第9話
「ロレンツォ、これを飲め」
俺がロレンツォに差し出したのは、最後の回復薬だった。
今思えば、護宝石こそ偽物だったが、もらった回復薬すべて本物だったことは、不幸中の幸いだ。
おそらくだが、こっちは偽物を渡したところで、すぐにバレると踏んだか、回復薬ぐらい渡したところで俺たちに勝てるという余裕か。今、考えても仕方ないことだろう。
「いいんですか、クロノさん?」
「相手は魔法が効かない。死体漁りを倒すためには、ロレンツォの火力がいる。勝算はそこしかない。いけるか?」
「も、もちろんです」
「殴れるのか? あの顔……。本物のマイナさんなんだろ?」
死体漁りの中には『皮剥』という技術を持つ人間がいる。
死んだ人間の皮を綺麗に剥いで、その中に入り、別人になりすますというやり方だ。
千年前にもあった技術だが、未だ継承されて、実際使われているのを目にするとはな。
おかげで、まんまと騙されたというわけだ。
「大丈夫です」
ロレンツォは表情を引き締め、緑色の瞳を俺に向けて頷いた。
回復薬を飲んだロレンツォは立ち上がる。全快とまではいかないが、さっきの攻撃をもう一度受けるぐらいには回復できたはずだ。
「いいか。ロレンツォ……。作戦はこうだ」
俺は簡単に作戦を伝える。
「え? いいんですか、クロノさん?」
「ロレンツォの火力が頼りだと言ったろ? マイナの仇を取る。それができるのは、あんただけだ」
最後に俺は鼓舞するようにロレンツォの胸を叩いた。
緑色の目がようやく据わる。どうやら覚悟を決めたらしい。
俺たちは同時に振り向き、余裕顔の死体漁りを睨む。
「あはん……。こ~わ~い。ロレンツォちゃん、本当にあたしの顔を殴る気? マイナのことぉ、好きだったんじゃないの?」
「そうです。わたしはマイナのことを愛していました。だからあなたを倒す、全力で。それがマイナの弔いになるからデス!」
ロレンツォは構えを取る。
左足を前に、足幅は肩より少し開く程度。つま先は相手と水平になるように下ろし、やや腰を落とす。拳の位置は肩より下、胸の前に置き、脇を締める。最後に顎を下げ、敵を睨め付けた。
どこかで見たことがあると思ったが、『ロジウラ・ファイター』の龍虎の構えとそっくりだ。
これがロレンツォの最強の形なのだろう。
「よし。やるぞ、ロレンツォ」
「はい、クロノさん」
勢いよく飛び出したのは、俺だった。
ロレンツォはその場に留まり、スキル〈ためる〉を使う。
一定時間構えたまま状態をキープすると、攻撃力が二倍になる。
さらに三回まで重ねがけが可能。最終的には攻撃力が十六倍にもなる超火力スキルだ。
スキルツリーレベル40の死体漁りに攻撃を通すには、この一発逆転にかけるしかない。
「なるほど。一発逆転というわけね。だけど、あたしがそれを簡単に見逃すと思う。お逝きなさい、あたしの可愛い魂ちゃんたち」
〈死霊の鎖〉!
死体漁りが声をかけると、ソウルマジックが再び集まってくる。
しかも飛び回って攪乱するのではなく、ロレンツォに向かって殺到した。
ソウルマジックに魔力でできた鎖を繋ぎ、武器として使ったのだ。
スキルに集中していても、ソウルマジックが自分に集まってくるのは嫌でも視界に移る。
ロレンツォの顔が引きつる瞬間、俺は魔法を放った。
〈魔法の刃〉!
無数の刃が、ソウルマジックを撃退していく。
「俺を忘れてないか、死体漁り」
「チッ!!」
「ロレンツォ、お前は俺が守る。作戦通りに頼むぞ」
「が、合点承知!」
「鬱陶しいわね、勇者様。あんたから捻り潰してあげる!」
再び襲いかかってきたソウルマジックを〈魔法の刃〉の『全体化』を使って迎撃する。しかし、ソウルマジックは次から次へと沸き上がり、襲いかかってくる。しばらく互角の攻防が続いた。
これでいい。とにかく今は時間を稼げ。〈ためる〉の最大値攻撃なら、いくらスキルツリーのレベル40でも、攻撃は通るはずだ。
「みえみえの時間稼ぎご苦労様……」
死体漁りは微笑む。
何か仕掛けてくると思った瞬間、俺は膝を突いていた。視界が揺らぎ、意識が飛びそうになる。
頭によぎったのは、死体漁りのスキルによる攻撃だが、これは違う。
魔力が尽きかけているのだ。[魔法効果]のレベルを上げたことによって、魔力量の最大値は上がった。だが、決して回復したわけじゃない。
「あたしの魔力量と、ハズレ勇者様の魔力量……。どっちの魔力量が上かといわれれば、当然あたしよね。こうやって打ち合えば、先に魔力が尽きるのはそっちが先になることぐらい、子どもでもわかることよ」
『全体化』によって魔力の消費量は抑えられているものの、死体漁りの言う通り魔力量では向こうが上。スキルの打ち合いとなれば、こっちが負けるのが道理だ。
力を見せつけてくる。本来であれば一瞬で倒せるはずだ、俺たちを。
遊ばれてるな、俺たち。逆に言えば、それが勝機に繋がる。
すると、ロレンツォから合図が来る。
「クロノさん!」
「待ちかねたぜ、ロレンツォ」
俺は再び立ち上がり、手をかざす。
頭がガンガンと唸り、今にも意識が飛びそうだったが、それでも魔力を搾り出す。
〈魔法の刃〉!
青白い刃が一直線に向かって行く。
「あたしに魔法が効かないのは知っているでしょ?」
「ああ。知ってるさ。だから、あんたは狙ってない」
「なにっ??」
俺が狙ったのは、死体漁りの足元。つまりは地面だ。
ドンッ!
爆発音が轟き、爆煙が森全体に広がっていく。
その中で、死体漁りは口の中に入ってきた土や小石を吐き出していた。
「ぺっ! ぺっ! ……なに? 嫌がらせ? それとも煙幕のつもりかしら?」
マイナの皮を被った顔が醜く歪む。
死角に浮かび上がった影に反応すると、死体漁りはタイミングをよく蹴りを放つ。
その足の先が、綺麗に俺の鳩尾にはまった。
「げほっ!」
「馬鹿ね! そんなみえみえの手、あたしが見逃すと――――」
「ああ。見逃すと思っていたよ!」
「あなた、クロノ!!」
そう。最初に煙幕から出てきたのは俺だ。
そして本命は真っ正面からやってくる。
「うおおおおおおおおおお!」
巻き上がった土煙からロレンツォが躍り出る。
すでに大きく身体を反り、目一杯拳を搾っていた。
必殺の間合い。いくら死体漁りが強くとも、その間合いで回避は不可能だ。
「行け! ロレンツォ!!」
俺は叫ぶ。
ロレンツォの拳はカタパルトのように射出される。
俺たちが攻撃に転じる刹那、死体漁りが見せたのは笑みだった。
「ロレンツォ……」
「――――ッ!?」
ロレンツォの拳が空を切る。
その時のロレンツォの心中を推し量ることは容易だった。
どんなに意志を固めたところで、仲間を……愛してしまった人間の顔を簡単に殴れるものではない。まして、女神のように微笑まれては……。
その笑みが崩れる。現れたのは、悪魔の顔だった。
「馬鹿ね……。本当に殴らないなんて!」
死体漁りがパチリと指を鳴らす。
〈死霊の鎖〉が発動すると、ソウルマジックの群れがロレンツォに殺到した。
ソウルマジックの集中砲火に為す術もなく、怒れる【モンク】は地面に沈んだ。
同時に強い頭痛が俺に襲いかかってくる。やばい。完全に限界だ。
「これで詰みね、クロノ。【モンク】が戦線離脱した今、あなたは倒せない。あなたのクラスは未だにわからないけれど、魔力が尽きてしまえばどうしようもないでしょ?」
「…………」
「だけど、ここまでしぶといとは思わなかったわ。もっと簡単に仕留められると思ったのだけど」
死体漁りは独特の形状のナイフを取り出す。マチェーテに似ているが、思ったよりも小さい。
猪用の皮剥ナイフよりは少し大きいぐらいの刀身をしている。
おそらく、そのナイフによって数々の冒険者の死体を漁ってきたのだろう。
ゆっくりと死体漁りはナイフを振り上げる。その所作はどこか儀式めいていた。
「さて、クライマックスよ、クロノ。どんな声で鳴いてくれるのかしら、お前は」
「ああ。そうだな……」
ここからがクライマックスだ。
俺は懐に手を伸ばす。
取り出したのは回復薬の瓶。それを死体漁りに向かって投げる。
安物の回復薬は、その瓶も安物だ。ちょっとした衝撃で割れてしまう。
事実、死体漁りにぶつかると、瓶は簡単に砕け散った。だが飛び散ったのは回復薬ではない。
「なんだい! これ! くさ臭い!!」
ドロッとした液体に、死体漁りの顔が歪んだ。
汚臭は俺の方まで漂ってくる。そのまま俺は倒れていたロレンツォの腕を取った。
そのまま引きずり、死体漁りから距離を取る。
「な! ここで撤退? あたしが逃がすと思ってるのかしら!」
死霊たちよ! と勇ましく吠えると、死体漁りはソウルマジックを呼び出す。
森の中から炎を燃やしたソウルマジックの群れが現れた。
それを見て、俺は口の端を吊り上げる。
「いいのか? 火気厳禁だぞ」
「はっ?」
直後、それは起こった。
死体漁りの衣服が突然燃え始めたのだ。
火はあっという間に死体漁りを包む。燃え上がるのに、五秒とかからなかった。
「ギャアアアアアアアアアア! 火ぃ! ひぃいいいいいいいいいいい!!」
さしもの【ソウルマスター】も一旦着火した火には対処できないらしい。
地面の上でもんどり打つのだが、火の勢いは止まらない。それどころか地面に引火し、たちまち周囲は火の海と化した。その中心で、死体漁りが泣き叫ぶ。炎に包まれながらも、そのしぶとい生気だけは輝いていた。俺の方を見ると、まるで呪いでもかけるように睨んでいる。
「お前ぇぇぇぇえええええ! 何をしたぁぁぁぁあああああ!? あたしに何をかけた!?」
「油だよ」
「油?? これが?」
「油っていっても、動物や植物だけから取れるものだけじゃない。地中に埋まった生物の死骸が途方もない時間をかけて化学変化を起こし、油になることもあるんだ。といっても、魔法文化全盛のあんたたちには、油が地中に埋まってるなんて発想もないだろうがな」
ジオラントの人間は極端に大気が汚れることを嫌う。何故なら、大気を汚すことは自分たちにスキルを与えてくれている精霊や神の怒りを買うと考えているからだ。
結果的にクリーンな魔法文化が発達していった。大量の黒煙を吐く油なんて論外なのだ。
「死体漁り……。俺は薄々あんたに狙われていることはわかっていた」
「な、なんですって……」
「ソウルマジックの動きは魔物の動きじゃない。誰かが組織的に動かしていることは明白だった。クラスは【ソウルマスター】。おそらくソウルマジックを動かしている手並みからみて、相当な高レベルであることも予測していた」
「だ、だったら、何故…………?」
「逃げることも考えたさ。さすがに分が悪いからな。でも、ダンジョンでとっておきの飛び道具を手に入れてしまった。それがその油さ。あんたと俺の力の差は明白。だが、あんたはその油の怖さを知らない。その油が、あんたとのレベル差を埋めるピースになると考えたんだよ」
「ご託はいい! 早く! 早く消せ! 消せぇぇえええ!!」
死体漁りはよく燃えた。燃焼物である人間の皮を丸々被っていたのだ。
それは先に逝ったマイナの意趣返しにすら見える。
すでにそのマイナの顔も半分焼け落ち、中の顔が半分見えかかっていた。
「ああ。今すぐ消してやるさ。ただし、俺じゃないけどな」
俺の側で、一人の男が起き上がる。
復讐と怒りの表情を浮かべ、紅蓮の中で瞳を光らせる。吐いた息は白く濁っていた。
大きな背丈と、広い肩幅。炎で伸びた影は、巨人のような威圧感がある。
事実、それまで余裕の笑みを見せていた死体漁りの表情が絶望に彩られた。
「ロレンツォ! や、やめろ! この身体はお前の……」
「もうマイナはいまセン!」
「ち、ちが……」
「モシ彼女が今この世にいるというナラ、ソレは神への冒涜デス。いえ。マイナへの冒涜デス!」
ロレンツォの顔はまさに鬼の形相だった。
それでも必死に冷静になろうとしている。言葉が似非外国人のようになっているのはそのためだ。
確実に死体漁りを仕留めるため、自分の所作を一つ一つ確認しながらスキルの発動を進めていた。
死体漁りにはそれが、逆に脅しに見えただろう。
炎に包まれ、目は真っ赤になっていたが、それでも涙はすぐに乾いて流れなかった。
やがてロレンツォは構えを取る。その表情と姿は怒れる龍虎そのものだった。
〈ためる〉!
「ひっ!」
〈ためる〉!
「や、やめ…………」
〈ためる〉!!
三発分の弾丸が装填される。
あとは、これを一発にして放つだけだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「やめろおおおおおおおおおおおおおおお!!」
〈正拳突き〉!!
クラス[モンク]の代名詞にして、最大火力スキルが死体漁りの顔面を捉える。
拳の捻りがそのまま伝わり、死体漁りは錐揉み上に吹き飛ばされた。
火の海の外へと放り出され、さらに風圧と衝撃で火が消し飛ぶ。
太い木の幹に叩きつけられると、死体漁りはピクリとも動かなくなる。
「ふう……」
ロレンツォは再び大きく息を吐き、叩いた感触を確かめるように握り込んだ拳を見つめた。
そして何も言わず、高々と拳を掲げた。
先に逝ったマイナを弔うように、一人のファイターは勝利を捧げるのだった。
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