第6話
次に気が付いた時には、俺は見知らぬ天井を眺めていた。
現代で住んでいた家でも、『勇者の墓場』のような今にも落ちてきそうな天井でもない。
藁ではなく、心地よく押し上げてくれるマットレスの上に寝ていて、かかっている布団からはいい香りがした。シーツはピシッとしていて、一流の仕事の後が窺える。
ベッドから下りて、手近にあったカーテンを引くと、眩い日光が差し込んだ。
部屋全体を改めて振り返ると、落ち着いた雰囲気の洋館の客間という光景が広がっていた。
「ここは……、どこだ?」
呟くと、まるで質問を聞いていたようなタイミングでドアが開く。
入ってきたのは、例の少女だった。あの時とは違って、落ち着いたブルーのドレスを着ているが、その美しさは変わらない。俺と目が合うなり、一瞬驚いた様子だったが、すぐにドレスと同じ華やかな笑みを浮かべた。
「お目覚めになられたのですね、クロノ様」
「ん? ああ……。いや、ちょっと待て。俺はあんたに名前を名乗った覚えが」
「装備の裏に名前と、これはあれでしょうか? 異世界の文字ですか?」
そう言えば、万が一の場合が会った時に、俺の名前と血液型を書いていたんだっけ。
個人情報がダダ漏れだ。そもそも魔法文化が発達したジオラントで輸血なんて発想すらないのに。おかげで俺が異世界の人間であることがバレてしまった。
マヌケすぎるだろ、目覚める前の俺。
「さて、何のことかさっぱりだな。中古で買った防具だ。その前の人間なのではないのかな?」
「さっきクロノといって、反応したではありませんか」
うっ……。マヌケは俺も同じだったらしい。
「えっと、あのな……。ああ、その…………」
「ラーラですわ」
「……ラーラ、さん?」
「ラーラでいいですわ」
「なら、俺もクロノでいい。あの……。できれば、俺が異世界の……その勇者であることは口外しないでもらえると助かる」
「あら? それはどうしてですか?」
「あまり目立ちたくないんだ」
「世界を救う勇者様と喧伝すれば、たちまち英雄になれますでしょうに」
「俺はハズレ勇者なんだよ」
「ハズレ勇者? 昨日のお手並みは見事でしたよ」
「たまたま、手持ちのスキルで解決できる事案だったからな」
「ふ~ん」
ラーラは上目遣いで見つめる。美少女の上目遣いはそれだけで破壊力満点なんだが、生憎と彼女が俺に向ける視線には、疑惑の感情も含まれていた。これはまったく俺の勘というより、賢者としての勘だが、ラーラはかなり鋭い。こうしている間にも、俺ですら把握できていない失態に気づいているような気さえした。
逆にいえば、それだけ知性が高いということだろう。さらに言えば、客人にポンとこんな豪奢な客室を貸せる人間となれば、広いジオラントといえどそうはいないはず。侯爵位以上の親族、王族という可能性すら存在する。
「ところで、ラーラはなんで追われていたんだ?」
「黙秘します」
「俺は俺のことを喋ったのに?」
ちょっと恨みがましくいうと、ラーラはコロコロと笑った。
「申し訳ありません。これを話すと、あなたを厄介ごとに巻き込むことになりますので」
「厄介ごと?」
「好きですか、厄介ごと?」
「生憎と俺は、自分が生きるのに精一杯でね」
「ご謙遜を」
会話では、賢者の知識を以てしても、彼女に勝てそうにないな。
こっちのペースに引き込もうと話題を変えても、いつの間にか俺のことを喋っている。
もしかして、そういうクラスを持っているのかもしれない。
クラス【商人】のスキル〈交渉術〉か。星の導き四つ以上となれば【交渉人】という可能性もある。
レベルが高いと、賢者の知識も形無しだ。
俺はその後、簡単な食事を馳走になった。その時に気づいたのだが、ジオラントに来てからまともに食事をとっていない。現代と比べれば、パンは硬く、スープも薄いが、やはり空腹は最大の調味料だ。結局スープは五杯もお代わりしてしまった。
ちなみにこの屋敷はラーラの家ではなく、帝都にあるラーラの親族の別荘らしい。
貴族は本領の屋敷と、帝都に別荘を持つことはよくあることだそうだ。
結局わかったことといえば、ラーラが高位の貴族令嬢であるということだけだった。
慌てて出ていく必要もなかったが、俺は早々にお暇することにした。
ラーラとのお喋りはなかなか刺激的で楽しかったが、長いすれば襤褸を出ててしまうかもしれない。
致命的な言葉を喋る前に出て行くことに決めた。
「もう行かれるのですか? 助けてくださったお礼がまだ十分に返せていませんのに」
「帝都まで俺を送ってくれたし。久しぶりに腰の痛くならないベッドでぐっすり眠れた。何よりお腹いっぱい食べられた。十分だよ」
「欲がないのですね。お金とか困ってないのですか?」
「困っていないわけじゃないが、工面のやり方はもうわかっている」
「そうですか……。あの、クロノ?」
「なんだ?」
ラーラの唇を数度動いたが、肝心の声がかすれて聞こえなかった。
何か言いかけたことは間違いないのだが、最後は強引に完璧な笑顔の中にしまい込む。
「いいえ。何もありません。……また会いましょう、クロノ」
「あ、ああ……。またな、ラーラ」
俺は決して振り返らなかった。
ラーラの顔を見たら、また屋敷に戻ってしまいそうな気がしたからだ。
◆◇◆◇◆
屋敷を後にした俺は、その足でギルドに向かった。
ラーラにも言ったが、金を工面するためだ。
俺は二日ほどラーラの屋敷で寝ていた。今『勇者の墓場』に帰れば、守銭奴ババァから二日分の宿泊代をむしり取られるだろう。『お前の分のベッドをずっと空けて待っていたんだ。貴重なベッドをね!』とかなんとか言われて。
とにもかくにも、俺はあそこから抜け出す必要がある。
それに今のレベルやスキルでは話にならない。好き勝手生きると決めたが、ある程度の武力を備えておくことはジオラントでは必要だ。目標としては一緒に召喚された異世界人と同等か、それ以上ぐらいの武力が必須だろう。
そのために冒険者稼業を続ける。
稼いで強くなって、三〇歳ぐらいで引退して、ゆっくり余生を過ごす。
それが俺の理想だ。
ギルドに到着する。
相変わらず、酒と冒険者の汗の臭いが空気に入り交じっていた。ギルドには酒場が併設されていて、昼間からでも飲んでいる冒険者がいる。おそらく夜にしか出現しないダンジョンを漁って、朝に戻ってきたパーティーたちだろう。
そんなヤツらを横目に見ながら、俺はクエストを受けるべく受付に向かった。
「あの……。ある魔物が出るクエストを探しているんだが」
今の俺が倒せる魔獣や魔物は少ない。
魔獣や魔物には、S、A、B、C、D、E、Fという七段階の危険度ランクが存在する。
災害レベルの〝S〟を筆頭に、A、B、C……と危険度が低くなっていき、Fランクがゴブリンやスライムといったお馴染みの雑魚モンスターになる。
ただここで勘違いしてはいけないのは、ランクは危険度であって、強さの度合いを示すものではないことだ。さらに魔物にもレベルがあり、たとえFランクでもレベルが高ければ、ベテランの冒険者でも苦戦する。ランクはあくまで参考なのだ。
今、俺が安全に対処できるのは、Eランク以下といったところだろう。
装備がもう少し充実すれば、Cランク下位レベルなら倒せるだろうが、如何せん今は満足な武器も防具もない。薬を買うお金もないから、〈薬の知識〉を使って、毒を作ることもできない。
そんな俺でも、いとも簡単に倒せて、おまけにレベルがゴリゴリ上がる魔物がいる。
問題はその魔物がこの辺にいるかどうかなのだが。
「どうしてですか!?」
隣の受付が随分と騒がしいと思ったら、ショートカットの女冒険者が受付嬢に噛み付いていた。
装備からしてクラスは【モンク】か。打撃主体のクラスで突進力が売りだが、スキル〈チャクラ〉での回復や、スキル〈瞑想〉での防御バフなどもあって、耐久型のスキルも充実している。
バランスよく鍛えることができれば、優秀な『タンク盾役』として活躍できるクラスだ。
その女冒険者は鍛えた拳を何度も机に叩きつけていた。
「仲間がダンジョンに取り残されているんです! すぐに救出を!」
「ですから、それがすぐにはできないと言っているんです、マイナさん」
「仲間が死んでもいいっていうんですか? それってギルドの責任問題ですよね。なら、裁判でもしますか。出るところで決着をつけましょう!」
裁判……って。現代世界じゃあるまいし。さてはあの冒険者、もしかして俺と同じ召喚された勇者か。それも髪の色と名前の感じから察するに、日本人だろう。
ジオラントでは基本的に自己責任という考えが強い。
ギルドはあくまでクエストを推奨しているのであって、責任を持つのは選択した本人である。
裁判になったところで、勝ち目は薄いだろう。
むしろ取り合ってくれているだけ、まだマシとも言える。
実際、マイアという女冒険者は数人の冒険者から鼻で笑われていた。
「何言ってんだ、あのねーちゃん」
「裁判起こせる稼ぎがあるなら、冒険者なんてやってないよな」
「まったくだ……。げははははは!」
指差し、大きく口を開けて、冒険者たちは笑う。ギルドの職員も一緒になって笑っていた。
女モンクには酷だが、ジオラントではこれが当たり前なのだ。
「人の命がかかってるんですよ! なんであなたたちは笑うことができるんですか?」
「そりゃお前らがマヌケだからに決まってるだろ」
「お前、異世界人だろ? 大方、帝宮から追放されて冒険者をやってるんだろうが、どだいお前らには無理なんだよ。冒険者なんて」
「わ、私たちだって、好きで冒険者なんか。……好きでこの世界に来たんじゃない、グス……」
マイナはペタリと座り込む。ついには泣いてしまった。
それでも冒険者たちは笑っている。手を差し伸べる者もいない。
ついに悪ふざけを始めた冒険者たちは、マイアに向かって「うるせぇ」と怒鳴りつけると、装備を剥いで、人買いに売ってしまおうという提案まで飛び出した。いよいよマイナの手首を掴むと、いくらモンクの力でも、屈強な冒険者の前では為す術などない。
助けて、という言葉も虚しく、下品な笑いの渦に消えていく。
「ほう……。死霊系の魔物の討伐か?」
「ふぇ?」
俺はマイナが受注したクエストを眺める。
その手配書を握りしめると、今にも連れ出されそうになっているマイナの前で広げた。
「あんたの仲間を助けてやるよ」
「え? ホントですか?」
「ああ。ただし、このクエストの受注を俺にくれ」
ニヤリと笑うのだった。
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