インタールード A-3

 天界に着くやいなや、【水晶球すいしょうきゅう】に駆け寄り、【色欲しきよく】の【魔王まおう】の所在を確かめる。

 すぐさま【転移てんい】により向かおうとする自分に対し、青年騎士が慌てたように声を掛けてくる。


「先輩、待ってください! 皆を集めず、一人で向かおうとするなんて無謀過ぎますよ!」


「……周知はお前に一任する。くれぐれも、上位の者だけで構成しろ。下位では最悪、相手の手駒にしかならない」


「だから待ってください! 皆が着く前に、先輩が死んじゃいますよ!?」


「自分が生きている内は、自分こそが止めを刺す。お前たちは自分が死んだ場合、必ず仕留めるように備えてくれ」

「……心配は無用だ。後は頼んだぞ」


≪転移≫


 青年騎士の返事を待たず、目的地へと【転移】を行う。


 視界を赤色が埋め尽くす。

 空も大地も赤く染まっていた。


 中空に現れた自分の眼下には、大都市に匹敵するであろう、一つの巨大な建造物が見える。

 中心にあるドーム状の建物から、八方向へと長い建造物が続いている。


 一体、何を思って、こんな巨大な建造物を造りあげたのか。

 妄執とも狂信的とすら思える、異様。


 人が住むには適さず、人が使うにも大き過ぎる。


 そんな感想を浮かべながらも、視線は相手を追い求め、彷徨わせていた。

 焦りの余り、兜の力を使い忘れていたことに思い当たる。


識別しきべつ


【色欲】を検知した。

 ……それも、二つ、だ。


眷属けんぞく】が居るのか。


選定せんてい


 対象に焦点を合わせる。


 そこに居た。


 長い金髪、豊満な肢体したい、透けるような黒地のドレス。

 見間違える筈など無い、以前となんら変わらぬ容姿。


 忘れたことなど、ただの一度も無い。

 思い出さぬ日など、あろうはずも無かった。



≪転移≫


 間を置かず、【魔王】の元へと【転移】する。


 広間の中央、うず高く積み上げられた肉塊の山。

 その頂上に、気だるげに肉椅子に身を横たえるその相手。


【転移】先は【魔王】の背後、剣の間合い。


 問答無用。

 一言も発する事無く、黒剣を抜き放ち、一閃する。

 狙いは首、向かって左側から斬り込む。


 金属を打ち合ったような、快音が響く。


 剣の先には、首ではなく、爪があった。

【魔王】はこちらに目を向けることもなく、無造作に指先を立てることで、こちらの一撃を防いでみせたのだ。


 指を軽く弾かれ、剣越しに凄まじい力が加えられたことが伝わってくる。

 剣が弾き飛ばされそうになる力に対し、あえて逆らわずに、剣ごとその場を飛びずさる。


 追撃は無かった。

 未だ、こちらを向いてすらいない。


 ……まだ早い。


 はやる自分をいさめながら、再び【魔王】目掛けて剣を振るう。


 剣を振るう度に弾いてくる爪すらも、割ることが叶わない。

【魔王】の視界に入らぬよう注意を払いつつ、執拗しつように左側から剣戟けんげきを行う。


 ……今は無心に、その時が訪れるのを待つ。


 剣を弾くのを、良い暇潰しとでも思っているのか、飽く事無く繰り返されるり取りに、腹を立てるでもなく、付き合い続けている。

 相手にされていないのは当然とでもいう状況に、れる事無く、ひたすら剣戟を続ける。




 どれ程、繰り返しただろうか。

 遂に、その時は訪れた。


 周囲に【執行者しっこうしゃ】の集団が現れたのだ。

 青年騎士は見事、命令を遂行してみせた。

 上位の【執行者】を招集したため、この場に下位である青年騎士は居ないが、戻ったらねぎらってやろう。


 自分はその瞬間に合わせ、初めて力を開放した。


忍耐にんたい

救恤きゅうじゅつ


 更に、一撃目以降、使用しなかった【転移】を使う。


≪転移≫


 瞬間という時間で【魔王】へ接敵する。

 今までとは違い、白剣と黒剣の二本で以って首を、右側から狙う。


 それでもやはり、【魔王】の指先に剣がはばまれる。


 だが、剣が弾かれる前に、更に力を行使する。


失効しっこう


 白剣の力を発現させる。


 流石に【色欲】を失わせることは叶わないが、多少の力をぐことはできたのか、指先からの抵抗が僅かに緩む。


 まだ止まらない。

 今度は、黒剣の力を発現させる。


執行しっこう


 断首を執行する。


 今度こそ、【魔王】の指先を斬り飛ばし、首へと剣が迫る。


 時間が間延びする感覚。


【魔王】の目に驚愕の色が浮かんでいるのが分かる。


 容赦は無い。

 この身に【慈悲じひ】は宿っていない。


 交差させた二本の剣が首へと振り抜かれた。






 まず感じたのは、全身を包む激しい痛み。

 特に背中が痛む。


【魔王】の首を斬り飛ばした筈の自分は、しかし、広間の壁面にめり込んでいた。


 肺の中の空気が全て押し出されたのか、酸欠に喘ぎつつ、広間中央に居るであろう【魔王】を見やる。


【魔王】は健在だった。

 首も繋がったままだ。


 だが、その手前に、見覚えの無い少女が居た。


 赤黒い短い髪、手足を黒で覆い、赤色の丈の短い服を身にまとっている。


 何時の間に、何処から、何者なのか。


 疑問が頭に浮かび連なる。

 しかし、答えが得られぬままに、蹂躙じゅうりんが開始された。




 上位の【執行者】たちが、次々と少女によって散って行く。


 そう、文字どおりに、体が四散していた。

 腕を振るえば、四散。

 足を薙ぎ払えば、四散。



 四散四散四散四散四散四散四散四散四散四散四散四散四散四散四散四散四散四散。



 ほとんどの者たちが、体を肉片へと変じていた。

 極稀に、体の一部を欠損させるに留める者も、居るようではあった。


 だが、趨勢すうせい此処ここに決した。


 あの少女には、この場の誰も敵わない。

 最高位の【執行者】全員ですら、敵うかは疑問に思える。

 次元が、格が、違い過ぎる。




 気が付けば、自らの足で立っている【執行者】は存在しなかった。


 眼前には、少女が立って居た。


 深紅の目がこちらを眺めている。


 兜越しに目が合う。


 次の瞬間、自分が死ぬのを直感した。


 少女の無造作な貫き手が、自分へと向けられるのが見えた。


 視線を少女から【魔王】へと転じる。

【魔王】も肉山の上から、こちらを眺めていた。

 だが、そこ顔にわらいの表情は浮かんではいなかった。


 自分のまぶたを下ろし、目を閉じる。


 因縁を果たせず、しかも、大勢の仲間を巻き添えにしてしまった。


 悔いがある。

 憤りがある。

 嘆きがある。


 そこに、諦めが加わった。


 今は亡き家族に、心の中で詫びる。

 今しがた散っていった仲間たちに、心の中で詫びる。



 少女の貫き手が鎧と肉を貫く音を聞いた。






 しかし、一向に痛みはやってこない。

 瞼を開くと、一人の騎士の背が見えた。


 少女に対し、仁王立ちした騎士は、胸を貫かれていた。


 目前の騎士からかすれた声が耳に届く。


「せんぱい……、むちゃ、しすぎ……です…よ……」


 それは、聞き覚えのある声だった。

 この場に居る筈の無い、下位の【執行者】の青年騎士だった。

 途切れ途切れになりながらも、言葉を続ける。


「……まだ、やりとげて……ない……でしょ……」

「……まだ……しねない……でしょ……」

「あきら……めない……で……くださ…………」


 少女が青年騎士の胸から腕を抜き払った。

 青年騎士がその場に崩れ落ちる。

 ……もう息はしていなかった。




 少女はしばらく、崩れ落ちた青年騎士を、無表情に見下ろしていた。

 すると突然、欠伸を上げたかと思うやいなや、きびすを返し、肉山へと歩いてゆく。

 登り辛いであろう、肉の山肌を、少しも足を取られることも無い。

 すぐさま登り詰めた少女は、その場で横になってしまった。

 ……暫く経っても、動く様子は無い。



 壁面から身を乗り出す。

 足元に横たわる青年騎士に目礼する。


 瞼を開けた目には、力が戻っていた。

 少女の行動は謎だが、自分の目的は少女ではなく、【魔王】の方だ。


 白剣は見当たらなかったが、黒剣が傍に落ちていたので、拾い上げる。

 ……さて、最早切り札も無くなったが、逝くとしようか。


 再び、否、最後の剣戟を開始する。


 既に力は発現済み。

 しかし、【魔王】には及ばない。

 剣戟はことごとくあしらわれ続けている。


 今もまた、広間の壁面へと吹き飛ばされてしまった。


 ……都合よく、新たな力に目覚めるとかは、期待できそうにないな……。

 心の中で溜息を吐きつつ、再び【魔王】へ突撃しようとした。




 すると、広間に轟音と衝撃が響き渡った。

 発生源は、自分ではないし、【魔王】でもない。


 視線で土煙の上がった場所を探ると、壁に埋まった【救世主きゅうせいしゅ】と先程の少女が居た。

 ……そういえば、【救世主】がこの世界に【転移】したのが事の発端だったのを思い出す。


【救世主】が少女になぶられている。

 上位の【執行者】であの様だったのだ、【救世主】が抗える筈が無い。


【救世主】の助けに入るべきか否か逡巡しゅんじゅんしてしまう。




 だが、そのお蔭で活路は開かれた。


 女神の【使徒しと】が現れたのだ。

 彼女の強さは規格外だった。


 あの少女を相手に、圧倒してみせたのだ。

 上位の【執行者】を【色欲】で操ってみせたのは予想外だったが、それも【使徒】に一蹴されてしまっていた。

 しかも、途中で割り込んだ【魔王】を一撃で地面へと沈めてしまった。

 目的は【救世主】の保護だったのか、少女に止めを刺すことなく、二人は【転移】したようだった。


 残された少女は、怒りが静まらないのか、怒声を上げながら、肉山を吹き飛ばし、辺りへ八つ当たりし続けている。






 自分は、地に伏す【魔王】の傍へ降り立った。

 未だ意識が戻っていないのか、【魔王】に動きはない。

 両手で黒剣の柄を握りしめ、突き刺す。



 刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す。



 そこに容赦は無い。

 肉塊と化した【魔王】に一瞥する事無く、目を閉じる。

 ……ようやく、果たすことができた。






 しかし、感慨に浸る暇は、自分には与えられなかった。


 自分の胸から腕が生えていた。

 その手には、心臓が掴まれているのが見える。

 一息に握りつぶされた。


 口から血が噴き出す。

 胸からも血が噴き出す。


 胸から腕が引き抜かれた。


 横目で見た少女は、【魔王】だったモノのそばに佇んでいた。


 少女と【魔王】の関係性は如何なるものだったのか。

 最早、分かることはあるまい。

 もう、その時間は残されていない。


 命が急速に消えゆくのが分かる。

 身体から熱が引いてゆき、冷たくなってゆく。

 意識が遠のいてゆく。


 ……だが、最早、悔いは無い。


 自分は、すべきことを、成した。


 悔いは無い……。


 穏やかな気持ちを抱え、終わりの時を迎え入れる。




 瞬間、頭が少女の蹴りによりぜた。





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