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 もう、どうしようどうしようどうしよう。

 アイカは迷子のネコのようにきょろきょろと落ち着かない足取りで梅園寺基地の廊下を走る。目的地がわからないのなら誰かに聞けばいいが、大人たちは忙しそうに動き回っていて聞くに聞けない。

 戦前は学校として使われていたらしく各部屋の間取りは学校の、そのままだった。しかし、いかんせん広い。唯一都市ザ・シティの学校はこんなに広くない。大抵は戦前の古い雑居ビルに押し込まれるか、戦後に建てられた効率重視な複合ビルに組み込まれている。

 何十年も前の高校はこんなに大きかったんだ。すごい。

 去年まで通っていた学校が懐かしい。そう思えば、その後入隊し教練期間半年くらいでずいぶんと生活が変わってしまった。

「ここだ!」

 空き部屋だった。何年も手入れされていない雰囲気。窓ガラスは割れ、壁のコンクリートも剥がれ落ちて鉄筋がむき出しになっている。

 窓の外───見渡す限り瓦礫の街が広がってた。唯一都市ザ・シティの外にある基地だからこそ見ることができる景色。唯一都市ザ・シティじゃ見ることができないリアルな景色。

 これを見るために軍隊に入ったんだ。たくさんの人々を助けるためにココにいるんだ。

「よし、アイカ、これが武者震いだぞ! わたしは! やるときはやるんだ!」

 誰も見てないことをいいことに好き勝手を言って自分を奮い立たせる。

「っと、目的を忘れてた。小隊長のオフィスを探さなきゃ」

 回れ右。教練で習った通りのキビキビとした動き。

 するとカサリ、と足に何かが当たった。それに妙に気を取られた。

「へー、雑誌だ。しかも漢字で書いてある!」

 共通語エスペラント以外の出版物なんてほとんど見ない。しかも貴重な紙で作られてた雑誌というだけでかなり珍しい。

「この漢字は、うーんと。へい、わ?」

 平和。うん、意味はわかる。奇械マシンがいなくてお腹いっぱいご飯が食べられること。

 数ページをまとめてめくってみる。細かい文字の方はあまりわからないけど、たくさんの写真は見てよく分かった。

 昔の街。瓦礫がなくて、たくさん車が走っている。今と違って天然物の食品を誰もが食べられたらしい。

 すごい。俄然がぜん興味が湧いてきた。

 ふむふむ。なるほど。平和が吹き飛んだ原因はキューバ危機とハワイ会談か。

 どこだろう。たぶん、すごく遠い場所だということはわかる。そして国と国の戦いが始まった。

 国。意味はわかる。ここの地域は、かつては日本と呼ばれていた。しかし2度の大戦を経て、人が住めるのは唯一都市ザ・シティのみになってしまった。そして機械化したクローン兵士───奇械マシンが襲ってくる。

 雑誌の文言は、平和の大切さを説くものだった。

「ばかばかしい」

 アイカは雑誌をほおった。妄想の言葉ばかり並べたって奇械マシンの驚異が去るわけじゃない。安全な唯一都市ザ・シティもって現実から目を背けても同じこと。

「そう、だからわたしはココにいるのです! 頑張れ、アイカ! 怖くなんて無いんだから」

 空き部屋を後にして4階への階段を駆け上がる。我ながら、だいぶ体力がついたと思う。

 軽やかステップで最後の1段を飛び越えると、きょろきょろとあたりを見渡した。

 あった。4階西側の部屋。

 消えかけた表札で「偵察中隊」とある。よくよく考えてみれば、自分の配属先が偵察部隊なのだから、小隊長のオフィスだってきっとここだろう。

 一旦、落ち着いて呼吸を整える。髪型も整える。靴紐もほどけてない。よしっ。

 ノック3回。そしてやや間延びした返事が帰ってきた。

「失礼します。はじめまして。溝部アイカです。着任の挨拶に参りました!」

 教練で習った通りの敬礼をしたつもりだが、目の前のふたり───髭の生えた長身の壮年の男と、黒髪をポニーテールにまとめたキリッとした女の人はいぶかに見返してくる。

 すると女の人が口を開いた。

「何か用事?」

「ちゃ、着任の挨拶に」

「挨拶って、配属日がわからないの? 総務から連絡が行かなかった?」

「あ、えっと、明日と言われました」

「じゃあ明日でいいのよ。あと、いつまで敬礼してるの?」

 言われて気づいた。りきみすぎてて手が冷たくなっていた。

 女の人は書類に目を落とした。

「この子、ね」

 その書類に見覚えがあった。自分が書いた履歴書のコピー。

「ま、そういうことだ」低い大人の声が響いた。「人員の穴埋めも、俺だって上申したんだがあいにくどこも人手が足りないんだとさ」

「だからって教練途中の新兵を引っ張ってくることはないじゃないですか」

「俺のせいじゃないっての。みんな後方配置の砲兵科に配属されたがってるのは知ってるだろ。あとの面倒はお前が見るんだ。じゃ、俺は休憩・・に行ってくるから」

 大きな身長の男の人がすぐ脇を通り過ぎる。思っていた兵隊、という雰囲気じゃなかった。大きな背中はこちらに一度も目を合わすこと無く階下へ歩き去った。

「あ、あの……」

「私は本田ケイコ。小隊長よ。よろしく」

「よ、よろしくおねがいします。小隊長殿」

「殿、って」

 ケイコの整った眉が釣り上がる。怒った? でもそれ以上表情は変わらなかった。アイカは次の言葉を身構えたが、意外にも冷静でおとなしいい口調だった。

「私のことは普通に隊長でいいわよ別に。軍にいる期間が長いだけであなたと年齢もそう変わらないんだから」

「え、もしかしてタメ───ですか?」

「あなたが1年若い」

 ケイコは履歴書をひらひらと振ってみせる。ほかにもうひとり分あるようだったが中を見る前に書類棚にしまわれてしまった。

「自己紹介は、明日あなたともうひとりの新人と会ってするつもりだったんだけど。ちなみにさっきの昼行灯ひるあんどんは坂田中隊長ちゅうたいちょう。ああ見えて神戸方面の偵察小隊のまとめ役」

「ひ、昼行灯って」

「意味がわからない? それとも敬意が足りないって? 仕事の合間に葉っぱを吸いに行くような形ばかりの役職よ」

 澄み渡っているが鋭くて冷たい言葉が一方的に突き刺さる。

「了解、しました」

「肩の力を抜いて。ここは、そういうところだから。それにしても新人がふたり、か」

 ケイコの横顔は、どこか寂しく美しかった。つい眺めてしまう。目が合いそうになって慌てて窓の外を見てごまかした。

「何?」

「いいえ、なんでもありません。隊長」

「で、あなた、名前はなんだっけ」

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