19
最低だな、私。
車椅子の私にとって、アイカは見上げる存在だった。車椅子を押してくれるときもそうだが、彼女の器の深さもまた、尊敬に値する。
そんなアイカは、今、私の腕の中で涙ぐんでいる。
校門を出た直後、悲しげにうつむくアイカに掛ける言葉なんて思い浮かばず一緒に地面に座り込んで抱きしめた。ドサクサに紛れてアイカの体に触れた。
最低だ。
「坂田先生に聞いてきたわ───」
その場の責任者、ということでケイコと上級生の二人で教師たちからの尋問とも思える追求を受けた。堂々巡りの責任の押し付け合いばかりで反吐が出る思いだったが追及の手がアイカに及ばなかったのは不幸中の幸いだった。
「───あいつ、バッテリーが入らないからって無理やりハサミで押し込んだんだって。下級生たちの目撃情報と、防犯カメラの映像が決め手ね。あの部屋、防犯カメラがあったから」
だめだ。まだアイカはぐずっている。ゴソゴソと腕の中で動いて涙を拭っているようだった。
何か話してあげないと。
「ほんと、放任主義って大人のエゴよね。生徒主体で何でも決めていいというのは生徒の自律を促すどころか
「文化祭。できるんですか」
その質問が来るとわかっていたがまだ答えを用意していない。憔悴したアイカにどう言おうか考えながら帰宅しようとした。そしたらまさか、校門を出てすぐのところでアイカがうずくまっていたなんて予想できなかった。
「まずはうちに帰ってゆっくり休んだほうがいいわ。色々あったんだから」
「先輩! 知ってるんですよね」
やむなし。
「ええ。文化祭は、今のところ開催よ。ボヤといっても備品の一部が焦げただけだから。実行委員会の面々はお通夜みたいな顔してたから、当日学校に来るとは思えないけど。でも……」
「でも? 何ですか」
「オープニングに使う大凧。帆布に描いていた大きな絵なんだけど、スプリンクラーの水と消火剤のせいで全部だめになっちゃったの。だから、その、アイカが作ってくれていたオープニングイベントは中止せざるをえないの」
「そんな、そんなの間違っています」
「私だって同じ気持ちよ。アイカがあんなに楽しみにしていたもの。だけどあと5日しかないの。今日を入れて、5日よ。もう直せないの」
ゴソゴソと腕の中でアイカが動いた。白いつむじが見える。
さすがいに言い過ぎたか。もう少し違う言葉があったかもしれない。明日言うためにゆっくり考えるつもりだったんだ。直接的な言い方になってもしょうがない。
「できます!」
アイカの後頭部が不意に起き上がった。顎に強烈な一撃を喰らうすんでのところで回避した。
「先輩、余った備品の中に帆布がありましたよね! たしか3メートル四方だったかな。ちょっと小さくなるかもですが、できますよね」
アイカの無垢な笑顔が自分の鼻先にあった。
「材料はあるけど、絵はどうするの? 私は描けないわよ」
「あう、忘れてました」
心なしか2割くらいアイカが縮んだ。
行動力とそして素直さが相変わらずかわいい。先輩として助けてやらないといけないか。
「わかったわ。任せて」
「え、先輩が描くんですか!」
「そんなわけないでしょ。美術部の部長が知り合いなの。だからなんとかして頼んでみる」
「5日で描けるんですか」
「4日よ。実行委員会のボンクラたちが描いていたから1ヶ月もかかってたけど上手な人達だったら描けるでしょ。あるいは下描きだけでもやってくれたら、そのあとは私達だけでもなんとかなるわ」
「すごい、さすが先輩です!」
「まだ浮かれないで。できると決まったわけじゃないんだから」
「でもでも、可能性はずうぅぅっと高くなったんですよね。こうしちゃいられない。絵の具を買ってこなくちゃ! 筆とかは確か古い備品にあったから、あとは……濡れたドローンは乾かしたら飛べるから、バッテリー! 燃えたバッテリーの代わりに新しいのを買ってこなくちゃ」
誰かに聞かせるというわけでもなく、アイカの賢い頭がフル回転して予定を吐き出していく。
さっ、と立ち上がるとさっそうと陸上部顔負けのフォームで駆け出した。体力に自身があるというのは伊達じゃないらしい。
座った姿勢のまま冷たい地面を押して体を動かす。そして車椅子を引き寄せる。一人で乗り移ることなんて造作もない。
「あっ、しまった。先輩を忘れてた」
すぐに帰ってきた。
「私のことは気にしないで。一人で車椅子に乗れるしタクシーを呼んで帰れるから。すぐに美術部の部長にもLINEを送っておくわ」
「さすがです! ケイコ先輩。じゃ、わたしはこれで。また明日、文化祭準備室で会いましょう」
回れ右。ふわっと舞ったアイカの横髪が残像を残してすぐに見えなくなった。
やっぱりアイカは笑っているときが一番だ。
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