17

 爆轟。銃声。甲高い羽音。誰かが叫んでる。

 ちがう、わたしが叫んでいた。

 そして焼けた化学物質の刺激臭と焦げ臭い熱い煙が立ち込めている。

 ケイコがわたしの上に覆いかぶさってるせいで動けない。

「アイカ! 煙を吸わないで。気管を火傷する」

 どうしてこんなことに。

 奇械マシンの部隊を遠距離から撮影する最中だった。突然の爆発と衝撃。

 ケイコの体が小刻みに震え、どこかへ銃撃をしているのがわかった。なんとか首だけを動かして周りの状況を確認する────嘘。

 すぐとなりに真っ黒になった焼死体があった。まだ焼けてない目がこっちをまっすぐ見ている。口が僅かに動いて体も震えている。まだ生きている?

「そんな! シホちゃん!」

 様態を確かめたかったがケイコの体が邪魔で動けない。

ケイコレモン、廊下の安全を確保した。今すぐ行かないと背後に回り込まれるかも」

 アップルが廃墟ビルの部屋の入口で叫んだ。

「わかった。すぐに須磨すま防衛線まで退却する。アイカ、いい、怪我はない? フラッシュメモリは持ったね。通信機材と銃を持って。最小の荷物で移動するよ」

 ケイコはハンドサインでアップルに先導をさせるとアイカを先へ押し出した。

「待って! 待ってください。シホちゃんが! まだ息があります!」

「もう助からない。諦めて」

「見捨てるなんてできるわけないじゃないですか」

 敵が迫っていると言うのは頭の片隅では分かってる。でも叫ばずにはいられなかった。

「あれは死戦期呼吸しせんきこきゅう。もう助からないし意識があるかどうかもわからない。今はそれよりも、撮影した偵察データを司令部に届けなくちゃいけない。いい? この行動は数十万人の命に関わるの!」

 ここまで厳しいケイコのげんは初めてだった。アイカはその気迫に言い返す言葉を失ってしまった。 

「はい」

「泣いてる場合じゃない。命よりも偵察データのほうが大切。もし私やアップルがたおれたとしても、あなただけは生きて司令部にデータを届けるの。須磨防衛線の司令室にデータ通信施設がある。そこになんとしてもたどり着くのよ」

 痛いほど唇を噛み締めて頷いた。そしてアイカは一度だけシホの方を振り返った。友の最期を目に焼き付けておくために。

 先導をするアップルは長身のライフルを拳銃に持ち替えてクリアリングをしながら階段を降りていく。地上まであと10階。教習どおりなら、閉所で撃ち合えばこちらに勝機がある。

「アイカ、もしドローンが近づいてきたらすぐに伏せるのよ」

「何が起きたんですか。わたし、双眼鏡を覗いたままだったので何がなんだか」

 ケイコは渋るように唸ったが、話してくれた。

「自爆する攻撃型ドローン、というのが正しいわね。私も初めて見た。奇械マシンが戦術を変え兵器も変えたことなんて今まで一度もなかったこと。それに連中が運んでいる155mmも戦前の兵器だし……とりあえず今は目の前のことだけに集中しましょ」

ビルの出口まで来た。周囲の建物はすでに崩壊して瓦礫の山なので狙撃をされることはなさそうだった。それでも、エントランスの影でアップルはライフルを構えて照準器を覗き込み、警戒をしている。

 緊張のせいで唾さえ飲み込めない。教習では重くて大変だった銃も、いまでは小さく頼りない命綱にしか思えない。

 アップルが振り返らずにハンドサインを出した。それに合わせて、アイカとケイコは姿勢を低くしたまま飛び出した。バイクを隠している古いバス停まで数十メートル。エンジンをかけたらすぐにアップルを呼び寄せる。奇械マシンは足が遅いからバイクに乗ってしまえばこっちの勝ちだ。

 ターン・ターン・ターン

 甲高い銃声が3発。アップルが持っている口径の大きいライフルの銃声だった。

「走って!」

 背後───アップルが叫んでいる。

 気になる。ちらりと見た───瓦礫に銃身を預けて狙撃をしているアップル。

 奇械マシン? 

 束の間、地面をひっくり返すような銃弾の応酬がアップルを襲った。猛然と砂煙が舞った。砂煙の向こう側で、アップルが斃れるのを見た。

 そんな、そんな、こんなことになるなんて。

 「アイカ! 伏せて!」

 後ろにばかり気を取られていた。ケイコに首元を掴まれて地面に倒される。その数秒後に爆発と熱風が襲った。髪が焼け皮膚がヒリヒリと熱い。

 すぐ目の前にあったはずのバイクが爆発していた。積載していた合成ガソリンに引火して盛大に燃え上がっている。熱さで目を開けられない。

「撃ち返して! 自爆ドローンよ」

 機械の羽音が聞こえる。4枚のプロペラが頭上でがなり立てている。普段の偵察で見かけるようなセンサーとカメラの搭載型じゃない、赤外線センサーと小型の高性能爆薬のユニットだった。

 上空の小さい目標がはっきりと見える。これがアドレナリンのせい? 教習で教わったとおりだ。

 すぐ耳の横で連続した射撃音が響いて現実に引き戻された。ケイコは手際よく2機の自爆型ドローンを落とした。

 ケイコは弾倉を次のに替えながら、

「近くに西へ向かう新幹線の線路がある。それに沿って進めば地下を通るトンネルだから比較的安全だから。私たちは敵に補足されている。とにかく体を動かし続けて!」

 早口で繰り出されるケイコの言葉をなんとか理解した。

 ケイコは瓦礫の小道を迷いなく進んだ。戦前のビルの瓦礫が頭上高くまで積み上がっていて視界が悪い。どこかの窪地くぼちから奇襲されるかもしれない。

「大丈夫、安心して。奇械マシンは強力だけど単純なの。個体だけで私達を追ってくることはできない。合理的な思考をする奇械マシンの集団は私達よりも唯一都市ザ・シティを標的に進むわ」

「でも今回は、いつもと様子が違います」

「ええ、そうね」今度の言葉は短かった。「ここのクレーターを駆け下りて。下にトンネルが見えるでしょ。あれが新幹線の線路。あなたが以前に言っていたものよ。敵が来ないか見張っておくから、あなたが先に降りて。大丈夫。このクレーターは通常兵器の作った穴だから。たぶん」

 先に降りる? それじゃまるで今度はケイコさんが奇械マシンの標的になるみたいな言い方じゃないか。

 しかしケイコの背中は反論を許さなかった。すでに伏射の姿勢で後方を警戒している。

 たくさんの命がかかっているデータ。それは胸ポケットに、ポリカーボネートのケースに入って守られている。シホちゃんやアップルの命を掛ける価値があるなんて。

 巨大なクレーターはひどく足場が悪かった。くだけたコンクリート片や小石ばかりで、大きな破片に足を付けばぐらりと揺れて坂道をゴロゴロと下り落ちていった。底の部分は雨水が溜まって足首までぬかるんだ泥水に浸かった。ブーツの中がじわりと濡れて気持ちが悪い。

 トンネルの中からじっとりとした空気が流れてくる。しかし戦前の精緻なコンクリート造りのトンネルと鉄道はまだ残っていた。

 降りたことをケイコに手を振って伝えると、ケイコはライフルを背に背負って軽快にクレーターを降りた。

「わぁ、すごい」

「軍事規格の義足のおかげよ。今は、こんな大穴を開けた大昔の軍隊に感謝ね。ほら、ここ。戦前の前線基地があったの」

 言われてみれば、トンネルのあちこちに錆びた銃器や弾丸が散乱していた。トンネルを塞ぐように鎮座しているのは、戦前の戦車か。

 水が流れている線路を避けて、トンネル右側の通路を進んだ。先頭をケイコが警戒し、アイカはちらちらと落ち着かない様子で後ろを振り返りながら進んだ。

 かつかつとブーツの底を鳴らして進む。

 かれこれ小一時間、歩きっぱなしだった。交わす言葉もなく、ただ奇械マシンを警戒するだけだった。

 出口の光が見えた。奇械マシンの姿はない。バリケードが積み上げられて光が途切れながら暗いトンネルに差し込んでいる。もうすでに奇械マシンの前線を突破しただろうか。

「2班に連絡を取ってみて」

 メンテナンス用トンネルで荷物をおろした。だれかがここで野営していた形跡がある。

 受話器を耳にあてがい、周波数を合わせる。

アイカグレープ より2班へ」

 応答を待つがノイズしか聞こえない。敵が近くにいる? 教練通りなら短いパルス信号が返ってくるはずだ。

「応答がないみたいね」

 しかしケイコはわかっていたふうだった。

「もしかして、2班も奇械マシンに襲われたんでしょうか───あ、すみません」

 ケイコの表情がきびしい。いやむしろ怖い。それでもケイコはアイカの視線に気づくとすこし和らいでくれた。

「大丈夫よ。2班がいるのはもっと南だもの。こっちの騒ぎに気づいていたらさっさと撤退してるわ。連中、血の気が荒いけど素人じゃないから大丈夫よ」

奇械マシンが運んでいた榴弾砲。そんなに重要なんですか」

「ええ。今までの情報を統合すると、あれは核砲弾を運用する部隊よ。以前から妙な運搬部隊が、私達だけじゃなく他の偵察隊からも報告が挙げられていたの」

「でも奇械マシンが核を作るなんて───」

「ええ、無理よ。唯一都市ザ・シティでさえ無理なのだから。だとすれば残る可能性は、奇械マシンが戦前の兵器を持ち出してきた、ってこと」

 あっ、とアイカは小さく唸った。

奇械マシンは情報の並列処理を行いながら戦闘をします。もし、どこか残された兵器に奇械マシンの個体が接触し情報をアップデートしたなら、群全体に新しい戦術が広がるかもしれません」

「あなた、よく知っているわね」

「あ、まあ。コンピューターは得意なので」

 流石に裏で流通していた奇械マシンのプログラムコードを解析した、なんて言えなかった。

「まあともかく。早く須磨防衛線へ行くわよ。疲れてる?」

「このくらい、へっちゃらです!」

 へこたれるわけがない。シホちゃんとアップルの最期が脳裏で蘇った。吐きそうになるのをこらえる。今は、まだ。

 ずっしりと重い通信機材を背負う。命綱たる小銃を脇に抱える。

 トンネル出口のバリケードから、ケイコはじろりと周囲を観察して安全を確認した。“安全”のハンドサインを信じて外へ出た。

 久しぶりの外光にまぶたをしばたたかせる。

 銃声は一切聞こえない。平穏そのものだった。あまつさえ枯れ木にとまった鳥の鳴き声が聞こえる。

 トンネルの外、須磨防衛線は、はげ山をくり抜くようにしてトーチカが建設され長大な野砲が東の廃墟の街を睨んでいる。

「ここはまだ大丈夫みたいね。よかった。急いで司令室まで行くわよ」

 ケイコは走った。アイカも通信機材が入った背嚢を揺らして後を追った。

 身分証のチェックがあるかと思ったが、ケイコの気迫に守備隊の警備兵はそのまま通してくれた。そのうち1人は司令室までの道案内までかって出てくれた。

 傷だらけで薄汚れた2名の偵察兵の登場に、守備隊の兵士たちが周囲でざわめいていた。空気を読んで自身の持ち場へ急ぐものもいた。

 そんな人だかりを押しのけて、コンクリート製の地下壕の奥深くへ潜った。

「緊急事態F2です!」

 司令室に入るなりケイコが叫んだ。

「な、いきなりなんだね君は」

 軍服の士官がどもった。

「偵察データと敵の位置情報があります。すぐに司令部に送信してください」

 士官はケイコとアイカを互いに見比べながら状況を飲み込んでいった。

「あの、これがデータです」

 アイカはポケットに大切に仕舞っていたフラッシュメモリを士官に手渡した。

 2人分の命を掛けてここまで運んできた大切なものだ。

「状況は、わかった。総司令部と連絡を取ってみよう。君たちは、ああ、ええと。疲れただろう。食事でも摂って休んでいたまえ」

 一礼して司令室を後にする。ここから先は私達の仕事じゃない。

 役目が終わったせいか急に膝の力が抜けた。真っすぐ立っていられない。めまい、そして吐き気もする。生理痛でさえここまでひどくないのに。

「アイカ、大丈夫? 緊張状態が続いたあとはそうなるものなの。大丈夫。すぐ気分が良くなるわよ」

 ケイコは背中を優しくさすってくれたが、うなずくことしかできない。

 気分が良くなるなんて思えないけれど、背中をさすってくれるのは何よりも嬉しかった。

「そうね、場所を変えましょう。こんな男臭いところじゃ気が滅入るだけ。外の空気を吸いましょう。もちろん、安全なところで」

 ケイコに肩を持ってもらいながら地下道の階段を進む。やがて須磨防衛線の西側の丘陵に出た。戦前かそれよりずっと前からあるであろう石階段を、ふらつく足取りで登った。

 やっと頂上についてふたりで腰を下ろした。背後には朽ちて久しい神社があった。名前は、なんだろう。石柱に書いてあるが知らない漢字だ。

 ドーン・ドーーン

 地響きと爆豪、そして空気が揺れた。周囲の枯れ木に止まっていた鳥たちが一斉に羽ばたいた。

「ヒッ!」

「大丈夫。味方の砲撃よ。安心して、奇械マシンの攻撃はここまで来ないから」

 縮こまるアイカを、ケイコは肩に手を回してギュッと抱いた。

 すぐ横にケイコの息遣いが聞こえる。耳元で、

「大丈夫。ここからの砲撃は計算されている。命中精度も高いわ。すぐに奇械マシンなんて東の大阪まで追い返せるから。だから安心して」

「でも、シホちゃんとアップルはもう────」

「ええ。いい仲間だった。私も、残念だわ」

 今更になってシホに言われた言葉が蘇った。偵察部隊は危険だ。

 あのときの自分は、偵察部隊なんてただ影に隠れて敵の数を数えるだけだと思っていた。ただ単純な仕事。歩兵のように正面切って戦う必要がないだけマシだとも思っていた。

 アップルの優しいふわふわボイスを思い出すとぎゅっと胸が苦しくなる。もっとたくさんお話をしておけばよかった。

「わたし、悲しいはずなのに涙が出ないんです。どこかでまだふたりが生きているような気がして。でももう死んじゃったんですよね」

 ケイコからの返事はなかった。ちょっとだけ抱きしめる力が強くなった気がした。

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