第43話 安堵

 気恥ずかしい。


 先程までは、無明の闇の中だったから、醜態を見られずに済んでいた。

 だが、今は、普通の世界に居るのだ。

 にもかかわらず、俺は人目をはばからず、泣き崩れてしまった。

 大の大人が、男が、である。


 あぁ、穴があったら入りたい。



「……そんなに気落ちせずとも良いではありませんか。この世界は無事だったんです。もっと喜んだらどうですか?」



 女性の【執行者しっこうしゃ】が声を掛けてくる。



「……いえ、落ち込んでいるというか、気恥ずかしいだけというか」


「私以外は誰も見てはいませんでしたし、そこはほら、不幸中の幸い、みたいな」


「えぇ、お気遣いありがとうございます」


「それで、無事は確認できましたし、これからどうしますか? もう【嫉妬しっと魔神まじん】を探しますか?」


「いえ、それは……どうしましょうかね」


「まぁ、日も暮れてきていることですし、今日は休んでも良いと思いますよ? 何も私たちまで必死にならなくても――」


「――いえ、そうもいかないでしょう。ここが無事だったなら、なおのこと、一刻も早く【嫉妬の魔神】を止めないと」


「……そうですか? でも、貴方の体調の程は大丈夫なのですか? 私たちとは違って、貴方はまだ【救世主きゅうせいしゅ】や【魔王まおう】となって日も浅いですし、色々無理していませんか?」


「体調よりも精神が少しやられてますかね。無理はまぁ、してるのかもしれません」


「でしたら、ここは無理せずに休みましょう。休むのも仕事、とまでは言いませんが、無理しても相手は考慮してくれませんし」


「…………」


「どうかしましたか?」


「いえ、最初に会った頃と、随分と印象が変わったもので、つい」


「――っ!? いえ、その、あのですね、あの時は少し自分を偽っていたと言いますか」


「いえいえ、今の方が良いと思いますよ」


「……そ、そうですか? なら良かったです。思えばついこないだのことですものね。何だか随分昔のことに思えてくるから不思議ですね」


「えぇまったく……」


「――っ、す、すみません、思い出させるようなことを言ってしまいましたね。失言でした」


「良いんです。気持ちの整理はまだついてはいませんけど、この世界が無事だっただけでも、俺は救われてますから」


「……あまり思い詰めない方が良いですよ? 貴方の所為ではないんですから。むしろ、私たちを恨んでくださいね?」


「……正直、色々と思う所はあります。けど、誰も好き好んでやってるわけじゃないことぐらいは分かります。ただ、それでも……それでも納得はできません」


「それは私も同じです。納得なんてできません。私たち、【救世主】こそが、一番【救世きゅうせい】を忌避しているんですから。……いえ、元【救世主】ですが」


「……やっぱり、今日はもう休みましょうか。疲れちゃいました」


「それが良いでしょう。では、泊るところを探さないといけませんね」


「それでしたら、当てがあります」


「そうですか? では、お任せしても良いでしょうか?」


「はい、とはいえ、相手が了承してくれれば、ですがね」



 俺たちは、女王の屋敷へと移動することにした。



転移てんい



 しかし、昼間別れたばかりだというのに、夕方にまた泊めてくれと押しかけている始末。

 しかも、今回は一人増えてもいる。

 果たして、すんなりと泊めてくれるだろうか。


 そういえば、俺から訪問するのは初めてかもしれない。

 この場合、扉を叩けば良いのだろうか。


 ドンドン。


 ドアノッカーも見当たらず、力加減が分からないため、取り敢えず、壊れない程度で様子を見る。


 すると、程なく、使用人が扉の隙間から顔を覗かせた。



「あら? 貴方は女王様の――婿?」


「違います。そんな事実はありません」


「……貴方、この世界で一体何をしていらしたんですか?」


「冤罪です。その疑いは冤罪ですから」


「あらあら、お連れ様までいらしたのですね。……失礼ですが、女性の方でいらっしゃいますでしょうか?」


「え、えぇ、鎧姿で分かり辛くてすみません」


「――これは修羅場の予感」


「……何か仰いましたか?」


「いえいえいえ、おもしろ――コホン、歓迎いたしますので、どうぞ、中へお通りくださいませ」


「…………」



 ここの使用人は、どうにも俺の思い描くモノとはかけ離れている気がしてならない。

 何というか、使用人然としていないというか、人間臭いというか。

 まぁ、嫌いではないのだが。



「では、客間にお通し致しますが、お部屋は一つでよろしいでしょうか?」


「いえ、できれば二つお願いします」


「左様で御座いますか。当屋敷は、男性用と女性用で建物の左右に分かれております。ですので、お部屋同士が離れてしまいますが、そちらはよろしいでしょうか?」


「勿論、それで構いません」


「畏まりました。それではまずは男性の部屋からご案内させていただきます。どうぞこちらへ」


「はい、お願いします」



 昼間は屋敷内が昨日の後始末で騒がしかったはずだが、今は落ち着きを取り戻しているようだった。


 まずは俺が先に部屋に案内され、そこで一旦、女性の【執行者】とは別れる。


 女王へ挨拶しに伺った方が良いのだろうか。

 でも、事前にアポがないと駄目なのか。


 前回は使用人が呼びに来てくれたが、今回も手配してくれるだろうか。

 その辺りをさっき聞いておけば良かったな。


 とりあえず、ベッドにうつ伏せに突っ伏してみる。


 はぁ、このまま何もかも忘れて、眠ってしまいたい欲求に駆られる。


 疲れた。

 くたびれた。


 天界に戻ってからというもの、襲撃に次ぐ襲撃。


 流石に、ここいらで人心地つきたい。


 あー、駄目だ、これは眠る…………。



「――おぬし、いつも寝ておる気がするのは、ワシの気のせいか?」



 眠りに落ちる間際、そんな声が耳に届く。

 重たい瞼を押し上げ、そちらに目を向ける。



「随分と早い再会じゃのう、ほれ、わざわざ出向ていやったのじゃ。ちゃんと姿勢を正して挨拶せんか」


「……っと、これは失礼を。また一泊させていただきたく、恥ずかしながら戻って参りました」


「……戯け、そうではないわ。ほれ、普通に挨拶せい」


「え? あ、はい、じゃあ、こんばんわ?」


「……それがおぬしにとっての普通の挨拶なのか?」


「あれ。違いましたか? えぇと、ご、ごきげんよう?」


「…………もうよい。常識を問うて済まんかったのぅ」


「あれ? 何か馬鹿にされてますかね?」


「さてな。して、今度の用向きは何じゃったんじゃ? 確か元の世界に戻ったんじゃろう?」


「実はですね――」



 俺は、女王に事の顛末を話した。


 天界のごたごたより、世界の消滅の方がより反応が大きかったのは、まぁ無理もないことだろう。



「……にわかには信じがたい話じゃな」


「無理もありません。ですが、それが今、あらゆる世界で起きているんです」


「その【執行者】とやらが訪れておったら、この世界も無くなっていたわけか……何とも肝の冷える話じゃのぅ」


「ですね。俺も気が気じゃありませんでしたよ」


「……ほぅ、そんなにワシのことが心配じゃったのか?」


「……まぁ、女王も含めて、この世界のことが、ですがね」


「なぁんじゃ、つまらんのぅ」


「つまるつまらないの問題じゃないでしょうに、まったく」


「それで、おぬしはこれから、どうするつもりなんじゃ?」


「【嫉妬の魔神】の足止めをするつもりです。どこまでできるかは分かりませんが」


「その相手は、前におぬしが戦った、あの国王よりも強いんじゃよな?」


「それは勿論、比べ物になりませんよ」


「そうか……おぬし一人で行くのか?」


「いえ、今回は連れが居ます。それに、いざとなれば逃げますよ」


「……何じゃと? 連れが居るじゃと? 無論、男なんじゃよな?」


「…………それ、違ったら問題ありますかね?」


「どうじゃろうなぁ。して、どっちなんじゃ?」



 女王がジト目でこちらを見据えてくる。

 大層居心地が悪い。

 何もやましいことは無いはずなのに、だ。


 そこに扉がノックされた。



「失礼するわね。――っと、先客が居らしたのね。お邪魔だったかしら?」



 良いタイミングというか、悪いタイミングというか、どっちなんだろうね。



「彼女が俺の連れです」


「……彼女、のぅ。そなたとは会うのは初めてになるな。ワシ――妾がこの国を収める女王である」


「――これは失礼しました。私は【執行者】。彼の同伴者です。この度は一室をお借りさせていただき、誠にありがとうございます」


「……部屋は別々、なんじゃな?」


「当然です」


「……そなたたちは、名前で呼び合っておったりはするのか?」


「してませんよ。何を勘ぐっているんですか……」


「―ーっ!? か、勘ぐってなどおらんわ、この痴れ者め! そうか、それならば良いのじゃ」


「まぁ、なんじゃ、随分大変だったみたいじゃし、ゆるりと寛がれると良かろう」


「はい、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」


「良いのじゃ。部屋なんぞ、余らせておいても、埃を被るだけじゃしな」


「――それで、訪ねて来られたのは、何か御用でしたか?」


「いえ、少し手持ち無沙汰だったもので、明日の打ち合わせでも、と」


「――そういうことならば、ワシは席を外すとしようかの。また、食事の席でな」


「あ、はい。わざわざお越しいただきありがとうございました」


「うむ、ではまたな」


「はい、また後で」



 そう言って、女王は部屋を後にする。



「――随分と、あの女王様と仲が良いみたいね?」


「貴女まで、何を言っているんですか……」


「あの様子は、間違いなく脈有りね。この短期間でやるじゃない。見直したわ」


「何を見直したんですか、何を。あれはからかってるだけですよ、多分」


「……そうかしら? まぁ、私はついさっきお会いしたばかりだし、真実は分からないけど」


「真実って、大げさでは?」


「良いことじゃない。生きる目的っていうか、死ねない覚悟っていうか。そういうのが、明日は必要になるんじゃないかしら?」


「…………」


「まぁ、口五月蠅く言っても仕方ないわよね。精々、後悔のないように、ね? 今夜はここに近づかないようにするわ」


「十分、喋ってると思いますけどね。後、要らぬ気遣いですからね、それ」


「私は嫌よ、知り合いのそういう場面に遭遇するのは」


「何の話をしてるのか、俺にはさっぱり分かりませんがね」


「……随分、落ち着いたみたいね」


「え? 突然、何ですか?」


「この世界に来るまでに、色々あったじゃない? だから落ち込んでいないかと心配してたんだけど、杞憂だったみたいね」

「――いえ、きっと、あの女王様のお蔭なんでしょうね」


「……結局そこに行きつくんですね」


「あなたの女王様のためにも、頑張らないとね!」


「誰が誰のですか、まったく」


「フフフッ、私も何だが元気を分けて貰ったみたいだわ」


「はぁ、それは良かったで――」



 瞬間、悪寒が走った。



 全身が総毛立つのが分かる。


 見れば、彼女も周囲を警戒しているようだった。



「――何か来たみたいね」


「ですね。この気配は――」


「「【嫉妬の魔神】」」



 二人の答えは同じだった。


 明日を待たずして、あちらから出向いて来たらしい。



 最悪だ。

 この世界で、この場所で戦いになるのは避けたい。



「――今、他の皆に【嫉妬】が来たことを知らせたわ。運が良ければ救援が期待できるでしょうね」


「この世界での戦いは避けたいですね。それこそ【執行者】には来て欲しくありませんし」


「……御免なさい。そこまで考慮できてなかったわ」


「いえ、ここで【嫉妬の魔神】を止められれば問題はありませんよ」


「……それは、中々に骨が折れそうね」

「そうだわ、忘れない内に、これを渡しておくわ」


「――これは」


「私は刀があるし、どうせその剣は使わないもの。だから、貴方が使って。別に【救世】は使わなくていいから」


「それは勿論、使いませんけど。じゃあ、お借りします」


「それじゃあ、行きましょうか。相手を待たせるのもアレだし」


「そうですね。ここを荒らされるのも困りますしね」


「――可愛い女王様も居ることだしね」


「気の抜けるようなこと、言わないでくださいよ」


「いいじゃない、リラックスリラックス。緊張していたって、相手は遥か格上よ? その緊張が命取りになりかねないわ」


「……はい」


「じゃあ、行くわよ!」



≪転移≫




 俺たちは、【嫉妬の魔神】との戦闘に突入した。





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