29

 第2首都:松本。

 昔の首都、と聞いて期待はしていたが、街は廃墟になって久しく、奇械マシンの軍勢まで闊歩していた。

 トシイエたちの軍勢は赤外線遮断用の衣類を持っていないせいで、徒歩で静かに移動したのにすぐに偵察ドローンに捕捉されてしまった。

 戦前の司令室があるというバンカーまでやってくることはできたが、事前情報通り分厚い防爆ドアで塞がれていた。鋼鉄とコンクリート製で、爆薬程度でどうにかできる代物じゃない。

「アイカ、扉は後どのくらいで開きそう?」

「持参した光ケーブルの規格が合っているので接続は問題ありません。非常電源も来ているので施設のイントラネットに電子侵入ができます。ファイアウォールも、特にありません」

 コンクリートのバリケードの陰にしゃがみこんで、トシイエがアイカを呼んだ。

「どのぐらいかかりそうなんだ、お嬢」

「5桁の暗証番号を総当りで割り出します。15分ほど時間をください」

「ははーん、そうこなくっちゃ。よしお前ら、コソコソ時間は終わりだ。奇械マシンどもをしっかりと引き付けてその後はぁ、お待ちかねのドンパチタイムだ」

 トシイエは手に持つショットガンにスラグ弾を装填する。隣りにいるペレスも機関砲を手に興奮が抑えられないといったふうだ。

 奇械マシンの一群はすでに目視できる距離に迫っていた。司令部のバンカー入り口は広いロータリーになっていて遮蔽物はなかった。奇械マシンを狙いやすいが、奇械マシンからも丸見えだった。戦前のコンクリートのバリケードがいつまで持つかは分からない。

「いい、アイカは絶対に顔を上げちゃだめだからね。奇械マシンは私たちがなんとかするから」

「はい。ケイコさんを信じています」

 暗証番号の解析は2桁まで終わった。残り3桁。残り時間を示すバーが右から左へゆっくり増えていく。自分で組んだプログラムだ。見慣れている。しかしその進行がやたら遅く感じてしまう。

「撃てぇぇ!」

 トシイエの号令とともに銃声の音圧がバンカー入り口の閉所を満たした。

 ロータリー一面いちめんが、まるで地面を耕すように土煙が舞い上がり、先頭を歩いていた奇械マシンの1列が地面に斃れた。

 タタン タタン タタン タタン

 ケイコさんの持っているグーテンベルグ・ベゾンダレーの銃声は独特だな。ライフルの機関部と一体化した中距離用の照準器を覗き込み的確に奇械マシンの弱点を撃ち抜いていく。

 ケースレス弾というのか。機械工学は全然わからないけれど、ちょっと勉強してみようかな。

 FUUUUUUUUUUUUUUUCK! FUCK! FUCK!

 うわ、ペレスさん、すごい。おそらく下品な意味合いの叫び声を高々と上げて銃を撃ちまくっている。体に巻き付けている銃弾のベルトがどんどんと短くなる。いや、銃じゃなくて50口径の機関砲なのだけれど、彼女の巨体と比較すると銃にしか見えない。

 ペレスの足元に空薬莢がぼとぼとと落ちる。体を大きく露出させているが、奇械マシンに狙われるより先に奇械マシンをスクラップにバラしている。

「やあ、アイカちゃん」

 うわっ、びっくりした。こんなときに。

「ケンジさん、でしたっけ」

「あはは、やだなぁ、そんなにかしこまらないでよ」

 ケンジは錆びたライフルを手に持っていた。空の弾倉を交換しているあたりサボっているわけではなさそうだ。

「あとどのぐらいで開きそう?」

 ケンジのニコニコスマイルは警戒せざるをえない。しかも状況が状況だ。

「あと一桁。もうあとちょっとかな」

「安心して、アイカちゃん。俺、アイカちゃんをぜっっったいに守ってあげるからさ」

 それは頼もしいのだが───背後で1人仲間がたおれた。少し体が震えた後すぐに動かなくなってしまった。

「死なないでください。もう誰も死んでほしくないんです」

「アハハ。よゆーよゆー。俺、トシイエさんの一番の舎弟っすから。喧嘩もつえーんだよ」

 本当にわかっているのだろうか。奇械マシンは最後の1台になるまで戦いをやめない。威勢でどうこうなる人間同士の喧嘩とは違うのに。

 ピコン。

 ソフトを組んでいる時に何度も聞いた音。暗証番号が判明した。

「ドアが開きます!」

 銃声の音圧に負けないよう声を張り上げて叫んだ。トシイエは動ける仲間にハンドサインで指示を出す。殿しんがりはペレスだった。姿勢を低くしたまま人員用扉に集まる。

「よしじゃあ、俺が先陣を切るんで、アイカちゃん、安心して」

「待ってください。戦前の施設なので警戒したほうが」

 しかしケンジは人差し指をキザっぽく振った。

「まあ任せて」

 バンカーの正面の大きな扉ではなく、人ひとりが通れる人員用の鋼鉄製の扉が自動で開いた。

「じゃ、俺がちょっくら……」

 何かが鼻先をかすめた───途端にケンジの体が後方にふっとばされた。

「ヒッ!」

 大型犬のような機械がケンジの上に乗っかっている。首元に噛みついたそれは大動脈と気管をまとめて引きちぎり、辺りを鮮血に染め一瞬でケンジの息の根を止めた。

 首根っこを掴まれて後ろに引っ張られる───ケイコさんだ。

 ケイコがすぐさま躍り出ると機械仕掛けの脚力で機械犬を抑え込んで至近距離から機械の中枢部へ徹甲弾を叩き込んだ。

 続けざまにトシイエが暗いバンカー内へ散弾を放つ。

「中は大丈夫だ! 急げ!」

 トシイエがまず飛び込み、アイカもケイコに連れられる形でバンカーに入った。

 バンカーの構内は非常灯が照らしているが目が慣れるまでは闇そのものだった。

 トシイエとその部下が銃口を暗闇に向けて目を光らせた。すぐ足元にはひしゃげた・・・・・機械犬が転がっていた。

 ガシャン

 鋼鉄の扉が閉じられ、殿のペレスは重い閂を扉に掛けた。

 がらんどう・・・・・のバンカー構内に各々おのおのの荒い呼気がこだました。

「ちくしょう、ジャンもヤクモもやられた。ケンジまで」

 トシイエは機械犬のスクラップを蹴飛ばした。

「ペレスさん! 血が! 待ってください。すぐに応急処置を」

 アイカがバックパックに手を伸ばしたがペレスは首を振った。

「ペレスはいい女だ。大丈夫だ」

「弾は貫通しているみたいですけど、手当をしないと意識を失ってしまいます」

 脇腹の銃創は死に至らなくても内蔵にダメージを与えているかもしれない。そう教練で習った。

「アイカのお嬢、ペレスが大丈夫ってんなら大丈夫だ。ほれ、血がもう止まっているだろ」

 トシイエの言葉をにわかには信じられなかった。だが薄暗闇に目が慣れてきて、たしかにペレスの銃創はひとりでに血が止まっていた。

「遺伝子操作?」

 ふと思い出した。遺伝子操作でただ体格が大きくなったわけではないらしい。

「いい女のアイカ。ありがとう。だがペレスは大丈夫だ。まだ戦う」

 ペレスは真っ赤に焼けた機関砲の銃身を床に放ると、腰のベルトに差していた予備の銃身を差し込んだ。そしてニヤリと白い歯を見せた。

「で、アイカ、この先はどうするの?」

「はい。イントラネットに侵入して構内の見取り図を見つけました。戦時中の建物なので実際にこの通りかどうかはわかりませんが」

 ラップトップPCを床に広げ、皆で画面を覗き込んだ。

「この発令所、が怪しいわね。地下の一番深いところ。司令室でしょ。機械の兵器はどう? ここから止められない?」

「すみません。スダンドアロン───システムにつながっていない自律型の兵器みたいです。戦前のものが全機まだ稼働しているとは思えませんが」

「少しは出てくるってわけね」

「はい」

 どうしよう。うまくいくだろうか。すでに仲間の数は半分になってしまった。

「なあに、来ると分かってんなら問題ねぇ」トシイエはショットガンにスラグ弾を詰め直した。「サトウ、ユメ、ヒロ、ヨネ、アキの5人は入り口を確保しといてくれ。もし敵が来たってんならどこか有利な場所に隠れてて問題ねぇ。目的地は俺とペレス、アイカとケイコのお嬢の4人で確保する。いいな」

 ドスの利いた声が構内にいんいんと響く。仲間たちも無言でうなずいた。

「ありがとう」

 ケイコが小さく言った。

「もう後戻りはできねぇ。俺ぁいい男だからな。前に進むしかできねぇんだわ」

「ええ、そのようね」

 先頭を走るのはトシイエだった。短時間だったが施設の見取り図をだいたい把握したらしい。死角をショットガンの銃口でクリアリングしつつ、奥へと向かった。

「トシイエさん、軍隊で訓練したんですか」

「んなもん昔の昔の解散しちまったよ。ガキのころから爺さま連中に銃の扱いは仕込まれてんだよ。じゃねーと生き残れれねーからな」

 エレベーターはやはり電源が来ていなかった。地下5階まで非常階段で降りるしかなかった。

 暗い影で何かが動いた。

「ネズミ? それにこの壁のシミと」

 アイカは息を呑んで階段を踏み外しそうになった。すでに白骨化した遺体が地下に進むに連れて積み重なっている。

「壁の弾痕、上の階から一歩的に撃たれてる。一体何があったの」ケイコが顔をしかめた。「この人達も奇械マシンにやられたっていうの」

「そうかもしれねぇが、そうじゃないかもしれねえ」

 トシイエが白骨化した遺体のひとつを指さした。頭蓋骨のちょうど眉間から上が真っ直ぐな切れ込みを残して消失していた。

 同様に骨ごと切断されたような遺体が階段の手すりにもたれかかっていた。

 アイカはじとっと嫌な汗をかいた。未知の奇械マシンがいるかもしれない。全員が押し黙り、さすがのペレスでさえ顔をしかめている。

「まあみなさん。ロックダウンしてから40年経ってますし」

「そうね、アイカ。あの犬みたいなすばしっこい機械兵器も警戒しなきゃいけないし、どのみち変わらないわよ」

 そのとおりだ。そしていざという時はわたしも戦わないと。

 アイカは胸の前に構えていた銃をさらにぎゅっと抱きしめた。どの程度役に立つかわからないが、唯一の頼み綱だ。

 階段を降りきると電子錠付きのドアがあった。が、死体が挟まっているおかげで通り抜けることができた。当時、そこまでして大慌てで逃げる必要があったのか。

 ドアを抜けると通路が左右に伸びていた。右側は小部屋と思しき扉が並び、左側は突き当りに両開きのドアがあった。そして、

奇械マシンだ。ふたつ、ドアの両側に立っている」

 トシイエが『静かに下がれ』とハンドサインを示した。

「ヤルか、ヤルか、ヤルか」

 ペレスが50口径弾のおびをじゃらじゃらと揺らした。

「まあ、まて。あまり派手にするのはやめよう。俺とケイコのお嬢で1発で仕留める」

「あら、あなたのスラグ弾、真っ直ぐ飛ぶのかしら」

 ケイコが囃し立てた。

「こうみえてイノシシの心臓には100発100中なんだぜ」

 アイカはドアの隙間から覗き見た。彼我の距離は50mほど。しかし廃墟の町で見る奇械マシンと違い、腕に機関銃を埋め込んではいなかった。普通の腕に手で戦前の銃を握っている。クローンの素体は水ぶくれを起こしておらず、体を這うパイプ類もちゃんとしていた。

「もしかしたら戦前のオリジナルに近い奇械マシンかもしれません」

 しかしケイコとトシイエは意を決したようだった。頬を銃床に当ててタイミングを見計らっている。

 2人がドアから飛び出した───ひとまとまりの大きな銃声。

 ケイコの持つグーテンベルグ・ベゾンダレーからケースレス弾が3発撃ちバーストで発射され、トシイエの持つショットガンから、スラグ弾が亜音速で飛び出した。

 2台の奇械マシンは共に胸の制御を司るマイクロチップを撃ち抜かれ、そのまま膝から崩れ落ちた。

「行くぞ!」

 トシイエを先頭に真っ直ぐな廊下を進む。今の銃声で警備の機械犬がこちらに近づいているかもしれない。

「アイカのお嬢、どうだ、開きそうか」

「この扉も電子ロックがなされています。防爆ドアも降りてる。解除は……このタッチパネルとあとはセキュリティ・キーカードが必要です」

 アイカは扉横の電子端末をなでながら言った。

「これが、イるか?」

 ペレスが機関砲を掲げてみせた。

「ここを打ち破るんだったら105mm徹甲弾が欲しいです」

「そうか。ペレスの銃は小さいな」

 いや、十分に長大なのだが、さすがに対人用の兵器ではどうこうできるものではない。

 アイカは倒れたの首元を探ってみた。

「あった! やっぱり。警備兵がキーカードを持っていました。こういうのは唯一都市ザ・シティと同じですね」

「同じって、ハッキングしたことがあるの?」

「へっ、やだなぁ。基地の警戒エリアをちょっと観察したことがあるだけですよ」

 アイカはセキュリティカードを差し込み、そしてメンテナンス用のパネルを開けた。そこへ自作の光ケーブルを接続する。するとプログラムの古いC言語がラップトップの画面いっぱいに表示された。

「……来ました。10桁の暗証番号が必要です。無理に開けようとすると内側からしか開かなくなります」

「解除は、できるの?」

「はい。ただ少し時間をください」

 古いプログラムとはいえ時間がかかりそうだった。ラップトップの画面上の進行を示すバーがゆっくりと右から左へ流れる。

新手あらてだ!」

 トシイエが叫んだ。

 警備の機械犬が薄暗い廊下の奥から飛び出してきた。トシイエとケイコが銃を構えた。

 バキッ

 ペレスがすぐ横の倉庫の鉄ドアを力技で外してアイカに立てかけた。

「いい女のアイカ、安心しろ。いい女のペレスたちが守る」

 きらり、と白い歯を見せて微笑むと機関砲を廊下の奥に向けて引き金を引いた。

 巨大な音圧と閃光とともに一瞬で床、天井、壁に穴を穿ち機械犬たちはスクラップに変わった。

「ペレス、待て、フルオートは駄目だ。つーか撃つ前に言ってくれ」

 トシイエが耳を抑えてもだえている。対するペレスは毅然としたまま───たぶん聞こえてない。

 さらに敵襲───非常階段から奇械マシンが湧いて出てくる。

「こういうときのために取っておいたんだ」

 トシイエは腰に挿していたパイプ爆弾にライターで火をつけて非常階段入り口に向けて放おった。数秒後、地響きと爆豪とともに奇械マシンの体が狭い出入り口からばらばらになって吹き飛んできた。

「はははは、どうよ、ケイコのお嬢」

 しかしケイコは耳元で手を振る動作をした。まだ聴覚が戻ってないらしい。

 強すぎる3人に任せておけば一安心か。暗証番号の解読はまだ半分。苛立たしい。

 来た。8桁目まで完了した。後少し。

 こんなことになるなら化学も専攻しておくべきだった。ありあわせの物質でこの扉を吹き飛ばせる爆薬を作れるのに。

 ふと、銃声が響いた。また新手だろうか。広い基地なんだ。まだ稼働している戦前の奇械マシンがいてもおかしくない。

 ラップトップの画面から顔を上げた───嘘。

 トシイエとペレスの体から盛大に鮮血が溢れ出ている。胴体はほとんど切り離されゆっくりと地面に向け落下していっている。

 アドレナリンの過剰分泌による時間感覚のズレ───こんなときに教練の経験が思い出されるなんて。

 あれは、奇械マシン? 珍妙な姿だ。一回り小型なのに脚はバッタみたいに太くて長い。そして両腕は赤く焼灼しょうしゃくされたブレードが空中で踊る。

 こっちに向かってくる。銃を取らなきゃ。

 どうして。敵はあんなに早く動くのに自分の手はイライラするくらい遅い。

 教練での教え───時間感覚のズレは、思考だけ早く加速する。体が速く動けるわけではない。だから銃は必ず撃てる位置を保持しなければいけない。

 死期を冷静に悟る冷静な自分が嫌になる。

 ジュウジュウと焼灼しょうしゃくされたブレードが音を立てる。誰のともわからない血と臓物が刃の上で焼けている。

「アイカ! 伏せて」

 いつもの声。聞き慣れた優しい声。

 アイカが頭を下げると同時に、奇械マシンの横からケイコが機械仕掛けの蹴りを加えた。

 小さな体の奇械マシンはそれだけで吹き飛ばされて壁に打ち付けられた。真っ赤に焼けたブレードを振り回し、ケイコを切りつけた───脚で攻撃を防ぐ。しかし表面の服とシリコンが焼けただけで義体化したケイコには効果がなかった。

 アイカは銃を構えた。小振りなサブマシンガン。しかし至近距離だ。外すわけがない。

 ケイコがさっと離れた瞬間、引き金を引いた。セミオートで9mmの拳銃弾を連射する。

 たちまちむき出しの配線とクローンの素体がずたずたになる。

 いんいんと銃声が狭い廊下に響く。銃弾は撃ち尽くし、銃の機関部ががオープンになったまま、銃口から細く煙がたなびいている。

 やった。倒せた。

 ピコン。

 PCから電子音が鳴り、同時に防爆ドアの電子ロックも解除された。

「アイカ! 立って! まだ敵が来る」

 見ると通路の奥から奇械マシンが迫ってくる。バッタの脚に焼けたブレードの奇妙な奇械マシンどもだった。

 急いで光ケーブルを外し、PCを小脇に抱えて司令室へ走り込んだ。同時にケイコが扉を閉めかんぬきをかけた。しかし扉の隙間から焼けたブレードが突き刺さった。

「横の赤いボタンです! それで非常用の防爆ドアがもう一度閉まります」

 ケイコが叩くようにしてボタンを押した。すると上から分厚い鋼鉄の壁が降りてきて完全に通路が閉鎖された。

 やった。司令室にはいれた。孤を描いて旧式のイントラネットにつながったモニター群が並び、正面の大きなモニターには日本全体の地図が映っていた。あちこちに意味の分からない光点が点滅している。

『特別国土防衛プログラムの停止キーが差し込まれました。停止プロセスを続行する場合はキーを回してください』

 女声の機械音声だった。アドレナリンが減り聴力が戻ってきたおかげで自動的に繰り返される音声に気がついた。

「これ、どういう意味でしょうか。いやそれよりもトシイエさんとペレスさんが。戻って助けられるでしょうか」

 振り返った先────ケイコが壁にもたれかかって座っている。非常灯に照らされ誰かの返り血を頭から浴びているが、彼女自身も腹部を押さえて動かなかった。床には血溜まりができている。

「嘘、嘘、嘘! そんな! ケイコさん!」

 慌てて駆け寄ると、薄い目のままケイコが顔を上げた。

「そんなに叫ばなくても、まだ生きてるわよ」

 しかし薄明かりの中、血がぎらぎらと光を反射して光る。

 アイカは歯を食いしばったまま、バックパックから応急キットを取り出した。止血剤を振りかけ、ガーゼで血と内蔵を押し戻す。しかし、一瞬でガーゼは真っ赤に染まり熱い血が手を濡らした。

「……アイカ、そこにいるんでしょ」

 何を言っているの。ああ、だめ。意識が遠のいてる。ええと、今必要なものは───。

「……アイカ。私のアイカ」

 ケイコの手が伸びてアイカの頬に触れた。アイカは熱い血が頬に付くのが分かった。

 ここは軍事基地なんだ。医薬品だってあるはずだ。戦前の施設なら人工血液の輸血キットも常設されているはず。

 しかし、わかってる。間に合わない。非力な自分が悔しくて悔しくて。奥歯を噛み締める。涙が溢れ出る。

「……アイカ、どうして、泣いているの。どこか怪我したの?」

 嗚咽を堪える。泣いている暇はない。言うなら今しかない。後悔をしたくない。

「私、ケイコさんのことが大好きです。大大好きです。またふたりでお出かけしたいし、ううん。いつまでも一緒に暮らしたいんです。一緒に平和な世界で、お腹いっぱいご飯を食べて、何気ない毎日で笑って、暮らしたいんです! だから、だからどうか、死なないで」

 ヒュゥヒュゥと息を呑むだけの音が聞こえる。ケイコは目を半分閉じたまま、にこりと笑いかけた。

 呼吸音が消えた。みるみるうちに紅潮した肌が黄土色に変わっていく。

『特別国土防衛プログラムの停止キーが差し込まれました。停止プロセスを続行する場合はキーを回してください』

 うざったらしい機械音声が繰り返される。嗚咽を堪えて、アイカはケイコの伸ばされたままの手をギュと握りしめた。

「ケイコさん、大好きでした。いままでありがとうございました。」

 これで終わりにする。もう人が死ぬのはたくさんだ。

 息を止めて呼吸を整える。歯を噛み締めてぎゅっと唇を結ぶ。それでも涙がボトボトと流れ出る。

『特別国土防衛プログラムの停止キーが差し込まれました。停止プロセスを続行する場合はキーを回してください』

 再三の音声。40年もこれが繰り返されていたんだろうか。

 司令室は人影がない。もちろん奇械マシンや警備用の機械の姿もない。

 最前列の操作モニターのパネルが真っ黒に染まっていた。そしてもたれかかるようにミイラ化した死体があった。着ている白衣は大量に出血したであろう真っ黒いシミが残っている。右手には錆びた拳銃が握られている。そしてさらに奥───ここにも拳銃を握ったミイラ化した遺体があった。こちらは戦前の軍服を着ている。

「なにがあったの、いったい」

 アイカはミイラ化した遺体───白衣の方を見やる。

 彼、もしくは彼女が止めようとした? 特別国家防衛プログラム? どこかで聞いたことがあるような。

 そう、トシイエが言っていた。クローンの機械化兵を動員した第4次大戦期の戦略だ。

「ということは、白衣の骸骨さんが奇械マシンを止めようと、した?」

 あと一歩で奇械マシンの惨禍を止めることができたのに。でも40年前の骸骨さんのせいじゃない。

 アイカはミイラ化した白衣の遺体を脇にどけると、半ば差し込まれたままのカードキーに手をおいた。

 このために、みんな戦ってくれた。みんな死んでしまった。

「ケイコさん。ほんとうにありがとうございました。あなたのおかげです。シホちゃん、アップルさん。これで、もう、戦いは終わります」

 半透明のプラスチック製のキーを奥までしっかりと差し込んだ。そしてソケットの矢印通りに時計回りに回した。

 待つ。

『特別国土防衛プログラムの停止プロセスを進行中。まもなく第1師団から第12師団のクローン機械兵は停止され機雷も遠隔処理されます。取り消す場合は三佐以上の個人認証コードを入力してください』

 新しい機械音声が流れた。言葉の意味はわからないけれど。

 これで終わったんだ。

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