第20話

 ◆◇◆◇◆  暗躍  ◆◇◆◇◆


 大きな男だった。

 背丈は百八十センチ、いや百九十はあるだろうか。

 発達した肩幅に、分厚い鎧のような胸筋。どっしりとした足は巨木の根が床に向かって張り付いているようなイメージを想起させる。整った身体とは反対に、髪と髭はややボサッとした印象を持たせるのだが、結んだ口がその緩んだ印象を強く引き締めていた。


 彼の名前はロードル・ダ・ブックエムド。

 元ティフディリア帝国騎士団団長にして、今は引退して、軍の管理官として働いている。


 軍の管理官というと、少し聞き慣れない役職だが、言ってみれば軍の不正を調べるのが主な仕事だ。

 ティフディリア帝国のみならず、ジオラントでは人同士の大規模な戦争は行われていない。もっぱら魔獣相手であり、それも今や冒険者の生業になりつつある。明確な敵がいない状況は、残念なことに国や官吏たちに緩みが生まれる。それは軍部も同じであった。

 ロードルは軍に入ってから、そうした緩みを憎んできた。

 騎士団長を退いた後も、不正を取り締まる部署を自ら皇帝に進言し、その任についている。


 そのロードルの前にいたのは、剣闘試合を提案したレプレー・ル・デーブレエスだ。

 レプレーの顔は真っ青になっていた。

 目の前に座るロードルのガッシリとした元軍人らしい体格と、鳶色の瞳の眼光。そして管理官という不正を取り締まる側の人間の迫力に、人民の前では朗々と演説を打っていた領主もすっかり縮こまっていた。


 落ち着こうと、自ら差し出した紅茶を飲もうとしたが、震えてうまく飲めない。取り落としそうになったカップを支えたのは、そのロードルであった。


「そ、それでブックエムド男爵。我が輩に何の用かな?」


「デーブレエス閣下が主催する剣闘試合について、皇帝陛下がとても興味をもたれましてな。観覧されたいということで、急遽メルエスに足を運ぶこととなりました」


「へ、陛下がぁぁぁああああ!」


 皇帝陛下の四文字を聞いて、レプレーの声が裏返る。

 剣闘試合はレプレーの趣味と実益のために始めるつもりだった。

 ところが本人の予想していた十倍以上の参加申込みがあり、今やメルエスだけではなく、ティフディリア帝国を超えて、隣のルーラタリア王国からも参加者が現れるという盛り上がりをみせている。


 注目度の理由は、金貨三百枚という破格の優勝賞金もさることながら、レプレーの愛蔵の書を一つ持っていく副賞にも注目が集まったからである。

 日増しに参加者が増えていくのを見て、その注目度に驚かされていたが、まさか皇帝陛下までが剣闘試合に注視しているとは思わなかった。


「陛下がメルエスに来る!」


「左様。私は特別に剣闘試合の保安管理担当の責任者として、大会当日は審判の役目を担うように仰せつかりました。青天の霹靂かと思いますが、剣闘試合まであまり時間がない。ご協力いただけないかと、こうして頭を下げに来たというわけです」


 ロードルは膝に手を突き、深々と頭を下げた。

 陛下が来ることだけでも驚きなのに、さらに管理官まで自分に頭を下げるという状況に、頭の回転の鈍い肥満伯爵は慌てふためく。


「ロードル殿。顔を上げるのであーる。我々の仲なのであーる」


「ご協力いただけますか?」


「陛下がご観覧あそばすだけでも身の余る光栄であーるのに、この上――元ティフディリア帝国騎士団団長のロードル殿に試合を裁いてもらうなど。これ以上の誉れはございますまい」


「恐縮です、伯爵閣下」


「ところで、もちろん主催の我が輩は、拝謁の栄誉を賜ることができるのであーるか?」


「勿論。陛下もロードル殿の功績を讃えることでしょう」


「おお!」


 ついにはレプレーは立ち上がり、玩具をもらった子どものように飛び跳ねる。しかし、ロードルの話はここで終わりではなかった。再び鳶色の瞳を閃かせると、レプレーに座るように促す。


「そこでデーブレエス殿に、陛下からもう一つ頼みごとがあるのです」


「なんでも言ってほしいのであーる」


 レプレーはにこやかに応じた。



 ◆◇◆◇◆



「勇者が来るってどういうことだよ、親父!」


 ロードルがいなくなった執務室で、男が諸肌になって喚いている。


 名前はゼビルド・ル・デーブレエス。デーブレエス伯爵家の長男。つまりレプレーの息子だ。

 鏡餅体型の父親と違って、息子の身体は筋肉の鎧で覆われていた。非常に健全と言わざるを得ない肉体だが、その口調からは父親とは違って、傲慢さが垣間見える。頭に鶏冠をつけたような髪型も、どこか貴族らしくなく、優雅さからはほど遠いものだった。


「ゼビルド、落ち着くのであーる。すぐそうやって頭に血が上るのは悪いくせであーる」


「皇帝陛下が寵愛している勇者のデビュー戦として、この剣闘試合の舞台を利用したいって、それってつまり八百長しろってことか?」


「ロードルの言い方はそういう感じではなかった。あの男は不正を憎む男であーる。騎士団団長という役目から退いたのも、軍の不正を告発したかったからという噂もあーるぐらいであーる」


「こっちの八百長はどうするんだよ? 参加者も増えて、国まで介入してきた。オレ様が無双して優勝賞金はオレ様がもらう。親父は大事な蔵書を奪われずに済み、さらに莫大な賭け金が懐に流れ込む――そういう手はずだったんじゃないのか?」


「それは……、先生に聞いてみなければわからないのであーる。如何ですかな、カブラザカ先生」


 執務室にはもう一人の男がいた。

 柔らかい革張りのソファに深く腰掛け、蒸留酒が入ったグラスを傾けている。

 先生、と呼ばれると、男はややとぼけた顔を話し合うデーブレエス親子に向けた。


 黒髪の癖ッ毛に、丸く愛嬌のある黒い瞳。色白で、体型はひょろっとしていて、用心棒という風情でもない。しかし、デーブレエス親子は、ともに先生と呼んだ男に対して、最大限の敬意を払っているように見えた。


「大丈夫。我々が考えている八百長はバレやしませんって」


「しかし、皇帝陛下の御前で……。勇者もいるんですよ」


「何言ってるんですか、レプレー殿。わたくしのギフト『くすり』ならば、無味無臭の毒でもなんでも創薬することができます。任せてください。この勇者カブラザカ・マコトに」


 最高の筋書きを、ご子息にご用意いたしますよ。

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