第8話

 ぶっつけ本番だったが、現代知識と魔法の融合はうまくいったな。


 転生する前、錬金術には莫大な予算を注ぎ込んで傾倒したが、残念ながら現代世界の科学技術に比べたら小学校の教科書に載っていることにすら追いついていなかった。


 だが、俺には今異世界の知識がある。


 医大志望だったから、理系に強い方だがな…………うっ! 急に過去のトラウマが。


 ま、まあ、ともかく今は魔力も体力もない状態だから、現代知識の融合は戦力の底上げには必要なようだ。


「さて、あとは――――」


 振り返る。


「動かないで!!」


 悲鳴じみた声で叫んだのは、エリノラと呼ばれたメイドだった。先ほどの暗殺者同様、持っていた短剣の先を俺の方に向けている。その瞳は鋭く、外敵から子熊を守ろうとする、母熊のようだった。


 助けてやったのに、と思わん訳でもないのだが、向こうの立場にしてみれば、俺とさっき倒した暗殺者もそんなに変わらないだろう。


 どっちも正体不明で、どっちもこの2人を殺せる力を持っている。

 女性の2人旅なら、これぐらい警戒して当然だ。


 人にも寄るだろうが、どんな相手だろうと気を許さないメイドさんの態度は、逆に好感が持てる。


 そんな俺の考えとは裏腹に、ナイフを握ったエリノラの手に白い手が置かれる。


「姫様?」


「エリノラ、もういいのですよ」


「しか…………し……」


 突然、エリノラは頽れる。よく見ると、脇腹の辺りに血が滲んでいた。手傷を負っていたにもかかわらず、ずっとお姫様を守っていたのか。なかなかの忠義心だな。


「エリノラ! しっかり!!」


「姫様……。私はダメです。どうか姫様だけでも逃げて下さい」


「そんな! 諦めてはダメです、エリノラ。あなたが死んだら――。わたくしは……。わたくしは……」


 ついにお姫様はポロポロと泣き始める。

 その涙を止めるように、エリノラは真っ赤に腫れた頬に手を伸ばす。


「大丈夫です。姫様なら、1人でも立派にやっていけます」


「エリノラ……」


 涙声で訴えるお姫様と対照的に、エリノラは笑顔を浮かべる。

 先ほどまで見せていた殺意は失せ、ただひたすら慈愛の表情を浮かべていた。


「エリノラ! エリノラ!! しっかりして! いや! わたくしを見るのです! エリノラ!!」


 さすがに見ていられないな。


 あまり派手な行動は控えたいのだが、こんなものを見せられては賢者と言われた人間の名折れだ。


「姫君、俺に任せてくれないか」


「え?」


 許可を待たず、俺はエリノラの脇腹に向けて手をかざす。


 【回復ケール


 初級の回復魔法なのだが……。


「魔法でも傷が塞がらない?」


 いや、これは俺が魔法をセーブしているからだ。といっても、かなり大怪我らしい。初級の回復魔法程度では、俺がどれだけ魔力を込めたところで、治らないだろう。


 かといって、意識を失う覚悟で上級魔法を放ったところで、今の状況では必要魔力に到達する前にぶっ倒れる。


 魔結晶を囓って無理矢理魔力を回復させても、状況は変わらない。

 体力そのものがないから、結局ぶっ倒れてしまうのだ。


「あ。魔結晶か……」


 俺は【回復ケール】を止めて、【収納箱イ・ベネス】を使う。魔結晶を囓りながら、【収納箱イ・ベネス】に昔収納したある薬を探した。


「たしか……。前に作ったのが、1個まだあったはず。あった……」


 取り出したのは、赤い液体が入った薬瓶だ。

 俺は薬瓶の蓋を切り、エリノラの口に入れた。


 とっても貴重な薬なのだが、仕方がない。自分で試してみたかったのだが……って、そう言えば1000年経ってるんだよな。いくら【収納箱イ・ベネス】の空間が時間に囚われないとはいえ、大丈夫だろうか。


 まあ、飲ませた後でこういうのもなんだが……。


「ぶはああああああああああ!!」


 突然エリノラが叫ぶ。

 炎でも吐き出さんばかりの勢いで、口と鼻、さらに耳から濛々と白い湯気を吐き出す。


 あ。やばい――かも……。


「ちょ! エリノラ!! 大丈夫ですか?? 旅のお方、あなた一体エリノラに何を飲ませたんですか?」


「す、すまない。1000いっせ……げふんげふん。数年前に適当に作ってできた『霊薬エリクサー』を飲ませたのだが」


「え? ええ?? 『霊薬エリクサー』とは、あの伝説の万能薬の!?」


 危ない。つい気が動転して、1000年と言ってしまうところだった。

 大丈夫だろうか。なんかさっきより怪しまれたような気がするのだが、気のせいだよな。


 しかし、俺の心配をよそに傷口が塞がっていく。

 真っ青だった顔にも血の気が戻り、ついにエリノラの瞼が開いた。


「ひめ……さま…………?」


「エリノラ!!」


 2人は一瞬見つめ合った後、ひしっと抱き合う。互いに涙を流しながら無事を労った。


「良かった! 本当に良かった!」


「ご心配をおかけしすみません、姫様。それにしても、一体私は……? それと口の中が、苦い薬をさらに10倍濃くしたような味で満たされているのですが、これは一体?」


「あの方が治してくれたんですよ」


「あなたが? 一体、どうやって? そもそもあなた、何者ですか?」


 エリノラは依然として警戒を解かない。それを諫めたのが、お姫様の方だった。


「エリノラ、ダメですよ。わたくしのために悪者を演じてくれているのでしょうけど、命の恩人を疑ってはダメです。謝罪を」


 お姫様に言われても納得はいっていない様子だったが、エリノラというメイドは立ち上がり、スカートを広げて頭を垂れた。


「主君の危ないところを助けていただき、さらにこの命まで救っていただきながら、失礼な態度を取り、申し訳ありません。この通りです」


 実に典雅な一礼だ。

 生活の中に礼儀作法が根っこから根付いているような動きだった。これは演技では難しいだろう。

 それほど堂に入っていた。


「いやいや。別にいいですよ。気にしてませんから」


 こっちとしては、とっくの昔に賞味期限が切れてるかもしれない薬を飲ましてしまったんだ。うまくいったから良かったものの、罪悪感がないといえばウソになる。不幸中の幸いは、使用人の方に飲ませたことだな。お姫様に飲ませていたら、エリノラに刺されていたかもしれない。


「それで話を戻しますが、あなた一体何者ですか?」


 エリノラの瞳は再び吊り上がる。

 謝っても、やっぱり怪しまれているらしい。

 この子は一体どうやったらデレるんだろうか。美少女ゲームの攻略対象だったら、かなり苦戦しそうだ。


 とはいえ、素直に話すわけにはこちらもいかない。たった今、皇帝を裸にしてきた賊ですなんて言えないしな。


「もう良いではないですか、エリノラ」


 俺があたふたしていると、お姫様の方から声をかけられた。

 エリノラを半目で睨みながら、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「それに身分を明かせないのは、こちらも一緒ですし」


「そ、それは、そうですが……」


「というわけで、あなたのことは詮索いたしません。だから、あなたもわたくしたちのことは詮索しないでいただけないでしょうか?」


「それは構わないが……」


 こっちは久しぶりの異世界だ。のんびりやろうと思っていたところに魔族まで現れた上、お尋ね者にまでなってしまった。

 後者は自業自得でも、これ以上トラブルを重ねたくはない。


 俺はお姫様とエリノラを森を抜けたところにある街道沿いまで見送る。ちょうど乗り合い馬車が通りかかり、お姫様たちはそれに乗って、近くの街から目的地に向かうらしい。


「お世話になりました、旅の方」


「本当にいいのか。街まで護衛しなくて」


「ええ。追っ手はあの者1人だったので、これ以上の襲撃はないかと」


「そうか。……その、えっと。お元気で」


「ええ。……ああ。そういえば、助けてもらった時の恩をお返しできていませんでした」


「俺のことを黙ってくれているだけで十分だよ」


「旅の方……。役得という言葉を聞いたことはございますか?」


「え?」


 一瞬、頭が真っ白になった。

 気付いた時には、俺の唇にとても柔らかいものが重なっていた。

 目の前には、瞼を閉じたお姫様の顔があって、ひどく甘い香りがした。


 ほんの刹那のことだった。

 それでも思わず頽れそうになるのを堪える。

 横で見ていたエリノラが、「はわわわ」と顔を真っ赤にしていた。


 一方、俺よりも明らかに年下のお姫様は柔らかく微笑む。


「また会いましょう」



 異世界の勇者様……。



 御者が馬に鞭をくれると、おんぼろな幌馬車がゆっくりと動き出す。

 最後の意味深な言葉は勿論聞こえていたが、その前のお姫様の大胆不敵な行動の余波を引きずり、ただ馬車が遠ざかっていくのを見送るしかなかった。


「参ったな……。どうしようか」


 この身体になって、初めてキスされた……。

 やばい。心臓がとんでもない勢いで鳴っている。

 弱ったな。どうやら、俺はたった今一目惚れというヤツを経験したらしい。


 しばし俺は馬車の轍が残る街道で呆然とする。

 結局お姫様の名前を聞かなかったことを思い出したのは、馬車が去ったしばらくのことだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る