第5話

 悲鳴を聞き、俺がまず取った行動は隠れるだった。

【隕石落とし】で空けた大きな穴に飛び込み、様子を窺う。


 帝都の調査団だろうか。それにしては対応が速すぎる。

 そっと顔を出すと、クレーターだらけの荒野を走る一台の馬車が見えた。

 普通の馬車ではない。頑丈そうな客車を引いているのは、リザルドンという蜥蜴の魔獣だ。

 気性が荒く、御するには特定のスキルが必要だが、足はそこそこ速く、悪路でもスイスイ走る。何より魔獣から身を守る手段にもなることから、千年前も交通手段の一つとして使役されてきた。


 その馬車を追う者がいた。そっちヒーピーという歩行能力に特化した鳥型の魔獣だ。

 だ駝ちよう鳥を一回り大きくして、頭に鶏冠を付けた魔獣は、リザルドンより速く走れるものの、小回りが利かない。反面、性格は従順で、飼い慣らすことができれば、スキルがなくても乗りこなせる。他の魔物と比べれば捕獲が楽なため、庶民の間にも親しまれている魔物である。


 リザルドンが引く客車と、ヒーピーの差が縮まっていく。

 ヒーピーに乗っているのは、黒ローブを頭からすっぽり被った男だ。すると、手を掲げた。


〈焔玉〉!


 赤い焔の塊が、追いかけている客車をかすめ、俺の近くで爆ぜる。

 危なく当たるところだった。


「危ねぇなあ」


 厄介ごとに巻き込んでほしくないが、問題はリザルドンの御者台に乗ってるドレスを着た少女だ。

 後ろから牙を剥く猛火に為す術がない。手に手綱を握っているが、完全に制御を失っていた。

 黒き暗殺者に狙われるドレス姿の少女。如何にもというシチュエーションだ。


「お返しだ!!」


〈魔法の刃〉!


 光の刃が手から飛び出す。

 瞬間、光刃は少女のこめかみを横切り、後ろの客車の窓を突き破って、ヒーピーに乗った男の顎を打ち抜く。意識を刈られた男は、ヒーピーから投げ出されると、受け身も取れず、地面に激突した。


 だが、災難はまだ終わっていない。


「よけて! よけてくださ~~~~い!!」


 少女の叫び声が響く。すぐ目の前に客車を引いたリザルドンが迫っていた。

 リザルドンの大口が見える。回避は無理だ。大賢者になったところで、俺の身体能力が上がったわけじゃない。多少補正がついているという程度だ。当たれば間違いなく致命傷。良くて重傷だろう。

 生死の境の中で、俺は落ち着いて対処した。


「ボボッ!!」


 突如、リザルドンがつんのめる。四つ足を全力で地面に擦り付け、ブレーキをかけた。

 慣性の法則はジオラントでも健在だ。リザルドが止まったものの、後ろの客車が勢いそのままに突っ込んでくる。リザルドンのお尻に当たって、止まったが、御者台に座っていた少女はそうもいかない。この世界にシートベルトなんて安全装置はなく、少女は投石機で打ち出されたみたいに御者台から飛び上がった。


 あれよあれよ、と宙を舞った後、見事俺の両腕の中に収まる。

 こうしてみると、ドレスも相まってお姫様みたいな少女だ。まさに今の状況こそが本物のお姫様だっこという奴だろう。


「あ、ありがとうございます――――ひぃ!」


 感謝の言葉早々に悲鳴を上げられたのは、俺の顔がオークやゴブリンに見えたからではない。

 さっきまで暴走していたリザルドンが口を開けて、俺に迫っていたからだ。


「大丈夫だ。怖がらなくていい」


「ふぇ?」


「ボボッ!!」


 先ほどの意味のない叫びをすると、リザルドンは地面に伏せた。

 俺の言葉に反応して懐いている魔獣を見て、少女の目が丸くなる。

おてボボンガ!」


 というと、リザルドンは右前肢を上げる。


おかわりボボング!」


 今度は左前肢を上げる。

 最後は「ちんちボンボ――」と言いかけて、口を噤む。

 さすがにこれはやめておこう。レディの前だしな。それに俺にもメリットないし。


『〈劣魔物の知識〉によって、リザルドンとのコミュニケーションが成立しました』


 今、こうしてリザルドンを手懐けることができているのは、【大賢者】の[知識]の一つ――〈劣魔物の知識〉のおかげだ。このスキルは低ランクの魔物の知識や言語を習得することができる。うまくいけば、このように手懐けることも可能だ。


 このリザルドンが元々人懐っこくて、客車を引くように調教されている魔獣で助かった。ダンジョンに棲息している野生のリザルドンなら、こうもあっさり懐くことはなかっただろう。


「すごい……」


 リザルドンは飼い慣れた犬のように扱う俺を見て、少女は目を輝かせる。


「気性の激しいリザルドンをいとも簡単に……。もしかして『魔獣使い』のクラスをお持ちの方ですか?」


「いや、俺は――――」


【大賢者】だ、と言いかけて、慌てて口を閉じた。

 ジオラントに置いて、クラスを明かすことは自分の弱点をさらけ出すようなものだ。

 魔獣相手ならともかく、対人となると、このクラスを知っている知っていないのでは、かなりのアドバンテージになる。クラスによって相性というものがあるからだ。


 千年前に活躍していた時ですら、俺は信頼のおける仲間にしか自分のクラスを伝えていなかった。

 そんな俺の心境を悟ったのか、彼女は慌てて謝罪する。


「すみません。見ず知らずの人に……」


「いや、別にいいんだ。それより怪我はないか?」


「あ。はい。ありがとうございます」


「そうか。なら、申し訳ないが。俺はこれで倒れるとするよ」


「はい。わかりました。――――って、え? 倒れる?」


 俺はそのまま少女を横抱きしたまま倒れる。

 ちょうど少女を覆い被さるようになってしまったが、もう俺は指一本動かせない。

 魔力もなく、体力もなく、もう限界を迎えていたのだ。


 耳元で少女の悲鳴が聞こえる。

 清らかな少女の声は、『勇者の墓場』の婆さんの声より、遥かに心地よかった。

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