第15話

 さて、当面の目的はティフディリア帝国から出ていくこととして、俺自身のことだ。


 さすがにいつまで経っても、【大賢者】のクラスレベル〝Ⅰ〟にしておくわけにはいかない。

 クラスレベル〝Ⅱ〟になれば、スキルや魔法を覚え、戦術の幅が広がる。

【大賢者】のクラスレベルを上げるためには、『悟道の書』という魔導書が必要だ。


 魔導書とは『賢神の書』とも言われ、神がしたためた魔法の書物である。読むだけでそこに書かれていることのすべてを理解し、クラスアップに必要な身体に作り替えられる。魔導書はクラスによって違い、例えば【剣士】ならば『伍臨の書』、【暗殺者】なら『叢雲の書』という感じだ。


 前にも言ったが、昔は道具屋に売っていたのだが、今は国が一括管理しているようだ。民間の中にも一部のマニアが所持していて、そのほとんどが貴族である。どうやら例の五十年前の反乱が関係していることは間違いないらしい。


 クラスレベルが上がらないのも心配の種だが、俺としては千年前にはなかった『ギフト』というスキルも気になる存在だ。

 ギフト『おもいだす』で俺は賢者としての自分をまさしく思い出すことができたわけだが、このスキルはただ単純に千年前の記憶を呼び起こすだけのものなのだろうか。


 それに記憶が完全に戻ったわけじゃない。あくまで予想だが、ギフトのレベルがアップすれば、封印されている記憶を開示される可能性は高い。強くなるだけではなく、俺自身を取り戻すためでもあるのだ。


「けれど、このギフトのレベルを上げる方法がさっぱりわからん!」


 千年前にはなかったのだから致し方ない。ともかく、当面の目標はクラスアップだ。

 ティフディリア帝国で入手が難しいなら、隣国に渡ってから探してもいいしかもしれない。





「は? 三ヶ月待ち??」


 俺はメルエスの中にある国境通過書の発給所に来ていた。

 帝都よりもメルエスならば申請が通りやすいと馬車の中で聞いたのだが、三ヶ月待ちと聞いて、固まってしまう。ショックを受ける俺を見て、猫の亜人族の受付は「ごめんなさいねぇ」と肉球のついた手を合わせて謝罪した。


「前はそんなことはなかったのよぉ。でも最近、領主様が変わってねぇ。申請には領主様の判子が必要なのだけど、怠惰なのか仕事が嫌いなのか、とにかく気分屋で申請作業が滞っているのよ。まあ、前科持ちでもなければ通ると思うから、観光がてら待っててちょうだい。田舎だけどメルエスはいいところよ」


 こうしてティフディリア帝国を脱出する算段がパーになってしまった。

 まさか異世界に来てまで、お役所仕事とは……。魔法文化でも紙の文化の前では一緒なのだな。

 仕方ない。ギルドの依頼を受けて路銀を稼ぎつつ、時間を潰すか。


「ごほん!」


 ギルドを出て、トボトボと通りを歩いていると、エラそうな咳払いが聞こえた。

 大通りに人だかりができている。その中心には演台に乗った男が集まった民衆に向かって、演説を始めようと準備していた。


 瓢箪みたいなでっぷりとした体型に、エラそうなちょび髭。如何にも高価そうなネックレスや指輪をジャラジャラと付けていて、着ている物も天鵞絨のような滑らかな生地が使われている。

 体型が似ているからか。ついに皇帝のことを思い出してしまった。


「我が輩は先頃、メルエスの領主となったレプレー・ル・デーブレエス伯爵であーる」


 あいつが領主か! 仕事もせずにこんなところで何をやってるんだ?


「下々の者よ。我が輩はそなたらに娯楽を提供しにきた。うんうん。くるしゅうない。くるしゅうないぞ。さて娯楽とは何か。ふふふ……。聞いて驚くがいい下民よ。それは剣闘試合であーる」


 剣闘試合?


 俺だけではなく、他の民たちもその言葉を聞いて首を傾げていた。

 この辺りではそういう興行は珍しいのだろう。


「腕に覚えのある者たちを集め、一対一で戦う。武器は剣に限らぬ。槍、鎚、斧、双剣、弓、なんでもよい。ただし攻撃魔法は禁止だ。我が輩は魔法を好まぬのであーる」


 最初は貴族の戯言と聞いていた民たちも、目を輝かせ始めた。

 さらに次の言葉を聞いて、一気に熱が広がっていく。


「気になるのは賞金であろう。当然、優勝者には豪華な褒賞を下賜する者とする。賞金は金貨三百枚。むろんティフディリア金貨であーる」


 なかなか破格の賞金だ。

 現代でいうところの、三百万円といったところか。現代の感覚で、命を賭ける剣闘に参加するのかと思うところだが、ジオラントでは命の値段なんて身分によって高くもなれば低くもなる。こちらの感覚でいうなら、参加者のモチベーションを上げられる十分な額だ。


 実際、野次馬の中から「のった!」「俺も参加するぜ!」と威勢のいい声が聞こえる。

 だが、俺にとって本題はここからだった。


「加えて副賞を与えよう。我が輩はとても本が好きだ。愛していると言ってもよい。我が家には三千冊の蔵書があって、どれも我が輩の宝物だ。その本を一冊、どれでも良い。優勝者に進呈しよう。本に興味のない下々も少なくなかろうが、我が輩のコレクションの中には、貴重な導きの星4以上のクラスをクラスアップをさせる魔導書もあーるぞ」


「その中に『悟道の書』はあるか?」


 俺は人垣を塗って、デーブレエス伯爵の前に出でる。


「ほう。下々の者にしては、珍しい魔導書の名前を知っているのう。あれはもうここ千年生まれていないクラスのクラスアップに必要なものだというのに。だから、我が輩も集めるのには苦労したのであーる。それを知るお主はもしや……」


 しまった! つい魔導書と聞いて、熱くなってしまった。

 探している魔導書の名前を出すということは、俺のクラスを言っているようなものじゃないか。


「もしや、お主も我が輩と同じ、魔導書のマニアでは?」


「え? あ、ああ……。そ、そうなんだ。珍しい魔導書を集めていてな」


「かっかっかっ。なるほど。そういうことか。だが、あれは我がコレクションの中でも珍品中の珍品だ。おいそれと人に見せるわけにはいかないのであーる。欲しければ勝ち上がるのであーる」


 目を細めて、不気味な笑みを浮かべる。


「そして剣闘試合といえば、やはり気になるのは賭け事であろう。もちろん、あるぞ。胴元は我が伯爵家が責任を持って執り行おう。公平にズルなし。もちろん、我が輩も参加するぞ。振るって参加してくれ」


 賞金に賭け事と聞けば、民衆が盛り上がらないわけがない。

 デーブレエス伯爵の巨体を馬車に押し込められるまで、民衆の賛美は絶えることはなかった。


「こんな形で『悟道の書』の所在がわかるとはな」


 どうする。クラスアップはルーラタリア王国を訪れてからと考えていたが、デーブレエス伯爵の話を聞く限り、『悟道の書』は相当なレアな魔導書という位置づけらしい。となれば、この先のルーラタリア王国で見つかる保証はない。


 この機を逃す手はないと思うが、クラスとして圧倒的に不利だ。

 剣闘試合が開かれるのは一ヶ月後とのことだが、その期間を利用して付け焼き刃の剣術を習ったところで、優勝は難しいだろう。


「クロノ殿」


 声をかけてきたのはミュシャだった。

 どうやら買い物帰りらしく、紙袋には食料がいっぱい入っていた。さらに鎧姿ではなく、私服だ。鎧姿も凜々しいが、私服姿もなかなか新鮮味があっていい。むしろこっちの方が好みだった。


「クロノ殿、あまりジロジロ見ないでほしいのだが」


「すまん。……ところでミュシャ、今の話聞いていたか?」


「ああ。もちろん参加するぞ。クラスアップの魔導書は貴重だからな。特にクラス〝Ⅳ〟になるための魔導書はかなり稀少だ。普通の市場では出回っていないからな。強くなるための好機だ」


 導きの星3の【重戦士】ともなればば、時々道具屋や街のオークションで売りに出されることがあるらしい。ただクラス〝Ⅳ〟になるためには上級の魔導書が必要で、これがなかなか市場に出回らないと、ミュシャは嘆いていた。


 ミュシャに大金を渡して、優勝した折に『悟道の道』を譲ってもらおうかとも考えたが、さすがに無理そうだ。


「クロノ殿は出場しないのか?」


「クラス的に難しいんだ。あまり剣術は得意じゃないし」


「そうだろうか? 私にはそうは思えないのだが……」


「お世辞はいいって。でも、俺も魔導書は欲しいんだよなあ」


「ならば、剣技に猛る奴隷を雇ってはいかがかな?」


 奴隷……。なるほど。その手があったか!

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