第33話 走馬灯

『お母様、どこへ行くの?』


 ――それは、初めて王都に来たばかりの頃。

 母に連れられ、あの人に会いに来た時の記憶だ。


 レティナの中に残る、嫌な記憶の始まりの日。


『お母様のお友達に会いに行くのよ』


 茶葉の流通を一番に考える父は、大衆向けの店を視察に行った。

 レティナもそちらについていきたかったが、母から『女の子がそんなところに行ってどうするの。レティナも少しは女の子らしくなるために、王都の流行をお勉強しなくっちゃ』と止められ、強引に連れ出された。


 そして、立派なお屋敷で、レティナは母の友人だという女性に会った。

 ダーメンス伯爵夫人。

 それが、母の友人。


 ――お友達。


 母はたしかにそう言っていたが、レティナの知る友達とは全然違う。

 顔は笑っているのに、目は冷たく小馬鹿にするように自分たちを見ている。


 そして、母の事を『相変わらず、服のセンスが独特』『そのアクセサリー、貴方には似合わなくてよ。だって、貴方って顔が地味なんですもの』だとか、散々馬鹿にする。


 レティナはムッとして母は美人だと言い返したが、なぜか――なぜか、母自身に止められたのだ。

 そして『良い子にして。お母様はお友達とお話ししてる最中なの。マナー違反よ』と咎められた。

 それを、母のお友達は満足そうに見て――それから、息子を紹介された。


 一緒に遊んできなさいと言われたけれど、彼はレティナを田舎者だのみすぼらしいだの、この家に金をたかりに来たのかと散々なことを言う。

 嫌になって母のところへ戻ると、母は上機嫌でレティナを抱きしめた。


『まぁ、レティナ。ご子息とは仲良くなれた?』

『無理よ。あの人、意地が悪い。嫌な事ばかりいうの』


 上機嫌だった母の顔が、たちまち曇る。


『レティナ、良い淑女というものは、そんな風に男性を悪く言ったりしないものなのよ。――申し訳ありません、田舎で育ったせいで、教養が足りず……』

『いいのですよ。見たところ、貴方のお嬢さんはまだ幼いみたいだもの。――あぁ、そうだわ、よろしかったら王都にいる間、わたくしが色々と教えて差し上げましょうか?』

『まあ! よろしいんですの!』


 ――知らない間に話は進み、レティナは別にやりたくもない「淑女教育」なるものを受けることになった。

 チャバルだって男爵家だ。

 それ相応の教育はきちんと受けている。


 それなのに母は、レティナが一切学んでいないかのような口ぶりで語る。

 ショックを受けたレティナは『もう、あそこにはいかない』と母に伝えた。


 すると母は怖い顔をして言ったのだ。


『レティナ、あの方はお母様の昔のお友達なのよ。本当に上品なお嬢様で――マナーもダンスも完璧な淑女だったわ。だから、お家が没落してもすぐにお声がかかり、伯爵夫人になったの。――お母様と同じ立場だったのに……淑女であれば、簡単に全てが手に入るのよ』


 レティナにはよく分からなかったが、母は――たぶん、母は、あの意地悪な人が羨ましいのだと思った。


 我が家はこんなに幸せなのに、母は幸せではなかったのだと察してしまい、悲しい気持ちになった。

 そして、母を愛しているだろう父や勉強として父についていた一番上の兄には、その日の出来事を伝えられなかった。


 ――母は、王都にいる間、あの屋敷に入り浸った。

 そして上機嫌で繰り返す。


『レティナ、あの方の言うことをよく聞いて。―― そうすれば、物語のお姫様みたいに幸せになれるから』

 

お姫様?


 レティナがなりたいなんて、一度も言ったことがなかったのに。

 けれど、レティナの気持ちは置き去りに、母はどんどん話を進めた。


 気が付けば、レティナには婚約者が出来ていて、相手はあの意地悪な人。

 伯爵家と男爵家では家格が釣り合わないけれど母親同士の友情と当事者同士が惹かれ合っているからという、ありもしない理由は後で聞かされた。

 父も一番上の兄も、レティナがそこまで言うのならと折れたのだと。


 ――その事を知ったのは、理由を付けて王都に引き留められ、淑女教育を受けている最中だった。


 王都で働いている二番目の兄が、訪ねてきたとき、教えられた。

 婚約者に夢中で幸せいっぱいなのは分かるが、実家に手紙くらいは書いてやれと、からかいまじりで口にした次兄だったが、レティナの様子がおかしいことにすぐに気付いて、ダーメンス伯爵夫人とその息子、クーズリィに食ってかかった。


 だが、親子から「これはレティナが、伯爵家に入るに相応しい淑女になるための準備。出来ないのならば結婚は認められない。後で恥をかくのはレティナなのだから、そんなことがないようにと心を尽くしているのに、いずれ親族になる方に理解されないとは悲しい」と、言い返されてしまった。


 全てはレティナのため。それなのに、実兄が邪魔するのか。


 そうやって正しさを主張するふたりを無視し、次兄はレティナに聞いたのだ。


『お前、大丈夫か?』


 ――大丈夫じゃない。帰りたい。


 本当は、泣いて訴えたかったのに、兄の後ろにいる親子の目が、レティナの心を押さえつけた。

 伯爵夫人の軽蔑の目。

 クーズリィの嘲笑。


『わたくしたちは、なにもこの子を閉じ込めているわけではありませんわ。……そうね、レティナさん、お兄様もご心配のようだし、貴方も少し行き詰まっているでしょうから、お家でお休みしたらどうかしら? 結婚は伸びるかも知れないから、貴方のお母様はがっかりするでしょうけど……わたくしたちは、貴方の心身の方が大切だもの』


 笑っているのに笑っていない目で、そう言った伯爵夫人。


 ――もしも、自分がここで逃げたら?


 家族全員が、悪く言われるのだろうか。

 家族も領民も、チャバルの名を冠する全てが、このふたりによって王都で嘲笑の対象にされるのだろうか。


 それは、ダーメンス家の外を知らないレティナにとっては、すさまじく恐ろしいことだった。


『母上のことは気にするな。お前の気持ちを聞いてるんだ――そもそも、あの人は舞い上がりすぎだ』


 次兄が低く呟くのを聞いて、今度は母が怒られるとも思った。

 家族全員が悪く言われ、特に伯爵夫人の友人という母は――ダーメンス家から、酷いことを言われるのではないか……自分のように。


『大丈夫』


 だから、最後まで心配そうだった次兄を突っぱねた。


 ――次兄が帰った後、いきなり訪ねてくるなんて無作法者。さすがは教えたことも満足にこなせないレティナの兄だと、クーズリィになじられた。


 伯爵夫人からは、勉強をサボりたいからと小賢しい真似をして兄を呼び寄せたとあらぬ疑いをかけられ、一晩中廊下に立たされた。

 それもこれも、至らないレティナが悪いのだと。


 ――そうだ。当然だ。出来ない自分が悪い。お姫様みたいになれない自分が悪い……なりたくなかったものだろうが、言われたとおりになれない自分が悪いのだ。

 そして、レティナの?レティナらしさ?は、押しつぶされてぺしゃんこになってしまった。

 

 あの日、きらきらした青銀と出会うまでは。

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