24

 アイカはダム構内の狭い廊下をうきうきルンルンステップで進んだ。両手いっぱいに光ケーブルのスクラップを手に自室への道を急ぐ。どれも戦前のJIS規格のもので、電子ロックへ侵入する際、自分のラップトップPCと接続するのに使えそうだった。改造し数種類に対応できるようにする。

 たぶん、大丈夫。工作道具も借りてきた。40年も前のシステムなんだ。たとえ当時の最高技術だろうが今じゃ教科書の1ページ目に載っている。

 一通りのダム構内に設置された電子ロックを見て回った。どれも稼働しなくなって久しいが、簡単なネットワークが構築されていて外部からの電子潜入は可能そうだった。軍司令部ともなればファイアウォールのたぐいはあるだろうが、たぶんセキュリティを上書きオーバーライドできるはずだ。

 そして、

「さてここはどこだろう」

 部屋の階は覚えている。最上階から数えて4階だ。しかしダムという建物は横に広い。しかも山中に埋め込む形でシェルターのようになっている構造のため外見以上に広い。

 当然窓などはなく、どの階も似たような通路と照明とゴウゴウと唸る通気孔ばかりだ。

 こんなときに限って人の姿が見えない。おもむろに扉を開けて誰かの住処すみかだったとしたら恥ずかしくてしょうがない。

 ひとつだけ扉が空いて光が漏れている。もしかしたらここから上の階へ行けるかもしれない。

「おじゃまします」

 顔だけを覗かせてみた。

 フンヌゥ!

 唸り声? 巨大な獣のよな。財閥たちの街には沢山動物を飼っている動物園があったが。

 フンヌゥ!

 薄明かりに照らされて、彼女の巨体が動いていた。

「なんだ、ペレスさんか。トレーニング中ですか」

 警戒されないようににこにこスマイルを維持する。ペレスはアイカを気に留めること無く、ベンチに横になって巨大な重りを上下させている。

「うわっ、これバーベルじゃなくて車の車軸だ。人の力で持ち上がるものなの?」

 重さは分からない。錆びた鉄塊がカチャリカチャリと小気味よりリズムで上下する。クローンの奇械マシンがあるのだから遺伝子を改造し強化した人間がいるのも当然と言えば当然だった。戦前はいったいどれだけの技術があったのだろう。2度の大戦で技術が失われたのが惜しい。

「よう、いい女・・・

 ペレスが唸った。僅かな地響きとともにバーベルが床に置かれトレーニングは一段落したらしい。

「わたしはアイカ」

いい女・・・のアイカ」

 名前だと本当にわかっているのだろうか。値踏みされるように見られると本能的に警戒してしまう。

「もう、わたしは別にいい女じゃないです! まあ、そりゃ男の人はジロジロ見てきますし、男の人は長いお乳が好きですけど、わたし的にはケイコさんのほうが形がきれいだと思うし。ううん、そーじゃなくて」

 喋って説明しようにも日本語がわからないのだった。英語はプログラミングで使う単語なら分かるが話すとなると話が別だ。共通語エスペラントでさえ十分にわかるわけでもないのに。

「そういう意味じゃない。いい女・・・のアイカ」

「あれ、わたしの言葉、わかるんですか」

「わかる。あたりまえだ。ここに10年住んでいる。言葉もわかる」

 文章はたどたどしいが、言葉の一つひとつは力がこもっている。

 ペレスはまたベンチにどかっと座ったままだが頭の位置はアイカより上だった。

「で、いい女・・・の意味は何なんですか?」

 アイカは続きの言葉を待っていたがまもなくペレスは次のトレーニングに入ってしまった。再び車の車軸をバーベル代わりに上下させる。ベンチがぎしぎしと軋み、獣のような唸りがトレーニング室に響く。

 このまま待っていてもらちが明かないかもしれない。部屋でケイコさんが待っているんだ。あまりここで長居して心配させるのは良くない。

 アイカは光ケーブルの束をぎゅっとしっかり持ち直してくるりと背中を向けた。するとペレスがどかっとバーベルを床に置いた。

いい女・・・、というのは愛する人を守ることができるという意味だ」

「えっ?」

 すごく流暢でまとまりのある一文。たぶん、彼女自身、なんども口にしてきた言葉だろう。背を向けたまま振り返ってペレスを見た。中途半端な姿勢だったが、ペレスは後を続けてくれた。

「トシイエはいい男だ。ペレスを守る。仲間を守る。子供を守る。男も女も年寄りも守る。強い、いい男だ──」

 それはダムへ向かう車中で聞いた。戦いばかりの壮絶な過去があった。

「──ペレスもいい女・・・だ。トシイエを守る。銃を撃つ。マシンをぶちこわす。強いいい女・・・だ。いい女・・・のアイカも、愛する人を守る。違うか」

 違わない。そう言いたかった。

「でもわたし、愛する人なんて、でも愛とかわからないし」

「愛はLOVEだ。わかるか」

「わかんない!」

いい女・・・のアイカ、お前を見ればわかる。お前は戦う人じゃない。でも戦う。愛する人がいるからだ」

「わたしは───」

 でかかった言葉をぐっとこらえた。そして思い浮かぶのはケイコさんの細くて冷たい指だ。銃を撃ってマメ・・だらけで、強い女性。でも車椅子に乗っていたときのケイコさんはひどく小さく見えた。吹いたら壊れてしまいそうな。だから守ってあげたい。ケイコさんが機械の体を使ってまで戦わなくてもいい平和な世界を作らなくてはいけない。

 そういえ沢山の人を助けたい、と言ってシホちゃんに笑われたっけ。でも今なら分かる。名前も知らないその他大勢を助けたいなんて曖昧な理由は、ただ自分の行動を正当化したいだけの苦し紛れの嘘だ。

 今ならきちんと言える。愛する人を守るために戦うんだ。これが最後の戦い。

「泣くな。いい女・・・のアイカ」

「泣いてませんから」

 しかし下瞼したまぶたに溜まった涙を空いている方の手でごしごしと拭った。まだ泣いちゃいけない。

 その時、トレーニング室の入口の扉が開け放たれ、初老の男性が台車を押してやってきた。男性は油の染みたオーバーオールを着ている。さながら機械エンジニアといったところか。台車にはやたら大きい機械が載っていた。

「ああ、やっぱりここにいた、ペレスさん。まーたこんな重いものを持って。お医者さんに怒られますよ」

「ペレスはいい女・・・だ。いい女・・・は努力を怠らない」

「あはは。まあ無理はせんといてください。ところでこの前お願いされてた仕事、ようやくおわりました。いやぁ、大喧嘩の前・・・・・に整備が終われてよかったですわ」

 ペレスがニタリと笑った。唇の隙間から白く美しい歯が輝いていた。

 堅牢な機関部に長大な銃身。台車に載っている鉄塊の機械は重機関砲に間違いなかった。唯一都市ザ・シティで使われている50口径の重機関砲とは種類が違う。戦前のものだろうか。

 だが銃架や三脚もなく、持ち手ハンドルと逆向きのピストルグリップが機関部に溶接されて追加されていた。

「うわっ、おっきい。ってペレスさん、それ手で持つんですか」

いい女・・・はいい銃がいる」

 それは銃じゃない、砲だ。教練で習った。ペレスはそれを軽々と持ち上げて振り回してみせた。

 HAHAHAHAHAHAHA  FUUUUCK

 もはや雄叫びだった。意味は分からないがなんとなく下品な意味だとわかった。

「あの、大喧嘩ってなんのことですか」

「はい? ああ、唯一都市ザ・シティから来たいい女の、ケイコさんでしたかな」

「アイカです!」

 もしかして住民全員にその呼び名が広まっているのか。

「トシイエさんがね、若頭集わかがしらしゅうを集めて奇械マシン相手に最後の大喧嘩を仕掛けるってことで兵士を募ったわけです」

「でもそんな危険なこと、賛同する人は……」

「志願者が多すぎたんで、トシイエさんも人選に苦労しているとか。なにせ奇械マシンの親玉をぶっ潰すっていうんで、箔が付くとかなんとか」

 そんなわけが。わたしたちの言葉を信じてくれたのは嬉しいがそこまで賛同してくれるなんて。

 目の前の男性がコホン、と咳払いした。

「ま、若いものが死地に赴くというのは見ていて気持ちのいいものでは無いですよもちろん。でも、血の気の多い若いものにこんな狭いところで死ぬまで静かに暮らせというのもまた酷なものですからね」

 そう言って業物わざものを振り回すペレスに目を向けた。

「あれ、重いんですよね」

「30キロほどですかな。50口径の徹甲弾も用意してありますので全部で、ええと、60キロくらいですかな」

「ペレスさん、強い」

「何年か前に北から流れ着いた外国の商人から買ったものですわ。DShK、という名前でしたな。さすが戦前の銃ですわ。堅牢ながら簡素化と合理化が図られている」

「あのおじさん」

「はて、なんでしょうか」

「道案内、お願いできますか。わたし、エヘヘッ、帰り道を忘れちゃって」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る