26
「ただいまもどりましたー」
がちゃり、とアイカとケイコにあてがわれた部屋の鉄扉を開けた。鍵などは付いていないが、それはこのダムに住む人達の信頼の証だと思った。
ケイコは簡易ベッド+質素な布団の上で、Tシャツに下着という極めて極めてプライベートな姿であぐらをかいていた。膝の上には古びたブランケットが掛けてある。たしか車椅子に乗っているときいつも膝にかけているやつだ。
「遅かったわね」
「エヘヘッ、すみません。戦前の機械部品が新品のまま保管されててついいろいろ見入っちゃったんです。技術力は現代のほうが上ですけど、潤沢な物資のあった戦前はすごいなーって。それで、その後ペレスさんにも会ったんです! ペレスさんは───」
わたしをいい女、と言ってくれた。愛する人を守ることができるいい女、だと。
アイカは思い出すととたんに恥ずかしくなって口をつぐんでしまった。が、ケイコは小首を傾げて続きを待っていた。
「───ベンチプレス、してました。車の車軸で」
「ふふ、なによそれ。あんなの人間の力で持ち上がるものじゃないでしょ」
「でもでもやってたんです。本当です」
「ええ信じるわよ。でも私もベンチプレスは50kgは上がるわよ」
「強いですね。エヘヘッ、見てみたいかも」
「私は腕しか鍛えるところがないから」
それは笑ってもいい冗談なのだろうか。脚力は、そういえば
「ねぇ、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど」
ケイコさんのブランケットの下を想像していたら現実に引き戻された。
「はい、いいですよ、なんなりと」
両手いっぱいに抱えていた機械のコード類を手近なテーブルの隅に置いた。
ケイコが立ち上がる───おもわず均整の取れた半分機械の体に目を奪われる。
「歩行装置のバランサーを調節して欲しいの。私ひとりだとうまくできないところにあるから」
取り澄ましたキリリとした表情とやや控えめに肌の露出を隠そうとする手の動き───あれ、すごいかわいい。
ケイコはアイカの前で回れ右した。
「大丈夫よ、アイカ。そんなに複雑な作業じゃない。はいこれ、マイナスドライバー。太ももの裏に蓋があるから、それを外してみて。バランサーがあるはずだから」
しゃがんだ。アイカの目の前にケイコの丸い尻があった。
下着は軍で支給される何の飾りっ気のない地味な布だ。わたしも同じのを履いている。しかしその下は、なんときれいな。こーゆーのって生体のときの形を写しているのだろうか。それとも技工士がデザインしたんだろうか。もしそうだとしたら芸術家のような技工士が
下着の上から触ってみた───あくまで義体のメンテナンスのためだと言い聞かせながら。
「うわぁ、本物の肌みたい」
「ええ、本物だから。そこは生体部分」
「はうっ、ご、ごめんなさい。つい、触っちゃいました」
思わず手を離した。というかもっといい言い訳があっただろ。
「まあ、いいのよ別に。お尻と太ももの境界線から指4本分、下のところを見てみて。感覚器、神経は繋がってるからあまり
アイカはうんうん、と頷いて両方の太ももの表面を
「おおぉ、これが義体のバランサー。初めて見ます。機械工学やら生体工学はぜんぜーん、わかんないんですけど、どういう仕組みなんだろう、気になる」
「私もわからないわ。
「ああ、緊張します。間違えたらどうなりますか」
「今ここで、私がすっ転ぶわね」
ちょっと見てみたい気もするが、言われた通りゆっくりネジを締めた。
ケイコは体を左右に揺らして感覚を確かめた後で、
「次は左あし。一旦締めた後、1/4だけ反時計回り。どう、できる?」
アイカは言われたとおりにマイナスドライバーを回した。
「どう、です?」
「ちょっとまって。確かめてみる」
ケイコは狭い室内をまっすぐ行って戻ってきた。背筋がまっすぐのびて視線もどこか遠くを見ている。
これは、チャンス到来なのかな。ケイコさんの彫像のような姿を網膜に焼き付けておかなくては。
「いい感じね。じゃあ、もう少しお願い。右のバランサーを1/3、 左を1/4だけ回してちょうだい。どちらも反時計回りね」
「右を1/3反時計回り、左を1/4反時計回り」
アイカは間違えないよう復唱しながら、はれものを触るようにマイナスドライバーを回した。
調整が終わり、ケイコの義体の蓋をごしごしとこすって閉めた。ケイコは何度か跳んでみせた後、足より高い上段蹴りを2回してみせた。
うわぁ、いい女だ。今ならトシイエの言ったことが理解できた。
「ありがと。だいぶ良くなったわ。これで思う存分戦える。って、そんな悲しい顔をしないでよ」
戦いに行くのか。わかっているけれど。でも。
「これで、最後ですね」
「ええ、そうよ。ほら、こっちにおいで。さっきケンジくんが焼きそばを持ってきてくれたわ。一緒に食べましょ」
ケイコはベッドに腰掛けると、皿の上に山盛りになっている焼きそばを見せてくれた。箸がきちんと2人分あった。
「ケンジくん、って誰でしたっけ」
「ここに来る途中、車を運転してた男の子よ。ほら、あなたを口説こうとしてた」
「ああ、そういえば。でも口説くなんて、わたしは───」
はっと口をつぐんだ。好きな人がいる、なんて言う勇気はなかった。
「───わたし、初めて食べるかもです。うわぁ、天然物の食べ物だ」
「あなたからどうぞ。好きなだけ食べて」
「でも、ケイコさんもお腹が空いているんじゃないですか」
「体が半分なのだから、食べる量も半分でいいのよ」
またしても笑っていいか迷う冗談だった。
もぐもぐもぐ
コリコリの人参とモチモチの魚肉の団子が入っている。味は、あまくてしょっぱい。これがソース味、というものか。ショーユ味や塩味とは違う味だ。
「ねぇ、相談があるんだけど」
ケイコがおもむろに切り出した。
「はい?」
ごくん。口いっぱいの焼きそばを飲み込んだ。
「戦争、この戦いが終わったらもう一度ケーキを食べに行かない?」
「エヘヘッ、もちろんです。いいですよ」
わたしなんかと一緒でケイコさんは楽しいのだろうか。
「あなたのその、楽しそうに食べてる横顔を見るとまた一緒にお出かけしたくなったの」
なにそれ恥ずかしい。顔を隠そうにも右手に箸、左手に山盛り焼きそばのお皿があるのでそうはいかない。
でもドキドキする。うれしい。
「わたしも、わたしもです」
「そう、それはよかったわ。車椅子で不便をかけると思うけど」
「そんなことありません。わたし、ずうっと、どこまでも押していきますから」
あれ、これってもしかして告白にうけとめられたのかな。いや、そのつもりはなかったけれどそう受け取ってもらえたら嬉しいな。
「ええ、お願い」
ケイコさんはにっこり微笑んでくれた。
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