第16話

 現代世界で奴隷と聞くと、ネガティブな意味合いを指して使われるが、ジオラントでは立派な労働力としてごく一般的に認知されている。奴隷に対する不当な扱いや、本人の意思を無視した取引などには、禁止する法律があって、一応の人権が保たれていた。


 とはいえ、グレーゾーンもあって、奴隷を不当に従え、悪い商売をする奴隷商も少なくない。

 たとえば奴隷商に管理されている間は人権を守られるが、顧客に手に渡った瞬間からその限りではなくなる。奴隷をどう扱うかはその顧客が決めることで、奴隷商は顧客のニーズに応えた奴隷を勧めるだけだ。


 その最たるものが『服従の血判』と言われる魔導儀式である。これによって奴隷は主人の言うことを絶対に聞かなければならなくなる。可哀想と思われるだろうが、この儀式が使用される前まで、奴隷の夜逃げ、主人の殺害があちこちで横行していた。

『服従の血判』はあくまで顧客を守るためなのだ。


「ここか……」


 俺はメルエスの郊外ににある奴隷商のテントの前に立っていた。

 テントの中の空気はお世辞にも良くはない。檻が無造作に置かれ、中には人や獣人たちが眠っている。血色が悪くない。実はミュシャから奴隷を勧められ、様々な奴隷商の商店を練り歩いたが、ここが一番まともそうだ。


 五日ほどメルエスの中にある奴隷商はほとんど回ったが、目当ての人材は探し出せていない。刻々と剣闘試合の日時が近づいてきており、さすがに俺の表情にも焦りの色が浮かび始めていた。


「何かお探しですか、旦那様?」


 振り返ると、小柄な男が立っていた。

 黒眼鏡に、黒のシリンダーハットと黒のタキシード。これでパイプでも吹かしていようものなら、まるで産業革命時の英国紳士そのものだ。


 男はピエロみたいに笑うと、気前よくステッキを回しながら、俺に近づいてくる。

 最後に帽子を取って、深々と頭を下げた。


「わたくし、ゾンデ・マンデーと申します。ここの店長をやっております」


「あんたが店長か?」


「はい。それで、旦那様? 今日はどのような奴隷をお捜しでしょうか? 今なら、あちらの娘がお買い得ですぞ。お若く、精力に溢れた旦那様にはピッタリかと」


 ゾンデが示したのは、若い女の奴隷だ。

 粗末な麻布の服の横から、大きくたわわに実った……ごほん。これ以上はやめておこう。

 これでも俺は紳士なんだ。


「悪いが、そういうのは間に合ってるんだ」


「残念。お似合いと思いましたのに。彼女はなかなか尽くすタイプですよ」


 しつこい。まあ、奴隷商なんてだいたい商魂たくましいヤツらばかりだからな。

 いちいち気にしていたら、買い物もできない。


「【剣士】、あるいは【戦士】系のクラスを持つ奴隷を捜している」


 俺の場合、異世界召喚と一緒に付与されたクラスだが、一般人には職業神殿と呼ばれる神殿に出向き、クラスが付与される。六歳から可能で、奴隷にも付与可能だ。変更する方法はあるにはあるが、基本的に一度付与されたクラスで生涯を終えることが多い。


「そうですな。こちらなんていかがでしょうか?」


 いくつか体格のいい奴隷を紹介してもらったが、ピンとこない。

 別に顔で選んでいるわけじゃないが、ミュシャのあの凄まじい剣技が頭によぎると、どんなに屈強な体格をしていても、勝てるイメージが浮かばない。奴隷ならば、俺のために働いてくれると思ったが、ちょっと虫が良すぎたようだ。


「まだ奥があるのか……」


「あっ。旦那様、そちらは」


 気になった俺は奥へと進む。そしてある檻の前で立ち止まった。

 ただの檻ではない。格子の太さも、屋根や床の厚みも他の奴隷が入っていた檻とは一線を画す。おそらく猛獣用の檻だろう。


 ドラゴンでも入っているのか思いきや、中で丸まっていたのは小柄な少女である。

 他の奴隷同様に麻布の服を着た真っ白な肢体に、否応でも目が引く薄い緋色の髪。頭にはぴょこりと三角形の耳がピクピクと小刻みに動いていて、如何にも柔らかそうなモフモフの尻尾が寝返りを打つたびに翻った。


「緋狼族か」


 緋狼族は「獰猛なる孤狼」といわれる、伝説の獣人だ。

 人が決して立ち入れないような山深い場所を住処とし、あらゆる種族と関係を断って、生活する孤高の一族である。一度その逆鱗に触れれば、風のように地の果てまで追いかけ、林のように静かに近づき、そして炎のように相手を圧倒するという。実際、ある国の王が緋狼族の子どもを見つけて連れ去った結果、怒りを買い、一夜にして国を滅ぼされたという言い伝えも存在する。

 膂力に優れ、足に優れ、戦うために生まれたような種族だ。


「よくご存知で」


「あ、ああ……。昔ちょっとな」


 一般的にはあまり知られていない幻の種族を、何故俺が知っているのか。

 それは昔仲間に緋狼族がいたからだ。だから少女を見た時、真っ先に仲間の顔が思い浮かんだ。

 俺とゾンデが檻の前に立つと、耳をピクリと動かし、目を覚ます。

 浅黄色の瞳がこちらを向く。悲壮感の漂う目に、はっと心が打たれたようが気がした。


「旦那様、申し訳ありませんが、そちらは売り物ではございません」


「売却済みってことか?」


「いえいえ。そもそも売り物にならないのです。容姿こそ可愛げですが、こちらの緋狼族と申しまして、一夜にして国を滅ぼした伝説の……」


「それは知ってる。なら尚更売り物にしない? 珍しいというなら買い手がすぐに付くだろう。もしかして、あんたのコレクションとか?」


「いいえ。……わかりました。それではこれをお見せしましょう」


 ゾンデはポケットの中からハンカチを取り出す。それを緋狼族の少女の檻の前で広げてみせた。広げたハンカチには、魔法陣が刺繍されている。おそらく『服従の血判』の儀式を簡易的に行う魔導具のようだ。


 ゾンデは緋狼族の少女に、この魔法陣の上に手をかざすように指示する。少女は何をされるのかわかっているのだろう。恐る恐る手をかざした。次の瞬間、血のように赤い魔力が少女の中に流れ込んでくる。


「ううう……。ああああああああ……」


 緋狼族の少女は呻く。『服従の血判』の魔力は、彼女の体内を蛇のように這い回り続けると、最後に首を絞めるように定着した。少女の首に、蛇を模した鎖のような紋様が浮かぶ。『服従の血判』は完了した。これで彼女はゾンデの言うことに絶対服従しなければならなくなる。


 直後、少女の瞳が燃えるように赤く輝く。硝子が割れるような音を立てると、蛇の紋様が消滅した。それは『服従の血判』の能力も消滅したことを意味する。


「非常に申し上げにくいのですが? この子のクラスは【獣戦士】でして」


「【獣戦士】!?」


 導きの星5。

 つまり、俺の【大賢者】やミツムネの【暗黒騎士】に匹敵するレアクラスだ。

【バーサーカー】の完全上位互換クラスで、自身を強化する強力なスキルを始め、使役した魔獣を使って攻撃させたり、遠くの場所を索敵させたり、汎用性も高い。

 潜在能力の高い緋狼族に、【獣戦士】から受ける能力値補正、さらにスキル。最強の組合わせといってもいい。特別分厚い檻の中にいる理由もわかったような気がする。


「凄いじゃないか。レアクラスだぞ」


「はい。ですが、商売としては少々厄介な代物でして。クロノ様は【獣戦士】のスキルがどんなものか知ってらっしゃいますか?」


「ああ。基本的に【バーサーカー】と【魔獣使い】を足したような……」


 そうか。ゾンデが青い顔するのもわかった気がする。


【獣戦士】には【バーサーカー】と同じく、〈鬼人化〉というスキルがある。

 このスキルは基礎能力を三倍にするという能力があるのだが、その一方で使えば理性を失い、敵味方関係なく攻撃するという欠点がある。さらにこの状態になると、それまでかかっていた魔法の効果がすべてを消滅してしまうという、厄介な性質も付き纏う。


「そうか。〈鬼人化〉を使った瞬間、『服従の血判』の効果も消えてしまうのか」


「左様でございます。正直、そのような欠陥商品を旦那様方に売るわけにもいかず」


「なるほどな。運良く買い手が付いたとしても、今のように檻に入れられ、愛玩獣人として虐待されるか、戦場のど真ん中に放り出して、死ぬまで暴れさせるか。そんなところか」


 むしろ、そんな不良債権をこんな特注の檻まで作って、大事に抱えていたゾンデにも驚きだ。

 手がかかる子どもほど……なんていうが、意外と接しているうちに親心がついたのかもしれない。なりは不審人物でも、性根は真っ直ぐな人間なのかもしれないな。


「親元には……?」


「それも考えたには考えたのですが、どうやらこの緋狼族の娘は里から追放されたようでして」


「だいたい想像が付くな。里の中で暴れ回ったのだろう」


 たぶんスキルの使い方をよくわかっていないのだ。さっき『服従の血判』を消滅させた方法も、本能的に覚えたのかもしれない。やはり惜しいな。埋もれさせるには勿体ない人材だ。一ヵ月でも磨けば、剣闘試合の上位あるいは優勝することも夢じゃないだろう。


 それにこの少女の目は、暗い部屋の中で引きこもっていたかつての黒野賢吾にそっくりなのだ。


『ギフト「おもいだす」の条件に合致する対象が近くにいます』


『ギフトを使用しますか? Y/N』


 唐突に『幻窓』が開いた。

 ギフトを……使用する?? 『おもいだす』は俺専用のギフトじゃないのか。


 待て。こう考えられないだろうか?


 俺が前世の記憶を取り戻したように、少女にも何らかの前世の記憶があると仮定する。

 つまり、『おもいだす』とは、その人間の前世の知識や才能を呼び戻すギフトだとしたら……。

 俺は檻に向かって手を差し出す。危害を加えられると思ったのだろう。それまで大人しかった少女は突如唸りを上げて、俺を睨んだ。


「うががががが……」


「怒るのも無理ないな。待たせてすまない。俺が解放してやる」



 お前のあるべき記憶を……。



 俺ははっきりと言葉を口にした。


「YESだ」


『ギフト「おもいだす」の起動が承認されました』


『条件対象に対して、「おもいだす」を使用します』


 次の瞬間、俺たちを中心に光が満ちていく。

 発動されたギフト『おもいだす』の光の帯は、その身体の中を泳ぎ、躍動する。

 まるで緋狼族の少女が作り替えられていくように俺には見えた。


「うがっ! がががががががが……」


「大丈夫だ。しばらくすれば慣れてくるよ」


 最初こそ頭を抱えてのたうち回ってきたが、やがて表情は安らかになっていく。

 同時に光は徐々に収縮し、しばらくして元の状態に戻った。


『ギフト「おもいだす」が完了しました』


『少女は、前世の記憶を思い出しました』


 少女は檻の中でゆっくりと起き上がると、突如格子を掴んだ。

 顔を上げ、こちらを見た瞳は赤くなっていた。すでに〈鬼人化〉している。


 タダならぬ雰囲気を味わう前に、次の瞬間太い格子は無理矢理ねじ曲げられた。ちょうど人一人分ぐらいが身体を入れられる隙間を作ると、ついに少女は檻の外に出てくる。

 低く喉を鳴らすと、少女は真っ先に飛びかかってきた。


「あ~~~~~~~~る~~~~~~~~じ~~~~~~~~~~~!!」


 俺は少女に引き寄せられる。突然、俺は優しく抱きしめた。


「あるじ~! あるじ~! よかった! また会えた!」


「ああ。久しぶりだな、ミィミ……。というか、俺だってよくわかったな」


「だって、あるじの匂いがするんだもん」


 匂いって……。記憶はあっても、この身体は黒野賢吾なんだがな。

 さすが伝説の獣人。識別の仕方が斜め上過ぎる。

 そう。少女の中にあったのは、俺が千年前、ともに魔王を討つために戦った仲間の記憶だ。


 名前はミィミ。ちなみに元奴隷。それを俺が拾って、一から育てた。その恩義があって、ミィミは俺を「あるじ」と呼んで慕っている。

 そのあるじとの千年ぶりの再会だからか。ミィミは大はしゃぎしていた。


「ミィミ、聞いてくれ」


「どうしたの、あるじ?」


「またお前の力を借りたい。具体的に言えば、剣闘試合に出て、優勝してほしい。そこに俺が今ほしいものがある」


 ミィミは満面の笑みを浮かべ、胸を叩いた。


「任せて、あるじ! ミィミ、絶対優勝する!」


「ミィミ……。ありがとう」


 これで勝利のピースは揃った。

 剣闘試合まであと一ヶ月。その間に仕込めば、ミィミなら必ず優勝できるだろう。

 ホッとしたのもつかの間だった。突然、また『幻窓』が開く。


『ギフト「おもいだす」のレベルアップ条件をクリアしました』


『ギフト「おもいだす」のレベルが2になりました』


 いきなりギフトがレベルアップした。

 条件? そうか。ギフトをレベルアップさせるためには、開示されていない条件を見つけて、それをクリアすることだったのか。この場合、誰かの記憶を思い出させることが、レベル2にする条件だったんだな。


「あるじ、どうしたの?」


「ギフトのレベルが上がったらしい」


「ギフト……? ギフトならミィミにもあるよ」


「ミィミにも? なんてギフ……、あ、いや後で聞こう」


 ギフトは言わば秘密兵器だ。あまり人前で話す類いのものではない。


「いやはや、あのミィミをここまで手懐けるとは……。お見それしました、クロノ殿。どのような魔法を使ったのですかな?」


 俺の腕を組み、満面の笑みを見せるミィミを見て、ゾンデは固まっていた。

 これまでまともに喋ることすらなかった娘が、いきなり天真爛漫な少女として檻から飛び出てきたのだから無理もない。


「まあ、信頼が成せる業ということで」


「はっはっはっ……。企業秘密という奴ですかな。いいでしょう。初めて会った時、もしかしたらあなた様ならという期待はございました。奴隷商の勘という奴ですな」


 それは嘘だろ。今日会ったばかりだぞ。

 まったく商人って奴は調子のいい奴らばかりだ。


「それでミィミの身請けの話なんだが……」


「そうですなあ。ミィミにはかなり世話を焼いてきましたし、投資もしてきました。わたくしも奴隷商です。サービスして差し上げたいところですが、少々シビアな査定をしなけれなりません」


 引き取り手のなかった問題児を身請けするわけだから、あわよくば無料なんて展開も予想していたのだが、ゾンデにその気はないらしい。鼻唄を歌いながら、算盤のような演算器を弾いていた。


「それでは金貨三百枚で如何でしょう。それもすべてティフディリア金貨で」


「金貨三百枚って……。剣闘試合の優勝賞金と同じなのは偶然か、ゾンデ」


「こちらも商売でして。緋狼族……、しかもレアクラス持ちの奴隷を二束三文で売りつけては、商人の名折れです。他の奴隷商にも迷惑をかけることにもなりますので」


「つまり賞金を寄越せってことか? 俺たちが優勝できなかったらどうするんだよ?」


「その時にはミィミは返してもらいます。ですが、もちろん優勝なさるのでしょう?」


 それで発破をかけてるつもりかよ。

 奴隷商が仕掛けた導火線に見事引っかかったのは、当のミィミだ。


「うん! 絶対優勝する! それで……、今までお世話になったお返しをする」


「ミィミ、今までのことを覚えてるんだな」


「覚えてるよ。ゾンデにはとってもお世話になった。だから、ここでお世話になった分を返す。だから、ミィミは絶対に絶対、優勝する」


 ミィミがゾンデの手を握る。ゾンデは呆然としていたが、顔は赤くなっていた。

 商売一筋かと思えば、やっぱりゾンデはいい人じゃないか。

 これで剣闘試合に必ず出なければならなくなった。

 ミィミを引き取るためにも、優勝は絶対条件だ。

 そのために、最高のサポートをしよう。





 と思っていたのだが……。


 ぐるるるるぎゅうぅぅぅううううう!


 ドラゴンの嘶きか、トロルの叫びか。盛大な音が街の通りに響き渡る。

 魔獣襲来かと勘違いして、地面に伏せる市民の姿もあったが、特に何も起こらなかった。

 お腹を押さえていたのは、ミィミである。


「あるじ、お腹空いた」


「やれやれ、その前に腹ごしらえのようだな」


 俺は苦笑するのだった。

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