第22話

「しまった。やらかしたな、俺」


 俺が闘技場に出てくると、歓声ではなく戸惑いの声が広がった。

 今、俺の前にはミツムネがいて、観覧席には皇帝がいる。

 ミツムネが俺の死を知っているかどうかは知らないが、少なくとも皇帝の耳には入っているはずだ。


 生存していることを二人に知られるわけにもいかず、苦肉の策として顔を隠すことにした。

 だから今、仮面をつけているわけだが、どうやら逆に目立ってしまったらしい。

 しかし、仮面をつけてはいけないというルールはない。剣闘試合の初戦が始まった。


『それでは栄えある剣闘試合初戦を始めます』


 どこからか実況するような声が聞こえる。魔法かスキルかで声を拡声しているのだろう。

 すると、ボクシングのように対戦者の名乗りが始まる。


『西の方角より、期待の新人――勇者ミツムネ・サナダァァァアアアア!』


 怒号が響くと、その何倍もの歓声が返ってくる。

 完全に試合場は勇者一色になっていた。対するミツムネは手を掲げて観客に答えている。

 元プロファイターだけある。歓声にビビることなく、むしろ自分の力に変えていた。


『対するは東の方角……。謎の仮面の戦士――ブラック・フィールドォォォォオオオオ!』


 騒然とした試合会場が水を打ったように静かになる。やがて聞こえてきたのは、笑い声だった。俺を馬鹿にするような言葉を聞こえてくる。何? ダサい? 嘘だろ? こっちは大まじめに考えたんだぞ、参加者名。自分の名前を英語読みにしただけだが……。むしろカッコいいだろ。

 ふむ……。どうやら異世界人には現代人のセンスがわからないらしい。


「ブラック・フィールド? なかなか生かす名前じゃねぇか」


 まさかミツムネに響くとは思わなかった。そう言えば、こいつも現代人だったな。

 名乗りが終わり、審判に呼ばれる。なかなか上背のある審判だ。ミツムネの背丈も相当だが、審判はその上を行く。しかも六十代ぐらいの爺さんだ。ミュシャ曰く、ティフディリア帝国騎士団の元団長らしい。なるほど。確かにいい体格をしている。


「改めてルール説明を行う。試合は相手が参った、また審判の私が続行不可能と判断するまで続きます。武器、武器スキル、身体強化系スキルを使うことは可能とし、それ以外の遠・中距離の魔法、弱体化、回復などの魔法及びスキルは禁止とします。よろしいですかな?」


 俺はミツムネを警戒しながら、頷く。

 向こうも顎を上げて、見下していたが、やがて仮面の隙間から見える俺の目に気づいた。


「お前、どっかで……」


「それでは離れて!」


 ミツムネの疑問は審判の声にはね除けられる。

 観客のボルテージは最高潮に達していた。わざわざ皇帝陛下が遠い所まで足を運び、その実力を確認しに来た勇者の強さが暴かれるのだ。心の高揚が抑えきれず、ただ吠えるだけの客もいた。

 その皇帝が立ち上がる。


「はじめぃ!」


 大歓声の中、俺たちは動き出す。先手を取ったのはミツムネだ。


「行くぜぇぇぇぇえええええええええええ!!」


 歓声に負けない声を上げると、両手剣を強く握る。

 次に地面を強く蹴った。速い。残像のおかげで、身体が餅のように伸びて見える。

 十歩ほと離れて距離を取っていたが、一瞬にして間合いを詰めてきた。

 思いっきり両手剣を振り回すと、豪快に払う。


 冷静にリーチを読み切って躱すが、ミツムネはそこからさらに踏み込んできた。

 薙ぎ払った重たい両手剣を、無理矢理戻すと二撃目を払う。

 俺も自分の得物を抜き、剣の筋を変えて崩すが、ミツムネはぶれない。体幹が強い。引退しても元格闘家だけはある。ミツムネは三撃目、四撃目と両手剣を振り回し、俺を闘技場の端に追い詰めた。


「ギャハハハハハ! 楽しい! 楽しいね!!」


「楽しい?」


「こういうのを待ってたんだ。ここはよ。人間をぶっ壊して誰も文句はいわねぇ世界だ。最高じゃねぇか。見ろよ!」


 武器を振り回したかと思えば、今度は手を広げて指し示す。

 そのミツムネのバッグには多くの人間が、怒号のような歓声を上げ興奮していた。

 勇者! 勇者! と声が会場を包む一方、「俺を殺せ」という物騒な言葉も聞こえてくる。


「こういうのだよ。みんながオレを応援しやがる。お前をぶっ壊せって叫んでる」


「昔を思い出すってか?」


「昔? あ……? てめぇ、本当に何者だ?」


「他意はない。それよりも俺はまだお前に壊されていないぞ」


「ははっ! 面白ぇ!!」


 ミツムネは再び両手剣を振り回すが、難なく躱し、端から脱出する。

 ……思った通りだ。格闘技には精通していても、武器の扱いには慣れていない。

 斬撃の型は一辺倒だし、両手剣は破壊力こそ抜群だが、その分重い。リーチこそ長いが、その分懐に隙ができやすく、逃げるのも容易かった。


「つまり懐に入られると、何もできないということだ」


「誰が何もできないって……」


 俺が懐に入った瞬間、ゆらりとミツムネが急に速くなった気がした。

 いや、今のはステップワークだ。入ってきた俺に合わせて、側面へと身を躱した。

 プロでなくても、その戦績はストリートを加えれば、かなりの数になる。場数を超えて獲得した最適解というわけだろう。


 ミツムネは両手剣を最上段に構えて、笑う。


「さあ……。断罪の時間だ」


 ギィンッ!!


 両耳を貫通するような激しい音に、歓声は一瞬静かになる。

 ミツムネが狙ったのは、対戦相手の後ろ首だ。そのまま落とせば、胴から首が離れていたかもしれない。だが、決してそのようなことにはならなかった。

 振り下ろされた両手剣が、いともあっさり持ち主ごと弾かれたのである。


「な、なんだ?」


 少し両手剣に振り回されながら、ミツムネは慌てて構え直す。

 俺は払った残心を解き、ミツムネに向き直る。


「オレの渾身の一撃を払った? 両手剣を……。てめぇのその細い剣…………つーか、お前の持ってる剣ってもしかして、刀か!?」


「今さら気づいたのか?」


 俺は軽く刀を振る。

 この剣闘試合のために、アンジェに特注で作ってもらった刀だ。

 アンジェは初めて作ったというが、再現性はかなり高い。短納期で、しかも俺が持ってる知識からよくここまで作り込んでくれたと思う。


 両手剣よりも遥かに軽く、遥かに薄く。なのに打ち合っても決して負けない粘りを持つ。


「だったら何度も打ち込んでやるよ。その細い刀ごと、お前の身体をぶった切ってやる!!」


 ミツムネは猛る。そして両手剣を握り直すと、宣言通り打ち込んできた。

 俺は真っ向からそれを受け、捌く。

 しかし、アンジェが作った刀は、ヒビはおろか、刃こぼれ一つしない。


 日本刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」という一方で、それを反論する風潮がある。

 実際、戦国時代において刀による怪我は全体の四パーセント程度。日本刀がいかに武器として使われこなかったが、数字が如実に表している。『武士の象徴』として捉えたり、すぐに刃こぼれするような武器は、武器として欠陥品と断じる人間もいる。


 それが間違いとは言わないが、俺はもう一つの可能性を示唆する。

 日本刀は武器だ。とても高性能な……。

 だからこそ使い手を選ぶ。達人――それ以上に神懸かった才能と肉体を持った、一種の狂気の中にいるような武人にしか扱えなかったのではないか、と。


 日本刀が武器ではないという論理は、近代に生きた人間の発言だ。

 日頃から死と隣り合わせの生活をしてきた戦いの時代とは違う。人と殺し合うことが常であった時代の人間と、今の人間は身体も精神も食べるものさえまったく違う。今では非常識と思われる鍛錬を乗り越えた人間こそが、この日本刀を手にしたと俺は考える。

 故に俺は判断した。大賢者の身体能力を取り戻した今、日本刀こそが最適な近接武器であることを。


 ギィンッ!


「ぐぎゃっ!」


 妙な悲鳴を上げたのは、ミツムネの方だった。

 もう何度俺に跳ね返されたかわからない。事実、ミツムネが持っていた両手剣はボロボロになっていた。対する俺の刀にはまだ刃こぼれすら起きていない。


 正しい方向の受けと、手首、腰と足の使い方を徹底すれば、たとえ日本刀でもそうそう刃こぼれは起きない。この一ヶ月、ミィミとの訓練で学んだことだ。


 いつの間にか熱の入った声援は止み、闘技場は静寂に包まれていた。勇者に賭けていた観客の中には怒鳴り声を上げるものも少なくない。前評判が高かった勇者が苦戦する姿を見て、徐々に疑問の声が上がり始める。本当に今戦っているのは、勇者なのかと。


 こういう状況の中、ミツムネのモチベーションはがた落ちなのかと思ったが、むしろ楽しんでいた。


「おもしれぇ……。ここからは本気だ。本気の本気で潰す!」


〈暗黒面〉


 ミツムネから黒いオーラが立ち上る。

 目が血走り、筋肉が脈動して、身体を少し大きくなったような圧迫感を感じる。

 クラス【暗黒騎士】の上位強化スキルか。クラス【バーサーカー】の〈鬼人化〉の良い所だけを抽出したようなスキルである。ただし、〈鬼人化〉は三倍に対して、〈暗黒面〉は四倍だけどな。


「行くぜ!!」


 ミツムネは地面を蹴る。

 膂力が上がったことによって、飛び出す速度も上がっていた。

 一気に接敵し、自分の距離へと無理矢理俺を引き込む。


 剥き出した歯をサメのように食いしばったミツムネの両手剣は、容赦なく俺に襲いかかってきた。

 俺とミツムネに唯一差があるとすれば、スキルだろう。

 クラス【暗黒騎士】には強化スキルもあれば、斬撃のスキルもある。

 使えないのはギフト『あんこく』ぐらいなものだろうか。


 だが、俺には今のところ強化スキルも、斬撃スキルもない。

 使えるとしたら〈霧隠れ〉ぐらいなものだが、狭い闘技場で隠れてもあまり意味はない。

 俺の戦力は大賢者の肉体と、アンジェに作ってもらった刀のみ。

 だが、それで十分だ。


 ギィン!


 三度、その音は闘技場に響く。


「はあ?」


 声なんて上げてる場合じゃないぞ。もう俺はお前の懐に飛び込んでいるのだからな。

 すかさず俺は刀を薙ぐ。だが〈暗黒面〉で上昇した身体能力は伊達じゃない。ミツムネは身体をねじるようにして、後ろに回避する。体勢を整わず、無理矢理躱したからだろう。つるっと足を取られると、ミツムネはスッ転んでしまった。


 すると、観客席からぷっと笑いが漏れる。


「誰だ! 今、笑った奴!!」


 ミツムネは観客席の方を振り返り、ケダモノのように睨む。

 観客席は再び静まり返ったが、妙な空気感は変わらない。

 相手を圧倒すると思われていた勇者が苦戦する姿を見て、観客は白け始めていた。


「くそ! くそ! くそくそくそくそくそぉおおおおおおお!」


 ミツムネはすぐさま立ち上がる。

 構えを変えた。おそらくスキルを使うつもりだ。


「食らえ! 仮面野郎!!」


〈死連斬〉!!


 相手の右手、左手、両足、そして首を同時に狙った四種の斬撃。

 初撃でこれを躱すのは難しい。ただし、俺はこのスキルを知っている。

 その攻略法も……。


 ギィンッ!!


 キレたミツムネが人気と形勢を逆転させるために放った一手は呆気なく跳ね返された。

 スキルによる攻撃は、使用者の身体をフルに使う。

 それを弾かれた場合、ノックバックはかなり激しいものになる。

 今度ばかりは身体能力どうこうで修正できるものではない。


 俺は少し余裕を持って、間合いを支配する。左肩に向かって刀を振り下ろした。

 硬く引き締められた刀は、あっさりとミツムネが纏っていた黒の鎧を切り裂く。

 その刃の先は、肉にまで届いた。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 ミツムネの悲鳴が響く。

 両手剣を落とし、左肩を押さえて野生の猿みたいにのたうち回った。

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