第38話 最強

 何が起きたのか分からない。

 いきなり、眼前の女神像が粉々になっており、すぐ傍には【色欲しきよく魔神まじん】たる少女が血塗れで横たわっていたのだ。


 先程、【執行者しっこうしゃ】の剣を受けても傷一つ入らなかった女神像が、如何なる力が加えられたのか、最早原型を留めない程に粉々になっている。


 それに、少女の様子も先程までとは異なっている。

 多少の傷を負ってはいたものの、こんな大怪我を負ってはいなかったはずだ。


 一体、今の一瞬で何が起こったというのか。


 見れば、【執行者】も困惑しているのが分かる。

 俺と同じく、何が起こったか分からないのだろう。


水晶眼すいしょうがん


 メイドさんの様子を伺う。


 すると、メイドさんも血に濡れて倒れ伏していた。


転移てんい


 俺は反射的にその場に【転移】する。

 こちらも大怪我を負っている。

 二人共、あの少年の【執行者】にやられたのだろうか。

 それとも、あの場に現れた、アイツが――。


 そこに影が差した。

 俺の背後に誰か立って居る。


 振り向けない。

 振り向けば、死ぬ予感がする。


 一体、こいつは何者なんだ。


 俺が誰何すいかの言葉すら発せられないでいると、声が掛けられた。


「……邪魔ダ」


 片言のような言葉を耳にした瞬間、俺は何処かの壁にめり込んでいた。


 全身から噴き出す血。

 視界が真っ赤に染まる。

 全身がバラバラにされたような感覚。

 遅れてやってくる激痛。


 声も上げられない。

 喉も潰れてしまっている。


 時間がやたらとゆっくりに感じられる。

聖衣せいい】の治癒が遅い。

 出血も痛みも中々治まってはくれない。


 血に滲む視界の奥で、メイドさんが例の乱入者に首を締め上げられているのが見える。


 その首が容易く折られる様を幻視する。


≪転移≫


 体が治りきるのを待たず、咄嗟に二人の頭上へ【転移】する。

【リング】で加重を最大にし、首を掴んでいる腕に、体ごと突っ込む。


「マタカ、邪魔スルナ」


 片言の言葉が耳に届くと同時に、メイドさんの服を掴む。

 直後、二人共吹っ飛ばされた。


 今度はすぐには動けそうにない。

 いや、体のどこも動かせない。


 見れば、体が有り得ない程に厚みが無くなり、薄くなっている。

 全身が潰されてしまったようだ。


 これでも生きているのだから、凄まじい。

 傍に居たメイドさんも、重症ではあるが、俺よりかは幾分はマシそうだ。


 すぐにでも止めを刺されそうに思われたが、中々その時は訪れない。


 視線を侵入者に向けると、少年の【執行者】が対峙していた。

 少年は先程までは無かったはずの怪我を負っていた。

 だが、二人よりは軽傷のようだ。



「何故、貴様が天界に居るんだ!?」


「オ前ラ、邪魔シタ。ダカラ、殺シニ来タ」


「邪魔だと? まさか、貴様の住処辺りに【執行者】の誰かが侵入してしまったのか!?」


「俺、邪魔サレル、嫌イ。俺、許サナイ」



 ようやく治ってきたらしい全身を起こす。

 途端、痺れた際のあの独特の感覚が、何倍にもなって全身を襲う。

 全身の神経が痛い、痛過ぎる。

 身体を痙攣させながらも、改めて侵入者を見やる。


 2メートル超の長身に、骨と皮だけと思われる程の痩身、床に這う程までに伸びた黒髪。

 包帯とも布とも見分けがつかない何かを、全身に巻き付けている。


 異様、そして、異質。


 あんな細身のどこに、これ程の破壊をもたらす力が宿っているというのか。

 あの化け物は、一体何だというのか。



「この天界に来た以上、生かして帰すことは決してない!」

「かつては敗北をきっしたが、ここで決着をつけてやるぞ、【怠惰たいだ魔神まじん】め!」


 少年が金色に輝く剣を振り抜く。

 化け物――【怠惰の魔神】の体に当たった剣は、その剣身の半ばから折れ飛んでしまう。


 あれが【怠惰の魔神】。

 いわく、最強の【魔神】か。


【聖衣】が無ければ即死していた。

 他の【魔神】の二人は、【聖衣】なんて無いため、先程から様子に変わりがない。

 いや、そういえば、少女の方はどうだったろうか。

 慌てたせいで、【執行者】の元へ置いてきてしまっていたのを思い出す。


≪転移≫


 メイドさんを抱え、少女の元へと戻る。

 少女はまだ意識を取り戻してはいないようだった。

 勿論、息もまだある。


【執行者】は少女のすぐ傍に立って居た。

 だが、その手に刀は握られてはいなかった。


 俺の視線に気が付いたのか、【執行者】が口を開く。


「私の刀は敵に向け振るわれる物。私の命を脅かし、誰かの命を脅かす、敵に対して」

「彼女は私の仲間を大勢殺した。憎むべき相手。憎んでいる相手」

「なのに、どうしてかしら、どうしても刀をその身へと突き立てられなかった」


 それは独白だった。

 俺には彼女の葛藤は分からない。

 俺は因縁のあったイヌザルやそれを操っていた【賢人けんじん】たちを前に、躊躇ためらわなかった、踏み止まらなかった。


 行動には責任が伴う。

 俺には【救世きゅうせい】により消滅させた全ての命と、この手で殺めたあの国王。

 彼女は復讐を踏み止まり、因縁を断てなかった。


 果たして、どちらが良かったのだろうか。

 別の可能性は、もう、俺には選ぶことは叶わない。

 彼女は、まだ、選ぶことができる。


 俺が何も言えずにいると、彼女が言う。


「……貴方にこんなこと喋っても意味無いわよね。私ったら、何してるんだか」


「……でも、その選択は間違ってないかもしれませんよ」


「何ですって?」


「今、【怠惰の魔神】が襲来しています。ここで戦力を損なうのは愚策でしょう?」


「何ですって!? 【怠惰】が天界に!? そんな……」


「二人共、その【怠惰の魔神】に倒されてしまいました。とはいえ、まだ生きてはいます」


「奴は今何処に!?」


「先程の少年と戦っていたはずです」


「っ!? 早く皆を呼んで加勢しないと、彼だけでは――」


 彼女の言葉は最後まで続かなかった。

 建物全体が凄まじい揺れを伝えてくる。


「今度は何!?」


 俺は【怠惰の魔神】の姿を探す。


≪水晶眼≫


 暗く、広大な空間が広がっている。

 そこは、かつて一度だけ訪れたことのある場所だった。


 壁一面にあったはずの巨像が、跡形も無くなっていた。


「貴様ぁー!! しゅの【神像しんぞう】を破壊するなど、万死に値する!!」


「神、嫌イ。オ前タチモ、嫌イ。全部、壊ス」


「貴様が滅べ、この【魔神】風情が!!!」


 少年が【怠惰の魔神】へと肉薄する。

 その手には、先程折られたはずの剣が、再び元どおりの姿で握られていた。


七美徳ななつのびとく 励起れいき


 少年の全身が、金色から白い極光へと変化してゆく。

 同じ光を纏った剣が【怠惰の魔神】の体に当たる。


 今度は斬り裂いてみせた。

 だが、剣戟は一撃では終わらない、数十もの剣閃が同時に放たれ【怠惰の魔神】の体に無数の傷を付けてゆく。


「このまま消え失せろ!」


 更に速度を増し、【怠惰の魔神】の体に剣が数百と突き立てられた。


「塵も残さず、消滅しろ!!!」


 突き立てられた剣が、今までで最大の光量を発する。

【怠惰の魔神】の体に極大の光の柱が現出する。


 次いで、辺りは白光に包まれた。




 光が収まった時、その場に【怠惰の魔神】の姿は、既に跡形も無かった。


 凄まじい一撃だった。

 だが、相手はまだ、何の力も使っていなかったように見受けられた。

 そんな相手を倒し得たとはとても――。


 その場には遅ればせながら、【執行者】たちが集まって来た。


 少年が、彼らに向かって何か指示を与えようとした。




 が、次の瞬間、全ての者の動きが静止した。




 心臓が無くなってしまったかのような、喪失感が胸に去来する。

 他の者たちも同様の感覚を得たのか、皆一様に、胸に手を当てて、自身の無事を確かめている。


 無事だ。

 何とも無い。

 心臓は確かにまだあるし、胸に傷があるわけでもない。


 だが、何故だろうか。

 自分がもう死んでしまったような、そんな言い知れぬ感覚が身に纏わりついて離れようとしない。



倦惰けんだ



 変化は遅れてやって来た。


 強烈な脱力感が全身を襲う。

 たまらず、その場に膝をついた。

 それでも堪えきれず、その場に倒れ込んでしまう。


 視界の先、【執行者】たちも皆、倒れ伏していた。

 否、少年だけは、剣を杖にして、何とか立ち留まっている。


 暗い部屋の奥。

 そこから何かが姿を現してくる。


 ――【怠惰】。

 そんな言葉が頭に浮かぶ。


【怠惰の魔神】だ。

 その体に傷は一つも付いてはいなかった。


 少年の目が驚愕で見開かれる。



【怠惰の魔神】が咆哮を上げる。



 発生した衝撃波で、天界にある全ての壁や天井が破砕する。


【水晶眼】が途切れて、俺や他の三人の体も吹き飛ばされる。


 ようやく勢いの収まった体を起こすと、既に周囲は更地と化していた。


 辺りをさえぎるものが何も無い。

 見晴らしの良くなった視界の遥か奥、そこに立つのは【怠惰の魔神】だった。


 少年もどこかに吹き飛ばされてしまったようだ。

 その【怠惰の魔神】に対し、今度は天から襲撃が行われた。


 光の雨。

 否、光の大瀑布だ。


 その先に居たのは、天を埋め尽くす【天使てんし】たち。

 その全てが、【魔王まおう】を消滅せしめた光を【怠惰の魔神】へと注いでいる。


 途切れぬ光に飲み込まれ、すぐさま【怠惰の魔神】の姿が見えなくなった。


 あれで効果があるとはとても思えない。

【魔神】を単独で討滅したという、先の少年の渾身の一撃でさえ、無傷だった相手なのだ。

 とても【天使】にどうこうできる相手ではない。


 このままここに居ては、巻き込まれて確実に死ぬ。

 新たな動きを見せる前に、二人、もしくは、【執行者】も含めた三人を連れて別世界へ【転移】で逃げるべきだ。


 俺は散り散りになった皆を集めようと、立ち上がる。


 ふと、背後に気配を感じて振り返った。

 そこには、園児程の年頃の子供が居た。


 何故こんな場所に子供が!?

 予期せぬ出来事に困惑し、思わず動きを止めてしまう。


 その一瞬が明暗を分けた。


【怠惰の魔神】が【天使】の光を周囲に弾き飛ばしてみせた。


 その光の塊の一部が、こちらへと迫り来る。

 あの光は、【聖衣】を纏った【暴食ぼうしょくの魔王】を消滅させて見せたはずだ。

 俺が食らえば、同じ目にあうだろう。


 だが、背後には子供が居る。

 俺が避ければ子供は助かるまい。

【転移】では、散り散りになった全員は助けられない。


 この刹那に選択しなければならない。

 誰を救い、誰を見捨てるのか、を。


 周囲の時間がひどくゆっくりに感じられる。

 傍にはメイドさんも少女も居ない。

 隣には、【執行者】が同じく立ち上がっていた。

 彼女もまた、背後の子供に気が付いて、身動きを止めてしまっている。


 俺は覚悟を決めた。


 彼女の腕を掴み、背後へと駆け出す。

 背後から迫りくる消滅の光。

 走る勢いのままに、子供へと飛び付く。


≪てん――≫




 世界が光に包まれた。





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