第十一話 襲来、死闘、そして。
「の前にさ~あ? 僕の用事も済まさせてくれないか~い?」
突如聞き慣れぬ声が森に響く。
四人は一斉に声の方向へと向き直り武器を構えた。
そこにはいつのまにか一人のひょろ長い背の男が立っていた。
ヘラヘラと笑うその男に、少年とヘザー、そしてエルタニアは舌打ちする。
少年とヘザーは確実にジッカリムの追っ手であろう男の接近を許してしまったことにだが、エルタニアは若干違う。
彼は木々の声を聞くことが出来る。その木々が恐怖のあまり声を出さず、その男と関係を避けるようにエルタニアにその侵入を伝えなかったのだ。これは彼にとって最大級の異常事態であることは間違いなかった。
その中にあってアイは、その男に見覚えがあったこともあり警戒を解く。
男は今朝の失礼な男だったのだ。
「だめだアイ、警戒を解いちゃ! この男は危険だ!」
珍しくも少年が声を荒げ、アイに警告する。
「さっき話した無礼な男性です。大丈夫ですよ、心配はいりません」
「アイ、ほんと無用心すぎるよ。この男誰だかわかっているの?」
なにを大げさな……とアイは言葉を続けることができなかった。
ヘザーの握る剣先が微かに震えている。
そこに来て鈍感なアイも森に溢れる異常な空気に気が付いた。
見ればエルタニアまで苦い顔で杖を構え、男と対峙している。
「その黒い鎧は……波動騎士団でも著名なラッセン家の……たしか当代当主は女って聞いてたけどそのものズバリってこと? んでそっちはまさかまさかの木霊のエルタニアってわけか。うわ~お、結構な大物が揃っているじゃないか。こりゃうちの兵士どもじゃ手も足も出ないわ~な」
「うちのこと知っててもらえるのは嬉しいけどさ。この場で一番大物はあんたでしょうよ。ねえトーン・グファレー万人将」
トーン・グファレー。
グレン・メルティナと並ぶ、先の戦争の英雄。
但し、ジッカリム側の、だ。ツェルにとっての最悪の英雄、現ジッカリム王国軍唯万人将が唯一の生き残り。
そんな大物が、辺境の地にまで赴いた事実も然ることながら、一目見るだけで戦力の差が分かる程の圧倒的威圧感。戦闘に心得のある三人は滝のように流れる冷や汗が止まらなかった。言葉一つ発するのも相当な胆力がいる。
「や~あやアイ、また会ったね」
「こんな出会いなら必要ありませんでした」
唯一人、異様な空気は感じても今朝の出会いのせいかいまいち緊張感のないアイが、トーンの言葉を真正面から受けて立つ。
それをみて、ヘザーと少年は多少なりと緊張感がほぐれた。
「今朝、君の用事があって来たのは本当だよ~」
「無礼千万です。売るほどありますので、これ以上の失礼は御免被りたいですね」
「くっくっく。つれないなぁ」
この男は一体なにがしたいのだろう。仮にも自分の口で大物二人と言った者たち前にして、この余裕。
不気味な、そして嫌な予感がしてならない。
「エルタニアさ~。なんでうちの招集受けてくれないの? 高待遇で迎えるってあれほど言ってんるのに」
「人殺しに興味がないものでな」
「魔戦技なんて人殺しのために組み上げられたものでしょ? そんなの言い訳じゃんか~さ」
「じゃあ素直にジッカリムが嫌いだから行きたくないと言えばいいのか?」
腹を抱えて笑い出すトーン。
一見隙だらけのように見えるのだが、四人は動けない。
どう動いても、その瞬間に命が無くなる、そんな予感が払えないのだ。
「そういう素直さって大事だよね! はは面白いなぁ相変わらず。さてじゃあまあ――」
薄笑いを浮かべ、トーンが四人を順に指差す。
ヘザーを指したところで、その動きが止まる。
「死んどこっか」
刹那。
弾かれたようにその場を飛び退くヘザー。
先程までたっていた場所に深々と剣が刺さっている。
一切反応できなかったアイが振り返る間もなく、トーンがヘザーとの間合いを詰めて、新たな剣で斬りかかる。
ヘザーは剣を両手に持ち替え、その重い一撃を受け流す。
が、どこから取り出したのか、またも新しい剣の柄でヘザーの腹部を打つ。
「ぐっ!?」
「ほらほらどったの! ラッセン家の当主ってこんなもんか~いっ!?」
なおも追撃の手を緩めず猛然と攻めるトーン。
ヘザーもなんとか体勢を立て直し、迎撃するが、その一撃一撃があまりに重く、どんどん後手へ後手へと回ってゆく。
「エルタニア! ヘザーを助けて!」
アイの悲痛な声を上げる。
だがエルタニアは動かない……動けない。
杖を固く握り締め、血が滴っている。
それを見たアイは、何も言えなくなる。エルタニアも助けたいのだ。
だが、助けられない。
それほどトーンの攻撃が苛烈すぎて、割って入る余裕がないのだ。
でもこのままでは、やがて――
高い金属音が森に響く。ヘザーの剣が弾け飛んでいた。どんな追っ手にも負けなかったヘザーの実力が、トーンの前ではまるで赤子のようだ。
「まずはひと~り」
「やめてえっ!!」
アイが駆けるよりも速く、トーンの無情な剣が振り下ろされる。
ヘザーは死を覚悟した。
「まだ諦めるには早いよ、ヘザー」
その声は凛と木霊した。
誰もが諦める実力差を前に、アイと、ヘザーと、エルタニアの耳に届いた。
ヘザーは自分の命がまだあることに驚き、少年を見た。
少年は、沢山の枯葉を持ち、立っている。
その姿に、まさかと思いつつも救ってくれたのは少年だと確信する。
意味がわからないのはトーンだ。
今まさに振り下ろした剣が、刃部分が無くなっている。
何が起こったかわからないトーンはだが、誰の仕業かはすぐに感づいた。
「少年。君がしたのかい、これ?」
ゆらりと。今までヘザーに向いていた体を少年に向ける。
少年は少し空気に押された気がした。
それほどの威圧感。
ヘザーはこれを真正面から受け止め、あれだけの打ち合いを見せたというのか。
「まさか、その枯葉で? 冗談だろ?」
完全にヘザーから少年に敵意が逸れた。
十分離れたところでヘザーは駆け、剣を拾う。
それを確認した少年は無造作に、枯葉を指先で弾いた。
そう、弾いただけだ。
だがそれは一瞬で空気の壁を破り、鋭い刃となってトーンを襲う。
予備動作もほとんどないそれをトーンは寸単位で避けた。
トーンの真後ろで、若い木が轟音と共に倒れる。
誰しも目を疑った。
枯葉を武器に戦う少年そうだが、なによりトーンにだ。
避けた。目視すら不可能な高速の一撃……いや一片の木の葉を、完全に避けてみせたのだ。
戦慄。
ヘザーは魂が震えるのを感じた。
「へぇ、こんな隠し玉がいたのか。魔戦技かな? となるとエルタニアの弟子ってところかな? くく、王の命でこんな辺境の地まで来たけど、これは面白い……さあ続きをしよっか!」
言うやいなや駆け出すトーンに、連続で枯葉を打ち出す少年。
空気を突破する爆音と地面や木々にぶつかる枯葉の刃の轟音が代わる代わる響き、森の中は一気に戦場と化す。
少年の妙技も然ることながら、異常なまでの反射神経で、ほとんど見えないであろう攻撃を避けるトーン。
両者ともに、化け物としか言い様がない。
森を覆うかの如く膨れ上がる敵意と殺気に充てられ、アイは耐え切れずその場に倒れこむ。ヘザーが駆け寄り背に手を回す。エルタニアは言葉を失い、ただただ森が破壊されていく様を見ていた。
地形を変えるほどの豪撃は、さながら神の怒りのようだった。
「この隙に逃げないと」
「逃げる……あの子を置いてってことですか? 出来るわけないでしょう!」
ヘザーの非情な言葉に、アイは非難する。
が、そうでもしないとこの場から逃げ出せないのも事実。
ヘザーはその後言葉を継がず、黙ってアイを見つめた。
「無理ですよ、あ、あんな強い人が相手だなんて……。ヘザーでも適わなかった相手ですよ? あの子には荷が重すぎる」
「それでも、今トーンを抑えていられるのは、彼しかいない」
エルタニアが重い口を開く。
「だけど!」
「アイ、私言ったよね? これからどんな事が起こるかわからない、心を強く持てって。今から泣き言いってこれから先どうするの?」
「ヘザー、あなた! 私勘違いしていました、あなたはもっと少年を思っていると! もっと優しい人だと! 私は残ります。逃げるなら、二人で逃げてください!」
それでは本末転倒だ、と冷静ではないアイは考えられない。
いや、仮にそう思考が働いたとしても、彼女はここを動かないだろう。
自分のために戦う者を置いて逃げるなんて、アイと、アイの中に流れる英雄の血がそれを許さない。
ヘザーは頭を掻く。
頭が固いとは思っていたが、ここまでとは。
そして小さく笑った。
いつの間にか、そこまで信じてもらえるような関係になっていたんだな、と。
「アイ、ごめんね」
「え?」
アイの返事を待たず腹部を打つヘザー。
アイは突然の痛みに驚き、一度だけヘザーを見て、気絶した。
アイを抱え込んだヘザーは一度だけ強く抱きしめ、エルタニアに渡す。
エルタニアはアイを無言で受け取った。
「後は任せるよ」
「戦うのか、あれと」
答えはわかっている。
そのつもりなのだ。
でも聞かずにはいられない。
少年の攻撃は既に音速を超えている。
その猛攻を掻い潜り、その距離を一歩一歩と詰め寄るトーン。
掠るだけでも致命傷という攻撃、衝撃波で体中のあちこちから血が吹き出し傷だらけだというのに、さも楽しげに笑う化物。
あれと戦うと言っているのだ、ヘザーは。
「私はアイを守るって言ったからね、あの少年も。守られっぱなしってのは、どうにも性に合わないし。それに一度攻撃を食らった私ならもしかしたら、なんとかなるかもしれない」
「なるほど、ラッセン家の秘宝の噂は本当だったということか。……ったく、お前もアイに劣らず強情だな」
肩を上げ呆れた様子のエルタニア。
ヘザーはそれを見て笑う。
「んだね。……エルタニア。突然だけどこれから先、私の替わりにこの子達を頼める? この子達をツェルへ連れて行ってくれないかな」
「そんな義理はないと思うがな」
「なに言ってんの、あんた少年に興味津々でしょ? ツェルに連れて行ってくれなくとも、旅には同行すると見たね」
エルタニアはその観察眼に少し驚いた。
見るからに腕は立つし、アイ一行では指示役だったことからわかる通り、心身共に実力者とわかっていた。
それに加えて、人を見る目まであるとは。
エルタニアの中でヘザーの格が上がったのを感じる。
「約束はできん。だがまぁ……努力しよう」
「上等。じゃアイには上手く言っといて」
ヘザーがエルタニアとアイに背を向け、今にも少年の鼻先に迫るトーンを睨む。
剣を握る手に力が篭る。
「一応、こういう時は言うもんだと聞いたことがあるから言っておくぞ? ……死ぬなよ」
「へへっ。死ぬ理由としては、いいはずだけどね!」
駆けるヘザー。
エルタニアは久しく忘れていた涙の味を鼻腔に思い出しながら、その場を後にした。
「一撃の威力は凄まじいけど、こう単調じゃ、攻略も簡単だ~」
遂に剣を握り、少年の目の前に迫ったトーン。
ゆっくりと剣を深く下げ、少年の体を突き刺そうとしている。攻撃を避け続けられ、むしろ少年は張り付けにされてしまった。
誰が想像しただろう、音速の枯葉を避けることができると。
少年にとってそれが最大の誤算だった。
が今更止められない、止めるわけにはいかない。
この場でこの男を止めることができるのは、多分自分だけだから。
張り付けにされたのならそれでいい。
逆に言えばこの男だってこっちにかかりきりということだ。
今のうちにヘザーが機転を利かせて逃げることだろう。
ゆっくりと剣が音速の壁をすり抜け近づいてくる。
緩慢な死が、近づいてくる。
少年は戦いの最中、沢山のことを思い出していた。
記憶を失い、アイに出会い、ヘザーも交えての旅路。教わった数々の知識。
そのどれもが彼女達との美しい思い出なのだろう。後悔はない。彼女達との旅路を選んだことも、彼女達を守って散ってしまうであろう事も。
「さようなら小さな勇者さん」
剣が少年の体に達した。
枯葉を射っても射っても消えない剣。
少年は瞳を閉じた。
――キィンッと。少年の覚悟とは裏腹に、高い金属音が森に響く。
少年の腹に剣はなく、少年の目の前にはヘザーの後ろ姿があった。
「まだ諦めるには早いんじゃない、少年」
逃げたと思ったヘザーがそこにいる。
逃げてくれたと思ったヘザーが目の前にいる。
振り返れば、アイとエルタニアの姿は見えない。
逃げたのだ、この場から。
なぜ? なぜアイと一緒に逃げなかったのか?
ヘザーの使命はアイを守ることであって、自分を守ることではない。
なのに、なぜ?
少年の心で疑問が後から後から湧き出て渦を巻く。
「ここは私に任せて、先に行きな。必ず後から追いつくから」
ヘザーの真剣な言葉が耳に届きハッとする。
「なんで」
絞り出した言葉は沢山の思いがこもっている。
ヘザーは振り向きもせず、怒号を上げる。
「行けって言っていんのが聞こえないのっ!!」
その凄まじい気迫に押され少年はたじろぐ。
言いたい事も聞きたいこともたくさんある。
けれど、全てひっくるめて先に行けと、ヘザーは言う。
少年は固く拳を握り、唇から血が流れてもお構いなしに、噛んだ。
そして集落へ向け走り出す。振り向きもせず、全力で。
トーンがどんどん小さくなるその背中目掛けて剣を投げるが、ヘザーに迎撃され、地面に落ちた。
つまらなそうに笑い、新たな剣を出現させる。
「なんだよ~お前とはもう遊んだじゃん? せっかくあの少年と楽しくやっていたのに、邪魔しないでくれるかな」
「は。何が楽しく、よ。弱いものいじめがしたいだけのどグサレが、遊ぶなんて笑わせる」
ヘザーは覚悟を決める。
今は少しでも時間を稼ぐ。
それが出来るのは少年ではなく、自分だとわかったから、ここに残ったのだ。
挑発して、冷静さを失わせて、そうしているうちにアイ達は洋上に出る。あとはエルタニアがうまいことやってくれる。
そうなれば、こっちの勝ち。そう考えて。
「ふ~ん、そんなに死にたいんだ? なら、ま。相手してやってもいいけど?」
どうやらヘザーの作戦は成功したらしく、簡単に逆鱗に触れたようだ。
余裕とも取れる言葉を吐くが、その胸中は穏やかでないと告げるように表情を一変、トーンの形相が悪鬼のごとく歪む。
「グレン・メルティナはさ、なんて呼ばれていたんだっけ? 厄災の英雄? 波動の悪魔? いいよね通り名、僕も欲しかったよ。先の戦争であんなにツェルの虫を刈り取ったのに、通り名の一つもないなんて、箔がつかないじゃないか、ねえそう思うだろ? だから自分で決めたよ、通り名。聞きたい、ねえ聞きたいかい?」
熱に浮かされたように、トーンがぺらぺらと喋りだす。
正直気味が悪いが、このまま調子を乱し続ければ勝機も……と考えたヘザーだったが。
次の瞬間思考を停止させられた。
自分の打算的な考えが全て崩されたのを感じた。
凍りつく、とはまさにこの事を言うのだろう。
幻想的とさえ思えるその光景は、ヘザーの気力を摘み取るには十分すぎた。
それは空中に幾千と浮かぶ、
その切っ先は全て、ヘザーを標的に捉えている。
「万人将と僕の魔戦技をモチーフに『
センスない。
その言葉を投げつける暇は、ヘザーにはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます