第1話

「え? ハズレ勇者?」


 三日前。俺こと黒野賢吾は、突如ティフディリア帝国という異世界の国に召喚された。

 中世ヨーロッパを思わせる城には、電気や電灯など現代科学を思わせるようなものは一切なく、代わりに見たことのない光蟲ようなものがふよふよと浮いている。挨拶もそこそこに通されたのは、大きな広間だ。広げられた真っ赤な絨毯の上には、如何にもという服装を着た家臣や貴族が集まっていた。召喚された勇者に興味があるのか、熱烈な視線を向けてくる。


 俺の他にも異世界に召喚された人間は四人。皆、日本人だ。

 それぞれ広間の奥に通されると、俺たちはティフディリア帝国の皇帝と謁見した。


 じゃがいもみたいな丸くコロッとした顔に、大きな太鼓腹。かろうじて玉座からぶら下がった短足。目も眠そうで、トロンとしており覇気がない。あと明らかにズラだった。ティフディリア帝国は、ジオラント大陸でも一、二を誇る大国だと、ここに来るまでに説明を受けたが、そんな盟主にはとても思えない。冴えない中間管理職といった風貌だった。


 その皇帝にひとしきりに歓待の言葉を受けた後、俺たちの前に現れたのは水晶玉である。

 召喚された勇者にはランダムに、ギフトとクラスというものが与えられるらしい。


 ギフトとは、所謂ゲームでいうところのスキルのことだ。このスキルには魔法のような力があるのだが、ギフトとは勇者専用のスキルを指すという。そのスキルやギフトを決めるのが、クラスだ。これはゲームでいうジヨブ職業で、それに応じたスキルやギフトが存在し、ジオラント大陸に住む人間なら誰でも持っている、と軽く説明を受けた。


 一般人が持つクラスはゴミ同然の能力をしか持っていないが、異世界から召喚された人間は違う。高確率でレアリティの高いクラスを持って召喚されることから、異世界召喚は百年以上昔から行われたきたそうだ。


 水晶玉はそのクラスとギフトを確認できる魔導具らしい。

 星の数によってレアリティが決まるのは、まるでソーシャルゲームようだ。


 初めは子ども。次にオタク系のオドオドした中年の男。最後に顔に入れ墨をした如何にも“悪”という見た目をした男だ。それぞれ高いレアリティのクラスを引き、皇帝や周りから称賛される。その勢いに乗って、俺の番となり、手を掲げた。


 水晶には五つの星が浮かび、俄然期待が膨らんだが、水晶を覗いた神官の表情には落胆の感情が色濃く浮かんでいた。


「ハズレ勇者ってどういうことだよ! 見たろ? 星が五つ浮かんでいたじゃないか!」


「落ち着いてください、クロノ殿。まずあなたのギフトは『おもいだす』です」


「え?」


 おもい…………だす? なんだ、そりゃ?


「そして、クラスですが………………、ありません」


「へ? クラスがない?」


 俺は水晶を掴んで、覗き込む。異世界の文字だが、どういうわけかはっきりと読めた。


 五つの星。ギフト『おもいだす』。そしてクラスの部分に何も書かれていない。

 謁見の間はまるで人がいないみたいに静まり返る。拍手もなければ、歓声も聞こえてこない。俺たちが鑑定を受ける度に熱狂的な声援を送っていた野次馬たちは、目に見えて盛り下がっていた。


 助けを求めるように皇帝の方を振り返る。それまで歓待ムードだった君主の瞳が一転して凍てついているのを見て、息を呑んだ。やがて皇帝は玉座に座り直す。


「クラスがないなら、ハズレ勇者で間違いあるまい」


「ちょっと待ってくれよ。ハズレ勇者って……。俺はどうなるんだよ。まさか勝手に召喚しておいて、このまま追放するとか言わないよな。ウェブ小説の主人公じゃないんだ。こんなよくわからない世界で、一人で生きて何て」


 俺の言葉に誰も反論しない。沈黙、それ即ち真実だということだ。

 本気で俺をこの帝宮から閉め出すつもりらしい。


「うっせぇなあ……。ギャアギャアと喚くなよ、落ちこぼれ」


 突然、横合いから俺は殴られた。為す術なく床に転がる。

 顔を上げると、顔に入れ墨をした男が口元を緩めて、俺を見下げていた。確か名前はサナダ・ミツムネ。ギフトは『あんこく』。クラスは『暗黒騎士』。レアリティが高いクラスの中でも、さらに低確率のクラスらしく、皇帝を含めて多くの貴族や家臣から賛美されていた。


 ミツムネは俺に馬乗りになると、口端を歪める。


「お前。元いじめられっこだろ」


「え?」


「やっぱりな。オレはよ。いじめられっこって奴の方が嫌いなんだ」


「……あ、あんたは何を言ってるんだ?」


「お前みたいなどカスを見ると、無性に殴りたくなる。子どもの頃からな。……なのによ、殴ったカスどもは親だの、先公だの、教育委員会だのをわんさか味方につけて、オレのことを頭がおかしいだの、家庭環境が悪いだの、挙げ句病気だのと言いだす始末だ。オレはタイマンを挑みたかっただけなのによ。世の中、ダッせぇヤツらばかりだ」


 ヒュッと風切り音が鳴る。ミツムネの拳が俺の鼻先で止まった。拳速が速すぎて、仰け反ることもできない。野生の獣のような目を見て、俺はようやく思い出した。


 ミツムネの正体――真田三宗のことを……。


 二年前、ネット配信限定で「日本一の不良を決める」というコンセプトを元に、ある格闘興行番組が始まった。名前は『リビング・ウォーリア』。過激で、時に凄惨なシーンすら映すことも少なくなかった番組は、社会現象になるほどの超人気番組にのし上がっていった。


 その元人気バトラーの名前が真田三宗。

 番組内ではもっとも日本一に近い男と紹介され、一躍スターダムにのし上がっていったが、一方でそのバトルスタイルは残忍極まりないものだった。何人ものバトラーを病院送りにし、さらにSNSなどを通じた歯に衣着せぬ物言いが、何度かの炎上を経て、熱狂的なファンを生み出すこととなる。


 一方で番組は三宗に対して、自重を促したのだが、三宗はことごとく無視。

 結局、あと一歩で日本一というところで、番組から追放されてしまう。三宗がいなくなった『リビング・ウォーリア』は視聴回数が失速。社会問題として取り沙汰されることもしばしばだった番組は、結局一年ももたずして打ちきりとなってしまった。


 そのミツムネ・サナダが今俺の前にいる。容貌は変わっているが、間違いないだろう。


「いつまでもビビってんじゃねぇよ。自分のことは自分の力で解決しろ。……男ならな」


「狂ってる……」


「あん?」


「な、なあ、ミツムネ。他の勇者も聞いてくれ。逃げよう。ここは狂ってる。わざわざ拉致してきた人間を使えないからって、何の責任もなく追い出そうとしてるんだぞ。そんな人間、信用できないだろう。お前たちだっていずれ――――」


 突然、ミツムネは俺の頬を張る。


「黙れよ、カス! ああ……。ハズレ勇者とか言うんだっけか? まったく……、オレまで巻き込むんじゃねぇよ」


「ボクも、そこの入れ墨のお兄さんと同意見かな。そもそも逃げるたって、どこに逃げるのさ」


 一方的に暴力を受ける中、聞こえてきたのは「ショウ」とだけ名乗った子どもの声だった。

 皆がミツムネの迫力に圧倒される中、一人ヘラヘラと笑っている。

 ショウのギフトは『ジャンプ』。クラスは『竜騎士』。こちらも『暗黒騎士』の次ぐらいにレアリティの高いクラスらしい。


 最後に俺は一縷の望みをかけて、オタク系の中年と目を合わせたが、すぐに逸らされてしまった。

 俺が他の勇者の説得に失敗したのを見た後、ミツムネは皇帝の方に振り返る。


「……おい。そこのエラそうなおっさん」


「お、おっさん……」


「ギフトってのはどうやって使うんだ」


「ぎ、ギフトは勇者様専用の能力だ。余も詳しくは知らぬ。ただ御心のままに念じられよ」


 ミツムネはおもむろに手をかざした。そう。魔法を使うみたいに。

 すると、小さく黒い電撃のようなものが走ったように見えた。


「だいたいわかったぜ。この頭の中に浮かんだ文字に、スイッチを入れるような感覚だな」


「おお! 勇者殿がすでにギフトを使いこなしておられる」


 皇帝は身を乗り出す中、俺は必死に訴えかけた。


「おい。やめろ。嘘だよな! お前、今から人を」


「黙れ、どカス。……お前も勇者の端くれだろ? だったら防いでみろよ」



 あんこく……。



 次の瞬間、ミツムネの手から黒い泥のような奔流が放たれる。

 俺に防御する術も、道具もない。俺のギフト『おもいだす』が発動することもなかった。

 ただ俺は暗黒の中に飲み込まれていく。真っ暗な闇の中で、生きる気力を奪われ、腹一杯になるまで絶望を呑まされる。身も心もバラバラになり、ひたすら暗闇の中で自分が分解されていくような感覚を味わった。


 これが〝死〟か……。


 そう思った時、俺は生きることを諦めるしかなかった。


 ◆◇◆◇◆


 プツンと俺の中で何かが繋がった瞬間、意識が戻った感覚を感じた。

 俺は特に慌てる必要もないのに、大きく息を吸って上半身を起こす。たちまち鼻を衝き、喉の奥へと流れ込んできたのは、人糞と腐った生き物を混ぜたような臭い。いや、それ以上の汚臭だった。


 とにかく形容しがたい臭いに鼻を摘まむと、今度は頭を強かに打ち付ける。

 よく見たら、俺が寝ていたのはベッドだ。それも格安宿泊施設にあるような四段ベッドの二段目。ベッドとベッドの間は狭く、ちょっと背筋を伸ばしただけで額が当たる。腹にかかっていた薄い布団は黄色く濁っていた。


「ここは?」


「気が付いたかい」


 しゃがれた老婆のような声が聞こえて、振り返る。

 まるで毒沼のほとり畔に住む魔女みたいな婆さんが立っていた。


「ようこそ、ハズレ勇者殿。『勇者の墓場』へ」


 そう言うと、老婆は「ひょひょひょ」と気味悪い声を上げて、笑うのだった。

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