第25話 自覚①(ルシード)

「恋人でもない男の嫉妬なんて、醜悪でしかなくてよ? ルシード」


 レトといた時に見せていた表情とは違い、ツンと取り澄ました顔でそんなことを言い出す姉のマリアベル。

 だが、その目はどこか勝ち誇っているような気がして、俺はマリアベルを睨みつけた。


「……なんの話か分からないな。それより、レトにもここでの立場がある。気心が知れている相手だとはいえ、不用意に触るな」

「どうして、素直に羨ましいと言えないのかしら。ルシード」

「黙れ。むやみやたらと騒動を起こすなと、言っているんだ」

「あらやだ、怖いこと。……が見たら、どう思うかしら?」

「レトは関係ないだろう」


 言い返すと、マリアベルは「ふふ」と気味悪く笑った。


「わたくしは、一言もレトのことだとは言ってないわ」

「――っ」

「なるほど。お前が怖い顔を見られて困るあの子というのは、レトなのね」

「ぬけぬけと……! その白々しい物言いをやめろ。だいたい、姉上が初めから彼女について説明してくれれば、俺は……!」

「まぁ、?」


 マリアベルの目と口が、にんまりと細められる。


「ルシード、お前……今、彼女と言ったわね」

「……それがどうした」

「そうね……彼女と言ったお前に聞きたいわ。お前は、レトの性別を分かっていた上で、さきほど強引にあの子を抱き寄せたのかしら?」


 ――は?

 マリアベルの言葉に、思考が停止した。


「わたくしから奪い返すように必死になって。……ねぇ、ルシード、婚約者でもない男にそんなことをされたら、普通の令嬢ならば怖くて身が竦むし、嫌悪感を抱くとは思わない?」


 これまで、散々その気のない男からつきまとわれてきたマリアベルの言葉は、重い。

 頭をガツンと殴られたような衝撃を覚えた俺は、最近違和感を覚えた出来事を反芻した。


 ――だから、レトは最近様子がおかしかったのか?

 

 俺と目が合うと視線をそらしたり、妙に俺から距離をとったりするのは、俺が嫌だから? 

 不用意に頭に触ったり、故意ではないとはいえ、抱き留めたりしたから、苦手意識を持たれた?


 そして、今さっき、俺とは距離をとるのに、マリアベルには屈託なく接する姿が羨ましくて、あまつさえ抱擁しようとするマリアベルに腹が立って、思わず間に入った。もしや、あれが、トドメになったのか?


 というか、婚約者でもない男だと?

 婚約者には、許すというのか?

 ――奴には、これら全てが許されると?


「俺がダメで、あの男ならばいいというのか」


 思わず、うなるような声が出た。

 マリアベルは、呆れたように扇を広げ口元を隠す。


「ええ、現状ならば、あの子に触れて許されるのはあの男……クーズリィ・ダーメンスだけでしょうね。――興味がないと放置しないで、きちんと調べたのね、意外だわ。わたくしは、ひょっとしたらお前は、なにも気付かないのではないかと心配していたけれど……これに関しては旦那様の勝ちね」

「……人を夫婦間の賭けの対象にするな。……というか、気付かない方がどうかしているだろう」


 レトの性別に気付けば、あとはなし崩し的に分かることだ。


 ――レトはクーズリィ・ダーメンスに近しい立ち位置にいた、保護対象だ。

 だが、彼女は性別を偽っており、チャバル家の話題になるとムキになるほどあの家に肩入れしていた。


 導き出される答えは、ひとつだけ。


 レトの正体は、クーズリィ・ダーメンスの婚約者……現在、失踪中とも病気療養中とも言われているレティナ・チャバル男爵令嬢だ。


 もちろん、裏付け調査もしたが、結局俺の予想を確定させただけだった。

 その上で気になるのは……。


「レトは以前、婚約は破棄されたと言っていたぞ。それなのに、どうして未だにダーメンスが婚約者におさまったままなんだ」

「簡単なことよ。ルシード、お前、レティナが婚約破棄された夜、何があったか詳しく知っていて?」

「いや……」


 さすがに、招待客でもないのに屋敷の中には入れない。

 だから、俺が知っているのは人伝の情報だけだ。


 クーズリィが別の女性を伴って夜会に現れ、婚約者に恥をかかせたと。


 夜会に出ていた姉夫婦から、さらに一歩踏み込んだ婚約破棄の話は聞いていたが、その時はクーズリィを捕まえることだけに意識を割いていて、正直気の毒な令嬢の話は右から左へと聞き流していた。


 ……どれだけ余裕がなかったんだろうな、当時の俺は。

 だが、レトとして俺の前に現れたレティナ嬢からも、婚約は破棄されたと聞いている。……正確には、アレスに話している場面にたまたま遭遇し、立ち聞きしてしまったという流れだが。


「一体、何があったんだ。婚約を破棄したいと言ったのは、クーズリィの方なんだろう?」

「そうよ。夜会に見知らぬ女性を伴って現れて、レティナとチャバル家を侮辱した。……そして婚約破棄を告げて――レティナに殴られて倒れたのよ」

「…………倒れた?」

「ええ。わたくしたちがレティナを保護したあと、あの親子は息巻いてチャバル家に謝罪を要求する手紙を書いたらしいわ。そしたら、チャバル家の長兄が、謝罪するどころか婚約破棄の方向に舵を切った」

「いいことじゃないか。何が悪い?」


 婚約は白紙。今後は絶縁で目も合わせない。それでいいではないか。


「わたくしだって、素晴らしい決断だと思うわ。……でもね、その途端、クーズリィがレティナのことを探し始めたの」


 家格が下だろうが、婚約者だろうが、レティナは他家から預かっている大事なご令嬢のはず。

 屋敷に戻らなければ、血相を変えて探すだろうに――クーズリィたちは、レティナが詫びを入れるの待つだけで探しもしなかったという。


 チャバル家に脅しの手紙を書けば、向こうが見つけて首に縄を付けてでも連れてくると思っていたらしい。


 だが、思う展開とズレた。

 だから、クーズリィは捨てるつもりの婚約者を、わざわざ探し始めた……?

 本当に、それだけか?


「あの男、レティナを再び従えて社交界で流れている噂を上書きしたいのよ。自分は婚約者に合わせて倒れたフリをしてあげただけだと……そうでなければ、クーズリィ・ダーメンスは、か弱いご令嬢よりもか弱い《深窓のご令息》と呼ばれ続けるもの」


 つまるところ、ひ弱野郎ということか。

 姉も思い切り皮肉を込めていたし……。


「――だが、再び従えるとは、穏やかではないな」

「お前も、最初の頃のあの子を知っているでしょう」


 そう言ったマリアベルの声は、怒りを押し殺したように震えていた。

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