第4話 淑女失格

 夜会の翌朝、レティナは見覚えのない、ふかふかの寝台で目を覚ました。

 そして、昨晩のことを思い出す。


 ダーメンス伯爵夫人主催の夜会でやらかし、逃げだし、そこを哀れに思っただろうテレント夫妻に発見され一晩お世話になったことを。


(な、なんてことを……! それも、こんな時間まで寝ているなんて、わたしったら、淑女失格だわ!)


 家の中の誰よりも早く起き、奥向きの仕事を把握し、一日の予定を組み立て使用人たちに指示を出す。


 ――伯爵家に入る以上は必要なことだと、未来の義母予定だった伯爵夫人に教えられていたことを思い出す。


 もちろん、この家の女主人はマリアベルだから、仕事に口を出すなどという出しゃばりは許されない。


 それでもレティナのような立場の低い娘が、身分が高い者より遅く起きることはあり得ないと教えられていた。

 

 レティナは、常に伯爵夫人やクーズリィより早く起き、二人が起きてきたらにこやかに挨拶しなければいけない決まりで……それが、立派な淑女のあるべき姿と説かれていた。


 だから、レティナは明るい外を見て慌てたのだが……。血相を変えバタバタ身支度する客人を心配したテレント家の使用人たちは、マリアベルに報告に走ってしまった。

 レティナの元へやって来たマリアベルは、その不出来さに呆れていると思いきや、悪夢でも見たのかとレティナを案じた。


 ――あまりの優しさに、申し訳なくなったレティナは自分の不甲斐なさを詫びたのだが……。


「きっと、それはダーメンス家特有の家訓なのでしょうね」


 レティナの話を聞いたマリアベルは、綺麗な笑顔でそう言い切った。


「我が家にはそんな奇妙……失礼、厳格な家訓などないの。それに、レティナはわたくしたちのお客様なのよ? ゆっくり寝ていて咎めるなんて、そんなことがあるものですか。昨日は大変だったんだから、もっと休んでいてもいいくらいなのに」

「そんな……これ以上、ご迷惑をおかけするわけにはまいりません、マリアベル様」

「迷惑だなんて、そんな風によそよそしい言い方をしないでレティナ。わたくし、貴方を友人と思っているのだから、悲しいわ」

「恐れ多いです……! わたし……、わたくしのような、淑女失格の娘が、マリアベル様の友人などと……!」


 そこまで厚かましくはなれないとレティナが顔を青くすると、すっとマリアベルの顔から表情が消えた。

 間違った答えだったのかと、レティナは慌てた。


「あ、あの、申し訳……」

「淑女失格? ねえ、レティナ、貴方にそんなことを言ったのはどこのどなたかしら」

「え?」


 マリアベルは、不快感をあらわにしている。だが、それは対面するレティナではなく、別の誰かにむけられていた。


 どうしたらいいのかとレティナがオロオロすると、マリアベルは眉尻を下げた。


「なんて、ごめんなさい。今の貴方には、意地悪な質問だったかもしれないわ。……でも、覚えていてね。わたくしは、本心から、貴方のことを大切なお友達だと思っているわ」

「…………」


 ここは、断るのが正解。


 少なくとも、ダーメンス伯爵夫人の教えでは、自分を下げてのお断りが正しい回答だった。相手は本気で言っているわけではないのだから、己の立場を弁えろと。


 だが、今さっき実践したら、マリアベルは怒っていた。そして、こうして寂しそうな、悲しそうな顔をしている。


 本当に、アレが正解だろうか?


「あ、あの……」


 レティナは震える唇を開いた。


「……私も、マリアベル様のことを、僭越ながら大切なお友達だと……」

「まあ、レティナ! 嬉しい、やっと本音を口にしてくれたのね!」


 模範からそれた回答。けれども、掛け値無しの本音。


 それを聞いた途端、マリアベルは歓声を上げレティナに抱きついてきた。


「やっぱりあそこにいてはダメよ、レティナ!」

「え? あの、マリアベル様?」

「ねぇ、貴方を淑女失格なんて言ったのは、ダーメンス伯爵夫人とその息子でしょう」

「…………」

「無言は肯定と見なすわ」

「……っ」

「やっぱり、そうなのね……」


 マリアベルは体を離すと、真剣な顔になりレティナに語りかけてきた。


「聞いて、レティナ。……ダーメンス伯爵夫人は、昨日の夜会で恥をかかされたといって貴方を探していて、息子も、婚約破棄に逆上して手を上げてきた乱暴者だと貴方のことを悪く言っているようなの。昨日の今日でよ? ……そして、そんな風に貴方を育てたチャバル家の皆様のことも、酷い言葉で罵っている」

「――っ」


 マリアベルの耳に入ったということは、もうすでに噂があちこちに流れているのだ。


 レティナは、全身から血の気が引く思いだった。


 恐れていたことが起きてしまった。


 不出来な自分のせいで家族に迷惑がかかっているとうつむくレティナに、マリアベルは優しい口調で続けた。

 

「貴方なら、自分のせいだ自分が悪いと思うでしょうね。でも、それは違うわ。だって、あの方たちは必死に貴方のことを探しているのよ? ……自分たちに正当性があるなら、そのまま堂々としていればいいのに、自分の家の使用人たちを使って貴方を探し出そうとしてるの。どうしてか、分かる?」

「……それは、私が恥だから」

「誰にとっての、恥?」

「それはご自分たちの……――あっ」

「分かった? そう、自分たちの恥になるから、必死なのよ。貴方を外に出して、余計なことを話されたら恥になるなんて、おかしいでしょう? 婚約を破棄するって、堂々と昨日の夜会で宣言したんだから、もう関係がないはずなのに」

 

 ――それなのに、貴方を連れ戻そうとするなんて、自分たちに都合の悪いことを喋らせないため。囲い込んで、貴方に責があった上でのやむを得ない婚約破棄だったってことにするつもりよ――

 

 マリアベルの言うとおりかもしれない。

 きっと、婚約破棄を「正しく行うため」に自分を探しているのだろうとレティナも思う。


 あの時、レティナは思わずクーズリィに手を上げてしまった。


 その上、かねてから教えを受けていた伯爵夫人の淑女教育では、いつまでも及第点をもらえなかった。


 これらを欠点として上げてしまえば、自分の有責に違いない。


 レティナが青い顔で呟くと、マリアベルは「違う」と首を横に振った。


「あの男が、昨日の夜会に誰を伴っていたか見たでしょう?」


 レティナの知らない……けれど、大人の色香溢れる妖艶な女性だった。

 あんな女性が好みならば、自分のような野暮ったい娘のことは邪魔に思うだろうが。


「でも、あんな風に、公の場で言うこと……」


 思わず本音がこぼれた。

 伯爵夫人が聞けば、軽蔑を滲ませた視線を向けられ「はしたない」と咎められただろう。


 けれど、ここにいるマリアベルはレティナを否定したりしなかった。それどころか、労るような眼差しを向け、静かに頷いてくれる。


「そうね。わたくしも、そう思う。あのような大切なお話は、見世物にしていいものではないし、傍らに女性を連れていたのも、誠意に欠ける行動だと思ったわ」

 

 レティナは自分は不出来だと散々言い含められていた。だからこそ、自分のことでは怒らない。その通りだと受け入れ不勉強を反省する。


 あの時、なにより許せなかったのは、家族を、領地を、領地の特産品を、大勢の前で貶めたことだ。


 それで、レティナは頭が真っ白になり――。

 

「手を出したのは悪いけれど……でも、わたくしでもアレは引っぱたいていたわ」


 現に夜会に参加した女性陣は皆、クーズリィの言動に眉を寄せていたと聞いてレティナは驚いた。てっきり、淑女失格な自分を軽蔑する声に溢れていると思っていたからだ。

 

「それに、そんな非常識な言動をする息子を止めも咎めもしなかった伯爵夫人のこともね。……わたくしの旦那様のように、殿方の中にも反感を持った方がいるわ」

 

 良くも悪くも、貴方は今注目されている。

 そう言われて、レティナは震えた。

 

「怖い? そうよね、よく分かるわ」

「で、でも、立ち向かわなければいけないのですよね。困難も一人で乗り越えてこそ、立派な淑女ですから」

「いいえ。逃げるのよ」

「…………え?」

 

 心優しくも高潔な淑女であるマリアベルだから、きっと「困難にこそ立ち向かえ」と諭してくれるのだと思っていたレティナは思わず声を上げて驚いた。


 だが、マリアベルは悪戯っぽく笑っている。


「だって、貴方はもう散々戦ってきたわ。少しくらい休んでもいいと思うの」

「いいえ、マリアベル様。わたしは、まだ、全然……。淑女失格だと注意を受けてばかりで……」

「それよ、レティナ!」

「は、はい?」

「そんなに、淑女失格だなんだというのなら、いっそのことあれよ」

「あれ、とは?」


 マリアベルは、レティナの両手を包み込むと、小首を傾げる。


「レティナ」

「は、はい……」


 そして、慈愛に満ちた笑みを浮かべこう言った。


「あなた、いちど男の子になってみたらどうかしら?」

「はい……はい?」

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