13

 うう、緊張する。

 アイカは、ケイコとふたり並んで梅園寺基地の偵察本部へ来た。長かった偵察任務を終えて真っ先にシャワーを浴びたいと思っていたが、ケイコに連れられて坂田中隊長に任務結果を報告しに来た。

 こういうのはケイコ隊長の職務と思っていた。それに厳しい顔のままの隊長を見て何か軍規違反をしたのではないかとヒヤヒヤした。しかし坂田中隊長とケイコ隊長の専門的なやり取りをぼんやりと横から眺めるだけだった。

 ああ、なんだか懐かしいな。そう、学校に行っていたときの職員室だ。先生たちはいろいろな顔があった。教室では厳しかったり優しかったり面白かったりするのに、職員室では大人な顔の先生に囲まれてすごく緊張した。

 ずいぶん遠くへ来てしまったなあ。

「で、この映像は君が撮影した、と」

 ぎろり、と坂田中隊長の視線がアイカに移った。ケイコ隊長が言うには“昼行灯”らしいのだが、前線での経験もある頼もしい大人だった。

「えっと、撮影をしたのは隊長で、わたしは隣で双眼鏡を見ていました」

「そういう意味じゃなくてだな。暗視カメラの映像を、こう、はっきりと見やすく映像処理をしたのは君か、という意味だ」

「あ、はい。わたしです」

 その仕組みを吐露とろしたくなったがぐっとこらえた。べらべらと喋るな、はシホちゃんから教わった知恵だ。成長したな、わたしも。

「ここまではっきりと写った暗視映像は初めて見た。どんな仕組みなんだ?」

「あっ、中隊長殿もご興味がおありですか! わたしも参考文献をさくっとだけ読んだ程度なんですが、暗視カメラは赤外線を反射し増幅する機械です。で、色によっても赤外線の反射量が変わるんです。なので、色ごとにAIが自動処理するようプログラムを組んで、ノイズを除去し、色彩を再現したんです」

「よくわからないが、信頼していいんだな」

「はい!」

 褒められた? 嬉しい。しかし中隊長とケイコはまたしても眉間にシワを寄せて小声で話し始めた。

「で、この件を他の者には? 例えば須磨防衛線の連中とか」 

「いえ、まっすぐこちらへ帰ってきました」

「ふむ、そうか。で、お前はこの情報の信頼度はどう見る?」

「私は、アイカの技術を信じています。中隊長は、まさか上に報告をしないんですか」

 すると、坂田中隊長はドカッと錆びたデスクチェアに腰掛けた。

「するさ。もちろん。ここ最近、奇械マシンの戦術プロトコルが変わった気がする。いやあくまで俺個人の所感だが。六甲ろっこうラインより西側に奇械マシンがめったに現れない。来るとしたら夜の月明かりの少ない時間を狙っている。六甲山からの観測でも敵部隊は見えない。戦前の地下鉄やトンネルに潜んでいる可能性もある」

 大隊長はブツブツと小難しい言葉を並べた。たぶん上司へ報告する練習だろう。

「それで、わたしたちは?」

「休んどけ。休めるときに休むのも兵士の仕事だ。これから忙しくなるだろうが、今は別命あるまで待機だ」

「わかりました」

 ケイコの敬礼に、アイカもやや遅れてなら った。

 司令本部の事務所を出てもケイコの表情はキリッとしたままだった。凛としてうつくしく、それなのに本当の姿はほんわかしている。わたしだけが知っている姿。

「よくやったわね」

 唐突な褒め言葉。予期していないことに反応ができない。ぽかんと馬鹿みたいにケイコを見るしかなかった。

 戦前の古い校舎を再利用した梅園寺基地の4階。面影だけは学校だが、ガラスのない窓の外からはディーゼルエンジンのガラガラした騒音がずっと響いている。古い車両を整備しているらしい。

 それでもはっきりと、ケイコの褒め言葉が聞こえた。

「え、エヘヘヘッ、わたしは、わたしが得意なことをしたまでです」

「ええ、たくさんの命を救ったかもね」

「そんなに重要なことだったんですか?」

 10分弱の映像を思い出してみる。奇械マシンの輸送部隊は普段と相違そうい なかった。

「いつか、上級戦術講習を受けたらわかるわよ。そしたら、あなたも無事小隊長に昇格ね」

「エヘヘッ、でもわたし、基礎教練も途中で招集されたでまずは基礎からかもしれません」

「そうだったわね。でも大丈夫よ。2度の長期偵察任務をこなしたし、戦闘経験もある。教練の修了証なんて紙切れ一枚、なんとかなるわよ」

「ありがとうございます」

「それと、何度も言っているけど、今回の任務で見たことは他言無用。他の部隊の軍人にもよ。でないと無用な混乱が広がるだけだから」

「はい、わかりました」

 なんでもないと思っていたのに、そう言われてしまっては逆に気になってしまう。

 そういえば、奇械マシンの輸送部隊が運んでいたのは砲弾の格納ケースだった。記された詳細な文字までは見えないけれど、その格納ケースに描かれていたマークだけは鮮明に画像解析プログラムで再現することができた。丸とその周囲に扇状の記号が3つ・・・・・・・・・・・・・・・・

 奇械マシンが「頭上注意」みたいなピクトグラムを使うとも思えず、だとしたら戦前の兵器だろうか。かつてここが日本だった時、外国と戦った第4次世界大戦の兵器だとしたらたしかにケイコや大隊長が怖い顔をするのは腑に落ちる。

「で、あなたも一緒に入るの?」

 漠然とケイコの後ろを歩いてきたが、眼前にあったのはシャワー室だった。

 基地施設の横、ドーム状の屋根の建物が2つあり、その左側が女子用だった。この時間は人が少ないので温水を使うことができないが、それでも自由に水を使うことができるのは軍属の特権だった。

「わたしは、ええっと。お先にどうぞ」

 しかしケイコに手首をガッチリと掴まれた。

「別に恥ずかしがることはないでしょ。それに───」

「それに?」

「この足のこと。万が一、義足が不調をきたして動かなくなったら、私は倒れて水たまりの中で溺死してしまう。そうならないために一緒にいてくれない?」

「まさか。水たまりって、数センチだけですよ」

「万が一よ。普段はアップルと一緒にお願いしているのだけれど。まあ、あなたが嫌と言うなら無理強いはしないわ。万が一だし」

「はい! はい、入ります。お背中、お流しします!」

 なんでためらってるんだろう、わたし。たかがシャワーじゃないか。

「そこまでしなくてもいいわよ。万が一、って言ったでしょ。一緒にいてくれるだけでいいわ」

 ドキドキしたせいで頓珍漢なことを言ってしまった。

 脱衣所で、ケイコとの距離をきっちり180cmに保った。近づきすぎたら不自然だろう。

 しかしそれでも、横目でチラリと見てしまう。引き締まった背中、肩甲骨、そして腿。ところどころ刺し傷の治療跡が白い肌に生々しく残っている。

 腿から下だけが、肌色が変わっていた。服を脱いだらそこだけが義体化、機械化しているのが見てわかった。くすみがない人工的な肌色。きれい、と言ってしまえばそれまでなのだが、つるつると整いすぎている。材質はシリコンだろうか。

「で、あなたはどうするの?」

「ひょえ!」

「いや、だから、明日から休暇よ。何をするの?」

 見ていたことはバレていない、たぶん。

「実は、まだ決めていないんです」

 もはや梅園寺基地での暮らしに慣れてしまった。実家に帰っても特に会話らしい会話はない。無事だという知らせはするべきだろうが、決して居心地のいいものではない。

「そ」

 背後からの反応はあっけないものだった。

 ここは思い切るべきだろうか、そういう場面だろうか。せっかくケイコが誘ってくれた。ふたりきりだ。

「あの、ケイコ隊長! どこか、お出かけしませんか」

「出かける? 私と? でも明日には車椅子よ、私」

「わたし、どこでも隊長の足になりますから! デトマールさんのお店で言ったとおりです。あ、でも隊長は忘れちゃったかもですが」

「はあ、覚えているわよ」

 意外。驚愕。

「おいしいお菓子があるんです。食べませんか。名前は共通語エスペラントでpaita uch、日本語だと“木のケーキ”っていうんです。誕生日の特別配給で一回だけ食べたんですが、そのときのケーキの形を、例の映像にあったマークを見て思い出したんです。まあ、どこで買えるかとか全然わかんないんですけどね、エヘヘッ」

「あのマークと同じ形のケーキ? ふむ、放射能マークと同じ形のケーキなんてあるのかしら」

 ケイコの視線が逸れたのをいいことに、その引き締まった裸体をまじまじと見てしまった。無駄がない、まるで戦勝記念広場の女神像のようだった。

「いいわ。探しておく。デトマールさんはそういうの、難民には顔が利いて色々知ってるから」ケイコは了承してくれた。「それよりも───」

 ケイコの眉間にシワが寄る。

「どうやったらそんなに長い乳になるのよ」

「エヘヘッ、シホちゃんにも言われました。食べるのが好きだったからでしょうか」

「アップルは遺伝的に長い乳になるのはしょうがないとして、ふむ、アイカもそっち側の人間だったのね」

 お乳は取り柄になると初めて知った。

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