第2話 行き場のない逃走


 華やかな夜会の場から逃げ出したレティナだったが、外の空気に触れた途端に冷静になった。


 一体自分は、どこに逃げようというのか。

 ここからは、どこにも逃げ場所などないのに。


 外気のせいだけではない。

 レティナは自分がしでかしたことを思い返し、青ざめ、震えた。


 なぜ、反射的に逃げてしまったのか。


(戻って、謝らないと)


 伯爵夫人は怒っていた。

 クーズリィも鼻血を垂らしてこちらを睨んでいたから、同じく立腹しているだろう。

 あの場に戻って、平身低頭して謝罪しなければいけない。


 行いに激怒しつつも追ってこないのは、どうせレティナがどこにも行き場がないと分かっているからだ。


 戻って、誠心誠意謝ることを期待されている。

 それが、自分のやるべきことなのだから。


 ここまで逃げてくるまでは軽かった足が、今は石を付けられたかのように思い。

 けれど、レティナは無理矢理会場に戻ろうとした。


「お待ちなさい、レティナ」


 それを止めたのは、美しい声だった。


「……ぁ」


 レティナの口から、思わずか細い声がこぼれる。

 そこにいたのは、扇子で口元を隠した、青銀髪の美女だった。


「マリアベル様……」


 レティナは、かすれた声でその美女の名前を呼ぶ。

 すると、彼女はツンと取り澄ました様子を一変。迷子の幼子を目にしたかのように、目じりを下げた。


「今、この家から出ようとしていたでしょう?」

「ぁ、い、いえ、わたし……わたくしは、もどって、伯爵夫人とクーズリィ様に、謝罪を」

「あら、それはなんの謝罪かしら? ねぇ、あなた?」


 マリアベルが少しだけ視線を動かした。すると、がっしりとした体躯の男性が近づいてくる。

 マリアベルの夫である、テレント侯爵だ。彼は憮然とした表情で、頷いた。


「ああ。まったくもって、チャバル嬢が謝罪する理由が分からない。向こうの夫人が、騎士団を動かせると思っている理由もだ」

「ですって。……ねぇ、レティナ。わたくしたち、今日の夜会には疲れてしまって、もう帰るところなの」


 それは、自分が見苦しいところを見せたせいだろうか。……そうに違いないと、レティナは項垂れた。

 謝罪の言葉を口にしようとすると、マリアベルから「黙って」と止められる。


「レティナも、疲れたでしょう? 婚約を破棄するなんて突然言われたのだから、当たり前よね。……だから、あんな所に、わざわざ戻る必要は無いでしょう」

「……え? でも、私はあそこにいないと」


 それが、自分の役目のはずだ。

 あの場に戻り、謝罪をして、それから……それから……あとはなにをすればいいのか、伯爵夫人に教えを請うて……。


 ぐるぐるとまわる思考で、それでもレティナが賢明に言葉を紡ぐと、マリアベルは首を横に振った。


「婚約を破棄されたのよ? 貴方と伯爵家の縁は、切られたの。分かる? 貴方にはもう、あの場に留まる理由がないの」


 噛んで含めるように言うマリアベルに、レティナは手を引かれた。


「だから、行きましょうレティナ」

「……どちらへ、ですか?」


 マリアベル・テレント侯爵夫人は、かつて社交界の花と言われた美貌に、まさしく大輪の花のような笑みを浮かべた。

 片手は夫に預け、もう片方の手で途方に暮れている垢抜けない少女を導く。


「ふふ、おかしなレティナ。帰るに決まっているでしょう」

「ああ、迎えの馬車が到着したようだからな」


 レティナに帰る場所なんてない。

 この、ダーメンス家以外に。


 それなのに、テレント夫妻は当たり前のような顔で、レティナを自分たちの馬車へと押し込めたのだった。

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