第16話 小さな一歩
たとえばと続けたアレスの口から出てきたのは、意外な家の名前だった。
「ダーメンス家のお坊ちゃんとチャバル男爵家が違法商売の相談をしていた、とかね」
――まさか、自分の家が話題に出るとは思わず、レティナは目を見張る。
「おっ。その反応、もしかして見たことある? ……チャバル家の奥方は、ダーメンス伯爵夫人の昔の学友らしい。でもさぁ、それだけにしては妙なんだ。近年急激に距離を縮めてる。なにせ、家柄至上主義のダーメンス伯爵夫人が、大事な息子の嫁に、格下扱いしている男爵家の娘を選ぶくらいだ」
「その話は、破棄されたはずです」
思わず発したレティナの声は、固かった。
あの夜会で、一方的に通告されたのだ。
別の相手を伴っていたクーズリィと、立腹していた伯爵夫人。
あの二人の様子を思うに、チャバル家に絶縁状を送っていてもおかしくない。
「へぇ~、詳しいねレト君」
「え、それは……僕は、婚約破棄が宣言された夜会の場におりましたから」
「なるほど。……君は、よっぽどクーズリィに近しい立場だったんだな」
「そうかもしれません」
レティナが素直に認めると、アレスは意外そうな顔をした。
「でも、僕はアレスさんにお話しできるような価値ある情報はもっていません。……肩書きだけは近しくとも……心の距離は、今の僕とアレスさん以上に遠かったですから」
「……レト君……」
「それと、もう一つ!」
「ん?」
「チャバル家は、断じて不正などに関わったりはしません! 家名はもちろん、領民と領地に泥を塗るような真似はしない。そういう家ですから」
領地の名産品に誇りを持っている。
以前は高級品だった茶葉を、みんなが口に出来るようにと改良を重ね、流通に尽力した先達に顔向けできないまねは、決してしない。
レティナが断言すると、アレスは苦笑を浮かべていた。
「レト君って……けっこう言うよなぁ」
「っ! 申し訳ありません、僕、熱くなってしまって生意気な口を……! ――でも、これだけは、どうしても譲れません」
チャバル家に関わる疑惑だけは、どうしても晴らしたいと身を乗り出すレティナ。
勢いに推されるようにアレスが身をひく。
すると、間に腕が割って入ってきた。
「おっ、隊長」
「あっ、リグハーツ隊長……お疲れ様です」
すん、とした表情のルシードがふたりの間に立っていた。
「……話は聞かせてもらった。レト」
「は、はい」
「ついてこい」
「……え?」
「行くぞ」
レティナが困惑している間に、ルシードはすでに踵を返し部屋から出て行く。
「あ~、多分、見回りに行くから付いてこいって意味だと思う。う~ん、肝心な所で言葉足らずだなぁ、あの人は」
呑気にアレスが分析しているが、レティナにとっては驚きの内容だった。
「え、僕が同行してもよいものなのですか?」
自分はあまり外を出歩くべきでは……と思っていた。
なにより、無理を言って置いてもらっている身だ。
リグハーツ隊の面々の邪魔になるようなことはしたくない。
ルシードに付いていくということは、彼の仕事に自分が同行するということで――邪魔ではないだろうか、とレティナは不安になった。
すると、アレスは「なに言ってるのさ」と明るく笑い飛ばす。
「もちろん。いいから誘ったんだよ。……つまり、君のことを信用してるって事。隊長はもちろん、オレらもね」
「……アレスさん」
「カマかけて悪かった。……まぁ、オレはこういう奴だけと、隊長はあの通り不器用くそ真面目人間だからさ。……君も、ちょっとは信用してくれると嬉しいな」
「僕は……」
レティナは口を開いた。
それは、明確に伝えたいものがあったわけではない。
ただ、無意識だった。
何を言いたいかも分からない、そんなレティナの心境を看破したかのようにアレスはその続きを止めた。
「ほ~ら~、はやく行かないと、隊長に怒鳴られるぞ~」
「別に怒鳴ったりはしない」
「うわっ、言ったそばから戻ってきた! レト君、急ぐ急ぐ!」
先に出ていったはずのルシードが、再び顔を出すとアレスが大げさにせき立てた。
「ぁ、はい、あの……」
「慌てるな。俺は別に怒鳴らない。……きちんと用件を伝えていなかったと気付いたから戻ってきたんだ。今から俺は、市街の見回りに行く。レト、見習いとしてお前も同行しろ」
「は、はい!」
「よろしい。では、行くぞ」
ルシードがふと目元を和らげる。
何を思ったか、彼の片手がレティナの頭にポンと置かれた。
「先ほどの話、悪いが立ち聞きしてしまった。――やはり、お前は自分の意見をきちんと言える男だな。初対面の時、見当違いで失礼なことを言った。非礼を詫びる」
「え、あの、えぇと」
「隊長、レト君が混乱してんですけど」
たしかに、レティナは混乱していた。
急にルシードが優しい顔で微笑んだことも、いきなり謝ってきたことも、色々ありすぎて混乱していたのだが――。
「そうか。感情が顔に出るのは、素直でいいことだ。レトは可愛い奴だな」
「あ、レト君死んだ」
ルシードの言葉に、顔から湯気が出そうな程の恥ずかしさを感じる。
アレスの無情な宣告が響く中、本当に数秒ほど気が遠くなるという経験をしたレティナだった。
――その後、なんとか持ち直したレティナは、ルシードの後を付いて部屋を出る。
「行ってらっしゃい。隊長、レト君」
「ああ、行ってくる」
アレスから笑顔で見送られ、ルシードは軽く頷いて答えた。
それからふたりの視線が自分に向いていることに気付いたレティナは、なんだか面映ゆい気持ちを抱え、口を開いた。
「――行ってきます」
大きく頷くアレスも、行くぞと促すルシードも、その顔に浮かんでいるのは笑顔だった。
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