第15話 神樹

 案内された先に待っていたのは、三人のエルフだった。

 年老いたエルフと、妙齢みょうれいのエルフ、そして、その護衛と思われる壮年そうねんの男性だ。


 かがり火がかれた室内、一段高くなった場所に椅子が二脚ある。

 そこに身なりの良い二人が座り、護衛が傍に控えて立って居る。


「失礼します。突然の訪問をお詫びいたします」


「……良い。それで?」


 俺を連れてきたエルフが頭を下げて告げる。

 それに答えを返したのは、年老いたエルフだった。

 見た目では性別が判らなかったが、声からして男性のようだった。


「はっ、身元不明の異邦人が村に来ておりまして、お二人にご判断をあおぎたく、こちらに連れて参りました」


「わざわざ、此処ここに連れて来たのですか?」


 若干、非難の色を含んだ言葉を返したのは、妙齢のエルフの方だった。


「はい、事前のお伺いも無く参った無礼、申し開きも御座いません」


「……勝手の判断を嫌った故のことじゃろうて。構わぬ」


 それを老エルフが取り成していた。

 妙齢のエルフは、当たりがキツそうだ。

 不躾ぶしつけにならない程度に観察してみると、ツリ目がちの、気の強そうな顔立ちをしている。

 こちらに視線を向けられそうになり、慌てて視線を逸らす。


「それでは、失礼して。事の経緯としましては……」


 集落……さっき村と言っていたから、俺も村と言い習うべきか。

 村で起こった出来事を簡単に説明してくれた。

 無論、全裸は抜きで。


「……ふむ、確かに珍しい恰好じゃのう」


「それに、わたくし共【森の民】とは違う種族のようですわね」


 そこはエルフでは無いのか……。

 割と汎用的な名称の種族だった。


「……それでは、そこな異邦人のお方。お話を伺いましょうか」


「はい、俺は…………」


 老エルフ、もとい、【森の民】の老人に促され、俺の素性を話す。

 何より先に、自己紹介される前に、名前の件について話しておいた。

 名前をお互い呼び合わない、という俺の信条についてだ。

 次いで【救世主きゅうせいしゅ】のこと、天界のこと、女神から言われて此処に来たこと、【嫉妬しっと】の木のこと。

 やはりと言うべきか、最後のくだりで、妙齢の【森の民】に噛みつかれた。


「まぁ! 【神樹しんじゅ】に対して何と無礼な!」


「俺の信仰対象ではありませんので。とはいえ、他人の信仰にケチを付けたりもしません」

「それで、【嫉妬】の件に関して、お心当たりはありませんか?」


「「……………………」」


 二人は無言で互いを見やる。

 次いで口を開いたのは妙齢の【森の民】だった。


「確かに、【神樹】のご様子に変化が見受けられます」


「それはどういった?」


「私共【森の民】は、古の頃より【神樹】の御許で暮らしております」

「そして、【神樹】の庇護の元、外界の脅威から守られております」

「【森の民】は【神樹】から加護をたまわっており、加護の無い者が森へと一歩でも踏み入れれば、たちまち森のかてとなるのです」

「そんな【神樹】に対し、私共は【森の民】の女性から【巫女みこ】を選び、その【巫女】のみが【神樹】へと感謝の祈りを捧げているのです」

「今代は私が【神樹】の【巫女】を務めさせて頂いておりますが、【巫女】の祈りに対し、【神樹】が応えて下さらなくなって久しいのです」


 木がどうやって応えるのかが不明瞭だが、スピリチュアルな内容だと面倒臭い。

 とりあえず、先を促すことにする。


「それは何時頃からか、判りますか?」


「そう、ですね……多分、私が婚姻を結んだ辺りからだった気がいたします」


【巫女】はそう言って、チラリと傍の護衛を見やった。


 ……え?

 それって、木が【巫女】に【嫉妬】してるんじゃない?

 いや、この場合は【巫女】のお相手に対して【嫉妬】してるのか?

 でもって、そのお相手は、そこの護衛さんですか!?


 ……護衛が護衛対象に手を出しちゃ駄目でしょ。


 しかし、女神の言っていたことは間違いではなかったのか……。

 てっきり【暴食ぼうしょく】の間違いだと思ったのだが。

 実際、木々に食われそうになったし。


「それで……貴方ならば【神樹】を正常に戻して頂けるのかしら?」


「いえ、無理ですね」


 即、否定しておいた。

 案の定、唖然あぜんとした顔をされた。


「……では、何をしにいらしたのですか?」


「先程も言いましたが、女神に言われて、ただ、この世界に来ただけです」

「特に何をしろとも言われていませんし、また、俺には【嫉妬】をどうすることもできません」


「…………っ!?」


「……ふむ、ひとまず、お話は分かりました。お蔭様で【神樹】のご様子に関して、理由の見当も付けられました」


 絶句してしまった【巫女】に代わり、老人が言葉を掛けてくる。


「……何とも難儀な時分にいらして、ご不便をかけましたな」

「……如何でしょう。本日はこの村にご滞在されては。場所はこちらで用意しますゆえ」


 お言葉に甘えたいのは山々だが、どうしたものか……。

 正直、これ以上、できることも目的も無い。

 そこに一宿一飯の恩を笠に着られて、頼られても困りものだ。


 下手に親しくなって、おやっさんの時みたくなっても、後味が悪いだけだ。

 何せ、俺にできることといったら、【救世きゅうせい】による世界の消滅ぐらいだからだ。

 おやっさんの時とは違い、【神樹】とやらを何処かに【転移】させることもできないだろう。

 あの質量を【転移】させられたら凄い。


 それに、先の会話からも、【森の民】は【神樹】をはいしたいわけではないようだし、俺がもし仮に【転移】でこの世界から移動させられたとしても、俺が叱責を受けるだけだろう。

 それどころか、宗教絡みともなれば、より凄惨な事態になりかねない。


【神樹】の近くまで行ったわけでは無いが、わざわざ危険を冒すのは愚行というものだろう。

 女神からも指示を受けていないし、面倒事に巻き込まれる前に天界に戻るとしよう。



 ……それがフラグだったのかは分からない。

 だが、立ち去るのが一足遅かったのは事実のようだ。



【巫女】が突然、椅子の背後、神殿の奥へ体ごと振り向いた。

 俺を含めた周りの人も、皆一様に驚いた表情を浮かべている。

【巫女】はそのままの姿勢で動かない。


 しばらくすると、【巫女】が元の姿勢に戻って来た。

 だが、目では俺を捉えつつも、その顔には、何処か困惑しているような表情を浮かべていた。


「……今しがた【神樹】よりお言葉をたまわりました」


「「!?」」


 俺以外がその言葉に反応し、驚きを示した。


「異邦人の方、あなたを【神樹】の御許みもとへ連れてくるように、とのお言葉です」


「……何と、【神樹】が【巫女】以外をお傍に招かれるとは」


 老人は一際驚いている様子だが、俺には別の意味で驚きがあった。

 木が俺を呼んでいるという。

 何ともファンタジーな展開じゃないか。


 だが、俺はだまされない。

 何せ、ついさっき、その【神樹】とやらに叩き落とされたばかりなのだ。

 もしも、第一声が謝罪であり、先の一件は誤解によるものだと言うのであれば、俺も一応は了解しただろう。

 しかもだ、俺からは用件はないのに、向こうには用件があるという。

 これは、明らかに、向こうにとって都合の良い話をされるに違いない。


 何より不愉快なのは、どうやってかは解らないが、【神樹】がこの場の状況を把握していることだ。

 木に目があるのかは知らないが、屋外ならば、睥睨へいげいでもしていれば分かるかもしれない。

 だが、ここは室内なのだ。


 盗撮ですか?

 盗聴ですか?


 いずれにせよ、地球であれば、事案ですよ。


 ……そういえば、【水晶球すいしょうきゅう】も似たようなことをしている気がする。

 神の名をかんするモノには、プライバシーなんて通用しないということか。



「えぇっと、聞いておられますか?」


 気が付けば、【巫女】に声を掛けられていた。

 俺は結論を告げる。


「俺は帰ります」


「…………は?」


「では、これで失礼します」


「ちょ、ちょっとお待ちっください!!」


 俺の返答に慌てる巫女。

 隣の老人も流石に目を丸くしていた。


 俺は問答無用とばかりに天界へと【転移】を行う。




 ……筈だった。

 しかし、とういうわけか【転移】が発動しない。

聖衣せいい】の袖をまくり上げ、【リング】の様子を確かめてみる。

 見たところ、異常は無い。

 確かに、この村に来るまでの間に、【リング】を酷使こくしし過ぎたかもしれない。

 だが、【森の民】との会話は成立している。

 つまり、翻訳は機能していることになる。

 ならば、【転移】だけ異常が出ているということなのか……。

 少なくとも、村へと【転移】したのだから、村に着く直前までは使えていたことになる。


【転移】が機能しないのは初めてのことだ。

 俺の持つ優位性は二つ、【聖衣】と【転移】。

 その内の一つが失われたわけだ。


色欲しきよく】の【魔神まじん】と遭遇した際を思い出す。

 あの時は【リング】自体を失ったが、今回は【リング】は健在だが原因が不明だ。


【転移】の使えないこの状態では、益々【神樹】の元へおもむくのは危険過ぎる。

 咄嗟とっさに逃げの一手が打てないからだ。

 さて、どうしたものか……。


 俺がそのまま出ていくかと思いきや、その場で立ち止まってしまったことをいぶかしんだのか、【巫女】が声を掛けてくる。


「……思い留まっていただけたのかしら?」


「いや、そういうわけでは無いんですがね……」


 俺が正直に答えることを避けていると、老人が言葉を投げかける。


「……ふむ、どうやら、お帰りにはなれない、ようですな?」


「…………」


 このジジイ、目敏めざとい。


「……【神樹】をお待たせするのは心苦しい。お連れして差し上げなさい」


 その言葉は俺では無く、護衛に掛けられたようだ。

 護衛の男が素早く動き、俺と部屋の入口との間にその身を滑りこませて来た。


 厄介なことになった。

【リング】の重力制御はまだ使えるかもしれないが、問題は場所だ。

 此処は【神樹】の枝葉の真下にできた空間だ。

 飛んで逃げる前に、【神樹】に捕縛されるのは、先の遭遇の件から考えても間違いないだろう。


 恐らくは【神樹】は【巫女】を憎からず想っているのだろう。

 ならば、【巫女】を人質に脱出を図るか?

 万事上手くことが運んだとして、問題は逃亡先か。

 ここに来るまでに見た限りでは、木の生えていない箇所は無かった。

 最悪、この場所以外は全て木々に覆われている可能性すらある。

 更に言えば、さっきは樹上の移動に妨害は入らなかったが、木々に対し、【神樹】が何らかの支配権や命令権を持っているならば、今度は見逃されることは無いかもしれない。


 妙案が思い浮かばないまま、俺は椅子の奥にあった扉へと連れて来られていた。

 扉が開かれると、長い通路が現れた。

【神樹】の元まで一直線の造りとなっているのだろう。

 明かりの無い通路を、松明を手に持った護衛に押される形で、先へと促される。


 通路には、足音だけが響いている。

 俺たちは言葉を交わす事無く、無言で通路を進む。


 暫く進むと、再び扉が眼前に現れた。

 恐らくは、この扉の先に【神樹】へ祈りを捧げるような場所があるのだろう。


「ここから先は、貴様一人で行け」


 初めて護衛の男の声を聞いた。

 中々渋い声をしているじゃないか。

 この声で【巫女】を口説き落としたのかと、他事に思考が逸れていると、背を護衛の男に小突かれた。

 早く行けと促しているようだ。


 俺は心の中で嘆息たんそくしつつ、仕方なしに扉に手を掛ける。

 左程の抵抗も無く、扉が開かれてゆく。






 目の前に広がる光景は、筆舌に尽くし難かった。


 扉の先は外だった。

 この場に日の光は届いていない。

 俺はこの【神樹】に良い印象を抱いていない。

 望んで赴いたわけでは無く、無理矢理連れて来られただけだ。


 だが、眼前の光景は、思わず感嘆かんたんを覚える程に、神秘的で神々しかった。


 飛んでいる時は気が付かなかったが、【神樹】自体が淡く緑色の光を放っており、この場は影の中とは思えぬ程に明るかった。

 地面は土が見えない程に苔や草に覆われており、水場は見受けられないのに、空気はどこか水気を帯びているように感じられた。


 そして正面、【神樹】は視界の端から端まで埋め尽くしている。

 地面から露出した根と思われる巨大なそれは、通路から正面を避けるように生えている。


 長大なモノを前にした時、人は皆、委縮してしまうのではないだろうか。

 例えば建物、例えば滝、例えば海、例えば山、例えば空。

 視界全てを【神樹】に占められた俺もまた、委縮してしまっていた。



 だが、光景に見惚れただけで、【神樹】に対し神性を感じたわけでは無い。

 視界に【神樹】を捉えた俺は、不快感を覚えていた。


 ――【嫉妬】。


 そんな言葉が頭に浮かぶ。

【大罪】を有するモノを前にすると、何故か不快感を覚えているような気がする。

 例外としては、メイドさんだろうか。

 彼女を目にしても、傍にいてもそんなことは思わない。

 もしかしたら、彼女は【大罪たいざい】を抑え込んでいるのかもしれない。



 すると、頭の中に言葉が響いてくる。


『――ミコ、ワレノ、モノ』

『――ミコ、ワタサ、ナイ』

『――ミコ、ウバウ、ユルサ、ナイ』

『――ミコ、ウバウ、モノ、ユルサ、ナイ』

『――ミコ、ウバウ、モノ、イラ、ナイ』

『――ミコ、ウバウ、モノ、コロセ』

『――ミコ、トリ、カエセ』

『――ミコ、ワレノ、モノ』

『――ミコ、ワレ、ダケノ、モノ』


「だあああぁぁぁーー!!! ミコミコ五月蠅うるさいわ!!!」


 流石に怒鳴った。

 何だ此奴、喜色悪い。

 こんなのを信仰するとか、【森の民】は正気なのか?

 あぁー、マジで喜色悪い。


「俺に言うな。俺に話しかけるな。俺に構うな」

「キモイわ!!!」


 俺は宙へと撃ち上げられた。






 身構える暇も無く、地面が突然隆起し、俺を吹き飛ばしたのだ。

 考えるまでも無く、眼前の【神樹】がやったのだろう。

 俺の言葉に対してか、俺が従わないことに対してかは知らないが、交渉は見事決裂したようだ。


【リング】の重力制御により、中空で姿勢を保つ。

 ……その間も与えられずに、今度は幹から枝が伸び、尖った先端で俺を突いた。


 その衝撃で今度は【神樹】から離れるように吹き飛ばされる。

 今のは間違いなく俺を殺す気だったな。


 ――俺に殺意を向けたな。

 ――たかが木っ端如きが。


 ……アイツは殺す。

 ――アイツは殺す。


 俺の命をどう扱うかは俺次第、俺だけの権利だ。

 それを他人が、いや、草木風情がどうにかしようとするなんて言語道断だ。

 許せる所業では無い。


 最早、【森の民】の信仰がどうとかは関係ない。

 あれは俺の敵だ。

 情状じょうじょう酌量しゃくりょうの余地は微塵も無い。



 あっという間に、樹海の上まで飛ばされていた。


 とはいえ、今の俺にあんな巨大質量をどうすることもできないのも確かだ。

 如何に気炎を上げようと、不可能を可能にはできない。

 現状では手詰まりだ。

 かといって、【救世】により消滅させるというのは、巻き添えが多過ぎる。

 多少【森の民】に対しても腹立たしい気持ちはあるが、そこまで極端に切り捨てることも躊躇ためらわれる。

 少なくとも、【森の民】全員が俺に敵意を、殺意を向けてくると言うのならば、俺も容赦はしないかもしれないが。


【森の民】の所に戻っても仕方がないし、かと言って、何処かに行く当ても無い。

 駄目もとで【転移】を試してみる。



≪転移≫



 俺は何故か天界へと戻っていた。





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