第21話 本当の自分


 レティナには、ずっと隠していたことがある。

 ダーメンス家に来てからは「恥ずべきこと」と教え込まれたせいで隠していたが、実は結構な力の持ち主だったのだ。


 幼い頃から上の兄ふたりとともに、山に段々と作られている茶畑を走り回り、二番目の兄にくっついて剣術ごっこの遊び相手をつとめたお転婆娘、それが王都に来る前のレティナの姿だった。


 だが、王都の女性……特に貴族の女性はそんな恥ずかしいことはしない。

 伯爵夫人に懇々と諭され、そして友人であるマリアベルを目にし、レティナは「今の自分ではダメなのだ」と思い、改めてきた。

 いや、結局、あの夜会で無意識にクーズリィに手を上げた時点で、改めたのではなく悪いところを隠し誤魔化していただけなのだと気付いた。


(でも、リグハーツ隊長は褒めてくれた)


 被害者の女性も、ありがとうと何度も感謝してくれる。

 土壇場で裏切られた犯罪の相棒までもが、頬を張らして地べたで目を回す男を見て「ざまぁみろ」と吐き捨てているのは、なんともいえないが……。


 それでも、今この場でレティナを咎める人はいない。


(男だから、かな)


 男ならば、きっと、歓迎される能力だったのだ。


 レティナがそう思っていると、女性からぎゅっと両手を握られた。


「本当にありがとう、お嬢ちゃん! 強い女の子なんて、素敵だね! アタシも油断しなけりゃ、このカモシカのような足で蹴っ飛ばしてやったんだけどね!」

「え、あの、それは……!」

「あっはっはっはっ! 女はいつだって、強くないとね!」


 快活に笑う女性。

 レティナが慌てると、ルシードが駆け付けてきた警邏隊に犯人を引き渡し、戻ってくるところだった。


「失礼、ご婦人。お怪我は?」

「ご婦人だなんて、いやだよぉ~。でも、ありがとうね、平気だよ。それに、このお嬢ちゃんがあたしのかわりに一発お見舞いしてくれたから、スカッとした気分さ!」

「……お嬢ちゃ……っ! ならん、ご婦人!」


 うんうんと生真面目に女性の話を聞いていたルシードだが、急に慌てた様子で話を遮った。


「リグハーツ隊長?」


 一体、何に過剰反応したのかとレティナが名前を呼ぶと「大丈夫だ! ここは俺に任せておけ!」と、なぜか止められる。


「ゴホン! ご婦人、訂正していただきたい。かの……彼は! 男だ! 見ての通り、立派な男子だ! レトは、お、お嬢ちゃん……では、ない」

「へ? ……おや、そうだったのかい? あぁ~あたしったら、ごめんねぇ。不愉快だっただろう」


 眉尻を下げた女性に、レティナは慌てて首を横に振った。


「い、いいえ。僕はまったく気にしていません! それよりも、ご無事でよかったです」

「ふふ、ありがとう」


 そう言った女性は、簡単な聴取ということで警邏隊に呼ばれて行った。

 レティナとルシードも、再び歩き出す。

 しかし、なにやらルシードの様子が変だった。


「……さ、災難、だったな」

「え?」

「いや、ご婦人に女性と間違われるなど」

「いえ、僕はあまり気にしません」

「そうなのか!?」


 急に食いつくルシードに驚きつつ、レティナは頷く。

 だが、ルシードのテンションは再び下降した。


「お前が気にしなくても、ダメだ。反省点は他にもある……俺は保護対象であるお前を危険にさらした」

「でも、僕は見習いですから」

「それはあくまで、便宜上の呼び名だ。それなのに……それなのに……あんな、見事な放物線を……くくっ」


 後半。思い返したらおかしくなってきたのか、ルシードの肩が震える。


「隊長?」

「……お前はすごいな、レト。いつも俺の予想を飛び越えていく」

「隊長は、僕を見てみっともないとか、恥ずかしいとか思いませんでしたか?」

「思わない。人助けをしたんだぞ。なぜ、そんな批判的な物の見方をしなければならない」

「……それは僕が、男、だからですよね」

「――っ」


 ルシードが息を呑んだ。

 それはそうだろう、とレティナは思う。

 何を期待していたのか、浅ましいと自分を叱りとばしたのだが……。


「レト、お前が男だろうが……たとえ、女だったとしてもだ、勇敢に立ち向かって悪事を防ぎ、人を助けたんだ。誇ることはあれど、恥じ入ることなどひとつもない」

「…………で、でも、人を殴るなんて、それも、あんな力で」

「相手は他人を傷つけてもいいと持っているんだぞ。正当防衛だ。――レト、なにを不安がっている。もっと誇れ。お前は、お前の力を正しく使って、人を助けたんだ。ご婦人の顔を見ただろう?」

「……はい」


 頷けば、ルシードは「あんなに感謝していた」と呟く。それも、レティナには分かっていた。

 あの女性は、レティナを女と思った上で、あの振る舞いを肯定してくれた。

 眉をひそめたりせず、ありったけの感謝を示してくれた。


 ルシードも、どちらだろうとレティナのしたことは良いことだったと言う。


(リグハーツ隊長は、私のことなんてしらない。だから、これは、とってもずるい言い方だけど……)


 レティナは、ルシードを見上げる。

 どうした? とでも言いたげに首を傾げる彼に、レティナは言った。


「僕は、恥ずべきことなどないと、胸を張ってもいいんでしょうか?」

 ――私は、本当の私を隠さなくてもいいのでしょうか?


 レティナの本音など、ルシードには聞こえるはずもない。

 けれど、一度だけ大きく目を見張った彼は、それからレティナの頭に手を置くと、出会ってから一番の穏やかな声と笑顔で言った。


「当然だ。俺は尊敬する――なにより、とても……好ましいと思う」

「……ふふ、ありがとうございます」


 照れくささと滲んだ涙を誤魔化すため、一度下を向いて目を瞬いたレティナは、言われた言葉を心の中に大事にしまった。

 それから、顔を上げると――笑った。


「ありがとうございます、リグハーツ隊長! ……僕も、今の自分の方が、好きです!」

「――っ、笑った……」

「え?」

「お前の笑顔……っ、いや、なんでもない! ……お前が自分に自信を持てたのなら、喜ばしいことだ。そう思ったんだ。さ、行こう」

「……リグハーツ隊長のおかげです。本当に、ありがとうございます!」


 ルシードは驚いた顔をした。

 それから、じわじわと頬を赤くして、顔をそらす。


「隊長?」

「……礼を言うのは俺だ。がむしゃらだった俺に、休息の大切さを教えたのはお前だ。あれがなければ、隊はバラバラだっただろう。だから、感謝するのは俺の方だ。――俺の元へ来てくれて、ありがとう、レト」


 おかしい。

 これは、ただお礼を言われているだけなのに。

 どうしてこんなにも、自分の心臓が騒がしいのか――レティナは胸に手を当てて戸惑う。


「……そして、俺はお前に謝らなければならない……」


 だから、ルシードの小さな小さな最後の一言だけは、聞き逃していた。   

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