第19話

 ミュシャが向かった先は、メルエスの外だ。さらに北へと歩き、森の中へと入っていく。

 鬱蒼と木々が茂る森は暗く、人気もない。とても鍛冶場があるようには見えなかった。


 しばらくして、ミュシャは立ち止まる。穴だ。

 ちょうど人が一人入れるぐらいの狭い縦穴。よく見ると、縄梯子がかかっていて、穴底へ向かって続いている。縄梯子は撚った縄と一緒に、細い鉄線が入っていてかなり頑丈な作りになっていた。


 ジオラントでは、鉄線に代表されるような細かいものは珍しい。魔法で成形するものは、どれも大きなもので、小さいものはやはり手作業になる。

 そして、こういう細かい仕事を請け負う種族が、千年前にも存在した。


「ミュシャ、ドワーフに知り合いがいるのか?」


「さすがクロノ殿。この縦穴を見て、すぐに察するとは」


「地下で暮らす酔狂な種族なんて、そんなに多くはないからな」


 真っ暗な地下に降りると、そこからは立って歩けるぐらいの横穴が続いていた。

 ミュシャは慣れているのだろう。魔光灯を付けて、ややぬかるんだ地下道を進む。

 ドワーフ族は地下を縄張りとする種族だ。ほとんどが小男と小女で、歳をとっても子どものような見た目をしていたりする。火と土の魔法に長け、その属性に近いクラスが付与されることが多い。


 地下に住んでいるためか、土を掘る技術に優れ、その派生として鍛冶などの仕事を生業としているものが多い。鉱物にも詳しい彼らは、良い鉱石かそうでないかという目利きにも優れ、質の良い道具や武器を作ると昔から評判だ。


 千年前、俺たちの活動をサポートする仲間にも、ドワーフがいた。

 とてもいい腕を持っていて、当時の俺も、ミィミもとても世話になっていた。

 しかし、ミィミはあまりこの地下がお気に召さないらしい。


「あるじ、ここ臭い。ミィミの鼻曲がりそう」


 古い油と、硫黄の臭いが混じった空気に、ミィミは泣きそうになっていた。俺には不快というほどではないのだが、嗅覚に優れた緋狼族のミィミには悪臭以外の何者でもないのだろう。


 しばらく歩くと、金属を叩くような音が聞こえてきた。


 さらに進んだ先にあったのは、小さな工房だ。

 明かりが一つしかなく、火床の炎の光がユラユラと揺れている。

 その金床で一心不乱に刃を叩いていたのは、銀髪の少女だった。

 相当作業に集中してるらしい。俺たちが近づいても、黙々と作業していた。


「アンジェ!」


「うわあああああ! ……って、ミュシャさん。来てたんですか?」


 地下で大声を上げたドワーフは、ゴーグルとヘルメットをとって、こっちを向いた。

 灰被りと呼ばれる髪が揺れる。地下にいながら陽に焼けたような褐色の肌に、やや自信なさげなどんぐり眼がこっちを見た――かと思えば、すぐに目を背けてしまった。人族に抵抗があるのか、自分に自信がないのか。どこか所在なさげにおろおろしている。それは恰好にも表れていて、よく見るとアンジェは自分のサイズに合わせた鎧を着ていた。

 ヘルメットと思ったのも、割と分厚い鉄兜である。


「心配しなくていい。後ろの二人はクロノ殿と、その従者ミィミ殿だ。紹介しよう、クロノ殿。私の友達でもあり、剣のメンテナンスを頼んでいる鍛冶屋のアンジェリカだ」


「初めまして。アンジェリカと申します。アンジェと呼んでほしいのです」


 アンジェはペコッと頭を下げると、すぐさまミュシャの後ろに隠れてしまう。

 上目遣いで見られると、ミィミとまた違う、小動物のような愛らしさがあった。


「ちょっと人見知りだが、腕はこの辺りの鍛冶師の中ではピカイチだ。わたしが保証しよう」


 工房にかかっているサンプル品を見ると、確かにかなりレベルが高い。

 しかも一般的に流通している鋳造品ではなく、鍛造品だ。つまりは日本刀などに代表されるようなしなやかでいながら、硬く、粘りのある刃が地下の中でも光っていた。


 俺は一本の剣を取り、ジッと眺める。


「焼き入れも、綺麗にかつ均等に入っている。磨きの技術も見事だな」


「わ、わかるのですか?」


 少しアンジェの興味を引いたらしい。

 それまでミュシャの後ろに隠れていた彼女は、半歩前に出て俺に尋ねる。


「特にこの剣は凄いな。しなやかで美しい。何より……」


 俺は軽く振る。魔光灯が当たる中で、剣は星屑のように煌めいた。

 剣を振るのは、千年ぶりだ。今は杖だが、昔はよく剣を得物にして戦っていた。だが、記憶は蘇っても、身体が変わっては以前のようには動けない。いくらギフトといえど、そこまで都合は良くことは運ばないようだ。


 俺は何気なしにその場で剣を振るう。


「ん?」


 手に馴染む。それに今、身体がほぼイメージ通り動いた気がする。

 八割といったところだろうか。筋肉の付き方が昔と違うから、細かい部分まで再現できてないが。

 俺が首を傾げていると、拍手が聞こえてきた。見ると、アンジェが目を輝かせている。


「凄いです、クロノさん。その剣をそんな風に振る人、初めて見ましたです」


「ああ。私も驚いた。クロノ殿、そなた剣もできるのではないか」


「あるじはやっぱりかっこいい!」


 千年前の俺を知るミィミが俺の剣筋を見て、目を輝かせる。

 皆が驚くということは、先ほどの俺の剣筋がそれだけ見事だったということなのか。


(だとすれば、俺も……)


 ふと脳裏に、昼間見たミツムネの顔が浮かんだ。


「アンジェ、悪いが試し切りをさせてくれないか?」


「いいのですよ」




 そうして用意されたのは、大人がやっと抱えて持ち上げるぐらいの木の幹に、鉄の鎧を鋲で打ち付けたものだった。


 試し切りを頼んだのは、俺だけど……。さすがにこれはやり過ぎだろう。

 木の幹も相当太いし、そこに鉄の鎧を巻くなんて。

 もしかして、アンジェ。俺に意地悪してる。


「頑張ってくださいです、クロノさん」


 ごめん、アンジェ。疑った俺が悪かった。

 つまり、これはアンジェの信頼の証――と思おう。

 失敗したところで問題ない。そもそもこの身体は、元々引きこもりの身体なわけだし。


「行くぞ」


 俺は腰を落とし、一度ゆっくりと深呼吸をする。

 集中力が増していくのを感じる。視野が狭まり、木の幹を睨む。

 呼吸とタイミングを計り、筋肉が総毛立つような瞬間を感じた。

 すべてが一致した刹那、俺は鞘に収めた剣を抜刀する。


 思った以上に切った感覚はない。俺が抜いた剣は、鎧を巻き付けた幹の横にあった。

 次瞬、ズズッと音を立てて、幹がズレる。ゆっくりと傾斜していくと、鎧の重さもあって、落下してしまった。静かな地下に金属音を響く。


「斬っ……た……」


「すごいのです。本当に斬ったのです」


「あるじ、すごい! すごい!」


 ミュシャ、アンジェが息を呑み、ミィミはその場でぴょんぴょん飛びながら拍手する。


 嘘だろ。本当に斬ってしまった。

 アンジェの剣が凄いのもあるだろう。だが、それだけでは据え物は斬ることはできない。

 今さっき感じた感覚は、間違いなく千年前に魔王と一対一で戦っていた時の感覚に似ていた。

 間違いない。いつの間にか俺の身体は千年前の感覚に戻りつつある。


 でも、いつだ? 最初にギフト『おもいだす』が発動した時は、そうじゃなかったと思うが。

 徐々に身体が馴染んできた? いや、それも何か得心できない。

 きっと何かしらの転機があったはずなんだ。


「あっ……。そうか。ギフトのレベルが上がった時だ」


 あの時、ぼやけている記憶が蘇るかと予想していたが、そんなことは起こらなかった。

 おそらく蘇ったのは、過去の感覚……。俺が最も充実していた時の戦いの感覚が、その記憶が身体に戻ったのだろう。

 それが事実ならミツムネにも勝てるかもしれない。


「なあ、ミィミ。俺も剣闘試合に出ていいか?」


「ん? じゃあ、ミィミはどうなるの?」


「ミィミもそのまま参加してくれ。二人でワンツーフィニッシュを決めよう」


「おお! あるじと二人でワンツーフィニッシュ!」


「ごほん」


 盛り上がる俺とミィミに、ミュシャが割って入る。

 鋭い視線を俺たちに投げかけた。


「まるで誰が優勝するか決まっているような言い草だな。しかもワンツーフィニッシュなど。……よもや私が参加することを忘れたわけではないだろうな、クロノ殿」


「もちろん忘れてないよ、ミュシャ」


「それに私はまだミィミ殿の力を見せてもらっていない」


「じゃあ、ここで見せてあげようか?」


 ミィミの言葉にミュシャの眉がピクリと跳ねる。

 おそらく挑発に聞こえたのだろうが、ミィミにそんな気持ちは微塵もない。

 ミュシャが殺気立っているというのに、ミィミはニコニコと笑っていた。それがミュシャの強い気持ちに拍車をかける。


「面白い……。やるか」


「あの~~、です!」


 火花を散らすミュシャとミィミの間に、アンジェが割って入る。


「ここはアンジェの工房なのです……。戦うなら試合場でしてほしいのですぅ」


 アンジェの言う通りだな。子ウサギのように震えているけど、意外と度胸はあるのかもしれない。

 ドワーフの少女の忠告に、二人とも納得したらしい。

 ミィミが手を下ろせば、ミュシャも柄から手を離した。


「ところで、クロノさんたちは何しにこの工房へやってきたのですか?」


「肝心なことを忘れていた。実は君にミィミの防具と武器を作ってほしい。頼めるか?」


「ミュシャさんのご紹介ですし。承らせていただくのです。その……あの…………」


「ああ。もちろん、お金は払うよ。あとで見積もりを出してくれないか。あと、納期も」


「い、いえ。そのお金はもちろんいただくのですが……。その…………クロノさんはいらないのかな、と思いまして。剣闘試合に参加されるというなら、一振り持っておいた方が良いと思ったのです」


「じゃあ、この剣を売ってくれるか。今振ってみたが、かなりしっくり――」


「ダメです!!」


 アンジェは声を張りあげる。


「剣には使う人の肩幅や身長、体重によって適正な刀身というものがあるのです。そこから少しでも外れると、変な筋肉がついてしまったり、怪我をすることにも繋がったりするのです。見本品ではなく、自分にあった剣を使わなければダメなのです!」


「…………」


「……あ。すみません。お客さんに怒鳴るなんて。……す、すみませんです。アンジェは武器や防具のことになると見境がなくなるというか。その周りが見えなくなるのです」


「謝らなくていい。アンジェの言うことはもっともだ。ただ、ちょっとびっくりしてな」


「びっくりしたですか?」


「昔、そっくりそのまま同じことを言われたことがあるんだ。それを思い出してな」


 気が付けば俺はアンジェの頭に手を乗せて、ふさふさの灰色の髪を撫でていた。

 色はあまり目立たない色だが、なかなか触り心地がよい。

 ミィミの尻尾とどっちがいいだろうか。


「じゃあ、俺の剣も一振り頼む。最高の剣を頼むぞ」


「はい! お任せくださいなのです!」


 バチンとゴーグルを付けると、アンジェは早速作業に取りかかった。

 かと思えばアンジェは突然手を止めて、俺たちの方を振り返る。

 ちょっと照れくさそうに俺を見つめた。


「その……、クロノ様。あまり髪を撫で撫でしないでほしいのです」


「わ、悪い。つい……。嫌だったか」


「あ、あまり子ども扱いはしないでほしいです。アンジェ、これでも――――――」


 そして、それは衝撃の一言だった。

 ドワーフ族は歳をとっても、子どものような容姿をしていることは知っているが、まさかアンジェが、そんな年齢だったとは。……いや、逆に考えるんだ、クロノよ。


 これは合法ロ――――。


「あるじの顔、やらしいこと考えている時の顔」


「ほほう……。それはどういうことだ、クロノ殿」


「ち、違う! 断じて考えてない!」


 断じて考えてないからな。




 そうして日が経ち、ついに剣闘試合の日を迎えるのだった。

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