第26話 自覚②(ルシード)

 マリアベルの怒りのこもった声に、俺は出会ったばかりのレトを思い出す。


 ああ、そうだ。

 最初の頃、レトは常に緊張した様子で、いつも視線が定まらずおどおどしていた。


「レティナがチャバル男爵領から王都に来たのは、ダーメンス家伯爵夫人に、伯爵家に嫁ぐために相応しい淑女になるための教育を受けるためらしいわ。レティナの母親が、伯爵夫人に言われてレティナのためになるからと引き渡したの。住み込みで教育を施すのが娘のためだとね」

「なんだそれは……」

「ええ、そうね。まったく作法も学んだことのない平民の娘が、貴族と結ばれるなんてことになれば、後ろ盾となった家が教育を施すでしょうから、屋敷に住まわせるのもありえる話よ。だけど、貴族間で、なおかつ婚約関係になるとはいえ未婚の令嬢よ? それを、やむにやまれぬ理由もないのに屋敷に住まわせ教育なんて……聞いたことがないわ」


 マリアベルに頷く。

 満足な教育を施せていない、基礎すらなっていないと暗に嫌味を言っているものだ。

 

「俺が見てきた限り、彼女が無作法とは思えなかったが?」

「ええ、わたくしもよ。チャバル家は男爵といえど、茶葉の献上で王家の目にとまった貴族よ。己の家よりも高位な家の者と接する機会も多いから、子ども達にも幼い頃から礼儀作法について学ばせてきたと言うわ。そのおかげで、あそこのお家の次男は、騎士の家系として名高い侯爵家から養子のお話がきたというじゃない」


 やはり、レティナ・チャバルにはなんの問題はなかった。


 それなのに、彼女の母親は怒るどころか、娘を引き渡したのか?

 それほど、ダーメンス家の夫人を信頼していたのか?

 それほど信頼出来る友だったのか?


 ――いや、ダーメンス家に関しては数々の報告書があるが、そんな記載はどこにもない。


「旧友だからか? 恐ろしいまでの信頼感だな」

「あら、違うわルシード。学友というより、取り巻きのひとりだった……と言った方が正しいわね。わたくしにも、お前にも、身に覚えがあるでしょう?」


 頼んでもいないのに集まってきた、身分にへつらう子ども達。

 それが、いわゆる取り巻きだった。

 姉のように上手く御する者もいれば、俺のように「邪魔だ」と一蹴してその後誰も近寄らなくなるという者もいる。


 だいたいの者が、御するか排するかの二択を選ぶが、中には取り巻きに囲まれ優越感に浸るものもいた。


 夫人はその類だったんだろう。

 そして、悲しいことに、レトの……レティナ嬢の母親は、従属することで安心を覚える者だった。


 だから、娘も同じだろうと思ったのか。


「……結果は、最初のあの子を見たとおりよ。笑顔も段々と消えて、あんなに好きだったお茶にも関心を示さなくなって、いつもうつむくか、視線を動かして、人の顔色をうかがってばかりだった。笑顔も、明るさも……あの子の長所は、伯爵夫人の言う教育とやらで踏みつけにされたのよ」


 レトは、お茶を褒めたときやけに嬉しそうだった。

 それこそ、大げさなほどに喜んでいた。


 ――本当に美味いと思ったから。

 ――本当に、感謝したから。


 だから、お礼を言ったのに、褒められ慣れていない様子で……。


 レトの口からたまに出る、自己を卑下する言葉。

 あれは、踏みにじられた結果、そう思わざるを得なくなったのだ。


「……クーズリィは、なにをしていたんだ」


 自分の母親を、止めるべきだっただろうに。


「分かるでしょう、ルシード」


 あぁ、そうだな。

 姉の冷ややか声に、頷いた。


 ――クーズリィ・ダーメンスは、婚約者を守るどころか、一緒になって彼女の矜持を踏みつけにしてきたのだろう。


 そして、今も、自分の保身のためだけに彼女を探している。

 なんて勝手な連中だと、嫌悪感がわく。


「俺なら、絶対にそんなことは許さない」


 思わずこぼれた本音。

 ――憤りのままに口にした、俺の本音。これは、無意識に出た言葉だ。


 俺は今、こう考えていた。


 俺ならば、絶対に彼女を傷つけたりしない。彼女を傷つけようとする者は許さない。

 そうだ。

 俺ならば……俺が、彼女の婚約者ならば、なにがあろうと愛する人を守る。


 ――そして、ようやく気付いた。


「……俺は、彼女のことが、好き……なのか」


 マリアベルはチラリと俺を見る。


「なにを今さら。だから、あの子に避けられて見ているこちらが滅入るほど落ち込んだり、わたくしたちの仲のよさに嫉妬したりしたのでしょう? 無自覚だろうとは思っていたけれど、お前はほんとうに手がかかるわね」


 でも……とマリアベルは扇を閉じると微笑んだ。


「自覚おめでとう、ルシード」

「なにがめでたいんだ。俺は彼女に嫌われているんだぞ? 嫌味か? それは、嫌味なのか姉上」

「……まだまだ手がかかるのね、この愚弟は」


 恨みがましく睨むと、マリアベルは呆れたように嘆息し「ルシード」と呼びかけてきた。


「なんだ」

「わたくし、レティナには幸せになって欲しいの。わたくしを助けてくれた、大切な恩人でお友達だから」


 神妙な姉の言葉。


「恩人?」


 気になる単語を繰り返すと、マリアベルは一つ頷いた。

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