最終話 名前

 あれからしばらくの月日が流れた。


 天界の建造物はまだ完全復旧とはいかないが、【神像しんぞう】と【水晶球すいしょうきゅう】は復元が完了していた。


 俺とメイドさんと少女、少年と女性の【執行者しっこうしゃ】が集まっていた。


 集まった場所は女神像の前だ。


 久方ぶりの女神との対話となった。



「――思いがけない展開に、動揺を禁じ得ませんね。ともあれ、皆様、お久しぶりですね」


「女神様、御無事で何よりです」


「フフッ、無事というのも可笑しな話ですね。……皆様、よくぞ【魔神まじん】の討滅を成し得て下さいました」


「……まだ、二体残っては居ますがね」



 女神とメイドさんとの会話に、少年がそう横槍を入れる。



「――ちょっと、流石に今それを言わなくても……」


「事実は事実だ。女神よ、状況は変わりました。最早、【魔神】は脅威足り得ません。今後は如何なさる御積もりですか?」



 女性が諫めるも、少年は女神へと問い詰める。



「……確かに、貴方がたは遥か高みにあった【怠惰たいだの魔神】を討滅して見せました。今後、そこまでの脅威となる【魔神】が現れることも無いでしょう」


「……それで?」


「――しかしながら、予想に反して、事態は急変するかもしれません。突然、力持つ【魔神】が誕生しないとも限りません」


「…………」


「ですから、二人には今後もこのまま居て頂きたく思っております」


「……それが答えですか?」


「えぇ、そのとおりです」


「――女神様、よろしいでしょうか?」


「……はい、何でしょうか?」



 女神と少年との会話に、今度はメイドさんが割り込んだ。



「私は、この身に取り込んでしまった魂を解放し、私自身も消滅することを望みます」


「――っ!? 何故そのようなことを!?」


「……ずっと、ずっと後悔していたのです。この身に魂を吸収してしまったことを。私が如何様な滅びを迎えようとも構いませんでしたが、この身に取り込んだ魂だけが気掛かりでした」

「ですが、それも最早解消されました。私は贖罪をこそ望みます」


「贖罪というならば、生きて事を成しては如何ですか?」


「……それでは、私が吸収した魂たちが何時まで経っても転生することが叶いません。それは私の望むところではありません」


「…………」


「女神様に見出していただいたこと、未だ感謝に耐えません。ですが、脅威が去った今、私もまた、あるべき最期を迎えたく思います」


「…………」


「今まで、お世話になりました。どうか、これからも世界を良き方向へと導いて下さい」


「……そう、ですか。……それは、とても寂しくなりますね」



 その場に沈黙が降りる。


 あの時、【怠惰の魔神】の最期を見ていたメイドさんは、そんなことを考えていたのか。

 どういう経緯で【魔神】となったのか、聞く機会は終ぞ訪れなかったが、自身にしか理解できない葛藤があったのだろう。


 少年が一歩、メイドさんへと踏み出した。



「――では、僕がその役を務めよう。勿論、異論がなければ、だが」


「構いません。覚悟はとうに済ませています。――ですが最期に一つだけ」


「何だ?」


「【救世主きゅうせいしゅ】、貴方のお蔭でこうして望んだ最期を迎えることが叶いました。貴方を選んで良かった。貴方が諦める事無く生きてくれて良かった。貴方に感謝を」


「……いえ、そんな。俺の方こそ、貴女には沢山助けていただきました。俺の方こそ、今までありがとうございました」


「……フフフッ、お礼は不要に願います」


「……ハハハッ、そうでしたね」


「――では、お願いします」


「――分かった、では、いくぞ」



 メイドさんの体に、少年の剣が突き立てられる。


 間を置かず、【救世きゅうせい】が連続して発動されていく。


 メイドさんの気配が希薄になってゆく。


 その表情は、安らかに見えた。


 やがて、メイドさんの姿は消滅した。




「――ちっ、勝手に勝ち逃げしやがって」



 沈黙が支配する場に、そんな声が響く。



「これじゃあ、ボクの相手が居なくなっちまったじゃねぇか。……なぁ、ものはついでだ。ボクにもやってくれ」


「…………それで良いのか?」


「ボクだけ残ってても仕方ないだろ? 別にボクに後悔なんて微塵もないけど、どうせ目的なんて無いしね」


「――では」


「――待って下さい」


「……何だ?」


「私にやらせて下さい」


「……それは彼女に尋ねたまえ」


「貴女はそれでも良いかしら?」


「別に、誰がやろうとボクは構わないよ。好きにしたら良いさ」


「……分かった。なら君に任せる」


「はい、ありがとうございます」



 少女と少年の遣り取りに、女性がそう申し出た。


 女性が刀を少女へと突き立てる。


 そして間を置かず、【救世】を発動し続ける。


 少女の気配が希薄になっていき、ほどなく、その身体が消滅した。



「…………仇は取れましたか?」



 女性は、誰ともなくそう呟いた。




 思いがけず人数の減った室内。


 気まずい沈黙が場を支配する。


 俺は意を決して、言葉を発した。



「行きたいところがあります。案内して貰えませんか?」



 俺は少年にそう言った。



「……何処だ?」


「それは――」




 俺は、かつて一度だけ訪れたことのある部屋に居た。


 正面には壁一面もある巨大な彫像。



「――久しいな」


「えぇ、お久しぶりです」


「して、此度は何用で参った?」


「以前お渡ししなかったモノを、今回こそはお渡ししようかと」


「――【救世】か」


「はい」


「以前は頑なに拒んでみせたが、どのような心境の変化だ?」


「もう【救世】を使おうとは思いませんから」


「要らぬからくれてやる、と?」


「そう居丈高いたけだかなつもりはありません。あくまで不要なのでお渡ししたいだけです」


「――【救世】を失えば、最早【救世主】ではなくなる。その身の【聖衣せいい】も失われよう。それでも構わぬのだな?」


「おっと!? その前に、代わりの服を用意していただけると、大変助かります」


「――――」


「【聖衣】を解除すると、全裸になってしまうので」


「――用意させよう。しばし待て」


「お手数をおかけします」



 俺は用意された衣服を、【聖衣】の上から着込む。

 とりあえずはこれで、いきなり全裸になることはない。



「――では【救世】をこちらへ」



 俺の体に何かが入り込むのを感じる。

 不快感を覚えるが、それを堪え、成すがままにされる。


 そして【救世】が俺の体から摘出された。

 同時に【聖衣】が掻き消える。


 生まれてから、共にあった【救世】。

 それが失われたことによる、喪失感がある。


 だが、それで良い。

 最早、俺には無用の長物だ。



「――して、これからどうする?」


「……貴方がそれを決めるのではないのですか?」


「――我々は強制も強要もしてはならない、と、とある神に言われてな。自身で選択せよ」



 俺の脳裏に、最近姿を見なくなった幼神のことが思い浮かんだ。



「市井に紛れて、大人しく余生を送る、とかは駄目ですかね?」


「――その身に【大罪たいざい】を宿している限り、その身を自由にすることはできかねる」


「そう、ですか……」


「――だが、条件付きであれば、叶えられないこともない」


「……え?」





「……それで、私について来い、と?」


「えぇ、まぁ。もう【リング】も返してしまいましたし、移動も翻訳も誰かにお願いする他ありません」

「それに、俺の知り合いで頼めそうなのは、貴女しか居ませんし……お願いできませんか?」


「……はぁ、仕方のない人ですね」


「それじゃあ?」


「分かりました、分かりましたとも。貴方が【大罪】を悪用しないよう、監視、兼、通訳として同行すれば良いのですね?」


「えぇ、はい、そのとおりです」


「それで、何時まで?」


「それは勿論、死ぬまでです」


「……誰が?」


「俺が」


「……それまで、私について回れと?」


「言葉は頑張って覚えますよ。ですので、監視という名目の休暇と思って、どうかここは一つ、お願いします」


「…………はぁ。まぁ、貴方にはそれぐらいの借りはありますしね。なら、精々長生きして、私の休暇をできる限り長くしてくださいね?」


「約束はできませんが、前向きに善処いたします」


「はいはい、それじゃあ行きましょうか?」


「えぇ、って、まだ何処に行くか伝えてませんけど……」


「そんなこと、聞かなくても見当ぐらいつきますよ。ほら、早く! 随分と顔を見せていないんでしょ?」


「……じゃあ、お願いします」





 辿り着いたのは、とある屋敷の前だった。


 俺は緊張の面持ちで扉をノックする。


 すると程なく、使用人が出迎えてくれた。



「――――――――――」



 何を言っているか理解できない。


【リング】無き今、これから改めて言葉を一から覚えなければならない。


 これは前途多難だな。


 言葉の分からない俺に代わり、女性の【執行者】が取り次いでくれた。


 屋敷の中へと案内される。


 通された先は、客間ではなく、謁見の間だった。


 視線の先の玉座には、しばらくぶりに見る女王の姿があった。


 俺の姿を視認した女王だったが、その表情が怪訝そうなものに変わる。


 俺がそれを疑問に思っていると、耳元で囁かれた。



「貴方の姿が【聖衣】の無い状態へと戻ってしまったから、その容姿の変化に戸惑っているんですよ」



 なるほど、そういうことだったか。


【聖衣】が無い俺は、黒髪に戻っているし、服装も違っている。

 顔が同じでも、見た目の印象がこうも変わっていれば、戸惑って当たり前か。


 俺たちは玉座の前へと進み出る。


 女王が声を掛けてくる。



「――――――――――」



 勿論、何を言っているかは分からない。

 例によって通訳してもらった。


 要約すると、容姿の変化に対する質問と、長らく姿を見せに来なかったことへの文句だそうだ。


 女王の目元には光るものが見て取れた。

 思っていた以上に心配をかけていたらしい。


 俺は通訳を頼む。

 事の経緯と俺の現状についての説明を。


 女王がそれを聞き、内容を確かめるように、女性の【執行者】といくつか遣り取りを交わす。


 とりあえずは、承知してくれたらしい。


 その上で一つ、頼みごとを通訳してもらう。




 貴女の名前を教えてください、と。





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