20

「おじゃまします!」

 アイカはグーテンベルグ銃砲店の入り口のドアを勢いよく開けた。頭上で来客を知らせるベルがガラガラとくすんだ音を鳴らしている。そして────

「ゲホォッ、ゲホォッ なぁに、この臭い」

 ひどく臭い煙が店内に充満していた。火事、ではなさそうだし教練で体験させられた催涙ガスとも違う刺激臭だった。

 煙突のようにデトマールさんが煙を吐き出していた。店内のカウンターの後ろで、安楽椅子に体を預け、プカプカと煙を吸っていた。

 鼻声になってうずくまるアイカのそばをケイコが颯爽と歩き通り、射撃場の換気扇のスイッチを押した。最大出力で店内の煙が戸外へ排出される。

「もう、まったく、またこんなのを吸って。寿命が縮まるって何度も言っているでしょ」

「ん、ケーコか。といってもこれは合成じゃなくて天然物なんだ。今年の初物が手に入ったんでちょっと味見を」

「ちょっとって量の煙じゃないでしょ、まったく」

「休暇は再来週からじゃなかったか」

「こっちも色々あったのよ」

 歳は倍ほどの二人だったが、ケイコの正義感の強さはまるで母親のようだった。デトマールさんはしぶしぶ、火の着いた巻きたばこをもみ消した。

「はい、あのデトマールさん、電源を借りますね」

「あ、ああ。そこの壁の下にあるだろう。って、何を始めるんだ?」

 デトマールさんの巨体が安楽椅子からのっそりと起き上がった。床にあぐらをかいて座るアイカと知らぬ機械とを交互に見比べる。

奇械マシンのCPUを解析します」

奇械マシンの、何だって?」

「あう、脳みそみたいな」

 するとデトマールさんは頭を抱えて、

「まだ幾分酔っているみたいだ。顔を洗ってくる」

 白髪の多い後頭部をぼりぼりと掻きながら店の奥へと消えた。入れ替わるようにしてケイコがやってきた。慣れている風だったが呆れていた。

「依存性の強いタバコなの。スラムじゃお金の代わりにもなるの」

「アハハ、なんとなく知ってます」

 学校では危険な薬品に手を出してはいけないと先生たちが言っていた。裏を返せばそれだけ蔓延まんえんしているということだ。財閥さんたちも夜な夜な怪しげなパーティーを開いていたし。

「どう? 奇械マシンの解析はできるの?」

 ケイコがラップトップPCの画面を覗き込んだ。黒いバックグラウンドに緻密な英数字が羅列されている。

「はい。古いC言語の教科書を図書館で見つけました。8bitなのでプロテクトもそこまで厳重じゃありません。複雑なプログラムを組むことができませんから従来の奇械マシンの戦術はワンパターンなものばかりだったんです。ほら例えばここ。赤外線カメラの情報から人間を探し、そしてこっちの射撃プログラムを起動するんです」

「あーなるほど。で、要点は?」

「このCPUは指揮官機のものです。奇械マシンは互いに情報を並列処理して作戦を遂行するんですが、この奇械マシンの指揮官機は司令部と通信を行っています。もしかしたらの司令部なら全ての奇械マシンを停止させられるかもしれません」

「ふうん、そう」ずいぶんと間延びした返事だった。「こんなものが、しかもスラムにあるなんて。あなたもたいがい危険な橋を渡っているのね」

「エヘヘッ、どれもこれも平和な世界のためです」

 今なら平和の意味がはっきりと分かる。誰も死ななくていい世界。誰かの死を我慢しなくていい世界。それが平和な世界だ。

 ケイコの手がアイコの手にそっと重ねられた。マウスを握る手が知らず知らずの間に震えていたらしい。火照りやすい体にとってひんやりとしたケイコの手はちょうどいい。

「わしが言うのも何だが、違法なことをしてるんじゃないよな」

 デトマールさんが帰ってきた。前髪がまだ濡れて暗い照明の光をテカテカと反射している。手には湯気の立つマグカップを持っていた。

「お酒じゃないでしょうね」

 母親のようにケイコが咎めた。

「白湯だよ。日本人はよく飲むんだろ」

「病気のときだけよ」

「ん? そういえば軍服のまま、ケーコもその足は義体のままか。それにアップルとシホは一緒じゃないのか」

 ケイコは何も言わずに首を振るだけだった。その様子にデトマールさんも察したようだった。頭を垂れるとマグカップを持っていない方の手で十字を切った。

「気にせんでくれ。わしの染み付いた風習のようなものなんだ」

「ううん。ふたりのことをおもってくれてありがとう」

「親しいものとの別れは、何度も経験してきたが慣れることはないな」

 デトマールさんは安楽椅子に深く腰掛けると、ゆっくりと白湯に口をつけた。

「ありました! このコードです」アイカは喜々として数センチ飛び上がった。「通信の内容は『敵見ユ』、『攻撃許可求ム』、『Ask Matsumoto』、『Non』、『応戦開始』 これがずっと繰り返されています。奇械マシン同士で並行処理されているらしく、少なくとも1992年から2001年のログが溜まっていました」

「つまり?」

「松本、という都市に鍵がある、ということです。奇械マシンは指令の更新を松本の中央サーバーに求めていますが返答がないんです。だから永遠と戦闘行為を続けてしまっている。戦後何十年も、しかもこんな単純なことが放置されていたなんて信じられない」

「そうね。単純とは思わないけれど、軍も本気で諜報活動をしていたのなら奇械マシンの仕組みなんてとっくに解明していただろうし。戦後すぐなら今と違って物資も豊富だったのに」

 ケイコの鋭い眼光がデトマールさんを射止めた。

「なぜわしを見るんだ」

「だって軍の高官と取引があるんでしょ」

「それは、戦前の古い銃のメンテナンスやら中古銃器の販売を仲介しているだけだ。話だって適当な世間話程度だ。わしはただの難民だよ」

 デトマールさんはぞんざいに話を切り上げると残り少ない白湯を飲み干してしまった。

「でも何か知ってる、そんな気がする。女の勘」

「ぐぅ、若いときのライケにそっくりだな、まったく。今から話すことは難民たちの根も葉もない噂だ。それにそれを日本人の、軍属の君たちに話すのはやや気がひけるのだが」

「いい。話して」

「難民たちの唯一都市ザ・シティに対する客観的な見方で、奇械マシンの存在は統制局や財閥が唯一都市ザ・シティを支配する理由になり得るんだ。Behörde……共通語エスペラントだとeiphl tham ak、日本語だとええっと」

「権威、です」アイカがすかさず答えた。「学校では共通語エスペラントの授業もあったので」

「まあ、そういうことだ。唯一都市ザ・シティの暮らしは、はっきりいって楽じゃない。死なないギリギリの配給しかない中で住民同士、工夫して物資を融通しなきゃいけない。だが街の外は───ケーコには言わなくても分かるだろうが、生きていくことさえ難しい。奇械マシンだけじゃない。日本はまだきれいなほうだが、大陸は2度の戦争で汚染されつくされているし前の戦争の余波でまだ紛争が……いや最新の情報は知らないがとても人間が住める環境じゃない。だから難民たちは文句も言わず唯一都市ザ・シティに閉じこもっているんだ」

「じゃあ、現状のままをうけいれろ、と」

「そういうつもりで言ったんじゃないんだ、ケーコ。歳を取ったら分かる。危険を犯して変革をすることより安定した生活のほうが貴重だと」

「その安定ももう長く続かないかもしれない。次、奇械マシンの核の攻勢部隊が来たら防衛線が破られるかもしれない」

「ん? まて、日本語を聞き間違えたか。核だって? この国には無かったはずだろう」

「そんな昔のこと、知らないわよ」

「参ったな、参ったな全く」

 デトマールさんは湿った白髪交じりの髪をかきあげた。

「そんなことより、日本地図を持っていたわよね。借りるわよ」

 まるで自分のうちのように勝手を知っているようで、古い戸棚を開けると埃をかぶった地図を書籍の間から引っ張り出した。それを床に広げるとアイカと二人で覗き込んだ。

「うわぁ、地図だ。学校の地学の授業だと西側、神戸からこっち側しか見ないんです」

「そりゃそうよ。昔の大都市はまだ放射能と重金属で汚染されてるし、東北は寒くて寒くて住める環境じゃないもの」

「じゃあ、松本っていうのは?」

「ここ。ちょうど日本の真ん中ね。第三次大戦の後で首都が東京から松本に移ったの。奇械マシンの中央サーバーもきっとここにあるはず」

「ずいぶん遠いけど。どうしましょう。陸路はだめですよね。軍の検問だけじゃなくて奇械マシンの部隊にも遭遇してしまうし。海はどうでしょう! この、と、と……富山まで船で行って」

「海はダメよ。前の戦争のときの機雷、海の地雷ね。唯一都市ザ・シティ沿岸の瀬戸内から出たらあちこちが機雷だらけ。海から奇械マシンが攻めてこないけれどこちらも出ることができない。この距離をゴムボートで行くのも無謀だし」

「じゃあ、空ですか」

「飛行機なんて、作り方は何十年も前に失われているし、戦前の飛行機だってに残っているかどうか。あったとしても奪って飛べば追手がかかるかもしれない」

 するとデトマールさんの巨体がムクリと起き上がった。

「ある。飛行機ならある。すぐ用意しよう。2日ほど時間をくれ」

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