはその誓いを破ろうとしなかった。
強情な娘だ、とエルタニアは密かに笑う。
風が目尻に滲みるが、きっと海風のせいだろう。
「ツェルへ行くには相当遠回りせねばならん。洋上生活は厳しいから覚悟しておけ」
アイは力強く頷き、涙を拭った。
いつまでも泣いていられない。
こんな姿はヘザーの望まぬ姿だ。前を向いて自分の出来る事をしよう。
それが、ヘザーの想いに答えるってことだから。
アイは決意する。これ以上、自分のために誰かが傷つくのを見たくない。
自分ばかりが守られて、自分のために傷つく人を見て。そんな想いはもう沢山だと、心に決めて。
「エルタニア。私に、魔法を……魔戦技を教えてください」
※※※
少年は夢を見ていた。
微かに揺れる夢の中で、少年は確かにヘザーと一緒だった。
暖かい眼差し、優しい手。ふざけて、怒って、笑って。
やがて忙しそうに表情を変えていた彼女が突然背を向ける。
その先に、黒い影。
大きな大きな、ヘザーを飲み込む黒い意志。
少年は手を伸ばす。どんなに手を伸ばしてもその肩に届かない。
行ってはダメだと、どんなに声を大にして叫んでもその心に届かない。
悔しかった。苦しかった。ヘザーを奪おうとする黒い影が許せなかった。
それ以上に、何もできない自分に腹が立った。
ヘザーが振り返る。いつもの無邪気な顔、優しい眼差し。
その口が、『さようなら』と動き、そして。
ヘザーは黒い影に覆われ見えなくなった。
※※※
アイとエルタニアの海上生活は困難を極めた。
多少旅の心得があるエルタニアも流石に辛そうな表情で、波間に陸地を探している。あまりに急いでいたため大きな船を探すことができず、備蓄もひどい状況だ。陸地の食料もなく、専ら釣りの漁獲が食料である。
そして洋上で難関極まる真水の入手だが、これには幸い苦労しなかった。アイは流浪の身とは言え漁村の育ち。漁師達に嫌というほど洋上での危機管理を教わっており、それに精通した魔法の習得をしていたのだ。
反面エルタニアは自然を操る魔戦技を組み上げることに心血を注いだため小回りが効かない。正直に言えば、エルタニアはすぐに引き返そうと思っていたほどだ。
「なんでも覚えておくものだな」
アイが海水から真水を精製する傍らで、感心したように呟く。
「でも、エルタニ……師匠は自然に関する魔法ですもの、こればっかりは仕方がないですよ」
アイが名を言い淀んだのは、エルタニアの意向である。
本来なら、弟子は取るまいと考えていたのだが、アイの決意と、ヘザーの意志を継ぐ形で彼女の師となったのだ。そうなったならまず形から入ろうと、彼女には師匠と呼ばせているのだ。師匠と呼ばれる度くすぐったくはあるが、意外と悪くないなと、エルタニアは笑う。
「残念な話だ、アイの適正に自然系があればなら、全て教えることができるのだが」
「それも仕方ないことです。でも魔法から魔戦技への基礎は同じと言っていたでしょう? 後は応用するしかありません」
弟子にするに当たり、まずエルタニアはアイの魔力をちゃんと調べたのだが、やはり魔力資質はずば抜けて高かった。
魔力の絶対量や、資質は遺伝には左右されない。
それを証明するかのように、事実、グレンは魔力の資質が皆無だった。生き物である以上、魔力の流れはあるのだが、彼には魔戦技は愚か、魔法でさえ扱える力はなかった。
だがその娘は天性の資質を持ち、魔力の絶対量も常人とは比べ物にならない、魔法使いとして生まれるべくして産まれたと言っても過言ではないほどのものなのだ。
「俺がお前らにあったのも、偶然ではないのかもな」
「もう、やめてください」
アイは照れて真水の精製に打ち込むが、エルタニアは心の底からそう思っていた。
まるで示し合わせたかのような出会い。
それはアイにとってのエルタニア、エルタニアにとっての少年といったように、意味がある出会いなのだ。エルタニアにとって至高の目的、目指す高みに少年は必要な存在なのだと信じて疑わない。
――だが。
ちらりと、日陰で魘されている少年を見る。
あれから四日経つというのに、少年は一向に目を覚まさない。
流石にこのままではまずいだろうとエルタニアは思案する。
水平線に陸地は見えず星を頼りに進む日々。
このままでは栄養の偏りでいつアイや少年、自身が倒れるか解ったものではない。
アイを見れば四日間の洋上生活ですっかり肌が焼け逞しくなっているが、それとは打って変わって顔色が悪い。きっと自身も同じような顔色になっているのだろう、と自嘲気味に笑う。
「ツェルに行くのは少し遅くなるが、このままでは少年も俺達も危ない。ここは一旦マグベルトに向かわせてもらう」
正直に言えば、苦肉の案だ。
出来れば寄り付きたくもない。
だがヘザーに頼まれ引き受けた手前、洋上で死なせるにはあまりに気が引ける。
そのための苦肉の策だ。
「かまいません、師匠の判断に任せます」
そう言って笑うアイの顔には、もう守られている者という甘えはなかった。
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