第32話

 突如、屋敷の正面玄関の方で砂煙が立ち上った。

 当然屋敷は騒がしくなる。

 廊下を走る衛兵の姿が見えた。

 裏手を守る衛兵たちも、様子を窺うために正面へと回り込む。


 裏口の守りは、すっかりがら空きになってしまった。

 慎重に茂みから出てくる。

 まだ混乱は収まっておらず、衛兵の声が聞こえるが、屋敷の裏手側に回り込んでくる様子はなかった。


 俺と随行するアリエラは、首尾よく警戒の厳しいダギア辺境伯の屋敷に潜入する。


「見え見えの陽動作戦だが、こういうシンプルな作戦が一番効果があるんだよな」


 誰もいない廊下を、俺はアリエラと突き進む。


「あのは大丈夫なの?」


「ミィミのことか? 大丈夫。アリエラが思っている以上に、ミィミは強いよ」


 アリエラも強いが、ミィミも強い。

 特に彼女が記憶しているミルグの強さは、雑兵程度で止められない。


 まさに一騎当千。

 百、二百の衛兵ではどうって事ないだろう。


「そうじゃない」


「うん?」


「あの娘が調子に乗って、屋敷を破壊しないか心配……」


「あ? あー……」


 確かに、それはちょっと俺も心配かも……。

 頼むぞ、ミィミ。

 あんまり無茶はするな。



 ◆◇◆◇◆ ミィミ ◆◇◆◇◆



『ガロロロロロロッッッッ!!』


 神獣と化したミィミが吠える。

 巨大な狼は、ダギア辺境伯の屋敷の真ん中で大暴れしていた。


 次々と屋敷の中から衛兵が集まる。

 屋敷を中心に広がる街からも応援が呼ばれ、すっかりミィミは取り囲まれた。

 その数、ざっと500騎である。


 衛兵たちは揃って槍を構え、目の前の大狼から逃げたい気持ちをぐっと噛んだ奥歯とともに磨りつぶす。

 兵長の合図とともに、気勢を上げて大狼へと突撃していた。


あああああああああしゃらくさい!!』


 ミィミは牙ではなく尻尾を振る。

 その毛は艶やかで、触れれば気持ちいい快感を与えてくれるのだが、ひとたび振るえば強力な武器になる。

 実際、ミィミに向かって行った衛兵が、隊列最後方まで吹き飛んでいった。

 人間が紙のように飛んでいく様を見て、衛兵たちは足を止めざるを得なかった。

 兵長は再度の突撃を敢行するように号令を出す。

 が、化け物の攻撃力を見て、完全に兵たちの腰は引けていた。


 居竦んだ衛兵を見て、ミィミは呆れたように鼻息を吹く。


ぐわぁぁああぁぁあ!情けないわね


 最初の威勢はどうしたの? とばかりに黄色の瞳を光らせる。

 眼光がさらに衛兵たちの戦意を奪った。


 ミィミは屋敷の正面玄関を背にして、衛兵を威嚇する。

 これではどっちが屋敷の守衛かわからない。


「なんてことだ……」


 兵長はため息を吐く。


「ええ……。まったくその通りですよ」


 不意に側で人の声が聞こえて、兵長はおののく。

 立っていたのは、黒のローブにすっぽり身を包んだ男だった。


「ゆ、勇者殿……」


「あんたたちは衛兵だろう。衛兵が屋敷を守らなくてどうするんですか?」


「め、面目次第もありません」


 兵長はついに膝を折って、頭を垂れる。

 すると勇者カブラザカは卑しく笑った。

 兵長が被っていた兜ごと蹴飛ばすと、さらに髭を掴んで、地面に轢き倒した。

 這いつくばった頭の上に、カブラザカは靴底を押し付ける。


「面目次第で済んだら、ポリスメンはいらねぇだろうが!! ああ!!」


 さらに過剰に踏みつける。

 口調こそ怒り狂っているが、その口端は笑ったままだ。

 虫けらを嬲るように執拗に蹴り続けた。


「あは! あはははは!! たまんねぇ! 楽しいねぇ!!」


 勇者とは言え、基礎体力が強いわけではない。

 たちまちカブラザカは息を切らし始めた。


「――――ったく。モブキャラはつかえませんねぇ」


 元の表情に戻ると、カブラザカは1本の瓶を取り出す。栓を抜くと、甘ったるい匂いが戦場と化した屋敷前に立ちこめた。


ぐるるるなに?」


 先に反応したのは、ミィミだ。

 果実を発酵させたようなきついヽヽヽ甘い匂いに戸惑う。


 だが、さらにミィミを困惑させたのは、衛兵の反応だった。

 先ほどまで完全にミィミを前にして居竦んでいた衛兵だったが、突如濃厚な殺気が立ち始める。


「ぎゃあああああああ!!」

「うごごごごごっっっ!!」

「あああああああああ!!」


 雄叫びというか奇声を発して、衛兵たちはミィミを威嚇する。

 もはや人間の声ではない。ケダモノのそれに近かった。


「バーサクモードってヤツです。別にね。変身しなくたって、人間はケダモノになれるんですよ。元からケダモノですからねぇ」


 カブラザカの側に倒れていた兵長がゆっくりと起き上がる。


「ぐるるるるるる!」


 仇敵とばかりに目の前のミィミを睨む。

 歯と歯の間からは泡が吹いていた。

 鞘から剣を引き抜くと、ミィミの方に近づいていく。


 衛兵の様子にミィミは困惑する。

 それを見て、カブラザカは笑った。


「バッカスの酒って知ってるかい。お嬢ちゃん。酒の神様が作った酒のことさ。人間が飲むと、理性が消失し、野生だけが残る。これこそ人間の原初の姿なんですよ」


『ガロロロロロッ!!』


「かかっっ! 何を言ってるか何となくわかります。そうです。わたくしです。わたくしのスキルで作りました」


『がろっっ!!』


「わたくしはあなたのことが嫌いです。ケモナーでも何でもないですから。そもそもケダモノが人間の顔をして歩いてるのが昔から気に入らなかったんです」


『ぐるるる!』


「あたしもよ――――ですか? 気が合いますねぇ!? さあ、やれ!! 人間の底力みせてあげなさい!!」


 狂戦士化した衛兵たちは、再度突撃していく。

 ミィミは衛兵を同様に蹴散らしたが、前回とまるで違う。

 払っても払っても、自分に纏わり付いてくる。

 鉄の武器程度ではミィミの身体を貫くことは不可能。

 衛兵たちの攻撃などまるで通じないのだが、鬱陶しいことこの上ない。

 しかも成人男性にプラスして鎧の重さ、100人以上の人間の重量ははっきり言って馬鹿にならなかった。


 ついにミィミは玄関前で動けなくなる。


(鬱陶しいわねぇ! こうなったら……)


 ミィミの目が光る。


「そうはさせないよ」


 悪魔の声が聞こえる。

 その時、ミィミの全身が激しく反応した。

 身体の芯を貫くような快感に、力が抜ける。


(これって……)


 絶え間なく快感の漣。

 それを無理やり理性で保ちながら、ミィミは顔を上げる。

 気が付いた時には目の前に、カブラザカが立っていた。

 相変わらず貼り付けたような笑みを浮かべている。


 そして、手にはキオリオの花が握られていた。


「あのクロノって男はともかく、お前のような獣人娘にはわたくしが負けるわけがない。……知ってますよ。あなた、キオリオの花の依存症に悩んでいるんでしょ」


(なんで、それを……?)


「やはり図星でしたか。所詮、獣ですね。これ程度の誘導尋問に引っかかるなど」


 カブラザカはキオリオの花を指先で軽く弾く。

 花粉が飛ぶと、さらにミィミの神経を掻きむしった。

 それでも足一本、牙一本動かせない。

 ちょっとでも身体を動かすことに意識を向けると、そのままキオリオの花の効果に溺れそうになる。


「いいね! ケダモノの切なさそうな顔……。悪くない。気が変わりました。あなた、獣人の姿になりませんか? わたくしはケモナーじゃないですけど、今ならケモナーになってもいい」


(…………)


「見てみたいねぇ。あなたが乱れ狂う様を、あははははははは!!」


ぐるるるそう……』


「あ? 今、なんつった?」


がるるるるるそんなに見たいなら……。がららら見せてあげる……』


「あん?? 何を言ってるかわからないんだよ! わかるように話せよ、狼女!!」


 カブラザカが吠える。

 次の瞬間、ミィミは光り出した。

 急に身体が萎んでいく様を見て、カブラザカは哄笑を上げる。


「いいですね! ノリがいいケダモノは嫌いじゃないですよ!!」


「黙りなさい!」


「え?」


 カブラザカが見たのは、爪を振るうミィミの姿だった。その顔は実に切なく、歪んでいたが、その爪は間違いなくカブラザカに向かって振るわれていた。


「なっ!」


 カブラザカは咄嗟に身を引く。

 同時に何故ミィミが動けたのか気付いた。

 変身を解いたことによって、ミィミに乗っていた兵士の重さの楔から解放されていたのだ。


「それでもキオリオの花が……」


 あっ! と心の中でカブラザカは叫んだ。

 ミィミの利き手とは別の手に、兵長の剣が刺さっていた。


「こいつ! 痛みでキオリオの花を……」


「あんたは勇者じゃない! ただのクソ野郎よ!!」


 シュンッ!!


 ミィミの爪が空を掻く。

 しばし何事も起こらなかった。


「あはははははははは!! 残念! 渾身の一撃はふは――――――」


 次の瞬間、カブラザカが開けた口の下から血が噴水のように噴き出す。


「ぎゃああああああ!! 血ぃ!! 血いいいいいいいいいいい!! 痛い! 痛い!! 痛い!!」


 傷口を塞ぎながら、カブラザカはのたうち回る。


「死んじゃう! おい! 誰か! 助けろよ! 何をしてるんだよ! お前ら! わたくしを……オレをヽヽヽ誰だと思ってるんだ! 勇者だぞ! 帝国を、この世界を救いに来た勇者なんだぞ! わかってるのか! お前ら!!」


 助けを求めるが、周りの兵士たちはまるで反応しない。

 狂戦士化されているため、戦うこと以外何もできないのだ。


「あんた、馬鹿ね」


「な、なんだと! ケダモノ!!」


「あんたも『くすり』を作ることができるんでしょ。自分で止血すればいいじゃない」


「は! はああ! そうだ。忘れてた。ケダモノ! お前、いいことを言うじゃねぇか。褒めてやるぜ」


「あんたに褒めてもらっても嬉しくないわよ。それに――――」



 あたしがその時間を与えると思う?



「へ??」


 瞬間、ミィミの髪が逆立つ。

 さらに身体が膨れ上がり、爪は鋭く、牙も曲刀のように太くなる。

 大きな尻尾を揺らし、黄色の瞳はカブラザカを睨み付けた。


「は……。あ……」


 カブラザカの視線は天を仰いでいた。

 巨大な大狼の再出現に、居竦んでいた。


「はっ! キオリオの花!」


 手を見たが、キオリオの花は散っていた。

 首を切られた時に、キオリオの花弁も落としたらしい。

 気付けば、カブラザカの血に濡れて、もはや花粉どころではなかった。


ガルルルルルルおわりね!』


「待て! 話せばわ――――」


 何か言いかけたが、その時すでにカブラザカは大狼の足によって蟻のように踏みつぶされていた。 

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