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 架線トロリーバスが停車した。薄汚れた窓の外に仁王立ちでアイカを待つシホが見えた。帽子キャップ 、Tシャツ、短パンという一見すると男の子にしか見えない服選びだった。

 しかしそんな眼光を気にもせず、アイカはバスのステップを軽快に飛び降りて悪びれもなくシホに謝った。

「ごめんねーシホちゃん。だいぶ遅れちゃった。間違えて反対方向のバスに乗っちゃって、隣の町まで行っちゃったの」

 1週間の偵察任務とその後3週間は隔日で簡単な歩哨任務に当たった。そしてようやくの休暇がやってきた。

 両親とは入隊を巡って喧嘩別れしたため実家に長居する気にもなれず、シホの住んでいる709区まで遊びに来た。始発の区間電車に乗って出て、すでに日は高く登っている。

「約束した時間に2時間も遅れるなんて信じらんない。心配するじゃないの」

 口は悪いがシホなりの愛のある言葉だった。ブンブンと左右に振り回される鋭角ツインテールをつい目で追ってしまう。

「ごめんってば。でもエヘヘッ、心配してくれるなんてなんだか嬉しいな」

「ばかばか。ばっかじゃないの。いーい? この709区の半分はスラム街なの。あんたみたいなオジョーサマがオジョーサマな格好でふらふら歩いてたら悪い男にさらわれて二度とお天道様を見られないんだからね」

「わたし、お嬢様じゃないもん。それにこの服も配給品の服をつなぎ合わせてワンピースに仕立てたの、わたしが。どう、似合う?」

 教練のおかげで体が引き締まり、オーバサイズなのが否めない。

「ふうん。似合ってんじゃないの。男どもからしたらその長い乳は魅力的かもね、知らないけど。あとあんた、意外と器用なのね」

「それでね、乗るバスを間違えて隣の区の昔の駅まで行っちゃったんだけど、悪い人はいなかったよ。おっかない顔でタトゥーだらけの難民とか性別不詳で全身義体とか。怖そうな人はいたけどみんな優しく道を教えてくれたよ」

「人を信じすぎなのよ。というかあんた、なんで背嚢はいのうなんて背負ってるのよ」

「んーやっぱり変かな」

 ミスマッチなのはわかっていた。ワンピースに軍用の背嚢はよそ者どころではないちぐはぐさだった。

「その背嚢の徽章きしょうのおかげでしょうね。野郎どもが協力するわけだわ。統制局の役人ならともかく、下っ端の軍人はスラム街の人間からは一目置かれているの。味方ってことよ」

「えーすごいすごい。みんないい人なのね」

「なーんであんたはそう極端なのよ。人を信じすぎるなって言ったばかりじゃないの。で、あんたが行きたいっていう店はどこよ」

「ずっと前にちらりと見かけたんだけどね。軍のトラックの荷台で梅園寺基地に向かう途中、704区で古い電気部品を扱うお店があったの」

「704区ってだけで広いのに。んーでも広い道沿いだったらちょっとは特定できるかも」

「道、わかるの?」

「うん、だいたいは」

「シホちゃん、すっごーい」

「うわぁ、こら抱きつくなよ」

「エヘヘッ、シホちゃん恥ずかしがり屋さんだなあ」

 アイカは見事な体捌たいさばきで羽交い締めした腕をシホに振りほどかれた。アイカは目の前でツインテールがぶんぶん揺れるのを見ながら、道案内をシホに任せた。

 バス停からは寂れた市街地をてくてくと歩いた。戦前の住宅や雑居ビルをさらに増改築し、赤茶色に錆びたトタン屋根がほとんどの家の共通点だった。通りに面した間口で小さな商店や食堂を経営している家が多かった。

 小高い丘のてっぺんまでぎっしりと家とは思えない小屋が並んでいる。人影はまばらだった。昼間のこの時間は住人たちは工場や集団農場へ働きに行っているのかもしれない。

「あんた、あんまりジロジロと周りを見るもんじゃないのよ」

 久しぶりにシホが振り返ってくれた。

「はいはーい。人を信じすぎるな、でしょ」

「まったく、わかってるんだかわかってないんだか。で、電気部品って何か修理するの?」

「えっとね、CPUとメモリを買おうかなって」

「あーうん。あっそ」

 シホは胡乱うろんな目をすると、視線を進行方向へ戻した。

「この前の偵察任務で映像処理をわたしのPCでやってみたんだけど、ちょっとパワー不足だったんだよね。だからコア数の多いCPUがほしくなっちゃて。メモリも増設したいなー」

「はぁ、何言ってんのかわかんないけど。高いんでしょ」

「うん。わたしの住んでる720区だととっても高いけど、ここなら中古の部品があるかも、って思って。ほらこの間もらった初めてのお給金。あれだけあったら買えるかな」

「そんなのわかんないけど。わけのわからないものを買うんじゃなくてもっといいものがあるでしょ。きれいな水とか天然の食べ物とか」

「うーん、わたしは支給されてる合成食品でも十分かな。PCのほうが好きだし。シホちゃんは何を買うの?」

「ふん、あんたには関係ないでしょ……で、ここから704区なんだけどもう少し手がかりはないわけ?」

 シホは交差点で立ち止まった。戦前から動いてなさそうな信号機が頭上でグラグラと揺れている。720区では財閥さんたちの自家用車が道を走っているので信号機も戦前と同じく稼働しているが、このあたりでは軍用車ばかりで信号機は必要ないのだろう。

「そうだなぁ。北側に丸い───ガスタンクが見えた。ほらあれ」

 アイカは山の上に並ぶガスタンクを指差した。

「だったら、こっちね」

 道の両側は、小さな商店、空き家、ゴミと瓦礫の山、バラックが交互に続いている。日陰の奥から誰かに見られている気になる。シホと一緒でなければ来れなかった。

「シホちゃーん」

「何よ」

「怖くないの?」

「ぜんぜーん。こんなのふつーだしよゆーだし。クソ野郎が襲ってきたら、■■をもぎ取って野郎の■■に突っ込んでやるんだから」

 口の悪さと威勢の良さは、スラムでは常識なのだろうか。少なくともふるさとの720区ではこんな女の子を見たことがない。いやワルの男の子でもここまでじゃないかな。

「シホちゃーん!」

「なによ、いちいち名前を呼ぶんじゃないの!」

 鋭角ツインテールが遠心力に任せて振り回される。

「見つけたよ、ここ!」

 戦前の電気屋と思われる廃墟だった。薄暗い店奥に電球が灯っているのが見える。入り口にはスクラップのブラウン管テレビが積み上げられ、汚染物質の混じった廃液がひび割れたアスファルトの地面を濡らしていた。

「あんた、ほんとにここ、入るの?」

「シホちゃん、怖いの」

「ま、まさか。全然怖くないんだから」

「エヘヘッ、わたしも。掘り出し物のPCのパーツはこういう店にこそ眠ってるものなのよ。そんなニオイがする」

「わけわかんないんですけど」

「今持っているPCを組んだときもこんなかく 的電気屋さんで貴重なマザボを入手したんだから」

「ねえ、アイカ」シホにワンピースの袖の端を引っ張られた。「わかってると思うけど、食べ物であれ機械であれ貴重なものは統制局が管理してるの。それを普通に買えるってことは裏ルートのご禁制ってことで」

「うーん、でもしょうがなくない・・・・・・・・かな。わたしは任務のためにPCがほしい。わたしの任務は唯一都市ザ・シティの人たちの平穏な暮らしのため。だったら多少のご禁制でもしょうがない・・・・・・でしょ」

「あたし、あんたはもう少し真面目なやつと思ってたんだけど。オジョーサマだし」

「オジョーサマじゃないって。ほら行くよ」

 袖を握っていたシホの手を逆に握りしめ、手を引っ張って店の暗がりへ突入した。

「ごめんくださーい。おじゃましまーす。6コアのCPUとメモリがありますかー」

 店内は古い機械が頭上より高く積まれて、鉄製の棚がたわんでいる。戦前の古いオーディオ機械もあれば、戦後に開発された無線機器まで玉石混交で無造作にガラクタの山が積んであった。

 薄暗い迷路のような店内は、2人が横に並んで歩くことができないくらい狭かった。アイカの右腕にシホがピッタリとくっついている。薄い胸のさらにその下の胸骨まで手で感じることができるぐらいしがみついている。

「誰だい。見ない顔だね」

 店奥のドアの隙間からボサボサ長髪の男が顔を覗かせた。30代くらいだろうか。身長の割に痩躯そうく覇気はきがなかった。度の強い眼鏡のせいで余計にそう感じてしまう。手で押したら全身の骨が折れてしまいそうだ。

「あは! お店の人ですね。こんにちは。CPUをください!」

「CPU? あるにはあるけど、何に使うんだい」

唯一都市ザ・シティを救うんです」

 誰もが納得してくれる宣言、のつもりだったが店主の男は困惑して首をかしげた。

「女の子2人が、PCのパーツを? それに君たちは軍人だろ」

 ボサボサ頭の男は背嚢に貼り付けられた徽章をじっと見た。

「あー今は休日ですから。普通じゃ手に入らない強力なCPUがほしいんです。今使っているのがこれです」

 アイカは背嚢から自分で組んだPCを出した。四隅の留め具を外して開帳する。

筐体きょうたいは軍事規格のポリカーボネイト製の耐衝撃構造。スクリーンも強化ガラスか。日立製の第6世代CPU、メモリは8GB。高純度のアルミ製ヒートシンクとグリスもいいものを使ってる?」

「エヘヘ。720区で買ったんです。配給券の抽選に何度も応募して」

「君、すごいね」

「でもでも専門はコンピュータです。プログラムを組むのも得意ですよ」

 店主の眼鏡がキラリと光った。この人はわかる人だ。嬉しい。いつもは機械の話をしてもみんな焦点の合わない顔をする。まるで共通語エスペラントを喋っているときみたいに。

「それならお嬢ちゃんにとっておきの掘り出し物がある。ちょっと値段は張るけど、予算はどのくらい」

「2万くらいでありますか」

「に、2万? 軍人はそんなに給料が良いのかい?」

「エヘヘッ。明日から何日も任務で唯一都市ザ・シティを離れなきゃいけないので。ぱーと使おうかと」

「そ、それなら、君はいいお客さんになりそうだ。お、そうだ。店の名前は後藤電気店。僕はハルだ。よろしくね」

「アイカです! わくわくします」

 ハルは薄笑いを浮かべてニタニタ笑いながら店の奥へと消えた。アイカの要求に答えられるパーツを探しているのだろう。

 普段なら近寄りがたい人物だが事情を分かってくれる人の存在はかけがえがなかった。

 ツンツン、とシホがアイカのワンピースを引っ張った。

「あんま信用しちゃだめだからね」

「えーでもいい人そうだよ」

「ほんとにもう」

 シホはプンプンに頬を膨らませてはいたが、店の外の通りから注意をそらさなかった。彼女なりに気を使ってくれている。

「おまたせー。いまうちにあるのは、日立と東芝のがひとつずつだけどどうする? あとメモリはこれ。今の構成で相性を考えるならニホン電機のがおすすめ」

 正方形の飾りっ気のない厚紙の箱がショーケースの上に並べられた。メーカーの名前と製品仕様だけが書いてある。どれも埃っぽくしばらく買い手がなかったようだ。

「うーん、どちらも6コア12スレッドか」

「そうだね。でも日立の方はオーバークロックでもうちょっと性能が伸びるんだよ」

「どうしよう。作戦中だとあまり電気を使うわけにもいかないし」

「どんなことに使うか……いややっぱりいいや。聞かないでおくよ」

「映像の処理をしたいんです。なので内蔵GPUのある東芝のCPUにします」

「ふふん、なるほど。メモリとあわせてちょいと高くなるけど。初めてのお客さんだし2万ぴったりでいいよ」

「ハルさん、やっぱりいい人だ」

 背後でシホは釈然としないようだったが、静かに見守っていてくれている。

 人を信用しすぎるな、というのはわかっている。寂れた郊外の一角じゃよそ者というだけでも目立つ。不届き者も寄せ付けてしまうかもしれない。わたしたちは同じ人間だ。だからこそ信用するのは難しい。でも、きっとこちらから信じようと手を差し伸べれば自ずと信用が帰ってくるはずだ。

 任務中に見たおぞましい奇械マシンに比べたら人間なんてみな優しさの塊みたいなものだ。

「でも、なんでまた、そんな高いお金を払ってまでPCを揃えるんだい? 軍なら支給品とかあるんじゃないの?」

 ハルはショーケースに頬杖をつきながら、購入したばかりのパーツを丁寧に布で包んでいるアイカを見ながら言った。

「さすがにPCまでは支給されないです。されたとしてもきっと低スペックだし。わたし、学校でソフトウェアの専修コースだったんです」

「ほう、そりゃまたすごい。僕なんて戦前や戦後の専門誌を読み漁っての独学だから。どうしてもうまく行かないことばかりなんだ」

「教練や任務で奇械マシンを見て、思ったんです。奇械マシンってサイボーグじゃなくてあくまでプログラムされた機械にすぎないんだって。わたしの知識と技術でなとかしたい。ううん、きっとなんとかできるはずなんです」

 自信過剰と思われただろうか。ハルは汚れた眼鏡のレンズの奥からキョトンとした目を浮かばせている。

 つい思ったことを言ってしまう。シホにも指摘されていた悪い癖だが、言ってしまったあとで気づく。いつものことではあるが。

「そうか。奇械マシンを、か。本当になんとかできる?」

「やってみなくちゃわかんないですけど。まずは次の任務で奇械マシンの部品を集めてリバースエンジニアリングして解析のプログラムを組んで……やることはいっぱいありますけど」

 カチャリ。ハルは眼鏡のフレームを押し上げた。やや鼻息も荒くなっている。

「君に見せたいものがあるんだけど。君にぴったりなもの」

「エヘヘッ、わたしにですか。見たいです!」

 一歩踏み出そうとした途端、シホに背嚢を掴まれた。

「あのね簡単に人を信用するな、って言ったばかりでしょ」

「あ、うん、でも」

「でもじゃないの! ほら行くよ」

 シホは踵を返したが、ハルがそれを呼びとめた。

「あれ、僕、もしかして疑われてる?」

「もしかしなくても怪しさしかないでしょ、あんた」

 シホがすかさず応酬した。

「ぼ、僕は悪いことはしたことないよ。まあ、統制局の目を盗んでいろいろ売り買いはしてるけど、でもみんなだってしてることだろ。それに見たちは軍人なんだろ? 僕より強いよ、きっと」

 シホがさらに目を細めた。スラムで生まれ育った彼女だからこそ感じ取れる危険信号があるのだろう。わがままを言ってシホを連れ回した手前、ここは従うしかないか。

「あの、ハルさん、すみません。ここは──」

「まって、あるんだ、地下室に。奇械マシンのマイクロチップが」

 今しがた聞こえた言葉を反芻した。奇械マシンのマイクロチップ? そんなわけが。

 奇械マシンを倒すには胸の中央のマイクロチップを破壊しなくてはいけない。それを無傷で確保するなんて。にわかには信じられないが。

「僕も君と同じことを考えていたんだ。奇械マシンのマイクロチップを解析できたら奇械マシンの秘密とか弱点とか、どこから来るのかがわかるはずだって。でもハードの機材は独学で揃えることができたけどソフトは、使われてる言語がさっぱりわからなくて詰んでいたんだ」

 この人は嘘を言っていない。隣りにいるシホもそれを分かっているようだった。アイカは宙を泳いでいたシホの手をギュッと握った。

「見に行こ」

 またとないチャンスになるかもしれない──シホの返事はない。これは了解したということだろう。

 ハルに大きく頷き返すと、彼のあとに続いて店の奥へ入って行った。店の奥も雑多なスクラップが積まれ、拾ってきたか横流ししてきたかの電気配線が時折足に当たる。

「ここだ」

 一見すると変哲のないベニヤ板の壁の前で、ハルは立ち止まった。そして3回、壁を軽く押した。するとスルスルとベニヤ板が天井の方へ上がっていき、地下へ続く階段が現れた。

「ちょ、アイカ、やばいって、マジで。ね、帰ろ?」

 シホの眉が八の字になって、口もわなわな震えてうまく発音できていない。

「そんなに僕が怪しいなら、ここの入り口は開けておくよ。それに軍人なら武器とか持っているんだろう」

「そ、そうよ、当たり前でしょ。あんた、もしアイカに悪さしたらその両手を切り取って■■の■に突っ込んでやるんだから! もちろん生きたままよ」

 そんな物はそこに入らないでしょ、と思ったがシホの言うままに任せた。

「わ、わかってるよ。わかってるからそんなに怒鳴らないでくれよ」

 薄暗い地下への階段をハルを先導に進んだ。そしてパチッ、と照明のスイッチを押した。

 地下は金属棚にコンピューターとモニターが並び、電気配線用のワークベンチも備えてあった。戦前、戦中の古い機材もあれば見ることさえかなわない最新の機材もあった。照明と同時にコンピュータにも通電し、アクセスランプが部屋中で点灯し始めた。

「うっわーすごいすごい。あ、これ日立製のBW-DVしかも水冷式」

 巨大な箱に収められた演算器を前にして、アイカは目を輝かせた。

「地下だと熱がこもるからね。財閥相手に上位モデルを作ってる工場にちょっとコネがあってね」

 ハルは、こっち、とワークベンチを示した。「これが奇械マシンの心臓部。うーん、頭脳といったほうがいいのかな。僕、電気工学は得意なんだけどソフトウェア・エンジニアリングはイマイチでね。ほら、プログラミングに英語をつかうだろ。僕にはさっぱりなんだ」

 アイカは、ガラガラとサイズの合っていないパイプ椅子を引っ張ってきて奇械マシンのマイクロチップを観察してみた。電子基板はかなり設計が古く、はんだ付けも荒かった。しかし緻密ちみつに並んだ配線を見る限り軍事規格のものに相違そういなかった、

「この接続端子、見たことないな」

「それはJIS規格という、ここがまだ日本だった頃の工業規格なんだ。だから唯一都市ザ・シティで一般に使われている出入力端子と互換性がなくて───はい、これ。僕が作った端子」

 電子基板にハルから渡された配線をつなごうとしたが、アイカは一瞬ためらった。

奇械マシンは互いに通信して並列処理するから、ここで使うと危ないかも」

「ハハ。心配いらないよ。この地下室は電波暗室になってるから奇械マシンにも統制局にも感知されない。コンピューターの方も完全スタンドアロンだからトロイの木馬ウィルスが紛れていてもなんとかなるよ」

「エヘヘヘッ、おもしろそう」

 ウキウキステップのアイカの背後で、シホは神経質なまでに青ざめていてた。警戒心の強い老猫のように鋭角ツインテールが刺々しく逆だっている。彼女なりに思うことがあるのだろうが、ことの行く末を見守っていた。

 マイクロチップの解析はセキュリティが厳しいと思ったがあっさりプログラムコードを開くことができた。複数のディスプレイにそれらを並べる。英数字の羅列で視界が埋まった。

「僕はここからもうお手上げなんだ。C言語というのは分かったけどそれ以上は解析ができない。オペレーションソフトが違うからかな」

「うーん、OSは関係ないと思うけど」アイカはプログラムコードを開陳しているウィンドウのひとつに顔を近づけた。

「これ全部、かなり古い、開発初期頃のC言語かな、たぶん。だからイマイチわからないけど……たぶん、これは駆動系のプログラム。やっぱり、奇械マシンは8bitのプログラムで動いてる」

「たしが、僕らが使っているコンピューターは64bitだよね。8bitといえば戦前──40年前くらいかな」

「うん、そのくらいかな。詳しく解析するには専用のソフトを組まなきゃいけないけど」

 プログラムコードをもう少し読み進めた。そこまで複雑じゃない。そもそも8bitのソフトウェアでは複雑な指令を組むことができない。

「うーんと、これは戦闘プログラム、地形把握、赤外線センサー……」アイカはぶつぶつと独り言を口の中で繰り返した。「クローンの素体の制御は生体神経を使ってる? でもこの戦闘プログラムひどいね。8bitだからっていうのもあるけど生き物すべてが殺害対象になってる。わたしだったらもう少し工夫するけどな。だれが作ったにしても、これじゃ作った側の人間まで襲う怪物になっちゃう」

「もしかして、新しいプログラムに書き換えて上書きしたら全部の奇械マシンは戦闘を止めるんじゃない?」

 ハルの提案に少しだけ期待してプログラムを読み進めた。

「うーん、遠隔での書き換えオーバーライドはできないみたい。奇械マシンに1台ずつコネクタを差すなら別だけど。中央サーバーからの命令を受けてそれを子機に伝える仕様になってる。もしかしてこのマイクロチップは指揮官クラスの奇械マシンから取ったの?」

「あーうん、たぶん。軍のコネでこの部品をもらったんだけど、そういうことを言っていた気がする」

「見て、ここ。中央サーバーと子機との通信ログが残ってる。日付は5年くらい前かな。サーバーからの指令は『実行』が繰り返されているけど、うーん。戦闘という意味かな。で指揮官機からサーバーへの返答は……『実行』もしくは『停止』か。“ask to mat......sumoto” なんだろこれ。前半は英語だけど後半は共通語エスペラントかな。共通語エスペラントだと晴天って意味だけど」

「マツモト、松本だろう」

 ハルがぽんと手を叩いた。

「有名なの?」

「古い機械とかデータとかサルベージしてたらよく見るんだ。昔、まだ日本があった頃の首都さ。第3次大戦で首都が核で吹っ飛んで遷都せんとされたんだと。でも第4次大戦の前後、唯一都市ザ・シティの建設後はぜんぜん記録が残ってないんだ」

「ということは奇械マシンの指令サーバーがあるのは松本、ということにあるのね。ね、どこにあるのかな」

「僕も知らないよ。戦争中の首都なんだからきっと見つけにくいところなんじゃないのかな」

 思わぬ収穫だった。廃墟の街で少ない武器と兵士をやりくりして奇械マシンと戦うよりもよっぽど効果的だ。どれほどの死傷者が出るかはわからない。でもジリ貧の戦いを奇械マシンとするよりはずっといい。

「あんたたたち、わけのわかんない話をしててつまんない」

 シホは部屋の隅にあった踏み台スツールに腰掛け、器用に足を組んで自分の膝の上で頬杖をついていた。さながら空腹で不機嫌な猫のようだ

「つまんないわけないんだよ、シホちゃん! みてみて、もしかしたら戦争が終わるかもしれないんだよ」

「んーと、学のないあたしにはわかんないんだけどさ、アイカって一番頭が良かったわけ」

「うーん、一番ってわけじゃないけど」

「じゃあさ、唯一都市ザ・シティにはもっと頭のいい人がいるわけでしょ。財閥連中にも統制局にも。40年以上奇械マシンと戦争しててこれに気づいた人はたくさんいたと思うんだけど」

「きっと、それは、うーん、戦略目標だから、じゃないかな。ほら、教練で習ったでしょ。上の立場ほどより広く状況を知っているって」

「敵の正体が分かってそれに一致団結するならみんな協力するっしょ。あたしが言いたいのは、統制局は事実を知ってて隠してる奴らがいるかも、ってこと」

 確かに、合理的に考えればそうだ。単なる陰謀論と片付けるにしては根拠が多すぎる。

「じゃあ、わたし達で戦争を止められないのかな」

「わたしってなによ。あたしは協力しないんだからね。こんなヤバそうなことに首を突っ込んで。統制局の役人に連行されたって知らないんだから、あたし」

 そう言われてしまっては返事のしようがない。それに奇械マシンの中央サーバーがあるのは分かったが松本がどこかはわからない。どのみち遠くにあるんだろう。アイカひとりの力ではなんともならない。

「ねえハルさん。わたし、今できることをしたいんです」

「はあ」

奇械マシンのプログラムコードをコピーさせてほしいな」

「いやでも、そのちっちゃい子が言ってたとおり───」シホの突き刺さるような視線がハルに飛んだ。「───ええとつまり、統制局にバレるとまずいかも」

「バレないようにやりますから! 2重3重のプロテクトをかけて。わたし、電子防壁と解析はクラスで一番だったんですよ、これでも」

「ああ、そう。それなら、まあいいか。たしかこのあたりにコピーしたコードがあったような」

 ハルはあちこちの小さな引き出しを開けて回った末、親指の先ほどの大きさのフラッシュメモリをアイカの手のひらに落とした。

「ありがとうございます! ハルさん」

「デュフ、いやまあ、いいんだよ。あの、アイカさん、もしよかったらまた今度──」

「ええ、もちろんです。解析結果とかプログラムとか持ってきますね」

 アイカは天真爛漫な返答でハルの意向を無意識に削いだ。

 まずは奇械マシンのプログラムコードの解析。そして奇械マシンのサーバーを目指す。唯一都市ザ・シティの外の活動になるので、ケイコに助けを求めるしかなさそうだ。

「ほらアイカ。用事が済んだんならさっさとここを出るよ」

 挨拶もしないまま、シホはアイカの背嚢を力任せに引っ張って店の外まで連れ出した。その威勢にハルは店の中から手を振るしかできなかった。

「まったく、あんたってやつは」

「エヘヘッ、ごめんごめん。コンピューターのことになるとつい熱くなっちゃって」

「いっつもそうね。機械オタク」

「もしかして怖かった?」

「んなあ! なわけないでしょないない。陰気な店にずかずか入っていったり統制局に楯突いたり、そんな程度で怖いわけないでしょ」

 怖かったんだなあ。ちょっと悪いことをしてしまった。

「おわびにさ。なにか美味しいもの食べよ。わたしが買ってあげる。闇市なら、お金さえ払えば天然食品が食べられるんでしょ」

「あ、あたしは買収されないんだから」

「そっ、か。じゃいつもどおりの合成食品にしよ。配給券は持ってきた?」

 踵を返す。たしかバスを降りたあたりに配給所があったはずだ。早めに行けばショーユ味の合成食品がもらえるはずだ。

 しかし、つとシホはアイカのワンピースの裾を握った。

「まあでも、あんたが払ってくれるって言うなら、行ってあげてもいいわよ」

「ほんと? エヘヘッ、嬉しいなあ」

「たしかこの時間だと。702区の方に行ってみましょ。バス停はこっち」

「エヘヘッ、道案内ありがと」

 不慣れな郊外の道をシホの案内で歩いた。薄暗い路地を避けてなるべく大きな通りを歩いているのが分かった。古い戦前の道路を時折軍用トラックが走り抜けていく。老人たちは特にすることもなく軒先のベンチに座ってぼんやりと空を眺めている。

「ところでさ、あんた、あんなに買い物してお金に余裕があるの?」

「うん、だって軍隊って食べ物も着るものも全部もらえるじゃない? 任務になったら何週間も宿舎暮らしだし。なくなっても困らないというか」

「そういう意味じゃなくて。その、家族とかさ」

「うーん、両親とも公務員だから暮らしていくには十分っぽい。実はね、両親とあまり仲が良くないんだ。わたしが軍隊でたくさんの人を助けたいって言ったら反対されちゃって。学校でA5評価をもらったのに入隊するやつがあるか、って怒られちゃった」

「A5って、あんたね。そりゃあたしでも同じこと言うわよ」

「エヘヘッ、シホちゃんこわーい」

「ま、でも内地でぬくぬくと暮らしている連中に比べれば、あんたみたいに根性があるやつのほうが好きかも」

「え、あれ、わたし、告白ちゃった?」

「ば、ばーか! んなわけ無いでしょ。ほら、あの架線トロリーバスに乗るよ、走って」

 背嚢を左右に揺らしながら走った。発射直前でなんとか滑り込み、最後席を確保できた。

 隣に座るシホを見た。帽子キャップのツバの隙間からくりくりとした丸い目が見える。頭頂部は撫でるのに丁度いい高さ。もし妹がいたらこんな感じだったんだろうか。

「ねえねえ、シホちゃん」

「ん? 何よ」

 アイカはシホの耳元に近づいて、

「……恥ずかしがり屋さん」

「うっさい! ばーか」

「エヘヘッ、冗談だよぉ」

 ねてしまった。そこもかわいい妹然といった感じ。

「ねえ、もしさ。もし戦争がなくなったらどうなるのかな」

「うーんそうだね。とりあえず唯一都市ザ・シティの外に住めると思うよ。ケイコ隊長が、汚染の少ないエリアも多くなってるって言ってたし」

「あたしさ。家族のために入隊したの。稼がなきゃいけないから。借金とか病気の薬代とかいろいろお金がかかるの。だからあたしが稼がなきゃいけないの。もし戦争が終わったら、そういうのも全部なくなるのかな」

「うん、きっと。きっと全部良くなるよ」

 シホは顔をそむけてゴシゴシと服の袖で顔を拭っている。その背後から、アイカはそっと抱きしめてあげた。

 架線トロリーバスはあちこちをきしませながらバス停に停車した。702区は古びた町並みながらも戦前の整然とした町並みが残っていた。行き交う人々も身なりに多少の余裕が垣間見えた。

「あたしも、もうすこしお金があったら家族と702区に引っ越せるのにな。709区は工場の煤煙のせいでみんな咳ばかりしてるから」

「きっと、来れるよ」アイカはきゅぅとシホの手を握った。「ね、あっちからいい匂いがするよ! 行こ!」

「ちょ、ま! だからどうして走るのよ」

 天然物の食品が並ぶ市場をふたりで駆け抜けた。ふるさとの720区では統制局の管理が厳しく闇市なんて開けない。天然物の食品を食べるなら、配給券の抽選を待つか集合住宅の狭いベランダで育てる以外になかった。

「うっわーみてみてシホちゃん! 果物があんなに。柿だよね」

「ええそうよ。というか子供みたいにはしゃがないでくれる? いっしょにいるこっちまで恥ずかしいんだから」

 食べ物の屋台はこっち、とシホはアイカの手を引っ張った。

 ひとつ隣の通りには雑多な匂いの食べ物が数え切れないくらい並んでいた。味や匂いはおそらく配給される合成食品と同じ、シオ味やショーユ味。甘味でいえばチョコレート味やイチゴ味だろう。

 しかし天然食品の魅力は味の奥深さだった。合成食品は栄養もカロリーも必要十分に摂取できるが、同じ味、同じゼリー質の食感で楽しみがなかった。

「ほらこれ。あんたが食べたがってたラーメン、その隣がうどん。あっちはお好み焼き」

「うわーすっごい。うん、高いけど、すごい」

「お金、あるんでしょうね」

「うん、何か食べても、帰りのバス賃はあるよ」

「……ほとんどゼロじゃない」

「エヘヘッ。CPUにお金を使いすぎちゃったかも」

「これだから機械オタクは」

 食べ物の屋台を端までじっくりと見て回った。迷ってしまう。スイーツの屋台もあったし、難民の人たちが開いている見たことのない食べ物の屋台もあった。

「まだ迷ってるの? はやく決めなきゃ売り切れちゃうよ」

「シホちゃんは何が食べたいの?」

「あんたの金で買うんだから、あんたが決めなさいよ」

 鋭角ツインテールがぶんぶん揺れている。トゲトゲしい言葉だったが彼女なりの気遣いだろう。

「あー見てみて!」

「やっと決め───」

「人が倒れてる! ほらあそこ。松葉杖で階段を登ろうとして、車椅子も自分で引き上げてて」

 しかしシホは興味が無いようで、すぐ隣の芋のお菓子の屋台をじぃっと見ていた。

「よくあることよ。病気で足が不自由で……ってあんた、どこいくの」

「どこって、助けなきゃ」

「あんたね、ああやって人をおびき寄せてナイフで脅して金品を奪うって普通にあることなんだから。ほら誰も助けようとしてないでしょ」

「でもあれは女の人だよ」

 シルエットも細いし武器を隠し持っている風にも見えない。

「悪人に男も女も関係ないの。クソはクソなんだから」

 スラムで生き抜いてきたシホの教訓は尊重したかった。しかし困っている人を見捨てるというのも道徳に反してしまう。

「じゃあこうしよ。わたしが助ける。もし悪い人だったらシホちゃんがわたしを助ける。どう?」

「どう、って危険に変わりないじゃない」

「シホちゃんは、対人格闘が得意だったでしょ」

「あれはスラム流の喧嘩術でって、おい、話聞けー!」

 アイカはくるりと踵を返すと、背嚢をぐらぐらと揺らして足の不自由な女性に駆け寄った。

 ちょうどそのタイミングで、女性の上体がふらりと揺れて階段の下へ落ちそうになった。そこへアイカが滑り込んだ。

「うぁー危なかった。大丈夫ですか」

 車椅子で段差を越えられないから、松葉杖で無理して登ろうとしたのだろうか。

 顔にかかっていた前髪がハラリと落ちた。メガネの奥でぼんやりと焦点の合わない目がアイカを見た。

「あれ、どこかで見たことがあるような」

 ぴたり、女性の手がアイカの頬に触れる。

「……アイカ?」

「げっ、ケイコ隊長。あ、いや、その偶然ですね」

 なんとか取りつくろう。まさかこんなところで会うとは。世界は狭い。とはいえ、軍事施設も近く集合住宅の家賃もさほど高くない702区なら軍人に出くわすのも道理といったところか。

 アイカは肩を貸して階段を登った。車椅子はシホが引き上げてくれた。ケイコを車椅子に座らせてブランケットを膝にかけてあげた。古ぼけたブランケットだった。あちこち補修だらけで元の柄はわからない。それでも物持ちよく長く使っているのがわかった。

 ケイコの表情は、任務中のキリッとした様子がない。むしろおっとりしていてつかみどころがない。

「ええっと、隊長。どちらへ行きますか」

 ぽかん、とケイコが首を傾けてじっとアイカを見た。

「この道を真っ直ぐ。でも、大丈夫よ。自分で車椅子を押せるから」

「あ、はい。すみません」

 ケイコはキィキィと車軸が鳴る車椅子で路地へ入っていってしまった。

「ねえ、シホちゃん、あれ隊長かな?」

「かな、ってどういう意味よ」

「だっていつもと様子が違うじゃない。もしかして双子、とかかな」

 しかしアイカのことを判別できていた。となれば本人に間違いないはずだが。

「隊長、車椅子だった。でも任務のときは普通に歩いてた。どういうことだろう」

 シホはこめかみを押さえて考えている。普段頭の回転だけは人一倍早いのだが今回ばかりは理解が追いついていない。

「うんよし、ついていこう」

「あんたね、上司のプライベートな時間につきまとうなんて配慮がなさすぎ──って話聞けーおい」

 アイカはシホの言葉が終わるのを待たずにケイコを追いかけた。

 古いひび割れたアスファルト舗装の裏路地では車椅子がゆっくりとしか進めない。おまけにほかに人影がなく追いかけるのは簡単だった。

「なんだか、ドキドキするね。悪いことしてるみたいで」

「ニタニタ笑って、あんたもそーいう顔するのね。罪悪感があるなら、やめたら」

「でもさ、隊長のプライベート知りたくない?」

「別に。上司は上司。仕事以上に関わる理由はないし。で、あんたはどうしてケイコ隊長に興味があるの」

「んー、なんでだろう。かわいいから、とか」

「はぁ、バカみたい。たしかに隊長は善人よ。でもそれ以上でもそれ以下でもない。どうしてそういう評価になるのよ」

「任務中は凛々しくて、クールで判断も素早くて。でも、プライベートではふんわりやわらかくてもちもち・・・・してる、みたいな。ギャップだよ、ギャップ」

「はぁ、意味わかんなんない」

 悪態をつきつつも、アイカの奔走ほんそうにシホは付いて歩いた。アイカは世間知らずゆえに余計なことに首を突っ込みかねない、というシホの老婆心ろうばしんだった。

 ケイコは車椅子のまま、器用に古びた店舗のドアを開けた。木製のドアに色ガラスがはめ込まれている。戦前からある商店街の一角のようで、古びていながらも丁寧な修繕が施されていた。

「うーん、怪しい」

 アイカが唸った。

「きっとあれよ。アルバイト。お金稼ぎ」

「ふうん、どんな?」

「どんな、って察しなさいよ! あたしに言わせるな」

「グーテンベルグ銃砲店っていう名前だね。ということは鉄砲に関するアルバイトかな」

「そーね。そうかもね」

 当てのない推察をするふたりの背後からふわふわボイスが投げかけられた。

「何してるの、あなた達?」

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