第39話 混迷

転移てんい】は間に合わなかった。

 俺たちは【天使てんし】の光に飲み込まれた。


 そう思われたが、何故か天界の別の場所に現れていた。

 確かに、俺の【転移】は間に合わなかったはずだ。

 一体どうして……。


 俺の疑問に答える声があった。


「私が【転移】を使ったのよ。どうにも間に合わなさそうだったからね」


「……ハハハ、お蔭で助かりました」


「別にお礼はいいわよ。貴方も私を助けてくれようとしていたみたいだし、お互い様ってことにしましょ?」

「それよりも、問題はこの子供でしょ。何で天界に子供なんかが居るのかしら……」


 確かに、それは俺も疑問だ。

 服装は俺の【聖衣せいい】に似た感じに見える。

 まさか【救世主きゅうせいしゅ】だろうか?

 とりあえず、話を聞いてみるか。


「えぇと、君は一体――」


 窮地を脱した安堵感から、自分たちの置かれている状況を失念していた。

 未だ脅威は去っておらず、今なお危険の真っ只中に居ることを。


怠惰たいだ魔神まじん】が【天使】に向かい跳躍した。

 その飛び上がる衝撃で、天界全土が激しく揺れる。


 その揺れは、俺たちにも影響を与えて来た。

 予想だにしなかった揺れに、俺はバランスを崩す。

 咄嗟とっさに近くの物に捕まろうとして、女性の【執行者しっこうしゃ】へと手を伸ばしてしまった。


 手が触れた先は、胸だった。

 漆黒の鎧の上からとはいえ、胸だ。


 こんなところでラッキースケベはいらねぇー!!!


 俺が脳内でツッコミを入れると同時に、俺の頬を平手が振り抜かれた。


「……不可抗力なのは理解しています。ですから、今ので手打ちとします。いいですね?」


「異論御座いません」


「よろしい」


「……フフッ、プフッ、アハッ、アハハハハハハッ」


 今の遣り取りが存外に面白かったのか、例の子供が笑い声を上げていた。

 思いがけず、和やかな雰囲気となってしまった。


 だが、今はそんな場合ではない。

 先程は大事には至らなかったが、未だ戦闘は続いている。

 話は後にして、避難を優先すべきだろう。


「今は避難を優先しましょう」


「そうね、咄嗟に天界に【転移】してしまったし、どこか別の世界の方が良いでしょうね」


「そうですね、じゃあ行きましょうか」


「……私はここに残るわ。貴方がその子を無事逃がしてあげて頂戴」


「は? いや、貴女も来た方が良いでしょう」


「そうはいかないわ。私は【執行者】。天界を守るのも、【大罪たいざい】を討滅するのも、私の使命なのよ」


「そうは言っても、貴女では敵わないでしょう?」


「……そうね。どれ程運が良かったとしても、死ぬのは間違いないでしょうね」


「それが分かっていて、それでも行くんですか?」


「勿論よ。さっきの【色欲しきよくの魔神】は斬れなかったけど、今度はそうじゃないわ。この命を賭して僅かでも隙を作れさえすれば、彼が倒してくれるかもしれない」


「……それは難しいでしょうね。あの少年の渾身の一撃をもってしても、【怠惰の魔神】に傷一つ付いてはいませんでしたから」


「……そうだとしても、私はここに残って戦うわ。貴方たちは逃げなさい」


「…………」


 死ぬと分かっていて見捨てるのは、納得がいかない。

 だが、無理矢理に連れて行ったとしても、彼女自身で【転移】できる以上は得策ではない。

 やるとすれば説得だ。

 とはいえ、彼女は覚悟を決めてしまっている様子だ。

 生半可なものでは、それこそ梃子てこでも動かないだろうことは容易に想像がつく。


「……あの、お二人共、お話してもよろしいですか?」


 すると、子供から話しかけてきた。


「どうしたの? 今はあまり余裕がないから、話はどこか安全な場所に行ってから――」


「今は命を懸ける時ではありません。いずれ、必ずその時は訪れます。それまではどうか堪え忍んて下さい」


 子供とは思えぬ言動。

 俺も彼女も、その雰囲気に言葉を失ってしまった。

 やはり、この子供は只者ではないようだ。

 色々と話を聞いてみたいところではあるが……。


 天を仰ぎ見れば、埋め尽くす程に居た【天使】たちが、既に随分と数を減らしていた。

【怠惰の魔神】が恐るべき速度で蹂躙しているのだ。

【天使】が全て倒されたその時こそが、俺たちにとってのタイムリミットとなることだろう。


「貴方が何者かは知らないけど、はいそうですか、とは言えないわ」

「大人しく、私の言うことを聞いて頂戴」


「命の掛け時を見誤ってはいけません。それに、もうすぐ状況が変化します」


「……何ですって? 貴方、本当に何者なの?」


「……来ます!」


 子供のその言葉に、俺たち二人は思わず身構える。

 すぐさま【転移】できるように、三人とも掴まっておく。




 その変化はすぐに訪れた。




 遠くから何かの音が聞こえてくる。

 それは次第に大きくなっていき、最後にはそれが奇声だと分かった。



「ヒャッハーーーーーーーーーーーーーーー!!!」



 凄まじい勢いのままに、天界の地表へと奇声を上げる物体が飛来した。

 しかし、衝撃は訪れなかった。


 思いの外、静かに地表へと降り立った、奇声の主。

 それは、長い緑色の髪を逆立て、黒の袖無しのロングベストを着ている、パンクロッカーみたいな男だった。


「おいおいおいおい!!! やぁーっと見つけたぜぇ、【怠惰】の旦那ぁ!!!」


 その男は天に居る【怠惰の魔神】を仰ぎ見て、絶叫している。


「オレ様も随分と強くなったんだぜぇ。旦那を殺せるぐらいになぁ!!!」


 瞬間、男の姿が掻き消える。

 次の瞬間には、【怠惰の魔神】へと殴り掛かっていた。


【怠惰の魔神】が地表に激突する。

 その衝撃がこちらにも伝播する。


 あの【怠惰の魔神】を殴り飛ばすことができる存在。

 それはつまり――。


「……あれは【嫉妬しっとの魔神】です。これで最悪の状況は免れたでしょう」


 子供がそう呟いた。


「あれが【嫉妬の魔神】ですって!? それじゃあ、この天界に、現存する全ての【魔神】が揃ったというの!?」


 その言葉を受け、俺もそれに思い至る。

【怠惰】【嫉妬】【憤怒ふんど】【色欲】の四体、現存する【魔神】が天界に揃ったことになるのだ。


 しかし、これはむしろ最悪の状況なのではなかろうか。

 既に二体は倒され、残る二体は健在。

 しかも、その残る二体共が、他とは隔絶した強さのようだ。


 それとも、あの二体が上手く潰し合ってくれるとでも言うのだろうか。

 確かに、【嫉妬の魔神】は【怠惰の魔神】を襲っているみたいではあるが。


「……もし、もしも、ここであの二体を仕留めることができれば、これで世界から【魔神】の脅威は消え去るのよね」


「果たして、それは貴女に可能でしょうか?」


 子供が彼女に向かい、そう問いかける。


「……できるできないじゃない、やるかやらないかよ」


「今、あそこに飛び込んで行けば、両者に殺されるだけです」


「……そうだとしても、こんな好機はもう二度と訪れないかもしれないのよ!? それをみすみす見逃せと言うの!?」


「これは倒すための好機ではありません。皆が生き残るための好機なのです」


「…………」


 この子供は、一体何をどこまで知っているというのだろうか。

 あまりにも超然とし過ぎている。


 とはいえ、その言い分には俺も同意できそうだ。

 今は、あの二体に手出しするべきではあるまい。


 むしろ、今の内に、皆を助けるべきか。


「こちらに意識が向く前に、救助に動きましょう」


「何ですって!? あいつらを倒すことさえできれば、全て終わらせられるのよ!?」


「倒せないでしょう? どれほどの幸運に恵まれたとしても、恐らく攻撃自体が通用しませんよ」


「……それでも、それでもよ。やっと長い戦いと犠牲の果てに、この瞬間が訪れたっていうのに……それを諦めろだなんて」


「いずれ、いずれ必ず機会は訪れます。それまではどうか、生き延びて下さい」


「…………」


 子供の懇願に、彼女は口をつぐんでしまう。




 そこに、激しい打撃音が響き始めた。


 音源を辿れば、二体の【魔神】が殴り合っていた。


【怠惰の魔神】も【嫉妬の魔神】を無視することはできなかったらしい。

 両者が殴り合っている上空から、生き残った【天使】たちの光が降り注いだ。


【天使】の数が減ったため、降り注ぐ光は豪雨といった量になっており、両者共に効果は見受けられない。

【天使】よりも相手を優先したのか、殴り合いが止まる気配はない。

 だが、それに構うことなく、【天使】たちは光を降り注ぎ続けている。


【天使】が相手よりかは、時間稼ぎができそうではある。

 だが、どちらも俺たちの敵には違いない。

 依然として、脅威は過ぎ去ってはいないのだ。


 見渡した限りでは、【天使】の攻撃範囲に【執行者】たちの姿は見えない。

 メイドさんや少女の姿もだ。


 壁や天井が吹き飛び、遮蔽物が無くなったとはいえ、生じた瓦礫がそこら中に散乱し、どこに倒れているかは、一見しただけでは見つけられない。

 助けるつもりならば、探しながらになるだろう。



 視線を戻せば、彼女はまだ悩んでいるらしかった。


「……今は助けることを優先しませんか?」


「…………」


「貴女は、【大罪】の討滅のためだけに【執行者】を続けてるんですか?」


「…………」


「誰かを救いたかったからこそ、今もこうして戦っているのではないんですか?」


「…………っ」


「今なら犠牲を最小限に抑えられるかもしれません。でも、時間が経てば、どうなるかは分かりません」


「…………分かった、分かったわよ」


「では、手分けして当たりましょう」


「……それはいいけど、この子はどうするのよ?」


「……そうですね、連れ回すのは論外として、一旦は別の世界に【転移】させた方がいいですね」


「ワタクシのことより、皆を優先してください」


「いや、流石にそういうわけにはいきませんよ。それに【転移】なら一瞬で済みますし」


「残念ながら、ワタクシはこの天界を出ることは叶いません」


「……何ですって? そんな、まさか貴方は……!?」


「え? どういうことですか?」


「ワタクシは、生を受けたばかりの神なのです」


「そんなはず……だって、神は【神像しんぞう】を依代にしないと、この世界に居られないはずよ!?


「ワタクシは、【神像】が破壊されたが故に生まれたのです。受肉した神として」


「……っ!?」


「……その、神だと天界からは出られないんですか?」


「えぇ、あくまでワタクシたちは世界の管理者。この天界以外への干渉はできません」


「……干渉した場合はどうなるんですか?」


「おそらくは消滅してしまうでしょう」


「そんな……っ」


「……でも、受肉してるってことは、その身体に何かあれば、死ぬってことじゃないんですか?」


「おそらくは、そのとおりかと」


「……分かりました。では俺が救助に当たります。貴女は神様を連れて、できるだけここから離れた位置に避難してください。救助した人たちはそこに連れて行きますから」


「ちょっと、何で貴方が行くのよ!」


「俺には【聖衣】があります。貴女よりも生存率が高い俺が、救助に当たるべきです」


「……もぅ、分かったわよ。その代わり、ちゃんと皆を助けてよ?」


「善処します」


「……それじゃあ、私たちも移動しましょうか」


「……すみません。結局、足を引っ張ってしまって」


「気にしないで。っと、すみません、お気になさらないで下さい」


「フフフッ、別に口調を改めなくて構いませんよ」


「でも、そういうわけには……」


 そんな遣り取りをしながらも、移動し始めた二人を余所に、俺は生存者を探しに向かう。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る