7
夜が明ける。瓦礫の街の地平線のむこうから朝日が昇ってくる。頭上の判然としなかった雲の形がはっきりと見え、崩れかかったビルの陰影がさらに濃くなった。
アイカは、穏やかな寝息を立てているシホとアップルを起こさないよう、ラップトップのキーを丁寧に押していく。作業に行き詰まったら黄土色のレーションを口に放り込んでがりがり
「これでよし」
エンターキーを押して自分で組んだプログラムが指示通りの作業を開始する。
「
「ああ、隊長。おはようございます」
この時もコールサインで呼ぶのか。名前で呼んでもらえなくてちょっと残念だった。
ケイコはライフルを片手に歩哨から帰ってきた。隊長の責務、といって深夜にアップルと交代して見張りをしていた。
「心配しなくても敵はいないし、いたらすぐに知らせる。安心して寝ていいのよ」
「エヘヘッ、なんだか眠れなくって。午後には
「神経が図太いんでしょうね」
「へへっ、ほめられちゃった」
「別にほめたわけじゃないけど」
ケイコはてきぱきとした
ケイコがアイカの隣にどかっと座ったとき、走らせていたプログラムがちょうど終了した。
「この
ケイコが興味深そうにのぞき込む。
「はい。わたしが部品をひとつひとつ選んで組んだものです。あ、大丈夫です。通信用周波数などは出ないし受信もしないスタンドアローン仕様なので」
「そ、そう。それならいいのだけれど。この映像は昨日の
「はい。低い解像度だったのでわたしなりに処理して見やすくしてみました」
「でも司令部に提出するデータは」
「オリジナルデータはハードディスクとフラッシュメモリに分けて保存してあります」
アイカは胸のポケットをポン、と叩いた。ポリカーボネート製のケースとクッション材はアイカなりに考えて用意したものだった。軍の支給品では衝撃で半導体が壊れてしまうかもしれない。
「機械が得意と思っていたが、そこまでとは思わなかったわ」
「でも履歴書に書きましたよね。わたし、学校じゃコンピュータサイエンスを勉強していたんです」
「あーそういえばそうだったかしらね」
「わたし、みんなを助ける仕事がすぐにでもしたくて。だから軍に入ったんです」
「
「わたし、
「私も、奴らの壊し方には興味があるわ」
「エヘヘっ、隊長、強い」アイカは処理を終えた
アイカは指2本を広げてキーボードのショートカットキーを操作した。動画がスロー再生になった。
「ふむふむ。だけど普通の
「歩き方です。どれも骨格の動きが同じで機械じみた動きをしています」
「……それは機械だからじゃ?」
「わたし、
「ふむ、ふむ、なるほど」
「で、面白いことがあって、プログラミングって、組んだ人ごとに癖があるんです。歩行パターンや障害物や段差を避ける時の動作とか。
ケイコの目の焦点が合っていない。しばらく空中を泳いだ後、アイカを見た。
「なるほど」
「隊長、
「んー
「たとえば爆発してバラバラになった部品とか」
「ああ、それんだけどね、
「教練ではそんなこと言われなかったです」
「日本人───
「うーんと、じゃあその工廠を破壊してしまえば」
しかしケイコは肩をすくめた。
「それをするかしないか、決めるのは私たちじゃないからね。軍や
ずっと疑問に思っていたことが言語化できた気がする。
でももしかしたら、わたしがたくさんの人を助けるきっかけになれるかもしれない。
「さて、そろそろ出発よ。
「はい、わかっています。1bit単位でも残らないようにします」
「いえ、うん、よくわからないけど、軍にバレないようにするんだったら別に持ってていいわよ。もちろん売ったり公開したりするのはダメ」
「了解です、隊長」
シホとアップルは寝起きの重い瞼のまま、背嚢を整理しゴミを隠し出発の準備を整えた。合成コーヒー飲料を皆で飲み、出発の体制を整えた。
「
「やったーシャワーだ。熱いシャワー」
「フフ、そうね。でも気を抜いちゃだめよ。アップル、先導を。
各々がうなずく。ハードディスクがいつも以上の重く感じてしまう。
アップルが持つライフルは、アイカたちのショートストックのようなものではなく、木製ストックで長大な銃身だった。そんな荷物を抱えながら崩れかかったビルの階段を器用に下りていく。クリアリングと索敵も余念がない。
15階から2階へ降りてきた。そこでアップルが後続へハンドサイン───親指を畳み、指4本を立てた。「敵見ユ」の意味だった。
「
「5体か。面倒ね。ドローンもいる。
アップルがライフルのスコープをのぞく。
「ううん。私たちを探している気配はない。もしかしたら
「ふむ、よし、倒そう」
ドキリ。その言葉の意味は分かった。つまり銃を使わなければならない。アイカはぎゅっと胸元に銃を引き寄せた。
ケイコは周囲の地形とほかの敵影の姿の有無をざっと見渡した。
「いい、落ち着いてやれば、
やるしかないんだ。
身動きを軽くするために弾薬以外の背嚢をビルの階段脇に置いた。防弾ベストとヘルメットのベルトを今以上にぎゅっと締める。意味ないことだけれど、手を動かさなければ落ち着かなかった。
ケイコの動きを倣って、ビルの陰から背を低くして飛び出した。なるべく足音を立てないようにする。ブーツの靴底が小石を蹴る音さえ恨めしい。防弾ベストを着ていても、
ケイコ、アイカ、シホはの一団を取り囲むように、互いに距離を取って位置に付いた。
弾倉───確認、安全装置───確認。コックをスライドさせて薬室に弾薬を送る。セレクターはセミオート。反動に備えて肩にストックを密着させる。
心拍数に合わせて銃口が上下してしまう。落ち着け。
他の仲間に目くばせをして合図を待つ。
落ち着け。深く息を吸い込んで脳を冷やす。そしてゆっくりと吐いて集中する。アドレナリンが出ているのを感じた。視界が狭くなる。しかし視界の中央だけはやたら大きく見える。
トリガーに指をかけた。
ターーーーン
乾いた銃声が響いた。その1発だけで偵察用ドローンがはじけ飛んで地面に落着した。
来た。合図だ。
トリガーを引いた。反動と銃声。乾いた音が方々で立て続けに起きる。
超音速で銃弾が飛び、
10発ほど撃って弾道を修正する。もう少し右側だ。
さらにトリガーを何度も引く。優しく指の力を抜くように、と教わった教練が脳内でリフレインする。
反動───銃声───硝煙の臭いと砂埃がうっとうしい。
カチン
コックが後退したままロックした。弾切れ。
瓦礫から身を乗り出してて戦果を確認した。
「うそ、やった? わたしやったの」
あっけない初めての戦果だった。こうもあっさりと終わるなんて。他の仲間も標的を倒したらしく、
あれ、わたしの標的だけ立ったまま?
突如、
弾帯から予備の弾倉を引き抜いて、空の弾倉と交換する。落ち着け。教練で何度もやったじゃないか。
「あ、あれ、入らない。なんで」
角度が合わない。薬室の奥まで弾倉をはめ込めない。銃が重くグリップを持つ左腕が震えてきた。ポロリ、と弾倉を落としてしまった。
まずいまずいまずい。
アイカは本能的に
心臓の音が聞こえないくらい速く脈が打っている。アドレナリンのせいで音が何も聞こえない。背後の足音が聞こえない。どのくらい近いのだろう。
息をするのも忘れて走った。しかしその先は瓦礫の街の袋小路だった。ビルが倒壊したらしく巨大なコンクリート塊が道をふさいでいる。足場が悪いうえに、塊が大きすぎて登れない。
どうしようどうしようどうしよう。
振り返った先に
もうひとつ弾倉を弾帯から取り出す。最後の1本。数歩先に
突然、
「避けて!」
声に従い半身で体をそらす。ケイコが
2mの巨体がふわりと宙に浮きそして落ちた。ケイコはとどめに、
「アイカ! 大丈夫? ケガはない?」
「すみません、すみません、隊長。わたし、うまくできなくて」
「こっちこそごめんなさい。守ってあげられなくて」
アイカはポケットにしまったハードディスクに手を置いた。
「大切、ですもんね」
「バカね。あなたのことよ。決まっているでしょ」
矛盾。データは命より大切だって言っていたのに。
「助けてくれてありがとうございました」
「ええ。もう安心して。だから泣かないで」
頬にケイコの手が触れるのを感じた。そっと目の下をぬぐってくれる。
「わたし、泣くつもりなんてないのに」
「いいのよ。
ジワリ。にじむ違和感と不快感があった。
「あ、あの」
「何? 足でもくじいたの?」
「ちょっと漏れちゃいました」
「あ、アハハハ。そう。安心したのね。みんな10日もシャワーを浴びていないんだから気にしないわよ」
こんなになるんだったらナプキンを一枚もらっておけばよかった。
ケイコに手を引かれて
シホとアップルは警戒を解かず、互いに背を向けて銃を構えていた。厳しい表情だったが、合った瞬間、笑顔で出迎えてくれた。
「あーよかった。でもごめんね。私の位置からは死角だったの」
アップルのふわふわボイスに包まれた。
「あんたってやつは、まったく。まあ、でも無事だったんだからよかったじゃないの」
シホのつんつんボイスは安心感の裏返しだった。
発砲音を他の
キーを差し込み、回す。そしてキックレバーを蹴り下ろす。何度かやってもエンジンはぐずったようにすぐ止まってしまう。だが、アクセルを少し回してあげておだててやれば、軽快にエンジンが回りだし白煙がたちこめた。
「ケホケホ、隊長。
見るとケイコは瓦礫の隙間に座り込んで、余ったレーションや医薬品、浄水キットなどを隠していた。そしてチョークで〇の印を書き込んだ。
「さ、行くわよ」
ケイコは何食わぬ顔で戻ってくると、アイカにリアシートへ座るよう促した。
「よいしょっと」
ケイコと密着する形で座った。そのせいか、後ろを振り返って〇印の瓦礫を見ていることがバレた。
「あれはね、あの人たちのために残しておくの」
「あの人たち?」
「まずは出発よ。道路が平らなところまでしゃべらない方がいいわよ。舌を噛むから」
2台のバイクは白煙を上げて廃墟の街を疾走した。
思わぬ遭遇戦があったせいで4人ともきょろきょろと物陰を見ながら進んだ。警戒した割には何事もない、シンと静まり返った普段通りの廃墟の街だった。
右手に小高い丘と山が見えてきた。枯れた木々が山肌に沿って生えている。汚染のせいか下草より大きな植物が見えない。
「ここまで来たらほとんど仕事が終わったようなものね」
平坦な道に入ったので、ケイコは左腕をだらりと下げて右腕だけでバイクのハンドルを操作する。それでもバイクは直進していた。
「なんだか、人生で一番長い1週間でした」
「そうでしょうね」
「隊長、さっき瓦礫の隙間で何をしていたんですか」
「ああ、あれ。日本人のスカベンジャーのために、ああして物資を残しておいてあげるのよ」
「日本人って、このあたりが瓦礫になる前に住んでいた人たち、
いったん言葉を飲み込んで、慎重に選んだ。
「ええ、そう。私の知識の大半は暮らしの中で教えてもらった。安全な水源の探し方、放射能や汚染された地域の避け方、不発弾や
「みなさん、なんだか強いんですね」
「正確には強くなきゃ生き残れない、かもね。だから私は彼らを他人事とは思えないの。ここから東の方には、
「外の暮らしって大変なんですか」
「んーそうね。その質問はが大変じゃないっていうのと同義ね」
「たぶん。そうだと思います」
「たしかに、そう。で市民権があれば最低限の衣食住は保証されてる。似たり寄ったりの服に合成食品に狭くて古い集合住宅ね。外の暮らしはね、
そこまで言って、ケイコは言葉を濁した。須磨防衛線を過ぎたあたりで2班のバイクたちとも合流した。バイクが蛇行しながら、各々がうれしそうにしていたので何かしらの戦果があったんだろう。
瓦礫の街の向こうに
「私が9歳の時。いまから8年前ね。厳しい冬があったの。台風のせいで食料が取れなくなって、動物もいなくなった。だから私たち家族は
「その、じゃあ、ご家族は」
「亡くなった。そう知らされたわ」
「じゃあ、復讐のために軍隊に?」
「復讐、ね。どうかしら。軍隊にいるのはいろいろ理由はあるけれど、いちばんは生きていくためよ。身寄りのない復帰民にとってスラムでの暮らしは危険すぎる。軍隊なら生活は保証されるし、荒野で培った知識は役に立つと思ったから」
「そう、なんですね。隊長は強くてかっこいいです、と思います」
「かっこいい? 復帰民は普通なら差別されるものと思っていたけど」
「そういう大人がいるのは知っています。でも悪い人かどうかわからないのに差別するのは間違っています。隊長は頼りになるかっこいい人です」
「そ。どうも。そう素直に言われると照れ臭いわね」
今、ケイコはどんな顔をしているのだろうか。背中にしがみついているせいで見えない。のぞき込もうかと思ったが、バイクが揺れるせいで諦めた。冷静に取り澄ましているケイコの照れ臭い顔という世に珍しいものが見れるチャンスを逃してしまった。
梅園寺基地の正門に着いた。帰り道は往路より早く着いた気がする。
今しがた降りた、白煙を吹いていたバイクが懐かしい。まだお尻がジンジンする。
「さて」アイカと、その後ろのシホを前にしてケイコが言った。「お勤め、ごくろうさま。無事帰ってきて何よりね。規則通り、銃と弾薬は返却してネコババしないこと」
「
「もうケイコでいいわよ」
自腹で用意したポリカーボネートのケースからハードディスクドライブとフラッシュメモリを出して渡した。
「あ、そうだ、シホちゃん!」
「なによ、急に」
シホが普段にもましてたじろいだ。
「兵站部のおじさんとの約束、覚えてる? 無事帰ってきたらレーションをくれるって。チョコレート味の!」
チョコレート、がどういうものかは知らない。昔あった食べ物らしい。それでもレーションの中では一番味がよく、ゆえに配給ではなかなか回ってこない。
「あんた、ばかじゃないの。あんなの冗談に決まってるでしょ」
「そんなことないってば。ねぇ、いこ!」
「ちょ、そんな走ることはないでしょ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます