第27話

 ブラック、失格によりトーナメント脱落。


 その報告を聞いて、デーブレエス伯爵はご満悦だった。

 伯爵が命じたのは、あくまで有力者に毒を盛ることであったのだが、まさかその優勝候補者の一角であったブラックが、まさかの失格。棚からぼた餅というおいしい報告を聞いて、デーブレエス伯爵は丸々太った腹を揺らして、軽くステップを踏んだ。


 さぞかし、皇帝陛下も喜んでくれることだろうと思っていたが、反応は真逆だった。


「愚か者が!!」


「ひぃ! ひぃいいいいいいいい!!」


「余はあの男を殺せ、と命じたはずだぞ」


「そ、それは場合によると」


「馬鹿者! だからといって、ただ失格にする奴がいるか。余に恥を掻かせたあやつは、平々凡々とこの先も暮らすことになるのだぞ。余の気が収まらぬわ!」


「し、失礼しましたであーる!」


「デーブレエス!!」


「は、はひぃ!」


「今度は、あいつの首級を持って来い。良いな?」


「は? ははあ!」


 デーブレエス伯爵は、またも深々と頭を下げるのだった。





「で? 親父……。どうするんだ? 闇討ちでもすんのかよ?」


 執務室に戻ってくると、一仕事終えたゼビルドがソファに股を開いて座っていた。

 その前には、カブラザカもいて、爪の手入れをして、暇を持て余している。

 デーブレエス伯爵はというと、どっかりと執務椅子に座り、息を吐いた。


「そうであーるな。まずはゼビルド、お前の舎弟どもを集めて……」


「そんなことをしなくとも、向こうからやってこさせればいいんですよ、伯爵閣下」


「は? どういうことですかな、カブラザカ先生」


「わたくしの薬は特別製なんですよ。毒消しも、一時は効いても症状の進行を遅らせるだけでほとんど役に立たない。わたくしが作った薬以外で完治はほぼ不可能です」


「じゃあ、ミュシャって女はどうなるんだ?」


 ゼビルドは腕を組む。


「放っておけば、そのまま死ですな。だから取引を持ちかければいい。薬をやる代わりに、決勝でわざと負けろとかね」


「ヤツらが取引きに応じるであーるか?」


 デーブレエス伯爵は机を指で叩きながら、首を傾げた。


「五分五分といったところですかな。ただ向こうにどうしても賞金を手に入れたい理由があるなら、取引に応じる振りをして、屋敷にある薬を奪いに来るかもしれません」


「なるほど。そこをバシッとやっつけるわけだな。腕が鳴るぜ」


「ああ。坊ちゃまは大会に集中していてください。坊ちゃまには優勝してもらわないと」


「お、おう。そうだったな」


 ゼビルドは落ち着きを取り戻すと、ソファに座り直す。

 カブラザカの進言を聞いて、デーブレエス伯爵は首を捻った。


「しかし、先生。それでは誰が屋敷にやってくるブラックに対応をするのであーる?」


「わたくしがやりますよ」


「先生が!? それは心強いのであーる!!」


 デーブレエス伯爵は顎に付いた脂肪をぷるぷる動かして飛び跳ねる。


「あいつらが取引に素直に応じてきたらどうするんだ、先生?」


「その時は別の手段を考えますよ」


「しかし、先生が自ら手を下すとはな。決勝よりそっちの方が楽しみだ」

「あのブラックを正面から相手するのは気が引けますが、致し方ないでしょう。ただちょっと興味があるんですよ。あの仮面の下、一体誰なんでしょうね?」


 最後にカブラザカは口角を上げるのだった。



 ◆◇◆◇◆



 一度回復したミュシャだが、介抱に向かうことはなかった。

 どんな薬を試しても、毒の症状が治らない。魔法やスキルを試しても無駄だった。

 俺とミィミ、そしてアンジェはただ苦しそうにするミュシャを見ていることしかできなかった。


「これは人工毒だな」


 ジオラントで使われている毒のほとんどが、自然と採取できる天然毒だ。その毒に対しては、魔法や毒消しが有用であることは古くからわかっている。だが、それが治らないとなると、天然毒とは違う毒――人工毒である可能性が高い。


「人工毒はジオラントでは精製不可能なはず。だが、俺はその精製不可能な人工毒を作る人間に心当たりがある」


「あるじ、誰? ミュシャ、こんな風にしたの誰!?」


 ミィミはさっきから憤っていた。モフモフの髪の毛と耳を逆立ている。

 そんなミィミを宥めながら、俺は仮面をしたまま慎重にその言葉を口にした。


「俺やミツムネと同じ、異世界から来た勇者だ」


「ゆう…………しゃ…………?」


「おそらく毒を扱うことに長けたクラス【薬師】の仕業だ。けれど、【薬師】に人工毒を作るスキルなんてものはない。元々毒の知識に精通しているか、あるいはギフトの力なのかはわからないが、そいつがミュシャに毒を打った可能性は高いな」


「じゃあ、その【薬師】ならミュシャさんを治せるのです?」


 ミュシャが毒に倒れてから終始涙目のアンジェが顔を上げた。


「ああ。そいつが解毒薬を持っている可能性は高い」


「よーし! その【くすし】を見つけて、ミュシャを助ける!」


「ミィミ、お前はまだ試合があるだろ。それに【薬師】がどこにいるのかわかっているのか?」


「う……。そうだった」


 ミィミはペタリと尻尾を垂らす。肩を落とした少女に、大きな影が被さった。

 漂ってきた体臭を嗅いだだけで、ミィミの顔色が変わる。


「よう。お前ら。相変わらず、仲良しこよしだな」


 ゼビルドだ。ミュシャに対し非道の限りを尽くしたにもかかわらず、悪びれることもなく医務室に入ってくる。苦しむミュシャの声をヒーリングミュージックにして、耳を傾けていた。ついにはミュシャに手を伸ばしかけたが、寸前のところでミィミが割って入る。

 眼光の鋭さは、まさに獲物を睨む赤い狼のようだ。


「ミュシャに触るな」


「怖い怖い。そんな目で睨むなよ。折角、オレ様自らビッグプレゼントを持ってきてやったのに」


 黄ばんだ歯を見せて笑うゼビルドを、俺は睨んだ。


「プレゼント?」


「解毒薬さ」


「お前が【薬師】か……?」


「たまたま、たまたまだ。そこで落ちていたのを拾っただけさ。とても貴重な薬だからな。だが、残念なことに隣の屋敷の者に預けちまった」


「ヘタな嘘だな。どうせ条件があるんだろ。その解毒薬をいただける条件が……」


「話が早くて助かるねぇ、ブラックさんよ。でも、負け犬のお前に興味はねぇ」


 すると、ゼビルドはミュシャに顔を寄せた。


「お前、オレ様のサンドバッグになれ?」


「さんどばっぐ?」


「公開処刑だよ。……そこのブラックもそうだが、お前たちは全員目立ちすぎなんだ。本当なら、この剣闘試合がメルエスでの華々しいオレ様のデビュー戦になる予定だったんだ。なのにお前らと来たら……」


「親父? もしかして、お前の親って。あのデブ伯爵? ミュシャに毒を盛ったのって」


「オレ様は何も知らねぇよ。やったとしても、親父が勝手にやったってだけだ。で? どうなんだ? はいか? いいえか?」


 随分と堂々とした脅しだ。人に毒を盛っておいて、反省するどころか取引を持ちかけてくるとは……。しかし、俺たちに証拠がないことも事実だった。ここでゼビルドを殴ったところで、解毒薬がすんなりと貰えるとも思えない。

 俺たちが取れる選択肢は、残念ながら限られていた。


「いいよ、それで」


「ミィミ……」


「さんどばっぐって何かわからないけど、それでミュシャは助かるなら、ミィミはいいよ」


「よーし、決まりだ。いいか。一歩でも動いてみろ。そのミュシャって女の命はないぞ。まあ、それまでに生きていればいいけどなあ」


 ガハハハハハハハハ、と豪快に笑いながら、ゼビルドが去って行く。

 その声は姿が消えても、廊下の奥から響いてきた。


「いいのか、ミィミ?」


「いいよ、あるじ。ミィミがさんどばっぐになったら、ミュシャが治るんでしょ?」


「サンドバッグってのは何もしないで立ってるって意味だ。わかるか?」


「よゆー、よゆー。あいつのパンチなんて全然痛くないもん」


 緋狼族の身体能力は俺もよく知ってる。身体も頑丈で、ミィミの言う通りゼビルドの打撃ぐらいなら耐え凌ぐことは容易だろう。でも、平気で毒を使ってくる連中だ。たとえ衆人環視の闘技場でも何をしてくるかわからない。


 重い空気が病室に漂う中、アンジェが話題を変えた。


「どうして伯爵様の息子さんが参加しているのですか?」


「大方は優勝賞金と愛蔵の本とやらを取られたくないんだろ」


「それともう一つありますわ。賭け金です」


 不意に別の声が、医務室に響いた。

 それまで頭を抱えていた医療スタッフたちが立ち上がって。訪問者を歓迎する。ただいるだけで満ちてくる華やかな雰囲気に、俺だけじゃなくミィミや、アンジェの頬も赤く染まった。


「ラーラ!」


「おや? ブラック様、わたくしたち初対面だったはずですが?」


「あ。しまった。す、すみません、ラーラ姫。つい興奮して」


「うふふふ……。ラーラでいいですよ、ブラック様、それにミィミ様と、えっと、そちらの方は?」


「あ、アンジェです。こんにちは、お姫様」


 アンジェは頬を赤くしながら、ペコリと頭を下げる。

 その横で俺は慌てて仮面を確認するが、ちゃんと装着されていた。

 どうやら変装していても、ラーラにはバレバレだったらしい。


「あるじの知り合い?」


「以前、お世話になった人だ。……ビックリしたよ、ラーラ。君が観覧席にいて。しかも、ルーラタリア王国のお姫様なんて」


「わたくしもびっくりしましたわ。あなたが仮面を付けて闘技場に現れた時にね」


 ラーラは微笑む。ただそれだけのことなのに、華がある。

 王族なりの気品というのだろうか。女性としてのたおやかさみたいなのが、現代も含めて今まで出会った女性の中でも段違いだ。

 無意識に見つめ合っていると、ミィミが間に割って入ってきた。


「あるじ、頬が赤い」


「い、いや! ミィミ、これはだな」


「じー……」


 ミィミはジト目で睨む。何故か後ろでアンジェも俺のことを睨んでいた。

 二人して、その視線はどういう意味なんだ。

 病室では何なので、俺はラーラとミィミを外に連れ出す。

 誰もいない選手控え室の中で、「賭け金」についての説明が始まった。


「こほん。ところで、ラーラ。賭け金って一体?」


「デーブレエス伯爵の得意技です。筋書きありの剣闘試合を開き、最後は息子に勝たせて優勝賞金も賭け金も胴元である自分の元へ、というパターンのようです。ただ今回は少しイレギュラー面もあったようですが」


「思いの外、参加者が集まり、皇帝陛下までやってきた。おかげで八百長が仕掛けられなかった?」


「その通りです。それでも随分と強硬な手段に出たようですね。先ほどのお話、こっそり聞かせていただきました。本当に条件を飲むのですか?」


「飲むつもりはないよ。時間稼ぎをする必要はあるけどね」


「なるほど。条件を飲む振りをして、屋敷にあるという解毒剤を奪うというわけですね」


「条件を呑んだとしても、解毒剤をもらえる保証はないからな。それにミュシャの体力が尽きれば、解毒剤は無意味になる」


「なるほど。ですが……」


「ああ。十中八九罠だ」


 ゼビルドは最初から解毒薬を渡すつもりなんてない。本人が持っているかどうかもあやしい。じゃないとわざわざ屋敷にあるみたいなことは言わないだろう。

 暗に屋敷に誘い出すということは、誰も見ていないところで俺の命を奪うつもりだ。


 おそらく脚本を書いたのはデーブレエス伯爵だろうが、命じたのは皇帝陛下に違いない。

 陛下はよっぽどおれブラックの振る舞いに、腹を据えかねているらしい。


「良かった」


「良かった? どういうことだ、ラーラ」


「用意した甲斐があった――――ということです」


 そう言って、ラーラが広げたのは、デーブレエス邸の見取り図だった。

 かなり精緻なものだ。家具の位置まで克明に書かれている。


「どうぞお使いになってください」


「他国の貴族の屋敷の見取り図なんてなんで持ってるんだ? ラーラ、君は一体何者なんだ?」


「ふふ……。通りすがりのお姫様ですわ」


 最後に、ラーラは「秘密」とばかりに唇に指を押し当て、微笑むのだった。

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