第3話 差し出された手

「おかえりなさいませ、旦那様、奥様。……ようこそいらっしゃいました、チャバル男爵令嬢」

「……と、突然の訪問、ご無礼をお許しください」

「何を申されますか、当家の主夫妻がお連れした大切なお客様でございます。どうぞ、ごゆるりとお過ごしください」 


 テレント家につくと、使用人たちが夫妻を出迎える。

 その後ろを、おどおどと付いてきたレティナは、当然場違いで眉をひそめられると思いきや、侯爵家の使用人ともなると感情を表に出さない術にも長けているのか危惧した反応を示されることはなかった。


 それどころか、恐縮するレティナを気遣う言葉をかけてくれる。

 その間にも、マリアベルは女主人らしくテキパキとした指示を出していた。


「軽く食べられる物と、温かい飲み物をもってきてちょうだい。ああ、着替えも欲しいわ」


 すぐに気持ちのいい返事があり、周りが動き出す。

 きっと、生まれついての淑女とはマリアベルのような人をいうのだろうと、レティナは憧憬を込めて見つめた。


 自分のような「失格者」とは、大違い……いや、比べるのもおこがましい。


 ――伯爵夫人から教育を受ける中、レティナは何度も「失格」の印を描かれた。失敗する度に、手に、腕に、顔に、時には家から持ってきた服に。そして、この汚い姿が今のレティナの状態で、上っ面だけ飾っても意味が無いのだと説かれた。


 マリアベルは、自分のような淑女教育も満足にこなせない娘に優しく接してくれる。


 彼女と懇意になったと知った時、伯爵夫人は「自分の教育を受けたおかげだ」と喜んでいた。

 そうでなければ、マリアベルのような高位貴族の女性がレティナの様な娘に目をかけるわけがないのだと。


 常々感謝して過ごせと言われてきたが、同時にマリアベルのような本物の貴族女性であれば、こんなに苦労はしなかったのにと棘を刺されてもいた。


 あの伯爵夫人が認める、本物の淑女――そんなマリアベルは、レティナの憧れだ。


 こうなりたいと思った理想の女性に、今日の夜会ではとてもみっともない所をみせ、同情され、そしてその優しさに甘えて家にまでノコノコ付いてきてしまった。


(これじゃあ、淑女らしさなんて欠片もないわ)


 恥じ入るしかないレティナを一室に通したマリアベルは、何も食べていないだろうからと温かい食事をすすめてくれた。


 その間も、ダーメンス家に戻らなければというレティナに「婚約を破棄された令嬢が、その相手の家に押しかけるのはマズイ」と言い聞かせ、今日はここで休むよう言い含めた。


「貴方も話したいことがあるでしょうし、わたくしも貴方に話したいことがあるの。でも、今日はもうおしまい。自覚していないでしょうけど、疲れているのよ。ここはもう安全だから、安心しておやすみなさい」


 それは、不思議な言い回しだった。

 まるで、別の場所には危険があるかのようだ。

 ――いや、まるでレティナがこれまで危険地帯にいて、常に不安に駆られていたような物言いだ。


(マリアベル様は、以前から私をお茶会に誘ってくださったり、とても優しくしてくださるけれど……時々、不思議な事をおっしゃるのよね)


 それでも、マリアベルの言葉はそのままじんわりとレティナの心に染み入った。


 同時に、眠気が襲ってくる。

 ああ……今日は、日付が変わる前に眠れるのか。


(こんな風に怠惰なことを考えてしまうなんて……わたしは、やっぱり淑女としてなってないのだわ……)


 そんなことを思って、レティナは目を閉じていた。

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