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「それじゃ、いっきますよー」

 アイカが、ケイコの乗った車いすを押した。

 背後で今しがた乗ってきた架線トロリーバスがそろりそろりと発進した。時刻表も確認した。次は3時間後だ。

 バス停から作物が刈り取られたばかりの畑に沿って歩く。長い上り坂だったが両腕と両足にぐいぐいと力を込めて車椅子を押し上げる。

 残暑がぎらりと照り体が火照る。でもケイコ隊長と一緒ならなんだか頑張れる気がする。

「意外と、力持ちなのね。まあ、あの通信機を抱えて階段を上り下りしてるんだから、根性はあると思ってたけど」

「エヘヘッ、入隊してからトレーニングを頑張ってますから」

 もう貧弱なわたしじゃない。変わったんだ。たくさんの人を助けるため、それにケイコ隊長を助けるため、わたしは何だってやるんだから。

「ふむふむ、バス停から南へ2km」

 ケイコは膝にかけたブランケットの上で紙片に目を落とした。デトマールさんに書いてもらった地図を頼りに二人とも慣れない701区を歩く。

 今のケイコさんはメガネを掛けて髪も下ろしている。まるで別人。わたしだけが知っている姿。

「わたし、びっくりしちゃいました。本当に、あの時食べたケーキがもう一度食べられるなんて」

「デトマールさんに聞いたらすぐわかったわ。あの人、難民の、特にヨーロッパ系の難民のまとめ役みたいなものだから。本当はコミュニティの外の人間には作らないらしいんだけど、今回は知り合いってことで予約できたわ」

「感謝、圧倒的、感謝です。でも高かったんじゃないですか」

「フフ、何よそれ。お金は心配しないで。隊長職の給金は悪くないの。それに私も特に使うこともないから。休暇で殺風景な部屋でひとり、時間をつぶすのも嫌だし」

「エヘヘッ、わたしも隊長とお出かけできて嬉しいです」

「ケイコ、でいいわよ。今、仕事じゃないでしょ」

「エヘヘ、すみません。ケイコ……さん」

 だめだ。恥ずかしい。たぶん顔が真っ赤になっている。こういうときに怖気づいてしまうわたし、だめだなぁ。

 ぴと

 ケイコの冷え性な手が、車椅子を押すアイカの手に重ねられた。

「あなたの好きなように、呼べばいいわ」

「エヘヘッ、そうします、ケイコさん」

 細く冷たいケイコの手が心地よい。ずっとそうしていてほしい。火照った体温をちょうどよく下げてくれる。

 最初の丘を越えた。すでにバス停は小さな粒のように遠くなった。頭上にはコンクリート製の高架が東西に真っすぐ伸び、その上も下もバラックが立ち並んでいる。

「うわぁ、これ、昔の新幹線の線路ですか! 720区、わたしの故郷じゃずっと昔に撤去されて……あ、スミマセン、つい興奮しちゃって」

「フフフ、いいのよ別に。それがあなたの良いところでもあるんだから。でもそう。あなたの言ったことに間違いは無いわ。おじいさんがよく戦前の話をしてくれたんだけど、昔は新幹線で東京から、ええっと何だったかしら。フクオカという町までたった数時間で行けたらしいの」

「うーん、それってすごいんですか」

唯一都市ザ・シティの東西の長さの、約3倍ね」

「うわぁ、すごい技術。うう、気になります」

 どんな工学技術が使われたのだろう。路面電車とは違う技術というのはわかる。

「興味あるの?」

「はい。すごく。とっても」

「じゃあ、いつか平和な世の中になったらあなたが作ればいいじゃない。日本は、本当はもっともっと広いの。ちっぽけな唯一都市ザ・シティにとどまらないよう、いろんな所へ行ける新幹線。いいじゃない」

「えーでも、わたしにできるでしょうか」

「あなたは賢いんだから。夢ももっと、大きくていいのよ」

「エヘヘッ、褒められちゃった」

 ずっと上から重ねられていたケイコの手を逆に下から握り返した。冷たくて気持ちがいい。すでに道は平坦になったから、左手だけでも車椅子を押すことができる。

 701区といえば唯一都市ザ・シティの郊外の中でも東の端だった。南は瀬戸内海が広がり、東の山を越えたら瓦礫の街が広がっている。

 そんな不便かつ万が一奇械マシンの襲来があればまっさきに戦火に見舞われる地域のためか、唯一都市ザ・シティの建設後に来た難民の人が多く住んでいる。

 バラックの端々から見える人たちは髪の色や肌の色が様々だった。

 難民たちはそれぞれの出自や宗教団体で結束しときには暴力的な手段にも出る──それが元来のイメージだし、730区みたいな財閥さんの住んでいるエリアならアンダーグラウンドの組織として暗躍している。

 しかし701区ではそんな気配がなかった。秋の収穫を集落総出で手伝い、庭先では果実をおけで潰して何かを作っている。

「こっちよ」

 ケイコに促されて車椅子を回転させる。両手を広げればブロック塀に手が届きそうなくらい狭い道を通る。

「どんなうちなんですか」

「木造で壁が青色に塗られてて、庭にブランコがある家。ねえ、私じゃ見えないからあなたが探してくれない」

「はい、了解です」

 キョロキョロ。戦前から建っているだろう古い家屋ばかりだ。ただしペンキの色のセンスは独特だし昔の外国の国旗───のような旗も風になびいているのが見える。

「あ、ケイコさん、ありましたよ。あそこです。青い壁にブランコの家です!」

 キィキィと鳴る錆びついた門を開けて中へ入る。庭にはとんがり帽子をかぶった膝の高さぐらいの人形がこちらを見て笑っている。知らない文化だ。

「ごめんくださーい」

 玄関に鍵はかかっていなかった。不用心だな、と思いつつ首だけを薄暗い玄関に入れた。

「あらあらいらっしゃい」薄暗い廊下の奥から金髪の初老の女性が出てきた。「あなたたちがデトマールの友人ね。はじめまして、わたしはライケ。よろしく」

「あっ、はい、はじめまして。アイカです。こっちはケイコさんです」

 ぺこり、とお辞儀をした。柔和な難民の女性だが、ずいぶんと唯一都市ザ・シティでの暮らしが板に付いている。

 ライケさんは玄関から先でも車椅子でいい、と言ってくれたがケイコの堅い意志がそれを許さなかった。歩こうとしたが機械式ではない義足では無理があるのでアイカがおぶって居間まで歩いた。

「じゃあ、少し待ってね。ほら、いい香りがするでしょ。もう少しで焼き上がるからね」

 そういってライカは家の奥へ消えた。

 居間は磨き上げられた、古くもまだきれいな木製のテーブルとイスが一揃いあった。本棚には昔のヨーロッパ言語の本が並び、壁時計、写真立てなど調度品もライケさんの出身地のものだろうか他の区では見ることのないものばかりだった。

「エヘヘッ、なんだか緊張します」

「そうね。他の人の家、って緊張するわね」

「うーん、そうです。それもあるんですけど、やっぱりケイコさんと一緒なのが」

「私と? いつも一緒にいるでしょ」

「いつもと違う時間、みたいな」

 なにそれ、とケイコは呆れたように笑っていた。でもそれでいいんだ。こんな時間がいつまでも続いてほしい。

 ライケがお盆に湯気の立つティーポットとカップを載せて現れた。

「こんなかわいいお客さんが来るの、ずいぶんと久しぶりねぇ」

 かわいい、とはわたしだろうか、ケイコさんだろうか。

 ライケはティーカップに紅茶を注ぐ。

「どうぞ。707区で作った天然物の紅茶よ」

 かちゃり、とカップが置かれた。薄い白磁器のカップは青い染料で装飾を施されている。アイカは眼識がんしきはないけれど、高価なのはわかった。

「ありがとうございます。なんだか、エヘヘッ、無理なお願いだったかなって心配だったんです」

「そんなことないわ。普段、日本人がドイツの伝統的なお菓子を食べたいなんて無いことだから、私もいつも以上に張り切って作っちゃったの」

「日本人。わたしが、ですか?」

「あら、違ったかしら。ごめんなさいね」

 国。この地域が日本と呼ばれていたことは知識としては知っている。話している言葉も日本語だ。共通語エスペラントじゃない。しかし国という概念もそう、知識だけ。今この世界に残された街は唯一都市ザ・シティなのだから意識なんてしたことがなかった。

「ええ、そうよ日本人。ライカさん、気にしないで」

 ケイコが丁寧にフォローを入れてくれた。

「ふふ、そうね。些細な事だったわね。同じ人間。大した違いは無いわね。さて、そろそろケーキがちょうどよく冷めたかしら。持ってくるからちょっと待ってね」

 どきどきする。ケイコも微笑ほほえんでいるようだが無言で待っている。え、もしかしてわたしと同じく緊張してるのかな。

 お盆に載せられて、本当に木のようなお菓子がテーブルに載せられた。

「これはバウム・クーヘンといって、日本語で木のケーキという意味よ。ドイツじゃお祝いのときだけ作るものなの」

 たしかに豪華な見た目だった。腕の太さほどの円筒形のケーキは、表面をつやつやとしたあめのようなものでコーティングされている。こんな特別なものを頂いていいのだろうか。実際、むかし食べたのはこんなに豪華じゃなかった。

 不安げな表情を見られたせいか、ライカはニコリと微笑んで、

「もちろん、頼まれたからというのもあるけれど、初めてのかわいいお客さんたちに出すにはぴったりかもね。唯一都市ザ・シティじゃこういう伝統的なケーキを焼く機会はめったになからついがんばっちゃったの」

 ライカはバウム・クーヘンを切り分けてアイカとケイコの前にそれぞれ置いた。切り口は木の年輪のように折り重なっていて、木のケーキという名称がしっくりと来る。

「おいしい」「おいしい!」

 ふたりで言葉が重なってしまった。面映おもはゆくなって笑ったがそれも同時だった。

「甘いものを食べるの、久しぶりです!」

「ええ。本物の砂糖とうちで採れた蜂蜜を使っているから、おいしいでしょ」

「エヘヘッ、感激です」

 あっという間に切り分けられたケーキを食べてしまった。

「あわてなくても、まだたくさんあるから。はい、どうぞ」

 ライカはやや大きくバウム・クーヘンを切ってくれた。

「いただきまーす」

「うふふ。幸せそうね。おいしいものを食べる時そして大切な人と一緒にいるときの時間は、何よりも幸せなはずよ」

 大切な人。そう言われてケイコに視線を向けた。一瞬だけ目が重なった気がした。

「はい、幸せです」

「ドイツ人の中でもバウムクーヘンは珍しいんだけど、日本ではずっと昔から食べられていたの。日本、といっても昔の日本ね。私の両親は神戸でお菓子屋さんをしていたのだけれど、2度の大戦の後で唯一都市ザ・シティに来たの。平和な時代だったら、私もお店を持てたのにねぇ」

 昔の日本。平和だった時代か。

 平和の意味はわかる。奇械マシンがいない。戦わなくていい。ご飯がいっぱい食べられる。しかし実感のわかない曖昧な意味ばかりだ。

 ライカの言う、幸せな時間を過ごすことができることが平和というのであれば。わかる。すごくわかる。

 たくさんの人を助けたい、と努力してきた。その1番の手段は平和な世界を実現することかもしれない。

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