第21話
1000年前――――。
気が付けば、雨が降っていた。
魔法で強化された木剣にびっしりと水滴が付き、柄の方へと下って、持ち手の中へと吸い込まれていく。
すでにその時、俺の全身は濡れ鼠になっていたが、煩わしいとは思わなかった。
瞬きもせずに、目の前の女性剣士の一挙手一投足を注目している。
真っ白な肌に、真っ直ぐに向けられた紺碧の瞳。
上下する肩は細く、しかし雨に濡れた手は力強く愛剣を握っている。
青い法服は俺と同じくずぶ濡れで薄らと中の肢体がシルエットのように浮かんで露わになっていたが、鈍色の空の下でも腰まで伸びた金髪は輝きを失っていない。
雨音が激しくなる中、俺も女剣士も剣を構えたまま息を整える。
お互い死力を尽くした。おそらく次の一刀が最後になる。そんな予感がした。
一際大きな雨粒が、俺の睫毛を叩いた。
ほんの刹那であったが、右の視界が奪われる。
(しま――――)
心の中で毒づいた時には、遅かった。
女剣士の姿が消える。
どこだ、と捜した時には、彼女の姿は俺の目の前にあった。
渾身の力を込めて上段を振り下ろす。
出遅れたものの、俺もまた力を込めて剣を振った。
ゴオオオオオオッッッッッ!!
雷鳴が轟く。
1本の木剣が空中で円を描き、ぬかるんだ地面に刺さった。
雨音よりも、俺と女剣士の激しい息づかいだけがはっきりと聞こえた。
先に膝をついたのは、女剣士だった。
手から木剣が消えている。
突如、握り込んだ拳をぬかるんだ地面に叩きつけた。
「これで250勝34引き分け249敗だな。俺が1勝先行したな」」
にやりと笑いながら、俺は女剣士に手を差し出す。
すると、憤然としながら俺の方を向いて、特徴的なエルフ耳をピクピクと動かした。
「嘘よ。私の250勝34引き分け249敗でしょ!?」
「堂々と嘘を吐くなよ。今は俺の勝ちだろ」
抗議すると、女剣士は刺さっていた木剣を引き抜く。
再び俺の方を向いて、喚いた。
「私は木剣を手放しただけ。勝負はついてなかったわ。むしろ勝負を投げたのは、あなたの方じゃない。勝手に終わらせないで」
「手放しただけって……。負けず嫌いにも程があるだろ」
「黙りなさい。もう1度……。仕切り直しよ」
「いや、でもさ。こんな雨の中――――」
と言いかけると、先ほどまで叩きつけるように降っていた雨が止む。
ついにはどんよりとした雲間から、日が差し込み、大地に降り注いだ。
「おいおい。止むのかよ」
「神様からのリクエストね。光栄に思いなさい」
女剣士は俺の方に飛び出していった。
――とまあ、こんな感じのじゃじゃ馬が、後に剣神と呼ばれることになるアドゥラ・バニエンというエルフの剣士だった。
最終的に共闘こそしたが、仲間というよりはライバルという性質が強く、何かと俺に勝負を仕掛けてくる面倒くさいヤツだった。
俺が疲れて武器のメンテを疎かにすると、枕元で剣を研いでいたり、チョコレートだと言って毒を食わしてきたり、かと思えば俺の誕生日にはいの一番に家にやって来て、新品の剣をプレゼントしてくる。
今思うと、本当によくわからないヤツだったなあ……。
一方、1000年前の俺の活躍は歴史上ちっとも描かれていないのに対して、アドゥラにはいくつか逸話を残っていて、今でも「剣の神」として崇められている。
俺はいつか戻ってくるつもりだったので、自分の痕跡を残さず転生したが、アドゥラはそうでなかったのだろう。
しかし、アドゥラのような才能は2度と生まれてこないとも思っていたが、まさか再び自分の目で目撃することになるとは……。
「誰?」
エルフの剣士の鋭い視線がこちらを向く。
気配は完全に消していたのに……。
まあ、それは俺だけなのだがな。
そう。俺はうまく消していたのだが、隣の相棒は違った。
今にも飛び出したくてウズウズしている。
顔を見ると、うっすらと笑っていた。
往年の熱血バトル漫画の主人公みたいだ。
やれやれ……。
俺とミィミは大人しく茂みから出てくる。
「人族と獣人?」
眉を顰める。さも奇妙な取り合わせと言わんばかりだ。
「あんた、なかなか強いじゃない。エルフってなよなよしてるヤツばっかりだと思ってたけど」
いきなりミィミが挑発する。
「おいおい。ミィミ、やめろ」
「試してみる」
相手もやる気だ。
「待て待て。2人とも落ち着け」
制したが、ミィミもエルフの剣士もやる気満々だ。特にエルフの剣士からは殺意が滲んでいる。
本来魔法で守られているはずのエルフの姿を見られたのだ。彼女だけではなく、エルフ種族全体の問題になりかねない。
彼女の気持ちはわかるのだが、さすがに殺すのは短絡的過ぎる。
まあ、強いヤツを見て興奮してるミィミは短絡を超えて、もはや馬鹿なのだが……。
「行くわよ」
「殺す」
2人は構える。
戦いの火蓋は易々と切られた。
枯れ葉を舞い散らせ、両雄は森の真ん中で打ち合う。
――――かに見えた。
「あれ?」
「不可解?」
気が付けば、2人は地面に倒れていた。
その間に、それぞれの手首を掴んだままの俺が立っている。
「ちょっと! クロノ! 邪魔しないで――――何これ? いい匂い」
烈火のと如く怒り始めたミィミが鼻を利かせる。
さすが獣人。すぐに利いてきたらしい。
「檸檬やオレンジなんかの柑橘系の果物から抽出した香水だ。その中に含まれているリモネンは、強い鎮静作用があるんだよ」
「なるほど。……だから、お腹が空いてきたのね」
ミィミはお腹に手を置く。
そう言えば、ご飯の話をしていたところだったな。
「今のは一体?」
エルフの剣士は目を丸くしながら、尋ねる。
おっと、こちらも忘れるところだった。
「俺の故郷の術理だ。すまんな。怪我はないか?」
俺はエルフの剣士を引っ張り起こす。
こちらもリモネンの香りが当たったらしい。
戦闘で昂ぶっていた気配が、緩んでいた。
どうやら話を聞いてくれそうだ。
「突然、悪かったな。俺はクロノ。あっちはミィミ。どっちもただのクロノで、ただのミィミだ。あんたは?」
「……エルフが人族に名前を言うと思うの?」
うん。そこまでうまくはいかないか。
「クロノ~。お腹空いた~」
ミィミが半泣きになりながら、訴える。
しまった。
柑橘系果物を使った鎮静作用のある香水は、ミィミの昂ぶった感情を抑えることには成功したが、逆に飢餓感を煽ってしまったらしい。
エルフの剣士には睨まれるし。
ミィミは「お腹空いた」とぐずられるし。
手のかかる赤ん坊をもらったような気分だ。
「あなたたち、何者? エルフ狩りとは違うようだけど」
エルフの剣士の剣が光る。
再び一触即発の空気になりかけた時だった。
「アリエラ? 何をやっているの?」
突如、茂みから現れたのは、メイシーさんだった。
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