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 今日の放課後は新校舎の倉庫整理。

 午後のうだつの上がらない頭をなんとか動かしてパソコンに物品の品数を入力していく。

 低血圧のせいで頭がぼんやりしている。そして残暑と日当たりの悪い倉庫の冷たさが混ざり合い安眠を誘う室温を作り出していた。

 ぺたんと床に座っているアイカも、たぶんタイルの床の冷たさをタイツ越しに感じるためだろう。箱の中をしげしげと眺め、快調に品目と個数を口に出す。

「ハイ次です! けん玉2つ、扇子4……枚なのかな。先輩、どう思います?」

「さあ。ひょっとすると組かも」

 ローマ字入力にもだいぶ慣れてきた。エクセルの表に個数を入力する。この子と一緒ならこんなつまらない作業も永遠に続けばいい、なんて思ってしまう。

 おもむろにアイカはスマホを取り出すと、

「OK、Google、扇子の数え方は?」

 突然何をやってるんだ、この子は。

 すると画面が明るくなって機械音声がwebページを読み上げ始めた。

『扇子は閉じると“本”、広げると“面”や“枚”で数えます。また手に持ってあおぐものなので、“握り”や“がら”で数えることもあります』

「アハハハッ、変なの」

「ええ。機械音声は抑揚がなくて難しいわね」

「音声の読み上げプログラムは、アクセントはすごくパターンが多くて作るのが難しいんです。結局、ディープラーニングによって頻出ひんしゅつの短文は精度が上がるんですが、ニッチな分野や文脈に合わせた感情表現は、まだまだアルゴリズムが複雑すぎるんです」

 何を言っているんだ、この子は?

「そうね。そうかもね」

「もう、みんなそーゆー顔をするんですよー。21世紀も半分が終わって、コンピューターサイエンスは22世紀へ向けた偉大いだいな学問なんですから」

「私にはさっぱりね。ドラえもんでも作るつもりなの?」

 実際、ローマ字入力でさえできるようになったのがやっとだ。バイオリンといい手先の不器用さは我ながらゴリラ並だと思う。

 そして指先のタコ・・をカリカリと掻いた。弦楽器をやっていると左手の指先にできるやつだ。アイカの笑顔と声色を思い出す。

 昨日弾いた四季は初めての楽譜だったしたくさんの人に見られて緊張したせいで、3番線と4番線を間違えるしテンポだって楽譜通りに弾けなかった。それでもアイカは拍手して褒めてくれた。

「うーんと、じゃあ扇子は共通語エスペラントで何といいますか?」

「どうして共通語エスペラント?」

「だって、昨日、デトマールさんのお店で共通語エスペラントを話してたじゃないですか、先輩。得意なんですよね」

 得意、と言われ散々だった中間テストを思い出した。追試、とはならなかったが内申点には大きな傷をつけた。

「あれは……あれは、デトマールさんとアップルがいて、それぞれドイツ語とイタリア語だし、全員が平等に分かるのは共通語エスペラントしかなかったからよ」

「えー先輩、すごいです。私、共通語エスペラントはイマイチなんです。プログラミングはまだまだ英語が主流なので、エヘヘ、あまりわかんないです」

 才能が極端すぎるな、この子。頭がいいというより、良すぎるせいでかなり尖っている。

 しかしアイカと話していると低血圧でぼんやりとした思考がだんだんと回転し始める。体温が上がり心臓も元気に動き始める。天真爛漫なエネルギーを分けてもらっている。ひどく非科学的だけれどアイカに接しているうちに太陽のように力を分けてくれる。

 困ったときは助けになります、か。

 デトマールさんのお店で、しかもギュッと手を握られたままアイカが言い放った言葉を反芻はんすうしてみた。なぜだろう、ドキドキする。

 障害者なので優しく声をかけられることは、ままある。両親、病院の人、タクシーやバスの運転手。だけれどアイカは少し違った。なんだろう、言葉の種類は同じなのにアイカの言葉はやけに心に引っかかる。

「先輩?」

「ええ、大丈夫。扇子、でしょ。うーん。うちわ、日本のうちわだだから“uke woo wes”じゃないかしら」

 すると再びアイカのスマホから機械音声が流れた。

『扇子 またはうちわ』

「先輩、すっごーい。正解です。あ、これ音声翻訳アプリです」 

 まったく。機械は嫌いだ。正直スペリングには自信がないから褒められると面映おもはゆい。

「はいはい。次のガラクタは何? 今日中に終わらせなきゃいけないの」

「エヘヘェ、すみません──ジャーン!」

「プラスチックケース?」

「CD、コンパクトディスクです!」

「ああ、うん」

 なんだっけ。確かずっと子供の時、母があれを持っていたような。

「昔の人はこれで音楽を聞いていたんです。わーすごい。本物を久しぶりに見たなー」

「電源もスピーカーも無しに音楽が聞けるの?」

「アハハーやだなー先輩。そんなわけないじゃないですか。光学ドライブというレーザーディスク専用の再生機が必要なんです。今は積層カリウムメモリがメインストレージだし、音楽や映画、ゲームのデータのやり取りはクラウドと5G回線ですけど、昔はこうしてデータを個別の外部記憶装置に保存していたんです」

 今回は半分くらいは理解できた。つまりCDの中にデータを保存できるというわけか。

「で、なんのCD?」

「CD-Rですね」

 R?なんだろう。とりあえず言われたとおりにエクセルの表に入力する。

「エヘヘッ、すみません、先輩。訂正です。CR-Rが5枚。それぞれ昔の音楽のタイトルが油性ペンで書かれています。なんの歌だろう、わたしはわかなんないや。で、オリジナルのCDが1枚。アルファベットでエス、エム、エー、ピー……昔の歌手かな」

「そんなにCDが好きなら持って帰っちゃったら?」

「ええ、でも学校の備品ですよね」

「備品だけどゴミよ。どうせCDを再生する機械が無いしもう誰も使わないでしょ。規則は、他人に迷惑をかけない範囲なら無視してもいいのよ」

「じゃあ、どうして規則があるんですか?」

「さあ。きっと他人に迷惑をかけていいかどうか判断できない人が一定数いるからじゃないかしら」

 とっさの返答だったが、我ながらうまくまとまったと思う。アイカも宙を見ながら眉を結んでいる。

 後輩の前で教訓じみた言葉が言えたのは、車椅子のせいで心無い人間に行きあったときに苦労した経験のせいだと思う。その点、アイカは嫌な顔せず自分を助けてくれる。アイカなら規則がなくても善人のままでいられるだろう。

「じゃあ、このCD、もらっていきます! エヘヘッ、やった。帰りにハードオフで古い機械を探そうかなー。もしジャンク品でもDiscordで先人たちの知恵を借りれば大丈夫かも」

 心配になるくらいの機械オタクだ。

「機械を触るのが、そんなに楽しいの? 私は───ううん、なんでもない」

 ローマ字入力で精一杯、と言う寸前でとどまった。後輩を前にごまかすなんて、かっこ悪いな、私。

「ええ、楽しいです! まるで生き物みたいなんですよ───」

 ────じゃあペットでいいんじゃないのかな。

「───それに人類の英知が込められているんです!」

 ────歴史オタク?

「───たとえばこのバネ。人類は数万年前から弓にバネの原理を用いてきましたが近代文明の屋台骨を支えていたのはやっぱりバネだと思うんです、わたし」

 こういうとき、どんな顔をしていいのかわからない。理解できない分野に興味あるふりをするのは残酷だし、かといって先輩として無下むげに突き放すのも気が引ける。

「そうね。たのしそうね」

「エヘヘッ、でしょ。そうだ! わたし、文化祭のオープニング企画も手伝うことになったんです」

「オープニング企画? たこあげをするんでしょ」

 文化祭実行委員会の定例会でそんな話もあったな、確か。陽キャ仲良し馴れ合いグループで話を勝手に進めていたのであまり記憶に残っていない。

「ですです。みんなで描いた大凧をグラウンドから空高く上げるんです。で、複数のドローンで空に引っ張るんですけど、業者からまとめて借りると安くなるみたいで。だから、私が余ったドローンで曲芸飛行をしようと思ってるんです。ドローン50機による曲芸飛行」

「50? 多すぎない」

「エヘヘッ、今の時代、普通ですよ。わたし、準天頂衛星システムで自律飛行するドローンのプログラムをgithubで見つけたんです! きっと素晴らしい曲芸飛行を作ってみせますよ!」

 うん、何を言っているのかさっぱりわからない。なにか難しいものを作る、という趣旨だけ分かった。

「楽しそうね」

「はい。わたし、機械とかプログラミングとかが得意だって実行委員会の先輩たちに言ったら、わたしが担当することになったんです」

「それって、やっかいな仕事を押し付けられたたんじゃないの?」

「いえいえ、全然、そんなことないです。まあ確かにわたしの睡眠時間は減ると思いますけど、でもきっと楽しいです」 

 この子、素直さ故に他人にいいように使われるんじゃないだろうか。不憫ふびんで仕方ないし都合よく指図する実行委員会の面々が憎らしかった。

「でもね、いい? 嫌なことは嫌、したいことはしたいってはっきり言ったほうがいいのよ」

「うーん、哲学ですか」

処世術しょせいじゅつ。あなた、あまり“嫌だ”とか“したい”だとか言わないじゃない」

「エヘヘッ、そうですかね? 自分じゃ気づけないですけど」

「多少ワガママくらいのほうがちょいうどいいものよ」

「じゃあ、あの!」突然、アイカが立ち上がった。「わがままなんですけど、こんど一緒に遊びに行きませんか!」

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