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「何をしたらいいですか?」

 彼女の開口一番がそれだった。

 低血圧でぼんやりした頭で記憶をさかのぼってみた。溝部アイカ、と元気よく名乗った1年生の後輩はそのまま踊りだすかというテンションで、彼女のキンキン声が頭に響く。

 この懐かしい感じ。そう、昔飼っていた犬にそっくりだ。元気ばかりいいくせにボールのひとつさえ取ってこれない。

「何も知らずにここへ来たの?」

 ぽつりとケイコはその後輩に告げた。

「そのくらい知ってますよ。物品管理部は文化祭実行委員会の縁の下の力持ち! 物品を管理し紛失しないようにする仕事なのです」

 実行委員会の募集チラシのような文言。たぶん丸暗記したんだろうな。

「そ。正解。でもそんな元気はいらないから。縁の下の力持ち、って要は日の当たらない役職なのよ。ふつーはもっと人気のある役職に就きたいと思うのがふつーでしょ」

「でもわたしは好きですよ。縁の下の力持ちってたくさんの人の手助けになるじゃないですか。わたし、たくさんの人を助けたいんです」

 物は言いようだな。実行委員会の連中に言いくるめられてこんな仕事を押し付けられたのだけれど、アイカのポジティブさは一部は見習わなきゃいけないな。

「仕事はね、単純。備品の数を数えて、壊れていたら捨てて、足りなければ財務に予算を割いてもらって、以上」

「数えるって、これ全部ですか?」

 アイカは壁が見えないくらいうず高く積んである段ボール箱と背くらべをした。

「ここだけじゃないわ。ここと、別館の倉庫と、体育倉庫と、全部よ。何年も文化祭が終わった後の整理をなおざりにしてたせいで必要なものもゴミもぜんぶ一緒になってしまわれてる。3年生は卒業するし先生たちは自律だか自立だかつまりは放任主義だから」

「あはは、先輩、言葉強い」

「はい、すぐに仕事に取り掛かるわよ。文化祭は1ヶ月先だけど備品のリストは、準備が本格化する前に提出しなきゃいけないから」

「はい、りょーかいです、本田先輩!」

 部活に入っていないせいか、先輩と呼ばれ慣れていなくて面映おもはゆい。子犬のようにはしゃいで元気な後輩に言われたらなおさらだ。元気さや前向きな姿勢は自分がどうあがいても手に入れることができない部分だ。

「じゃ、私がデータ入力するから、あなたは数えてちょうだい」

「まずは、えーとどこからしようかな」

「どこからでもいいのよ。どうせ全部数えるんだから」

「えっと、車椅子がひとつ!」

 アイカは段ボール箱の横で畳んである車椅子を指差した。

「それ、私物だから」

「しぶ……えっ何です?」

「私の、ってこと」

 アイカはおどおどしながら、座りが悪いようにもじもじと言葉をんでいる。

「ケガ、してるんですか」

「はあ、そう言われるの久しぶりだな。悪気がないのは分かってるけど」

「す、すみません」

 ケイコはレモン柄・・・・のひざ掛けに手をおいた。

「事故よ。小学生の時のね。上半身は動くようになったけど下半身は無理みたい。だからずっと車椅子。この学校を選んだのもバリアフリーだから。大丈夫。足が動かないからってあなたに迷惑をかけることはないわ。強いて言うなら、高い場所の箱を下におろしてほしい」

「あ、はい。わかりました、先輩」

「高いところの箱は気を付けてよね。重いものもあるんだから」

「エヘヘ、こう見えて足腰に自信がるんですよ、わたし。男子よりも力持ちだし、安産型だし」

 安産型と足腰の強さにどんな関係があるのだろうか。アイカなりの自慢ポイントらしい。もっと自慢すべきはその長い乳だろうが、それを言わないのは彼女なりの謙虚さだろうか。

 アイカはグッっと背伸びをして頭より高いところの段ボール箱をつかんだ。

 コケたところで助けられるわけもなく、ケイコは自信家な後輩を信じた。

「よっと、取れましたよ、先輩。どれどれ中身は───なんと、ガラクタばかり。うぇ、この部屋の箱全部がそうなのかな」

「ええ、全部」

「じゃあ数えますね。まずは、劇の台本かな。6冊あります。それにマラカスが2つ。うわーカスタネットだぁ。懐かしいな。1つです」

 アイカはガラクタの1つひとつを嬉々として眺めている。やはり犬だ。昔飼っていたミニチュアダックスフンドにそっくり。

 ケイコは、壊れ物を触るようにキーボードをひとつずつ押していく。押しながら、ちらちらとアイカの視線を感じる。こちらの目や手の動きを見ているらしい。次のガラクタの数を言うタイミングを見計らってくれている。

 天真爛漫、無遠慮、愚直。だけれど気遣いはできる。この先1か月 1人で地道に作業すると思っていたが、ちょうどよく気を紛らわすことができそうだ。

「でも先輩、もし1人だったら箱の上げ下ろしはどうやって……あ、またわたし余計なことを言っちゃった」

 アイカは慌てて口を両手で押さえた。そのせいで箱から出したばかりのガラスのコップを落としそうになる。

「いいのよ、別に。そう言ってもらった方が、障害者しょうがいしゃとして気を遣われるより楽だもの。私、立てなくはないの・・・・・・・・。立つだけならね。ただ歩くのが難しいだけ。箱の上げ下ろしもできなくはないの・・・・・・・・

 できない、という言葉が嫌いだ。足が動かなくなってからはなおさら。つまらない文化祭実行委員会に入ってしまった原因でもあり、意味のない閑職かんしょくをあてがわれたのもそのせい。

「アハハ、先輩、強いな」

「そんなことないわよ。意固地いこじなだけ」

 わかっている。それなのに自分ではどうしようもできない面倒な性格。

「でも手助けが必要な時はいつでも言ってくださいね。わたし、人助けが趣味ですから。コホン、さて次の物は、残り7枚のポストイット」

「破棄でいいわよ、破棄。そっちのゴミ箱に入れておいて」

「はい、了解です! そして、おおなんとこれは!」

 古ぼけたビニル袋に包まれて重そうな機械が出てきた。小さいモニターが付いているようだが、表面のプラスチックは劣化して黄ばんでいる。

「何それ? 知ってるの?」

「すごいですこれ! 日立のMaster Binary。初めての家庭用PCですよ。どうしてこんなところに。80年代の代表的な家庭用コンピューターでなんとなんと当時のコンピューターは8bitだったんです。記憶メモリは、今主流・・・の積層カリウムメモリでも昔普及した半導体でもない、磁気メモリなんですよ、なんと!」

「あなた、意外と。その、意外なところがあるのね」

 オタク、というより機械マニアだ。

「あれ、言っていませんでしたっけ。わたし、普通科じゃなくて専攻科ですよ。コンピューターの」

「なにそれ、エリートコースじゃない」

 かくゆうケイコは普通科だった。しかも文系。コンピューターサイエンスとは無縁の分野だ。といっても共通語エスペラントのテストは最悪で文系科目も特に得意というわけでもない。

「エヘヘ。好きなだけですよ。でもどうするんですか。このPC、基盤が生きてて完調なら高く売れますよ」

「学校のお金で買ったものを、そう簡単に売るわけにもいかないの。困ったわね。坂田先生にあとで聞いてみるわ」

 こういう面倒くさいことは「いい感じにしといて」とごまかされそうではある。

「了解です。じゃ、この箱は終わりです。次のやつ、数えますね」

「そう慌てなくても、ゆっくりでいいから」

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