16

 アップルの言う「頑固」という言葉に数日さいなまれた。決めたことをがんとして譲らない性分は、自分でもわかっている。

 それでも、こうして学校を出てバス停へ行くまでの道のりを、アイカに車いすを押してもらうことは、ケイコなりの成長の証だった。

 どんなところでも自分の力で行っていた。それがこの世界において自分自身の存在証明のようなものだったからだ。

 そのせいか、他人に車椅子を押してもらうことに若干のむずかゆさがあった。

「眠そうね」

 背後でアイカがあくびをした気配がした。

「エヘヘッ、すみません。文化祭は来週なのでついつい夜更かししちゃって」

「例の、ドローン50機の曲芸飛行?」

「はい、そうです。プログラミングの最終調整をしているのです」

「でもオープニングセレモニーは数分だけでしょ。ドローンのバッテリーだってそう長くは持たないだろうし。そんなに手間がかかるものなの?」

「エヘヘッ、まあ、かかるんです」

 そんなものなのか。

「ドローンに加えて、倉庫整理もしているのに、大丈夫なの?」

 低血糖のせいか、夕方は頭がぼんやりしてしまう。計算が合わない部分の帳尻合わせをアイカが全部やってしまった。

「体力には自身があるんです、こうみえて。先輩を抱えてバスにのることだってできるんですから」

「そう、でも──」頑固さはダメだ。「──じゃあ、お願いしようかしら」

「エヘヘッ、任せてください!」

 彼女の素直さは見習うべきだ。それにこうして一緒に話しているとぼんやりした頭もキリッと回り始めるので心地よい。

「はい、先輩。食べます? ミニクロワッサン。朝、100円ローソンで買ってきたんです」

「なっ、ええ。いただくわ。でもあなた、いつもモソモソ何か食べてるわね」

「エヘヘッ、わたし、食べるのが大好きなんです。あ、知ってます? 美味しいものを食べるとドーパミンがガンガン分泌されて幸せを感じるんです」

 ふうん。薄く糖蜜をまとったミニクロワッサンを齧りながらアイカの豆知識の披露に付き合った。

 文系専攻とはいえ生物せいぶつは得意だ。たしか、ドーパミンの発生条件は幸せを感じることだ。たとえば、食事、運動、褒められる、そして好きな人と一緒にいること。

「ね、先輩、ドーパミン、出てます?」

 ビクリ。いつの間にかアイカの顔が横にあった。

「ええ、でてるわ。───あなたのおかげ・・・・・・・、かも」

「エヘヘッ、よかった」

 嫌いという感情は、よくわかる。往々にして文化祭実行委員会の面々にはそういう感情を抱く。反対の好きはわからない。一般的な恋愛感情なんて抱いてこなかった。

 好きの定義がドーパミンだかセロトニンだかの量に依るのなら、わかりやすい。今、私の頭の中を調べたら、感情が客観的に分かるしアップルの言う恋愛関係も作りやすい。

 面倒くさいな、私。

 いや待てよ。

 重要なのは私の気持ちよりアイカの気持ちじゃないのか。節々に見せる脈がありそうな仕草も、素直で別け隔てなく明るいアイカだからこそであり私の気持ちはアイカにとって迷惑なだけかもしれない。

 もうすぐバス停だ。バスが来る時間まであと数分か。アイカに抱え上げられてバスに乗ってそれで今日はお別れ。分かれるときの言葉と表情でも考えておこうか。

 バス停の手前───ふだん人が集まるでもない場所なのに、がやがやと騒々しい

「あれ、火事じゃないか」

 群衆の一人が指を指して見上げている。その先───私達の背後には梅園寺高校うめこうしかない。

 車椅子から身をひねって彼らの指差す先を見た。学校は小高い丘の上にあるのでその1室から煙が出ているのがはっきりと見えた。

「うそ、火事だなんて」

「先輩、燃えている部屋は文化祭実行委員会が使ってるところじゃないですか」

「ええ、そうかもしれないけど」

 胸騒ぎがする。しかしだからといって私達にできることはない。消防署に連絡して───でも先生たちがもう対応しているか。

 スマホを取り出そうとしたが、ケイコの頭上でアイカが真っ青だった。

「わたし、わたし、ちょっと見てきます!」

「おちついて、アイカ。今行っても危ないだけよ」

「気になることがあるんです。ううん、確かめなきゃいけないんです。先輩、すみません、バスに乗れますか」

「ええ、できるけど」

 歩くのが難しいだけだ。つかまり立ちで乗ることはできる。

「じゃ、えっと、バイバイです先輩。また明日です!」

 アイカはくるりと踵を返した。くるくるの横髪がふわりと舞う。体力に自信がある、と言った通り見事な陸上部的フォームで坂道を駆け上がってすぐに見えなくなった。

 どうしよう。角を曲がってバスが姿を表した。これを逃したら、車椅子対応のバスは2時間後だ。

 こんなことで迷うなんて、面倒だな、私。

 大好きな後輩が走っていったんだ。追いかけるしかないだろ、私。

 ゆるい上り坂を車輪を推して登る。健常者の歩みより遅い。焦りだけが膨らんでしまう。意固地になって電動車椅子にしなかったことをいまさら悔やんでしまう。

 鍛えられた腕力で校門までたどり着く頃にはすでに消防署の赤い車と救急車、それにパトカーも校庭に集まっていた。幸い、封鎖はされていなかったので、反対側の昇降口から校内へ入った。

 燃えていた4階までエレベーターで登る。火の手は見えず煙もだいぶ収まっていたからひどい被害というわけではなさそうだ。

 文化祭実行委員会の準備室の入り口に人だかりがあった。全身びしょ濡れの実行委員会の馬骨うまほねたち、顧問の坂田先生、警察と消防の人たち。人だかりの中心にアイカがいた。

「勝手に燃えるわけないじゃないですか!」

 アイカの声はほとんど叫び声だった。

「うるさい! お前のせいだ。おまえがイジってたドローンから急に火が出たんだ」

「そんなわけないでしょ! 安全回路もヒューズもあるのに! あなたたちが何かしたんでしょ」

 状況は、わかった。確かオープニングイベントで使うドローンは実行委員の準備室に保管されていた。そこでドローンが発火したということか。連中がびしょ濡れなのはスプリンクラーが作動したせい。廊下まで水浸しになっている。

 アイカvs実行委員の面々の構図。周りの大人たちも声をかけあぐねている。犬同士の喧嘩をどういさめていいかわからない、というふうに。

 そういえばアイカに似た、昔飼っていた犬も体格が小さいのに気性が激しくよく他の犬と喧嘩してたっけ。

 衆人環視しゅうじんかんしの輪の外側で気弱そうな1年生の女子生徒がもじもじしていた。ずぶ濡れで下着が透けているのを隠そうとしているふうではあったが、よもやなにか知っている?

「ねえ、何があったの?」

 車椅子に座ったままでは威圧的ににらむことができない。しかし、彼女の左手を力いっぱい握って離さなかった。

「あう、ちょっとしたボヤ騒ぎです」

「そんなこと言われなくたって、わかってる。どうしてそうなったかって聞いてるの!」

「わ、私は見てないです。でも、高井先輩がドローンを持っているところを見ました」

 高井───今アイカと言い争っている男子生徒か。

「どうしてボヤなんて起きたの? ほら、もっと大きい声で。みんなにも聞こえように」

 すごみすぎたせいか、女子生徒は瞳に涙をいっぱいに浮かべている。そんなことどうだってかまわない。アイカが悪者にされてたまるか。

「あの、ええと、高井先輩がドローンなんてラジコンと一緒なんだから飛ばしてやるよって。その後、突然炎が吹き出したんです」

 皆の視線が元凶たる高井に集まる。

「そんな!」しかしアイカは頭を抱えていた。「火が出るなんて、もしかしてリポバッテリーに傷が入ってた?」

 ケイコは泣きっ面の1年生の手をさっさと振りほどくと、今度はアイカの手を引いた。

 混乱している彼女を今このままここにいさせちゃまずい。どこか静かな場所へいかないと。

 手を握って歩く、といっても車いすのせいでそう早足になるわけでもない。びしょ濡れの準備室を背に、とぼとぼと2人で夕暮れの廊下を歩く。罪の糾弾は大人たちに任せよう。アイカを関わらせちゃいけない。

 こんなとき、自分の足で立てたなら涙ぐむ彼女をぎゅっと抱きしめてやれるのに。代わりにアイカの丸っこい指をギュッと握ってやることしかできない。

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